第35話 新体制
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天文二十四(1555)年二月中旬 久留里城
里見義舜の家督相続が行われた。
これにともない、義舜は里見家の本拠地である久留里城へ異動。佐貫城には城代が入ることとなった。そして義堯は隠居するが、そのまま久留里城へ留まって義舜の後見を行う。政権が安定するまでは実権を握り続けることになる。
「これで、やっと一区切りがついたか」
「殿も、いえ大殿も安心ですな」
いつもと変わらぬ会合の席。義舜を除いたいつもの面々は、どてらを着て炬燵に入り、思い思いに茶と菓子をつまみながら穏やかに過ごしていた。特に義堯は嫡男がやっと祝言を挙げ、無事に家督を渡せたことに感慨深い表情だった。
「ところで、兄上は?」
この場にいないことを義頼が訊ねると、茶を飲んでいた義堯はニヤリと笑った。
「大事な仕事があるからな。今日から三日ばかり暇を与えておいた」
二人とも、年齢が二十代半ばとあってこの時代ではかなり遅い祝言だ。早く跡継ぎをつくらなければいけない、ということらしい。
「御子ができれば、今後も盤石ですからな。頑張って欲しいですぞ」
「そうですね。すぐに御子ができるかもしれませんから、今のうちに祝いの品を用意しておきましょうか」
「それはそうと、殿は三浦での戦いからこの日まで遊郭にもいかず、寝床は一緒でも奥方に手を繋ぐしかしなかったそうで」
「それは凄い」
時代は違えど、オッサン連中がこういった話で盛り上がるのは共通らしい。いつ頃に子供ができるか、嫡男か姫君のどっちかという予想で盛り上がりをみせた。
「やっとだからな。奴に遠慮して祝言を挙げなかった者もいる。これから婚約や祝言が増えるかもしれん……」
あ、まずい。
このままだと自分にも流れ弾が来そうだと察知した義頼は、話の流れを変えるべく口を開いた。
「祝い事と言えば、時茂さんも、三浦姓への復姓、おめでとうございます」
「ありがとうございます。まさか私が、三浦を名乗ることになるとは思いませんでしたよ」
察した時茂は人好きする笑顔を浮かべて答えた。
時茂は三浦半島南部を占領して直ぐに三浦姓へ復姓していた。家紋も三浦三つ引に変えられ、今後は三浦大膳亮時茂として大多喜と三浦半島南部を治める大名になる。
「正木については今後、内房は弘季、外房は時忠が纏める事となります。我ら三人、今後ともよろしくお願いします」
時茂の所領となった三浦半島南部は石高で見れば一万より少ない程度だが、浦賀の対岸には弘季が城主を務める金谷があり、三崎は館山との航路が通っていた。
また時茂ら三浦衆の役目は「黄八幡」北条綱成が率いる玉縄衆の抑えと、それによる浦賀水道の安定化である。両者の睨み合いが続けば近在の国人衆――特に武蔵国沿岸部の国人衆も趨勢が決まるまで動けなくなるうえ、航路が安定すればそれだけ物流が良くなる。
この航路を使って三浦衆に房総半島から大量の米と武具が供給されていた。彼らは里見家の気前の良さに感謝しつつ、再び三浦の旗の下で戦えることに歓喜していた。また諸税の廃止や楽市令など幾らかの条件をつけられたが、これは北条の統治下と殆ど変わらない。むしろ米や麦など雑穀類の収量を上げる栽培法が導入されたうえに浦賀水道一帯が安全になったため、商人の往来も多くなっている。
その効果が出るのはまだまだ先の話だが、先の戦での勝利に少しづつ活気に満ちていく所領を見て、相模三浦氏を覚えている中高年層だけでなく、若手からの評判も良い。これから秋の実りの時期になって売れるモノができれば、更に実感できるだろう。
「うむ、隠居した身からの願いだ。これから里見も変わっていくだろうが、今後とも義舜を支えてやってくれ」
これに全員が返事を返した。
