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第36話 進水式

楽しんでいただければ幸いです。

後で修正すること有り。

 

 この頃になると、館山は船の街と呼ばれるようになっていた。


 館山湾という天然の良港と広大な平野部を持ち、湾に注ぐ三本の河川と館山城を中心に張り巡らされた運河が、この広大な地域の主要交通網として整備されている。半円状になっている湾岸部と運河沿いには従来の木造家屋だけでなく、防火対策と景観整備もあって房州石や煉瓦を使った木骨石造の重厚な町屋や倉庫が建ち並んでいた。


 湾内には積み荷を載せて内房や外房へ向かう弁才船の他に、警備船である千鳥型砲艇、小型快足で主に久留里へ鮮魚を運ぶ押送船(おしょくりふね)、引き網漁を行う帆曳き船、運河内を移動し、戦場でそのまま商売も行える荷役船と様々な船が走り回っている。この光景を見れば、確かに船の街と呼ぶに相応しい。


 だが、館山が船の街と呼ばれるほどに発展したのはその立地だけでなく、日ノ本最大級と喧伝されている里見造船所にあった。

 この地に存在する船の全てがこの造船所で建造されており、その多くは館山城主である里見義頼が設計している。設備や人材は全てこの時代で最高のものばかりで、最新の技術を惜しみなく導入されている。建造される船はどれも乾舷が高く、木綿製の帆布に水密甲板の採用でとにかく頑丈で長持ちだった。

 

 ただ、当初は全く人気が無かった。むしろ気味悪がられ、冷ややかに見られていたと言っていい。

 最新の技術とは、つまり得体の知れない技術でもある。人は新しいものが出たとき、それが信頼できるかどうかを見る。


 では、この造船所で最初に売り出された弁才船はどうか?

 設計者はなんと元服前の子供! 箔付けでそういう事にした(・・・・・・・・)のだろうが、いくら何でも無理やり過ぎる。誰もがそう考えた。

 まあ、この国の大名の息子の名前を使っているのだから、それなりの船だろうと考えてその中身を見てみればこれまた可笑しい。従来の和船よりも積載量が落ち、舷側が高いことから積み荷の出し入れも大変で、船の操作には専門教育を受けた水夫を里見家から雇わなくてはいけない。そして価格も同規模の和船の三割増しで高い!!


 これは「安売りはしない」という義頼の自信の表れでもあったが、彼らからすれば信頼できる要素が全く無かったのだ。きっと、これ(・・)は、幼少の子供の我儘を可能な限り叶えたのだろう、と誰かが言い始め、これに納得する者の方が圧倒的に多かったぐらいだ。

 そして実際に建造された船は、新しいものに対する忌避感と利益率が下がることもあって彼らは馬鹿々々しい存在だと考えていた。


 その見方が変わったのは、武家でありながら房総一の商人と称えられる正木時忠が手持ちの船を全てこの館山の船に入れ替えたこと。また実物の真っ白な帆と黒く優美な船型による見栄えの良さ、そして噂で広まっていった船足の速さと頑丈さが凄まじかった。

 

 海面を滑るように走る弁才船は従来の輸送日数を最低でも七割ほどに(航路によっては半分以下に)縮め、また木綿の帆布は従来の筵帆よりも丈夫で長持ち。必要な水夫は専門性が必要だが、徹底した省力化によって人数は少なく済むため、一度の航海で利益が多く出る。

 また野分(台風)の時期になれば従来の和船が行方不明、また座礁するなどの損害を出す中、図南丸型捕鯨船や弁才船などは嵐に遭遇しても沈まず、損傷しても応急処置だけで最寄りの港へ帰還。


 中でも、初の試みであった第一図南丸ら三隻からなる捕鯨船団には、里見義頼(当時は元服前で五郎と呼ばれていた)も同乗しており、嵐に遭遇しても乗りきれると証明して見せたのだ。積み荷や水夫の損害も少なく、現地で簡単な修理を済ませると直ぐに次の航海へ出発し、多くの鯨を捕獲してきた。


