第4話 館山開発
楽しんでもらえれば幸いです。
ある日の、新月の夜。
相模国、小田原。
北条氏の本拠地であり、小田原城近くにある居館にて北条家三代当主、北条氏康は風魔忍軍の頭領である風魔小太郎より、安房国に関する報告を受け取っていた。
「館山の開発か、厄介な……」
「はっ、左様でございます」 小太郎は頷く。
「しかし、この報告ではあまりにも抽象的過ぎる」
そういって、小太郎から渡された紙を見せつける。
氏康が受け取った報告書には、
・館山湾に一大拠点を整備している。
・海岸から海に向かって船を止める“橋のようなもの〟を作っている。
・用途不明の道具類を製造中。
・大型船を建造している模様。
・人を集めて調練を行っている。
――等々。
氏康からすれば要領を得ない、重要な所だけ分からない報告に苛立ちを隠せなかった。
「申し訳ありませぬ。配下の忍が言うに、あまりにも物珍しいものが多く、更に理解できないことが多数あるようで……」
北条家では他国から有用なものは取り入れようと、風魔の情報をもとに政策や道具の開発を行っていた。特に里見家は有用そうな農業政策や道具類が多く、北条方でも実行したところ幾つかの失敗はあったものの、食糧の増産に成功していた。
ただ、一部は失敗続きであった。それも重要な資源になりうる木綿の栽培と紡績機、病気を治すというようちん(ヨードチンキ)の生産は上手く行っていなかった。
木綿の栽培自体は北条の領国でも行われていた。三河などで綿の栽培が始まり、指物や羽織などの軍需品として各地に栽培が広まっていたが、生産量は多くなかった。
木綿は土地の気候や風土にあった品種でないと上手く育たないうえ、時期に合わせてしっかりと水と肥料をやる必要がある。
里見家では転生者によってある程度栽培方法を知っていたのと、領国が未来では上総木綿の産地であったこと。また生産地は湧き水が多く、木綿には欠かせない干鰯が近場に豊富にある事から質実堅牢の木綿を作り出すことが可能であった。
北条の百姓や役人にはそういったノウハウが無く、また必要な肥料が殆どない。僅かな量は収穫できたが、品質も値段の安さも里見の方が圧倒的に上。生産効率は比べるものにならない。
沃度丁幾はそもそも一部地域のみで製造され、当然ながらその製法は秘匿されている。唯一、材料には海藻を使うのは分かったが、製造には化学の知識と大掛かりな機材が必要になるため、完全に行き詰っていた。
これらは投入した資金に見合った結果が残せていない。風魔の情報が不十分だったから失敗したと考えている者もおり、唯でさえ下に見られやすい忍びに対して不信感が現れていた。
氏康も不信感を持っている一人であった。
「ちっ、どうしようもないな。この大規模な生産拠点はどうだ?」
「周りを堀と塀で囲んでおり、常に兵士が巡回しております。中では武具を中心に生産されている様ですが、数名の配下が侵入するとの連絡を最後に途絶えております。恐らく、捕まった模様です」
「……一人残らず、か?」
「はっ……」
氏康は風魔のあまりの不甲斐なさに怒りが込み上げるが、怒鳴りつけても変わる筈もないため、落ち着かせるように二回、三回と長く息を吐き出した。
「……まあ良い。それだけ厳重ならば中にはそれだけ重要なものが有るということだ。何としても探り出せ」
「御意」
次は失敗するな、と念を入れて、攫われた民の状況について聞く。
しかし、これも芳しいものでは無かった。
「扱いはよく、衣食住が提供され、更に給金も出るようです。以前より良い暮らしが出来ることから現状に殆ど不満は無いようです」
「厄介な、ここまでやりづらいとは……。風魔、この館山開発を主導しているのは誰だ」
館山は義堯の直轄領である。氏康は義堯の側近か、家臣団の中から任命したのだろうと考えていた。だが、小太郎が答えに窮して口ごもるを見て、怪訝な表情を浮かべた。
「どうしたのだ、答えよ」