義舜が当主となると同時に、大規模な検地と分国法の発布、そして「八府」と名付けられた官僚制度が導入された。
代替わり時の検地と分国法は、北条のそれを真似したものだ。里見家独自のものとして、今までの慣習や訴訟と実際の判例を纏めており、裁判の公平性と処理速度を上げる狙いがあった。
八府は、律令時代の八省を元にしている。今までは当主と会合衆の最高決定機関、身の回りの世話もする近習、そして実務を担当する奉行衆と官僚制を導入していたが、元が小国で家臣統制が進んでいなかった頃のシステムであり、勢力が拡大した今では色々と不備が出始めていた。
八府はこれを改善し、円滑な領国統治を進めるためだった。
まず当主の補佐・相談役として今まで通りに会合衆がつき、その下に小姓や馬廻など普段の世話から警備を務める近習や、僧侶や茶人、歌人などの文化人からなる御伽衆がつく。
そして、当主の直轄下に今までひとつだった奉行衆を分割し、兵務・大蔵・内務・外務・農商・工部・法務・文部の専門部署に分かれることになる。
従来のと比べれば専門範囲が格段に狭くなるため、育成機関も短く、責任も明確になる。ただ、縦割り化によって視野が狭くなりかねないため、数年ごとに部署異動、また交流を促進して対応することとなった。
そして制度の刷新にあたり、小弓公方の遺臣らを組み込むだけでなく、積極的な人材登用を行うために採用基準が緩められた。
これに泣いて喜んだのが、連日デスマーチを繰り広げていた奉行衆の面々だった。
「人手が増える! 仲間ができるぞ!」
「やっと解放される……。家に帰れるぞ……」
「……だと良いがなぁ」
細分化されるため権限も落ちてしまうが、それよりも仕事が減って休みができることに喜んでいた。
なにせ奉行衆になればかなりの権限や禄を手に入れられるが、それを使う暇が無かったのだ。手を抜けばその後から仕事が雪だるま式に増えていくし、サボったらサボったらで上司や部下から咎められ、最悪の場合は取り潰しが待っている。
しかも、扱うのが里見家が躍進する原動力となった数々の産物と知識である。入るときに起請文を交わし、モノによっては誰にも喋ってはいけないものがあるため、信用できる者しか任せらない。人手の増員もままならない以上、実務を今の人員でやりくりしながら、真面目に効率よく朝から晩まで働くしかなかった。
今まで不満を口にしただけで済んでいたのも、彼らの上役、つまり会合の面々が彼らと共に仕事をこなしていたからだ。
正直なところ、情報管理の点から門戸を広げることに反発の声(特に仕事大好き人間な義堯から)もあったが、
「いやもうほんと限界です。とにかく人手を入れないと過労死か謀反のどっちかが起きます。嫌ですよ下剋上されるの。分かったら人入れろ、こっちで無理やりにでも仕込むからはよ入れろ」
と、奉行衆だけでなく、義頼ら会合の面々による説得でようやく実現したのだ。領国の拡大で会合の面々も手が回らなくなったのが原因だった。また里見家による統制が進んだこと、デスマーチを潜り抜けたことで中堅層が逞しく育ち、ノウハウも蓄積されている。あとは人手さえあればどうにかなる、いや、どうにかする状況だった。
他にも家臣が増えたため、ポストを増やすことで分かりやすい飴を見せなければならない、という生臭い理由もつけられては、義堯も反対し続ける訳にはいかなかった。
制度が発表されてからというもの、既に配属先についた元奉行衆の面々は嬉々とした表情で親戚や家臣などを片っ端から言葉巧みに勧誘していた。問題が無ければこのまま各部署に投入されるだろう。勧誘された側も、今は働きが認められた、重職に抜擢されたと喜んでいるようだ。
「飴にしては、随分と苦いものですなぁ」
「そんなことは言ってはいけませんよ。飴なのは確かなのですから」
「まあ、頑張ってもらいましょう。彼らの献身で未来がつくられるのです」