「館山の船は、野分でも沈まない」


 凄まじい衝撃だった。保険も保証も何もなく、船が沈めば大赤字どころか一族で首を吊るかもしれないのがこの時代。利益や人員も大事だが、彼らは「信用」を最も大事にする。船が沈まない、つまりは確実に荷を運べるという事であり、「信用」を保つことができる。


 どこよりも速く、安全に運ぶことができる館山の船は、総合的に見れば安い。


 そう考えた彼らは直ぐに手のひらを返し、今すぐに船が使いたい者は水夫付きの船の賃貸借契約を、また造船所に弁才船の発注を行った。

 そして今までにない快適さと性能の高さに惚れこみ、弁才船は房総の標準船として普及することになる。


 そして現在。

 弁才船の普及と職人の育成、および研究が進んだのを見て、義頼は注文付属品(ディーラーオプション)と呼ばれる新しいサービスを開始。

 この制度は追加料金を支払えば、商人たちに屋号入りの船旗や船内の調度品、船首像の彫刻、また船内外の各種塗装などを一等から五等、等級外と等級(グレード)ごとに細かく設定できるようにしたのだ。


「他人の金で色々と好き放題にやれるって素晴らしいよね」


 と、始めた張本人は嘯いていたが、これが非常にウケた。

 従来は画一的な内装に神棚やちょっとした額を飾る程度で他と差異が無く、独自に調度品を揃えるしかなかった。だが、造船所で一括でできるという簡便さだけでなく、種類も多い。好きな塗装、好きな装飾という見栄えの良さだけでなく、等級制という商人たちの自尊心を煽るような制度。そして基本設計が同じで後付けが可能という利点で、飽きたり、他に気に入ったものがあれば違う装飾に短期間で付け替えられる。


 また予算が無い場合でも、一部だけ色を変えたり、飾りを付けるなども可能。

 こうすることで同じ規格の船でも大きな違いが出るため、船を見ただけで「何処の誰々」と分かって非常に目立つ。目立てばそれだけ人々の口に上がり、それ自体が商売と信頼に繋がっていく。


 特に顕著だったのが、中大型弁才船を購入した者だった。

 弁才船はその多くが二百石積の廻船である。今の湾港設備や水夫の練度を考えると、これが最も使いやすい大きさになる。

 しかし、この大きさとなると少しの改装でこの時代の巡洋艦・戦艦に相当する関船・安宅への転用が可能だ。

 当然ながら船の賃貸借、購入者を厳格に選ばなくてはならず、発注者が里見家から見て信用できる、できないかを調べて問題が無い人物にのみ売買することになっている。

 また館山の造船設備は面積と予算の問題からもうこれ以上の拡張はできず、水軍の艦の維持管理もある以上、外部からの受注は多くできないのだ。

 

 これが財力だけでは買えない、と商人らを更に煽ることになり、館山の船に更なるブランド力と、商人には「里見家から信頼されている」という一種のお墨付きを創りあげてしまった。

 特にこれは、経済の発展で銭を持つようになった民衆らに大きく影響を与えた。


「あそこで買えば、間違いが無いな」

「領主サマのお墨付きだもんなぁ」


 今まで様々な粗悪品を掴まされていた人々はこの様に考えることになり、館山の弁才船に乗る商人へ客が殺到。商人側も狡い手を使わずともただ普通に商売すれば儲かるようになる。


 商売は良いものを揃えれば売れる訳でもないが、今回の場合は良いものを揃えれば揃えるだけ売れた。むしろ粗悪品が混じっていれば仲間から袋叩きにされるだけでなく、里見家への面子に泥を塗ることとなる。信頼という、銭では買えないものを手放さないためにも、品質管理はより厳密となった。