「それが、義堯の命によって進められているのは間違いありません。ですが、関わっているのは長子の義舜を始め、正木に土岐、安西、岡本と周辺の国人衆の全てです。特に正木時忠、安西実元、岡本安泰は現地入りして開発にあたっております」
この言葉に氏康は唖然とした。
「――馬鹿な。ありえん、ありえんぞ。重臣だけでなく国人衆もか!? しかも正木が現地で開発にあたっているだと!?」
信じられず、言葉を反復させて絶叫する。普通ならばありえない話であった。
「はっ、己も信じられませんでしたが、事実のようです。佐貫や勝山、勝浦と各地から大量の資金や資材が送られているとのことです」
平坦な声で小太郎は告げた。
ただ家臣に命じて領地を整備させるのはわかる。だが、関わっている人物が問題であった。共通して、北条にとっては鬼門といっていい者ばかりである。
実元、安泰は陪臣でありながら義堯からの覚えの良い人物であった。戦でも内政でも重要な働きをしており、評判も良い。
そして正木時忠。彼は兄の時茂に勝るとも劣らない傑物と呼ばれていた。勝浦正木氏当主であり、勝浦城主。正木氏は新興の一族ではあるが勢いがあり、時忠はその手腕から内政家として国内外から高い評価を得ている人物であった。正木氏は里見家の家臣として振る舞っているものの、その実態は大名の同盟関係のそれに近い。そのため、正木氏の領地は“正木分国”とも呼ばれていた。それだけ力があるため、不満ならば義堯の命令を無視することも出来るのだ。
そして、ある答えに辿り着く。
「まさか、義堯め。もう里見家による支配体制を確立させたのか……?」
震える声で氏康が言う。信じたくは無いが、状況からして最も正解だと思われた。
そして、氏康の予想は当たっていた。
転生者達が成長し、今までの活躍と義堯からの重用で家に影響力を持つようになった。特に時忠は新しい一族である勝浦正木氏を興して自由に動き回れるようになっており、彼らは目的のために一致団結し、得意分野で動くようになった。
船と湾港の整備には五郎が、必要な資材の発注・輸送は時忠が、町割りと工房建設には実元が、沿岸警備には安泰が配置についていた。他の領地から動けない面々も近隣の国人衆の説得(という名の脅迫)と積極的な支援をしているため、一気に館山の開発が進んでいた。
しかしその事を知らない、また安房里見家の成り立ちを知る氏康にしてみれば、信じられないことであった。
安房里見家というのは、簡単に言えば「里見氏を代表とした国人連合」である。
歴史で見ていくと、房総半島という地形的要因から農業がしづらいため、水上で生活する海民が多く存在している。海民は土地を持たないため沿岸部を自由に浮浪し、自立性が強く、また情勢に流れやすい性格であった。後にこの海民は他領へ収奪しに行く海賊となり、これを支配下に治めたのが安西氏・丸氏・東条氏・神余氏などの国人衆である。
しかし、国人衆の支配下になっても自立性と流動性はそのまま受け継がれていた。
また国人衆はしっかりとした経済的基盤を持つために土地を確保、そして自身の勢力を拡大しようとした。そのため山がちな安房国内の小さな土地をめぐって争いが多発したのだ。
安房里見家初代の里見義実はどのような理由で安房国に渡ったのかは知らないが、直属の家臣団を持っていなかったため、安西氏ら国人衆の自立性を認め、対等に近い支配体制によって国人衆を纏め上げた。そうせざるを得なかった。
歴代の当主は国人衆と血縁関係を結び、そして四代当主里見義豊と庶流である義堯によって起きた「天文の内訌」でようやく国人衆の吸収・支配が進むことになった。
下克上を果した事で国人衆も利害関係がすっきりし、また当主となった義堯の高いカリスマ性もあって家臣団として、また海賊衆も里見水軍として編成されることになった。が、それでも問題は多く残っていた。
史実でも過去の遺恨から国人衆は互いに仲が悪く、自立性の高さと北条の扇動もあって義堯の死後、国人衆同士の争いが活発化することになった。これは安房里見家を衰退させる原因になった。