「ブラックですねぇ」
『はっはっはっはっは』
精々こき使ってやろう、と面々は乾いた笑い声を響かせた。
もっとも、このカオスな空間は義堯の言葉によって終わりを告げた。
「さて、そろそろ真面目にやろうか」
全員が居住まいを正した。
「今後の方針だ。どうするべきか、忌憚なく述べてくれ」
「内政ですな。拡大した今、とにかく足元をしっかり固めなければなりません」
為頼の言葉に誰もが頷く。
現在の里見家は大きくなった。下剋上で義堯が家督を継いだ時には安房国と上総国の一部のみで、石高にすれば十万石にも満たなかったが、今では安房国・上総国・下総国の海匝地域を獲得。現状の石高にして六十万石近くを持つようになった。
対する北条氏の領国は伊豆国・相模国・武蔵国・上野半国だ。石高で言えば百万石を超す大大名だが、その大半が武蔵国と上野国で賄われている。武蔵国南部は里見家が江戸湾を勢力圏に置いているため圧迫されており、上野国に至っては西部を長野家を筆頭とする箕輪衆が、そして上杉憲政の悪行と長尾家との戦で北部は壊滅状態になっている。国人衆の動揺と離反も合わされば、実際の石高は百万石を切っているかもしれない、というのが面々の予測だった。
「昔に比べれば差は縮まっていますが、まだまだ差があります。特に人材の差が大きすぎますな。私も、そろそろ代替わりをしなければなりませぬが……」
「舅殿、まだまだ頑張ってもらわないと困るぞ」
義堯の言葉に為頼は苦笑いした。彼自身、まだ休んでいられないのは分かっていた。
陸軍が形になり始めており、武官は義舜らの活躍で揃いつつある。だが文官、特に外交関係が弱い。
かねてよりの人材不足は急拡大もあるが、一番は鎌倉の鶴岡八幡宮を燃やして他国では悪評が多いこと。稲村の変で古くからの重臣たちは義豊側に着き、それで長年の伝手や血筋が軒並み吹き飛んでしまった影響もあった。
もっとも、義堯側は新興の者ばかりであり、家中の風通しが良くなったお陰で数々の政策や内政が行えたのだから、一概には悪いとは言えない。
だが、ここに来てその影響が出てしまった。上層部に代替できる人材がいないのだ。外交をできるのが為頼、時茂、時忠ぐらいで、時茂は三浦対策で、時忠は商人管理と経済の安定化のために動かせられない。必然的に、為頼しかいないというのが問題だった。この時代の外交には特に血筋と縁が必要となるため、知識や作法だけではどうにもならないのだ。
「……前公方様の遺臣を使いましょう。関東圏なら十分に通用します。あとは、前美濃守護様の伝手を使うしかありません」
「……あまり頼りたくないのですがなぁ」
「もう美濃には戻りたくない」とここでの暮らしを満喫している頼芸だが、何かの拍子で心変わりされたら非常に困る。確かにやや金遣いが荒く、空気が読めない人物ではあるが、既に七宝焼や日本画などの美術品の生産に欠かせない人物になっているからだ。
「まあ、公方様と一緒なら問題は無いでしょう。公方様は政は面倒でしかないと分かっていますし、こちらの意図を読んで動いてくれますからね」
「地道にやっていくしかありませんな」
暫くは八府制度の管理に注力しつつ、少しずつ伝手を増やしていくという真っ当な内容になった。
「あとは、新しい領地か。どうなってる?」
「今のところ不満は出ておりません。むしろ北条や千葉の時より生活が楽になった、との声が百姓はおろか国人衆からも出ています」
「あれだけ酷使されていれば、そうでしょうな……」
北条の政策は百姓には優しいが、その代わり中間層の地侍や土豪、国人衆には厳しい。
定められた軍役通りに徴兵させ、上野国や常陸国などの反北条を掲げる地域に投入している。彼らを一年以上も上野国や常陸国へ派遣して長期滞在させながら、その軍役を終えた際の謝礼が有難い御言葉と、蜜柑と酒を一樽ずつ。