 これが民衆らからすれば「領主サマの眼は確かだった」という裏付けとなって評判が上がり、商人らにも更なる財と名誉をもたらした。正に三方良しの結果だ。


 また造船や細工に関わった多くの職人たちも、その腕を振るった。

 新人たちは自分が携わった仕事の大きさに緊張と興奮を露わにし、中堅どころはその給金の良さと注目度の高さに張り切っていた。


 そして、金と名誉を既に手に入れている当代一と呼ばれる職人たちは「規格と資金と納期さえ守れば好きにやってよい」という、何よりも楽しく嬉しい言葉に嬉々として参加していた。

 

「新しい玩具がやってきたぞぉ!」


 なにせ自分たちが新しく考えた、前々から試したいと考えている技術は幾らでもあるのだ。勿論、資金と納期、そして必要な性能という縛りもあったが、むしろそれが良い刺激となり、趣向を凝らした新しいものをどんどん作っていく原動力にもなった。

 そして出来上がった、高性能かつ見栄えが素晴らしい数々の船と、それがもたらす恩恵は見事に商人らの心を捕まえた。


「館山の一等大型船を持ってこそ、一流の商人の証よ」


 見た目は千差万別。性能は一流、値段も一流。

 口コミと瓦版による宣伝も合わさって商人たちの欲を大いに満たし、気が付けばこの様に言われるようになる。

 そして房総の標準船となった弁才船を生み出した義頼と造船所の名声は一気に上がり、今も日に日に高まっていた。

 その中でも、義頼が設計し、造船所が建造した最高と謳われている船がある。

 今日、その「軍艦」が進水式を迎えようとしていた。



 第一造船所で、「命名進水式」が行われていた。

 現時点では帆船には重要な、艦首から伸びる艦首斜檣(バウスプリット)(マスト)も付いておらず、式典用に紅白の幕や布飾りで着飾った艦体だけがある。所内には正装に身を包んだ水軍の将に船大工ら関係者が整列していた。


 安西八幡宮(現在の鶴谷八幡宮)の神主が祝詞の奏上を終え、正装に身を包んだ義頼が前へ進み出た。ざわめきが小さくなっていく。懐から和紙を取り出すと、そこに記された文章を読み上げた。


「ここに、本艦を『松風』と命名す。天文二十四年三月六日大安 里見安房守義頼」


 義頼は船大工から手渡された小さな銀の手斧を受け取ると、用意されていた綱の方まで歩み寄った。そして、ピンと張られた綱を一息に断ち切ると同時に大太鼓が打ち鳴らされ、舷側に『松風』と書かれた帆布が垂れ下がった。邦楽隊による「軍艦行進曲」の演奏が始まる。


 門が解放され、船台ごと渋墨塗りの巨体が動き出す。船尾から少しづつ外へ出ていく姿を、集まっていた見物客にも見せつけながら海面へと入水。無事に浮かぶと、来賓たちや見物に来ていた者共から大きな歓声と拍手が上がり、『松風』はゆっくりと岸から離れていった。


「お疲れ様です。これでようやく揃いましたね」

「ああ、時忠さん。本当に、これでやっと一息つけますよ」


 式の後、来賓の一人として招かれていた時忠が近寄ると、義頼もほっとしたような、嬉しそうな表情で返した。傍に控えていた安泰も静かに礼をする。


 予定より遅れたものの、無事に甲型海防艦の四番艦『松風』が進水した。先月には三番艦である『秋風』が進水しており、これで『四四艦隊計画』の目玉である甲型四隻、乙型四隻が揃うことになった。


「『秋風』と『松風』は二か月後には就役、今年度中には戦力化する予定になります」

「随分と早いですね。以前はもうちょっと掛かったと思いましたが」

「まあ建造に慣れてきたのもありますが、大量建造が終わって職人の手が空きましたからね。あとは士気も高いですし、部品の量産性も精度も良くなりました。もし次を造るとしたら、起工から一年以内に就役まで行けますよ」