「館山では、湾港整備が中心だったな?」氏康が訊ねる。
「その通りでございます。また元服前ですが、義堯の子が一人、館山に入っています。こちらは水軍に深く関わっているとのことです」
「……ちっ、義堯め。陸だけでなく海にも自分の手駒を置いて権力を集中させるつもりだな」
氏康にも直ぐに義堯の狙いが分かった。
この当時の水軍というのは海賊と言われるが、一概にはそうは言えず、商人としての側面も強くもっていた。また大名から様々な特権を許されていたことから、私掠船団と言えるのかもしれない。
さて、義堯の直属の家臣は陸のみであり、海は家臣である安西氏、勝浦正木氏が中心となっていた。
安西氏は主に内房の海賊を纏めており、海賊大将との異名を持つ国人衆の長であった。水軍の動員数は里見家でも最大で、古来よりの気風をそのまま残す、まさに海賊の集団であった。
勝浦正木氏であるが、時忠が勝浦城に入った際に外房の勝浦周辺の海賊を掌握し、できた水軍衆である。略奪や関銭徴集よりも交易を重視しており、武装商人のような存在にとなっていた。近年では五郎の進める捕鯨にも積極的に参加している。
特に義堯が懸念しているのは、史実で内乱を起こした内房の海賊衆であった。五郎を館山湾の開発にあてたのも強力な船を設計、建造させるだけでなく、自身の子を置くことで自由に使える勢力を作り、万が一の際に対抗するためでもあった。
これに氏康は思わずため息をつき、やや疲れた表情を見せた。
「里見家は急速に力をつけている。それも嫡子の義舜、正木兄弟、安西実元、岡本安泰と逸材の者たちが現れてからだ。これを掌握し、更に海も強化されるとなれば……」
陸では当主の里見義堯を中心に里見義舜、正木時茂、土岐為頼と勇猛な武将が揃っており、海では岡本安泰と房州海賊が暴れまわっている。後方には正木時忠が交易、安西実元が道具の開発を行っており、急速に豊かになっているのだ。この状況で海に義堯が自由に使える存在が追加となると、北条としては悪夢である。
最近では、非常に高価だが木綿布や硝子、沃丁など里見の製品が北条の領国にも出回るようになり、民衆の生活の質も上がってきている。沃丁の効果は確かで、感染症による死者を減りつつある。
だが、何時までもこのままではいけない。
「風魔」
「はっ」
「何としてでも情報を盗み出せ。政策、技術全てだ。それと現体制に不満を持つ者を探し出せ。そして有用なものはこの北条に役立てるのだ」
「……御意」
小太郎は一礼し、音を立てず消え去る。
一人になった氏康は憎々しげに言葉を吐きだした。
「里見め、我らの邪魔はさせんぞ……」
◆
天文十八(1549)年十月、安房国 館山
“会合”から四ヶ月後。
「順調だな」
小高い丘の上で、五郎は館山湾の風景を眺めていた。
この丘は史実の館山城が建てられた場所であり、現在は館山城の建設が進められている。
この丘を囲むようにポツポツと家が建ち始めており、特に西側は大規模な職人街が整備されていた。既に道路整備と水堀を兼ねた運河の構築が完了しており、職人街での本格的な操業も始まっている。近くの森から木が切り出され建材に薪、木炭が得られるようになると瓦、煉瓦が生産され始め、街の開発も格段に進み始めるだろう。
湾港開発もまだまだ進みが遅いものの、順調と言えた。
既に桟橋と倉庫、造船所が一つずつ完成し、海岸には船台が置かれ、弁才船の建造が始まっていた。来年の春には就役する予定である。
桟橋は腐食に強い松材で橋脚を建て、その上に角材を渡して板を張った木造桟橋である。荷の積み下ろしがしやすいよう横幅を広くとり、両脇に竹束による防舷材が垂らされている。
今までは小舟で荷を船と浜を行き来して運んでいたが、船が横付けできるのでより早く簡単に積み下ろしができるようになった。
また弁才船の設計図を五郎が直接船大工たちに持って行った際、大きな驚きと混乱が起きた。