北条の力を見せつけ、国人衆の力を削いで統制するためなのだろうが、強引でやり過ぎではあった。
「だから北条も敵が多いのでしょう」
「お陰でやりやすいがな。栽培法を広めると同時に、こちらの経済圏に組み込む」
上総国では水源があって豊かな土地では米や木綿の栽培を、それ以外の場所では麻や雑穀の栽培を行っている。
米と麻は幾らあっても良い。あればあるだけ売れる。また木綿栽培が広まれば必要な干鰯を売る先が増えることになる。
九十九里浜一帯は真水が少なく、塩交じりの湖沼が多い地域で作物の生産に不向きだ。干鰯を売れば米が手に入ると分かれば自ずと生産量を増やす。そうなれば商人がやって来るようになり、住民に銭が入ってくる。領主も税収が増え、良い暮らしができるようになる。
「利と恩で国人衆を縛り付ける訳ですか」
「婚姻や人質だけでは繋がりが細い。いざという時に裏切られたらお終いだ」
利と恩があれば心情的にも、また領地ごと経済という形で里見に紐づけしておけば離れなくなる。それに、一度でも瓦版や文物に触れてしまえばその豊かさから戻れなくなり、里見の領国支配から離れなくなる。
「あとの問題は、水ですね。このまま沿岸部に人口が増えますと、飲料水が不足するかもしれません」
「上総国ですと、井戸は無理です。ため池を造るしかありません」
「何故です? 上総掘りなら深く掘れるはずですが」
「実はですね、あの一帯は地下にガス田があって、井戸を掘ると天然ガスが噴き出てくるんですよ……」
日本最大の水溶性天然ガス田、南関東ガス田の影響だった。
上総国で井戸を掘ろうとすると、天然ガスが噴き出ることが結構な頻度であるのだ。これに当たると、近くで火は使えないうえに水は茶色く濁って飲めない。現状、天然ガスを貯蔵したり、利用する方法が無いため、邪魔もの扱いにしかならないのだ。
「人を分散させるにしても、他に産業が無いか」
「確か、史実ではこれから冷夏で飢饉が発生する事になっているのだな?」
「はい。ですが内陸部には土地が余っています。間に合うかどうかは微妙ですが、飢饉対策に食糧を増産しておきたいところです」
「しかし、実元殿。土地が余っていると言えど、内陸部も水源がありませぬぞ」
「……賦役でため池を造らせるか。時間はかかるが、国人衆も銭が増えたなら今後の為にと使うだろう」
「甘藷の栽培はどうでしょう? 飢饉対策なら、あれが一番有用ですが」
「甘藷か。あれは美味いな。だが、あれは使い道が難しい」
甘藷は未だ安房国の一部のみで栽培されている。というのも、甘藷は栽培が容易で、乾燥や塩害に強く場所も選ばない。つまり、漁業以外に産業が難しい九十九里浜一帯を、食糧の一大生産地に変えることも可能なのだ。これが大きすぎた。
「あの一帯は臣従させたばかりだ。ここで甘藷の栽培をやらせて、力関係を逆転させたくはない」
ただでさえ、九十九里浜一帯は地曳網漁と干鰯の生産で食糧事情が改善されているのだ。ここに甘藷という爆弾まで投入したら、「豊富な食糧と資金を使って、独立した一勢力になる」などと嘯く馬鹿な奴が出かねない。また完全に独立しようと考えなくとも、北条や千葉、里見に自分を高く売りつけるために天秤にかける者も出るだろう。
義堯自身も、稲村の変の際には北条から支援を受けて戦い、下剋上後には北条と縁を切って敵対し、勢力を拡大させている。それだけに国人衆の考えは良く分かっていた。
「いま暫くは銭束でビンタしながら上下関係を躾けておく、という事ですか?」
義頼の身も蓋もない言葉に面々は苦笑した。
「そんなところだ。甘藷の栽培は、こちらの勢力圏から抜け出せなくなってからだ。それまでは小規模に留めておく」
「でしたら、安房国だけでも栽培を多くできませんか? 飢饉のときに芋を備蓄していれば、それだけ米や雑穀の消費量が少なくなるはずです」
義頼の言葉に一同は顔を見合わせ、そしてにんまりと笑った。