 この時代では基本的に船は職人ごとに設計、建造される。また使う木材の種類や質や構造もバラバラであり、損傷の修理や外板の張替えを行おうとすれば再び職人が構造を確認し、部材を一から製作する必要があった。


 しかし、館山の船は義頼が設計した図面を忠実に守って建造されている。また職人が全て造るのではなく分業制、それも親方(監督)の指示の下で賃金で雇われた労働者が働く工場制手工業(マニュファクチュア)だ。そして帆船で大量に使う滑車など一部の部品にはライン生産方式が導入されている。


 これにより全て同じ設計、同じ構造であり、職人の習熟も速い。そして自身の持ち場以外は殆ど関わらないため、機密保持に役立っていた。これは義頼が来る以前より時忠や実元らが中心となって職人保護を進め、将来の大量生産を見越した政策が行われていたことが大きい。


 そして捕鯨と交易による豊富な資本を持てるようになった事で、大型艦の建造もできるようになった。


 『春風』と『雪風』の二隻は建造の成功。前例の無い大型帆船という事もあり、経験と技術の取得を目的に行われた。その結果は過剰な装備と作業の複雑化による工期の大幅な遅延であり、義頼にとっても反省の多いものになった。

 乙型はその次の段階、同じ艦を量産ができるようになること。これで規格の統一と生産設備の改善が行われた。


 そして『秋風』と『松風』は、先発組の『春風』『雪風』から得た知見を反映されており、若干の設計変更が行われていた。遅延の原因だった資材のえり好みと、硬すぎて加工が難しい樫の使用を控え、その代わりに杉や松の使用率を上げてコストの削減と重量バランスを見直している。


 そのため堅牢さは若干落ちる――それでも耐弾試験で斉射距離からの大筒の砲弾を弾くなど、十分に頑丈だった――が、軽量化と建造費の圧縮に成功している。


 また今回の建造で得た反省点――まだ多い作業の複雑さと工程の改善は、次の艦へ繋げていくことになる。きたるべき北条水軍との決戦でも、艦の性能で優位に立てるだろう。


「まあ、決戦なぞやらない方が良いんですけど。折角の艦が壊れるのは嫌ですし」

「違いない。戦は無駄に人も銭も消費しますから」


 二人は小さく笑うと、開け放たれたままの扉から艤装岸壁を眺めた。

 岸壁では早速とばかりに[松風]の艤装工事が始まろうとしていた。機密保持のために作業場の周りに筵が張られていく。その奥には艤装工事中の『秋風』の主檣(メインマスト)がポツンと見える。


「しかしまあ目立ちますね。今も色々と大変だと聞きますが」

「ええまあ、今も来ますよ。房総商人や相模の御用商人相手なら簡単なんですけどねぇ」


 艦船、特に海防艦は戦前の大和型戦艦のように機密保持を徹底していた。そのお陰で外観はともかく、艦の全体構造を知っている者は義頼と船大工の親方、あとは会合の面々ぐらいと驚くほど少ない。

 ただそれだけに海防艦は想像をかき立てられるのか、また大筒の球を弾いたという噂が混ざって神秘的な存在か何かだと思われているらしく、その巨大さも相まって今も近隣諸国から購入希望者が後を絶たないのだ。


「大物だと佐竹に今川からも問い合わせが来てますね。先の戦と、兄上の婚儀の際にド派手に見せたのが噂になったようで」


 どうもやり過ぎたらしい、と今になって分かったのだ。

 勿論、軍事機密の塊を売ることはできないため、全て断るしかない。なのだが、相手は名門で、そして特産品をよく買ってくれる大事な顧客である。断るにしても丁寧な文を書いて、他に関心を惹くような何かを見せて、………、考えるだけで頭が痛い。周辺に散らばる忍びへの対処もいる。


