第34話 義舜の祝言
今回は五千字と短め。楽しんでいただければ幸いです。
天文二十四(1555)年二月中旬
青岳尼、もとい還俗した足利青子の救出から約一年。予定外のことで日程が大きくズレたものの、一応の区切りがついたとして里見義舜と還俗した足利青子の婚姻が大々的に発表された。
これに多くの者は大いに沸いた。
元々、義舜は民政にも優れた人物で領内での人気は高く、相手は小弓公方、足利氏の娘である。また、義舜と青子の馴れ初めから求婚までを脚色したドラマチックな話(恐ろしいことに、ほぼ実話である)を瓦版や紙芝居で都合の良いように喧伝していた。
「流石に、鎌倉を攻撃したという事実は覆せませんからね。そのうえで、こちらが正義と喧伝しておけば、あとは民衆が判断してくれる」
マスメディアの影響力の高さを知る面々にとって、これを使わない手は無かった。
義舜が鎌倉へ出向いたのは約束と愛する人のためであり、愛する人は北条によって連れ去られ、無理やり尼にされてしまった。そして兵達は敬愛する主君のために、立ちはだかる北条を撃破して、二人は再会する。
まるで軍記物のような話に、近年の発展で娯楽に飢えている房総半島の住民からの受けは非常に良かった。
……それに加え、民衆や国人衆の声には打算も大いに含まれていた。
「最近、飢饉やら戦ばかりでおめでたい話は無かったからなぁ」
「それに、俺たちにも餅や祝い酒も振舞われるだろうしな」
「婚儀となれば人が来る。そうすれば、色んなモノが売れるぞぉ」
「公方様の血筋ならば誰もが納得できる。これでお世継ぎ様がお生まれになれば、我らの今後の展望も良いものになるだろう」
「なんにせよ、祭りみたいに騒げるのはありがたい」
なお、この動きに文句を言える立場である北条家は、いまそれどころじゃなかった。
「長尾め! 我らの領国を荒らしまわりおって!!」
昨年の冬に侵攻してきた長尾景虎に対し、北条も一族の長老である北条幻庵らが一軍を率いて必死に対抗していた。そのお陰で上野国から一歩も外へ踏み込ませていないものの、長尾家が行っている暴行略奪といった蛮行は留まること知らず、長尾軍が通った場所はまるで蝗の群れに襲われたかのように喰い荒らされていた。
昨年、青岳尼が鎌倉太平寺から本尊を持って里見家へ下ったと知ったとき、氏康は鬼の様な形相になった。青岳尼の妹の旭山尼が住持を勤める東慶寺へ「不思議なるおくわだて」と不快の意を示す書状を送り、鎌倉太平寺を廃寺にするなど相当な怒りをにじませていた。
今回の婚姻も知ったとき、長尾家の蛮行の報告と合わさって凄まじく荒れたが、既に情報戦で後手に回っていた。また三浦半島下部の陥落に江戸水軍壊滅の痛手から立ち直れていない以上、ただ罵り声をあげるしかない状況だった。
つまり、誰も邪魔する事ができなかったのだ。
そして吉日。天候にも恵まれたこの日、いよいよ義舜と青子の婚儀が執り行われた。
二人ともそれぞれ見事に着飾り、とても仲睦まじく幸せそうだった。
「太郎様、ようやくですね……」
「すまない、これだけ時間をかけてしまった」
「いえ、こんなにも立派な式を行ってくださるのです。私は、本当に嬉しいです」
「そうか……、ふむ、そうだな」
「太郎様?」
「いや、尼の時の青子も凛としていて綺麗だったが、今日は特に可憐で美しいと思ってな……」
「もう、太郎様は……」
「……もしかして、これが終わるまで、ずっとあれを見なければいけないのか?」
礼儀作法を逸脱しない範囲でいちゃつく二人に、一部の者は胸やけした表情で式に出席していた。