「成程、余った米や雑穀を奴らに渡して、恩を売るという事ですね?」
「……使えるな。やってみるか」
「先日の食糧の配給でも随分と感謝されましたからな。恩で縛るならこれ以上のものはありません」
「従順になったら、そこから芋の栽培を行わせましょう。食糧も増えて、更に恩が売れる。瓦版で美談として広めても良いですね。いや、素晴らしい」
いや、そこまで考えていなかったんだが、と義頼は言いそうになったが、飲み込んだ。彼らは既にそこからどう繋げて利益と支配を強めていくかの話に盛り上がっていた。
場が落ち着いたのは、粗方の案が出尽くしてからだった。
「とりあえず、こんなものだな。後は次回まで考えておくように」義堯は言った。
「他に何かあるか?」
「では私から一つ」時忠が言った。「商人たちの組合、つまり株仲間を作りましょう」
「いきなりですね。理由は?」
会合に出席している面々も、もう慣れているので話を促した。
「いえね、もう洒落にならないくらい抜け荷が多くなっていますし、酷い品質のものが市で公然と売られているんですよ。お陰で訴状が凄い勢いで増えてまして」
里見家の領国内では商人らを集めるため、以前から楽市令が出されていた。
時忠がこの世界へやって来た当時はとにかく人がいなかった。領国には碌な産業が無く、米の収量も少なかった。
交易で売るものと言えば木材、塩、干し魚、麻布。
木材は周辺国のものと変わりがない品質。塩は苦汁を含んでいて水気が多い、干し魚はありふれた雑魚を干しただけ。また古代では朝廷より最上級品とされた望陀布と上総細布ら麻織物だが、国人衆の乱立と戦乱で輸送費が嵩み、生産量も落ち込んでいた。また公服の必需品で安く品質の良い越後上布に押されていた。
売れる商品が無ければ商人は来ない。商人が居なければ経済が動かない。また座も規模が小さいうえに長年の制度ですっかり硬直化しており、寺社と結びついた特権が領国支配の邪魔になっていた。せっかく新しく製品を作ったとしても、それを運ぶ者も伝手も無かったのだ。
そこで天文六年(1537年)、義舜(当時は幼名の太郎だった)や時忠らの進言により、義堯は新たな本拠地となったばかりの久留里城下で楽市令を発布した。
当時の久留里は上総武田氏の内紛騒ぎで戦乱に巻き込まれ、閑散とした地域であった。
しかし、湧き水が豊富で飲料水に困らず、温暖な気候で雨も多い割に洪水が滅多にない理想的な条件。衰退したとはいえ、麻織物はそこらの他国産よりも品質は良い。木更津、大多喜、佐貫、天津(現在の鴨川市)を結ぶ街道が集まっていること。また小櫃川による木更津からの舟運があり、城下町として最適な立地だったのだ。
そして捻り出した銭を投入されたことで一気に開発が進められて商売の種も多く、しかも座に妨害されない。うまくやれば栄達の機会があることから、老舗の大店から身軽な新興商人まで多くの人が集まった。そして人が集まれば銭が貯まる。この貯めた銭で領国内の殖産を行った。
この時に麻布は栽培から見直し、集めた職人たちに前世の織機と品質管理を叩きこんで造らせた。
これにより、上総上布は復活した。麻なのに柔らかく独特の質感が美しいことから評判を呼び、更に人が集まった。集まった人と銭で軍備を整え、更なる殖産を行うことに成功した。
そして今では大規模な市を連日行い、多くの物産が集まる富の集積地として栄えていた。
この成功を受けて、各地でも楽市令が出された。その地域ごとの殖産が行われ、干鰯、上総木綿、塩、酒、鯨と、多くの特産品が生み出された。また関所が段階的に廃止されたことによりますます人の往来が増え、国内の活性化を促していった。
しかし、楽市令の発令から約二十年。その欠点が出始めていたのだ。
座は特権を認める代わりに、流通路の保持や品質管理も行っていた。それが楽市令で否定されたため、粗悪品から優良品まで玉石混交の状態になったのだ。