「問題は、今川でしょうか」 


 安泰の問いに、義頼は渋い顔を浮かべた。


「できるだけ味方につけたいが、他に関心が高いものといえば、特産品か?」

「あちらもそれが狙いでしょう。本命は交易での優遇ですかね」

「……必要以上に下手に出るつもりはありませんが、面倒な」

「安く手に入るならそれだけ利ザヤも大きくなりますから。こっちが一人でも多くの味方が欲しいのを分かっています」


 北条と婚姻と同盟を結んでいる以上、表立って支援はしない。ただし裏では繋がりを持つし、条件次第では支援もしよう。払うものを払えば、であるが。

 そのような条件でも、里見家にとって今川との繋がりは喉から手が出るほど欲しい。他の大名家との繋がりは薄く、例えば北条への援軍を少しでも減らしてくれれば、それだけ勝率も上がるからだ。

 受けようが受けまいが、今川からしてみればどちらでも良い。北条から流れてくる物産を畿内へ横流しする現状でも、十分な利益を出している。使ったのは僅かな時間と手間だけで、今川からしてみれば損は出ないのだ。


「本当に頭が痛い」とぼやく中、船頭姿の男がやって来る。風魔小太郎だ。

 面々に一礼し、片膝をついて報告する。


「殿、準備が整いました」

「ああうん、もうそんな時間か」義頼は言った。顔を手で押し、深呼吸する。「時忠さん、そろそろ次行きましょうか」

「え、次?」


 なんかありましたか、という時忠の問いに、安泰は首を振って知らないと返す。

 館山の船は義頼が設計している。

 そして今日。進水式を行う新型艦は、もう一隻あるのだ。



 風魔に案内されるがままに、運河を走る艇に乗る。一行が案内されたのは、第一造船所から離れた小さな問屋の倉庫だった。隣に立つ町屋と併せて風魔が使う拠点の一つである。

 倉庫には一隻の船があった。船台の上に置かれているのは平底のスマートな船形で、規模は二百石積と館山ではよく見られる中型船である。

 しかし、全身がねずみ色のそれは、船の形をした石の塊としか言いようがなかった。


「……なんですか、これ?」

「鉄甲船なども考えましたが、これが私の、船の不燃化への答えです」


 二人が何とも言えない微妙な笑みを浮かべる中、義頼だけは胸を張り、自慢げな表情を浮かべていた。


「火に弱いなら、素材そのものが燃えないもので造れば良い。ということで金網入り(フェロ)膠灰(セメント)船、つまり混凝土(コンクリート)船です」


 その名の通り、フェロセメントで造られた船である。

 フェロセメント、または金網モルタルと呼ばれるもので、意外にもその歴史は古い。元々はポルトランドセメントが開発されて間もない19世紀に、フランスで船舶用に(・・・・)開発された技術だ。

 フェロセメント船は1849年、日本は黒船が来航する四年前の江戸末期のころにフランス人により長さ9フィート(2.7メートル)の櫓櫂船が建造されたのが最初とされている。

 その後も研究は進められ、第一次、第二次世界大戦では鋼材の不足からフェロセメントを含むコンクリート製の浚渫船やはしけ船など雑役船、日本でも武智丸という輸送船が建造された。


 それから時代が進んだ1960年頃、フェロセメント製のヨットがイギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどで普及し始める。その後、ヨット乗り向けの雑誌にも詳しい制作方法が紹介され、全くの素人でも素材が安価で入手しやすく、加工も容易で堅牢かつ修理しやすい。

 

 そして嵐に遭遇しても、氷山や鋼製ヨットへ衝突しても問題無く乗り切り、航海を成功させた。このことから多くの愛好家たちによってヨットやボートなどが製作され、中にはこの自作ヨットで太平洋や大西洋横断を成し遂げる者まで現れるようになった。

 現代の日本でも工業高校や愛好家たちの間で、コンクリートカヌーによる大会やヨットの製作が今も行われているという。


 その様な事を――前世云々は転生者以外の者もいるのでぼかしつつ――説明すると、二人は納得した表情を浮かべた。ただの暴走かと思いきや、前世の、それも素人でも造れたものの再現と言われると安心できるようだ。