集められた船大工達は領主からの命令で子供の道楽に付き合わされるのかと思っていただけに、まず製図用のつけペンである烏口と定規により細かく精密に書かれた設計図を見て驚き、そして見れば見るほど考えられた船の構造に興奮していた。
そしてこの製作者が、目の前にいるまだ元服も済ませていない子供だという。
船大工達も思わず呆けた顔になるが、五郎から細かい説明と要求を聞くにつれ、それが事実だと理解し始めた。そして船大工達は全く新しい船を自分達が造れることに喜び、先進的な設計を思いつかなかった事に悔しがった。また五郎が船大工らと意見を交え、偉ぶる事なく分からないものが聞き、そして構造理由について疑問があれば必ず説明し、一切妥協しない性格は好ましいものだった。
数日後には、船大工らから仲間と認められるようになっていた。
こんな事もあり、話を聞きつけた耳聡い商人たちは既に館山湾に入港しており、その活気と便利な道具類を見た者の中には投資と此処に店を出したいと言っている状況だった。
全てが順調。館山は好景気で活気に溢れていた。
「というワケで、視察に行こう」
「駄目です。若様」
視察に行こうとする五郎に対し、ぴしゃりと言う源一郎。
本日も朝から造船所に行こうとしたところ、源一郎に止められたのだ。
「視察も重要な仕事だぞ、じい。町民たちが何か困っていないか、作業は進んでいるかを見聞きするのは上に立つ者として重要な事だ」
「確かにそうでございます。見聞するのは大事な仕事です。ですが、駄目です。若様はそう言って造船所にしか行かないですからな」
「父上から好きに造船して良いと許可は取っているから問題ない」
「駄目です」
五郎が権力を振りかざしても引かず、聞く耳を持たなかった。
そして五郎を諭すように、真剣な面持ちで話し始めた。
「若様、貴方様は齢七つにして殿からここ館山の整備を監督するよう任されたのです。遠ざけられたなんだと言う愚か者もいますが、このじいでも若様が行う事が全て有用だと分かります。そして、あの弁才船で確信しました。若様は、里見家始まって以来の天才と謳われる義舜様と遜色ないお方だと」
五郎は義堯から館山湾の開発を命じられていたが、監督という名の通り“お飾り”の存在としてである。流石に表向きは元服していない数えで七歳の子供に、緊急時でもない状況で一切の政務を取り仕切らせる訳にもいかなかった。
そのため実際には義舜が中心となり、安泰や時忠、実元らがそれぞれ指揮を執って整備を進めていた。
これも館山を水軍基地・貿易港・生産拠点として早く完成させ、内房の防衛と貿易を円滑に進めるためであった。
その間、五郎は基本的に造船関連が仕事なので、設計図を描いたら後はそれほど忙しくは無い。時々、安泰らと会議するか、届けられた書類を見る程度である。
要するに、結構暇だったりする。
造船所に入り浸るのもこれが原因だった。また前世では和船の建造を行うところは少なくなっており、西洋方式しか知らない五郎には目新しいものだった。そのため毎日のように造船所へ行き、造船の手法を眺めては驚き、船大工にアドバイスをしたり、好き勝手に艦船設計をしていた。
「じいは若様を一人前の立派な武将にするのが仕事です。ですので、これから毎日、鍛錬から座学、今まで滞っていたこれら全てをやっていただきます」
断定だった。これからは絶対に逃がしはしない、真剣な眼差しでそう言っていた。
「……て、じいは武芸の腕はからきし駄目だったじゃないか」
「ですので、派遣された役人の中に腕に覚えが有り、教育者として最適な者を募りました」
「…………ナンデスト?」
「既に練兵所にて待たせております。此方に着替えてください」
すっ、と源一郎は用意してあった真新しい稽古着を差し出す。
ちらり、と五郎が周りの付き人を見渡すも、誰も目を合わせようとしなかった。
…………どうやら、本当に逃げられないらしい。