当初は品質云々の以前に、その品物自体が流通していなかった。役人だけで対処できたが、巨大な流通網となった現在では、全く手が足りていないのが実情だった。
里見家が出した楽市令はあくまで大名が商業の統制を行うためのもの。そして流通網の掌握と寺社からの引きはがしが済んだ以上、目的は達していると言って良い。
それに今までの座はほぼ解体されたが、似たようなもの、つまり問屋を中心に吸収合併に合理化と力をつけた商人らによる互助会ができていた。
「特に塩の売買の訴訟が多いんですよ。水分の多い荒塩を囲塩と言って利益を出している愚か者がいます」
この頃の塩といえば現代の様にサラサラした塩ではなく、苦汁や水分を多く含んでいた。使う際には笊に入れて苦汁を抜く、または陶器で焼いて使うのが主流だった。
高級品なのが囲塩と呼ばれるもので、苦汁と水分が完全に抜けているもの。当然ながら手間が掛かっているため、値段も違う。
里見が売り出している甘塩だと言って他国の安い荒塩を売りつける、中には一旗揚げようと田舎から出てきた者に声をかけ、何も知らない彼らに粗悪品を売らせて利益を徴収しているケースも発生していた。
これらは時忠の傘下の商人らはそのような行いをしていない――むしろ取り締まる側だった――が、新規に獲得した地域や遠方から流れてきた商人が行うケースが多く見られた。
「取り締まりが追い付かない、という事か?」
「はい。もういたちごっこですよ。捕まえた奴を片っ端から処理しても減りません。それに江戸期の株仲間に未来の組合を考えれば、どうやっても禁止はできません。それなら公認して役立ってもらいましょう」
「飴をやるから、その代わりこっちの仕事しろ、という事ですか?」
「そんなところですね。上から押し付けるより、仲間内でやらせた方が納得もしやすいでしょう。それに御用商人を作るより株仲間の方がよっぽど健全です。ただ一人に特権を与えるより、多人数なら権力も分散させやすい」
勿論、幾つかの制約は必要だろう。
専売や偽物の売買をしないこと。物価を不当に釣り上げず、真っ当な商売を行うこと。
もし不正を行った者がいる場合、取引の停止や情報の共有などを行い、懲罰を与えること。
これを元に細かく詰めていけば、品質の維持に訴訟も減っていくだろう。
「ふむ、成程な……」
義堯は顎に手をやり、指で机をコツコツと叩き始めた。考え込んでいる時の癖だった。
「折角だ、八府に案を纏めさせるか。実績作りには丁度いい。時忠、通達しておくように」
「は、畏まりました」
「後は必要だと思うものを各府から提案させる。必要だと判断したら各府にやらせろ」
これに誰もが一様に驚いた表情を見せた。
「宜しいので? モノによっては銭が掛かりますぞ」
「構わん。銭が掛かってもいい。ただし、失敗しても報告はさせろ。全て記録に残す。これが後々に役立つはずだ」
それに、当面は大きな戦は起きないと考えられる。今のような機会でないと、新しいことができない。例え失敗したとしても、拡大した今ならそれに耐えられるだけの余力があり、経験の一つとなる。
「全てはこれからの戦に備え、勝つためだ。我々が生き残るためにもな」
義堯の言葉に、面々は大きく頷いた。
当主が変わったことで新しい領国経営が始まった。
賦役としてため池を造り、街道を整備して通信設備をつけたマーテロー塔の建設を推し進めていく。街道が通ったことで商人の往来も増え、内陸の奥深くまで情報のやり取りを行えるようになった。手に入れた情報は領国支配のために使われる。
これに誰もが明るい未来と漠然とした不安を感じつつも、しばしの間、忙しくとも平穏な日々を送ることとになる。
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