「どうぞ、触ってみてください」


 言われるがままに、そして興味深そうな表情で船の周りを歩き、あちこちを触り始める。左官が仕上げたという船殻はひんやりと冷たい。色ムラも無く表面がつるリとして滑らかで、綺麗に仕上がっている。


「造り自体は単純です。細い鉄骨で竜骨を組み、金網を貼り付けて船型を作製。この上から膠灰(セメント)を塗ったくって乾かしてあります」

「へえ、思ってたより船殻は薄いですね。一寸二分(約39ミリ)ぐらいですか? でも見た感じは普通に船ですね」

「風魔達が頑張ってくれましたのでね。思っていた以上の出来ですよ」

「ああ、成程」


 納得、という言葉に風魔達は気恥ずかしそうな、そして感極まった表情を浮かべた。

 この建造は全て風魔が作業を行っていた。技術の秘匿だけでなく、配下の忍びに鍛冶師や左官が揃っていて人員に問題が無かったこと。何よりこの新しい試みに対し、彼ら自身がやる気に満ち溢れていた。それを重臣の面々に認められ、おおいに感激したのだ。


「それじゃ、そろそろ」と、義頼は控えていた風魔小太郎に目配せする。

「はッ、これより進水式を始めさせていただきまする」


 小太郎の合図と共にすぐさま倉庫の扉が開き、船台がゆっくりと動き出す。

 先程の進水式とは違い、フェロセメント船は静かに運河へ浮かんだ。船に乗り込んだ忍らのチェックも問題無いという声が上がり、ほっとしたような溜息があちこちから漏れた。


「……いやぁ、分かってはいましたけど。実際に見るとびっくりしますね」

「ちゃんと計算して設計しましたから。それに、これは衝撃に強く柔軟性に富んでいますので、見た目よりも頑丈ですよ」


 この船の利点はまずその頑丈だ。混凝土(コンクリート)だから燃えず、生半可な攻撃で損傷させるのも難しく、木造船の大敵であるフナクイムシがつかない。

 木造船と比べて必要な設備は少なく済み、造りやすい特徴がある。必要な人員も船大工ではなく、土木作業員に左官だ。建造ラッシュで忙しい船舶技術者の手を借りなくて済むのは大きな利点となっている。

 そして意外にも思えるかもしれないが、同規模の西洋式の木造船よりも幾分か軽いのだ。木造船は強度を出すために太い材を使用する必要があるが、フェロセメントの場合、金網と細い棒鉄で済むため、およそ5%ほど軽くなる。


 ここまでを見れば、この船は非常に魅力的な存在と言える。

 が。


「ちなみに、この船でおいくらほどで?」

「えーと、確か……。と、こんなものですね」


 義頼は懐から取り出した算盤をパチパチパチと弾き、その額を見せると、全員の表情が固まった。


「は?」

「ちょーと待ってください……、これ高くないですか? 二百石積みの弁才船が三隻は造れますよ?」

「原料がね、高いんですよ……」


 欠点は、その手間の多さと価格だ。

 まず、必要な金網を造るのに大変な手間がかかっている。鉄線の製造自体はさほど難しくなく、これを編むのは技術的にも可能だが、安価に量産はできていない。フェロセメントの発明が古い割に広く普及するまで時間がかかったのも、これが原因といえる。