五郎はがっくりと肩を落とし、稽古着を受け取った。
◆
夕方。
水軍の訓練を終えた安泰が、五郎のいる屋敷に訪ねてきた。
「ああ、成程。だから今日は町に来なかったのですね」
訪ねてきた理由は、近況報告と五郎が造船所にも町にもいなかったためである。
こちらに来て暫く経つが、毎日造船所に入り浸っていた五郎は町でも有名な存在だった。
今日に限って五郎が来なかったため、港から帰ろうとする安泰に町民(特に船大工)から心配の声が上がったのだ。
「まあ、そうです。おかげでこんなにも愉快なことになっていますが」
げっそりした様子で五郎は言う。ふてくされた口調だった。見れば湿布と包帯を至る所に貼り、時折痛むのか身動ぎをしていた。
あれから源一郎の監視の下、剣術やら弓術やら馬術やらを散々練兵所にて文字通り叩き込まれた挙句、その後は自室にて源一郎が付きっきりで勉学で搾り取っていったのだ。
今日は既に終わったものの、周りには源一郎が用意した「庭訓往来」といった武家の一般常識を纏めた往来物(この時代の教科書)から里見家の歴史書、陸軍式兵学やら海上戦術学、正木流商学、……等々。
一部変なものが混ざっていたが、所狭しと本が山積みにされていた。机にはまだ読みかけであろう兵学本が置かれていた。
「しかもじいの奴、明日覚えたかどうか試験するとか言うし、出来なかったら艦船設計は暫くさせないと言っている。打ち身だらけで全身は痛いわ、太ももと腕の筋肉がプルプル震えてるし、最悪の日になったな」
「諦めてください。これも武家の務めです。若様もいつか戦場に出るのですから」
「ホント、武家ってのは大変だな。好きに造船も出来やしない……」
そう溜息をつく。武家になった以上、戦場には出なくてはならない。それが勤めである。その事実が五郎の身体に重くのしかかっている気がした。
「……まあ、まだ死ぬ気はないから、努力しますよ」
「そうして下さい。船大工たちには明日、私の方から言っておきますから」
「すみませんが、頼みます。船大工たちには図面通りに進めるようにと」
「わかりました」
失礼、と五郎は断りを入れて、足を崩す。筋肉痛と痺れで限界だった。ああ、安泰さんも楽に。では、失礼して。
一息入れた所で、五郎は訊ねた。
「ところで、何か近況報告はありますか?」
「ええ、こちらになります」
安泰は持ってきていた紙を五郎に差し出す。
内容は最近の作業の進み具合である。達筆で簡潔に、文字も楷書体で読みやすかった。
(――材木も揃い始めたし、実元さんのお陰で職人街が本格的に稼働し始めた。切石に混凝土、木炭もある。武具の方は弓と槍が優先、鉄砲と大砲はもう少ししてからか。農業も米と雑穀、木綿は問題なし。椿、油菜は放っておいても増えるから大丈夫か。
あと湾港工事は、やはり殆ど進んでいないか。桟橋が二つ目を建設中、新たな造船所や倉庫が建てられているから十分だろう。水軍の方は帆船訓練が終わったのが十人。こっちも中々進まないものだな)
何時の時代でも、船員と言うのは高度な技術職である。練習中に檣から転落し、大抵は甲板に落ちて死亡する事も少なくなく、長期間の航海に耐えられない人間も出てくる。
そのため、中々育たないのだ。
安泰は実元に頼み込み、羅針盤と四分儀、アストロラーベといった測量器具を製作してもらっていた。これらを使い天測航法による位置の特定から気象予測、暗算、測量、操船、なにより文字が読み書きできるように訓練を施していた。
むしろ短期間で手を抜かず、ここまで育て上げた安泰の能力が凄いの一言であった。
「しかし、凄いですね。機械が無いのによく四か月でここまで進むとは……」
「資金は豊富にありますし、人夫には円匙や運搬車、手押し車を渡しているので作業効率が良いです。あと彼らからしてみれば普通に生活できるのですから、それが大きいかと」
当初、工事を行うのに人夫は全く足りていなかった。