 そして値段。現在のレートでは米一俵(60キロ)で鉄四貫(15キロ)、セメントは十貫(37.5キロ)で取引されている。


 鉄は九十九里浜の砂鉄鉱床の発見と、従来よりも遥かに高効率な角炉の登場で鉄の生産量は一気に跳ね上がった。

 では大量生産で鉄の値は安くなったかといえば、確かにその通りではある。ただし、思っていたよりは下がっていない。


 角炉は現在、館山と三門にある二基のみ。一基で日産で鉄を八百貫(約3トン)も吐き出し、二十日間の連続稼働が可能となっている。しかしこれはあくまで最大値だ。

 何故ならば、一日当たりに必要な原料は木炭が千五百貫(約5.6トン)、砂鉄が千九百貫(約7.2トン)、石灰が七十七貫(約288キロ)もいるのだ。特に木炭の消費が激しい。ただでさえ人口と使用用途の増加、また木材の価格上昇で生産が追い付いていないのだ。まずは砂鉄と木炭の生産量を増やし、更に稼働中に途切れることなく安定供給できる体制を作らなければならない。

 

 そして鉄は直ぐに消費される。拡大中の軍へ供給する武具と獲得したばかりの上総国と東総地域の開拓、特に漁業や農業は最新式の手法を効果的に出すためには大量の鉄がいる。

 武具は言わずもがな、鉄の塊である。漁業では油を取るための大釜や銛が。特に捕鯨用の銛は破損、紛失による消費が多い。農業も昨今の特産品の開発成功と経済の発展により、鉄の農具を頑張れば買えるまでになってきた。しかし全員に行き渡るほど安価にはなっていない。


 そのため原料の供給に目途がつき、角炉の稼働が安定するまでは鉄の価格はこのまま横ばいになるだろう、というのが全員の共通意識だった。


 また近代ではセメントは安価な素材であるが、今の里見家には高級品である。

 当初は貝殻を使っていたが、漆喰にも使うためすぐに足りなくなった。そこで石灰岩の探索が始まった。しかし房総半島には掘れば塊で出てくるような鉱山は無く、嶺岡山系の平久里中や鴨川白滝などの岩肌から泥灰岩が僅かに採掘できる程度。全く足りない。ここで採れる泥灰岩は焼けばそのままセメントになるが、専用の窯で焼いて砕くという手間と、生産するときの燃料代も馬鹿にならない。生産量を増やしたくても増やすことはできない。


「あとは、問題無く使えるかどうかが、ちょっと……。木造船よりは頑丈ですけど、耐用年数がどれくらいなのか。鉄砲は弾きますが、戦の時に大筒を何発耐えられるかは……」

「あー、まるっきり新しいものですからねぇ。実戦で使い潰すには、ちょっと高いですか」

「ちょっと、で済みますかねぇ……」

「石灰岩の輸入をした方が早そうですね。近くにありませんか?」

「実元さんに聞いてみたところ、質が良くて近いのが武蔵国青梅や上野国秩父、北条の勢力下です……」

「Oh……」


 また北条の領国かよ、と全員がため息をつく。

 結局のところ、このコンクリート船の問題は木造船と違って銭がかかり過ぎて、運用法や問題点が使ってみないと分からない、という事になる。

 まあ作ってしまったのだから、使わなければ勿体ない。それに使っていくうちに問題点も見つかるし、近海で使えば万が一座礁しても人員は救助できる。見せ札にはなるだろう、という事で、『館山丸』と命名されて就役。艤装は二本檣のトップスルスクーナー、主武装は三斤平射砲が六門。

 他の新造船と共に初の航海訓練を行ったが、この時に搭乗した船員たちからの評判はかなり良かった。


「重心が低いから、波高くても安定性があって乗り心地が良い」

「他の船とぶつかっても損傷はしないし、動揺が小さいから銃撃や砲撃が狙いやすい」

 

 これに着目したのが、後日、混凝土(コンクリート)船の話を聞いた義舜ら陸軍の面々だった。


「船で考えるからややこしくなるんだ。浮き砲台、移動トーチカとすればいちいち砲台を造るよりも安く済むかもしれん」


 他にも上陸戦時の火力支援や短艇の盾として、また鉄筋混凝土(コンクリート)の研究にもなる、という判断がなされ、義舜からも資金提供を行われてより大型の混凝土(コンクリート)船の研究がスタートする。必要な石灰岩は輸入も視野に入れるというから、試しで造らせた義頼もびっくりである。

 館山丸は鉄張りの胸壁が追加され、館山湾を守る浮き砲台として配備されることになった。


 そして珍妙さと民衆の野次馬根性が合わさった結果なのか、館山の観光スポットとして有名になってしまう。中には屋形船を出し、そこで芸妓や料理と酒を振舞いながら世にも珍しい石造りの船を見るツアーまでできてしまい、一時は館山丸の周りをぐるりと船が埋め尽くす状況にまでなってしまった。

 ペリー提督もこんな気分だったのか、と水軍の面々は大きく溜息をついた。


「どうしましょうか、一応はこれも最新鋭の軍艦ですが」

「あとは売ってくれみたいな話もチラホラと」

「……なんで?」

「そりゃ、石造りの船が浮かんでいるからでは? 海防艦よりこっちが欲しいって声もありましたよ?」

「……流石に真似しようもないし、どんどん見物させてしまえ。広めてしまえ。ただこれも売れないわ」


 心血注いだ海防艦より、研究目的で試験的に造った混凝土船の方が良い。そう聞いた義頼は、かなり複雑な表情を浮かべていた。

 

 当然、この船の事は北条側にも知られることになる。

 「石でできた船が海に浮くはずがない」と一笑に付す者もいたが、相手は今までの常識で測れないと評判の里見である。実際に館山湾の中央にデンと浮いており、時々動いては三浦でも見たという者からの話もあり、事実と判明してからは北条水軍はある種の恐慌状態に陥った。


「今度は石の船だと……、大石をも砕く大筒も開発する必要があるぞ……」


 ただでさえ、こちらの大筒は相手の軍船に有効な攻撃を与えられないのだ。氏康はこの報告に呆然としつつも会合衆と対策を練り、更に家中を節制して必要な費用を捻出。沿岸部の国人衆へ築城を急がさせ、兵と武具の用意をさせることになる。


 ただ、命令を受けた国人衆は堪ったものではなかった。

 築城には費用が出るとはいえ、その後の城詰めやそれ以外の事は全て自己負担である。北条の様な鉄砲に大筒、大船を用意できる大身ならまだ良い。だが、多くの国人衆は主な収入源であった関銭や商人からの運上金は里見方の活動で大きく減少しており、現在も続く戦にも駆り出されていて既に財政は破綻寸前にまで追い込まれていた。


「銭がない。鉄砲に大筒はこれ以上用意はできぬ。石の船には火も効かぬだろう。一体どうすれば良いと言うのだ……」


 北条に属している都合上、何もしない訳にはいかない。無能と判断されればその処罰は苛烈なのだ。

 そして国人衆たちは有効かどうかも分からない対抗策を打ち出し、裏では里見方にどうにか繋がりを持てないかと独自に動き出す者も現れるようになる。


 後に、この混凝土(コンクリート)船は北条方の国人衆が里見に従うきっかけを作り、そして特異な性能もあって時代を変えた船として歴史に残ることになる。


誤字・脱字、また感想評価などがありましたらお願いします。

色々と忘れてて、やっと書けました。


2021/12/07 感想で指摘された部分の修正、及び文章の追加を行いました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お待ちしておりました。 [気になる点] 房総では燃料の問題が山積みですね。自分もシミュレーションした事がありますが、樹木以外無いのが。温暖なので樹木資源的には良い地域なんですが。茂原や大多…
[良い点]  更新とても嬉しかったです。  コンクリート船は気付かなかったです。ただ、コンクリートすら、生産するのに馬鹿高い費用のかかる、資源無し県千葉の悲しさ。  運搬が厳しそうですが、いっそのこ…
[良い点] 鉄甲船じゃなく、石船ですか。素晴らしい威嚇効果ですな [一言] 鉄が高価なら、いっそ竹筋混凝土の採用を考えても良いのでは? かつては橋や船にも使われてたそうですので
感想一覧
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