この地域の住民は人が足らず、他の地域でも改革により活性化しているため他から人を引っ張る訳にもいかなかった。
そこで、水軍が攫ってきた人、口減らしにあった人、賤民を広く集め、特に人攫いと口減らしになった人は人夫として全て買い取ったのだ。
彼らの住む長屋を立てて、衣服と食事は配給制。僅かだが給金も出るようにした。この提案をしたのは安泰であり、前世の感性から人攫いなどの略奪行為を嫌っていたためだった。当然、賤民にやらせるなどとの反対の声は上がったが、他に方法が無く、五郎が義堯の許可を取り、強引に押し切った。
彼らからすればどん底にあった自分たちに衣食住を提供し、仕事と給金を出してくれる現状は望んでいた平穏な生活である。張り切らない訳が無かった。
後に、これを行ったのは五郎と安泰だと知り、感謝すると同時に、新たな水夫募集が五郎たちの水軍に編成されると聞きつけた住人が恩を返すためにと多数押し寄せることとなったのだが、それは先のお話。
「まあ風魔もこの中に紛れ込んでいるんだろうなぁ……」心底嫌そうな声で五郎が言う。
「職人街にはそう簡単に侵入は出来ないでしょうし、現物を見ても知識が無ければ真似するのも難しいでしょう。………多分」
職人街は技術流出を失せぐため、周りを堀と壁で囲み、周りを屈強な兵士たちが巡回するようにしていた。特に重要技術に関わる職人たちは発行される木符と週ごとに更新される暗号を入り口で言わなければならず、厳重に守っていた。
他にも目が行きやすい物が多く、バレてもそう簡単には生産出来ないだろうが……、不安は残っていた。
「他に方法がないですからね。……風魔は後で考えるしかないか」五郎は言った。「それと捕鯨についてですが」
「どうなりますか?」
安泰が訊ねた。これから先、重要な産業になりえるため気になるのは当然であった。
「やはりというか、今の建造ペースだと来年までは交易用の弁才船で手一杯ですね。捕鯨船は二年後、再来年の夏には稼動できるよう間に合わせます」
「そのころには水夫も十分な数が育っていると思いますが、大丈夫なので?」
「船大工自体の技量は問題ないです。あるとすれば、まあ鍛冶師の方ですね。雄螺子や銅板の製作に梃子摺っているようでして。実元さんがどうにかすると言っていましたので、大丈夫だと思いますが」
和船では板を張り合わせる(これを「接ぐ」と呼ぶ)のに長い軟鉄製の縫い釘と鎹で接合していた。
足踏み式旋盤を開発して雄螺子や雌螺子といった金属部品の生産も始めたが、今までとは勝手が違うため、まだまだ難しいようだ。
「それと、建造方法はどうするので?」
安泰が言う。和洋折衷船は純粋な和船である弁才船と比べて船体重量が増す。また和船と同じ船台だと浜辺に野ざらしで建造方法が洩れる可能性があった。それを懸念しての言葉だった。
「引揚船台で進めます。造船所内で行えば秘匿は出来ますし、早く取り掛かれます」
造船には幾つか方法があり、五郎は「引揚船台」の使用を考えていた。
「引揚船台」は陸から海の適当な深さまで長い滑り台を設けて、車輪付き船台を轆轤で昇降させる方式である。これは小型船向きだが簡単な整備だけで良いという利点があったため、この方式で造船を進めることにしたのだ。
「小型船と言っても、未来の日本での基準です。人力と木製船台でも二十間(36メートル)程度の船なら問題無いでしょう」
「船渠は建造しないのですか?あちらの方が便利だと思いますが」
「船渠」は乾ドックとも呼ばれ、近代造船の主流となった方式だ。大型艦の素早い修理、建造が可能となっている。
「アレ、とんでもなく手間と金がかかりまして……。もう暫く先でないと人手が足りません」
「……ちなみに、幾らぐらいかかるのですか?」
何となく嫌な予感がしつつも、安泰は聞いた。
五郎は思案顔で暫く沈黙した後、史実の建設費を思い出し、答えた。
「確か、幕末に建設された横須賀海軍施設の第一号ドックが全長120メートルほどで、ざっと十二万両、えー、この時代に合わせると約六万貫ですね」
「ろく、えっ、……!」
「しかも船渠本体の建設費だけですから、そこに下準備の締切堤と入口付近の海底の浚渫なんか含めるともっと高くなります」
下手したら十万貫いきますかね? と、五郎の容赦ない言葉に安泰は絶句した。
幕末期は物価が高騰し、1両の価値は江戸初期の半分近くまで下がった。
そこから計算すると、船渠1基建造するのに現在の里見家年収の半分の金額はかかる計算となる。当然だが、横須賀と館山湾は地形が違うため、これに加えて他の設備を作らなければならない。
安泰には、もはや幾らかかるか見当もつかなかった。
「まあ建造するなら埋め立てと防波堤や桟橋の設置が終わってからだし、当分先ですよ。出来るかぎり安くなるようにします」
「……そうしてください」
将来的には大型船の建造で必要になるものの、現状では引揚船台で十分であった。要らない設備に金と人を使う余裕が無いのだ。資金を商人から借金する手もあったが、余りに高額なため、里見家の利権や秘匿技術などを対価に持って行かれる可能性があった。他国の大名に対抗するためにも技術は守らなければいかず、流失する可能性を抑えるためにも借りる訳にもいかなかった。
「さて、そろそろ良い時間だし、勉学に戻るとします」
「そうですか。では私は退出しますね」
そういって立ち上がり、安泰は帰り支度をする。
「……ああ、そうだ。安泰さん、ちょっと待ってください」
五郎が引き留めるように声を掛け、奥から2つの小包を取り出してきた。
「中身を確かめてください」
安泰は首を傾げるも、言われたとおりに小包を解いてみる。
「これは……」震える声で安泰が言う。
「やはり海軍、いや水軍か。と言ったらやはりコレでしょう」
小包に入っていたのは、軍帽であった。
厚手の木綿布で縫製され、色は黒地で中央に金糸で錨と桜の帽章。見た目は海軍の第一種軍帽に良く似ていた。
基本的に、水軍では鎧を着ることは少ない。上陸して戦う場合は鎧を着るが、船内は狭く蒸し暑いうえ、また船上では身軽な方が戦いやすいのだ。そのため乱戦状態になると敵か味方か判別しづらい。
しかし、軍帽ならば軽く蒸れないうえ、良く目立つ。安泰に渡したのは指揮官用のもので、五郎は近く水兵用の軍帽も用意しようと考えていた。当然ながら、自分用の軍帽も用意していた。
「もうひとつは奥方にプレゼントしてください」
もう片方の小包に入っていたのは、銀製の二本軸の簪であった。
簡素だが飾りとして血赤色の玉があり、銀との対比でよく映えていた。
「……本当に、よろしいので?いえ、大変嬉しいのですが」
「軍帽はそのために作らせたものですし。気に入ったら使ってください。簪は、まあ、ある商人が献上してきたんですが、使い道が無いので。赤色の玉は珊瑚だそうですよ」
安泰は居住まいを正し、平伏する。形は違えど、懐かしさと感激の余り泣きそうになっていた。
「――有り難く、頂戴いたします。大変嬉しく思います。妻も喜びます」
「そうか、良かった」嬉しそうな声で五郎は言う。
「では、失礼いたします。勉学、頑張ってください」
「ありがとう。そうするよ」
安泰は軍帽を大事そうに小包に戻し、再び一礼して退出する。
次の日より、真新しい軍帽をかぶり、胸を張って歩くある水軍の長が見られるようになった。後に水兵の間でも白地の軍帽が配給され、水軍の仲間同士の連帯感を高め、規律を保つ一因となった。
安泰の退出を見送ったあと、五郎は読みかけだった本を開いた。この日は明かりが夜遅くまで消えることは無かった。
そして翌日。
源一郎の用意した試験にどうにか合格し、五郎は一夜漬けが成功したことに涙を浮かべ、喜びを露わにした。源一郎は「やはりこの方は天才である」と一人感動し、それから一角の武将にしようと更に鍛錬が厳しくなったのは全くの余談である。
誤字・脱字が有りましたら連絡をお願いします。
2015/3/31 一部文章の修正を行いました。