今回の式は房総の過半を領有する里見家と、前小弓公方の娘の婚儀である。
故にその威信をかけた、趣向を凝らした盛大な式が執り行われた。
本来ならば妻の実家から夫の家まで輿入れを行うのだが、小弓公方の始まりの地である小弓城(現在の生実城)は千葉方の城である。
そのため里見家の氏神である館山の鶴谷八幡宮に報告し、そこで式が執り行った後、船で木更津まで北上。そこから久留里城まで練り歩くことになった。
この婚儀の出席者たちも豪華だった。
義堯とその室、義頼に堯次ら兄弟は当然として、重臣である土岐為頼と三浦姓へと復帰した〝槍大膳〟こと三浦時茂、外房の正木時忠に内房の正木弘季。外川から戻ってきた安西実元と岡本安泰も参加している。
また安西、朝比奈など安房・上総の国人衆たちだけでなく、元守護である土岐頼芸にその弟で常陸国江戸崎を治める土岐治頼、上野国の長野氏や、常陸国の佐竹氏、下野国の宇都宮氏からも使者が来ている。東金・土気の両酒井に武射郡の井田や山室ら下総国の国人衆。保田妙本寺の日我上人に房総各地の寺社、また東国三社からも使者がやってきていた。
この時代は境内に神社や寺社が混在している場所も多く、他宗派であってもとやかく言わず、素直に祝う美風があった。
そして、この婚儀に最も重要な人物も来ていた。
「義舜殿、姉上。こたびの祝言、おめでとうございます」
青子によく似たうりざね顔に、穏やかな笑みを浮かべる一人の青年。
名を足利頼純。青子の弟であり、現在の小弓公方である。
「まあ、国王丸。大きくなって……」
「ははは、姉上。壮健そうで何よりです」笑いながら頼純は言った。「ただ、流石にこの歳で幼名で呼ばれると恥ずかしいので……」
「あら、ごめんなさい。つい」
姉弟の久々の再会に、二人とも嬉しそうに笑みをこぼした。
足利家所縁の寺に預けられた青子ら姉妹と違い、頼純は房州に残った。ただ転生者らの影響か、見聞を広げるためと言って寺を飛び出し、僅かな御供を連れて廻船に乗りこんで東北を中心に各地を見て回った。関東は敵対関係にある北条家と古河公方の勢力圏で危険であるのと、当時の里見家の実情も絡んでいた。
当時の里見家は北条や近隣の国人衆との戦乱が絶えず、戦線も一進一退の攻防の最中だった。昨日までの味方が今日は敵という気が抜けない状況下であり、小弓公方を守れるか微妙だったのだ。
また領国内で麻織物や焼酎などの生産が始まり、その販路を探している最中でもあった。
そこで頼純の願いを叶えると同時に、東北への売り込みをお願いしていた。いわゆるトップセールスだ。小弓公方は古河公方の分家筋(小弓公方家としては正当な後継者と名乗っている)であり、関東足利家の系図である。
室町期では尊ばれる貴種であり、房州の足利家に所縁のある石堂寺と、この時代には無いはずの転生者らによる教育により、古典に通じながらも革新的な教養があった。また頼純は幼少期からの教育のせいなのか、はたまた本人の生まれつきなのか。短気で激高しやすい義明に全く似ず、武家よりも神官や僧侶が似合いそうな、穏やかな性格だった。
頼まれた頼純としても無茶な願いではなく、ただ房州から運ばれてきた服を着て、行く先々で返礼品と共に頼まれた内容を言うだけ。
訪問先の東北の諸大名も、自身の家系に誇りを持っている。当初は面子を保つためにとやや事務的な応対だったが、穏やかで話も巧い頼純の相手は楽しく、また持て成すだけで様々な外の情報や珍しい品をもたらしてくれるのだ。
次第に噂は広まり、現在では行く先々で頼純一行は歓待されるようになった。頼純は各地を見て回れ、東北諸大名は珍しい品を手に入れられ、里見家は販路と伝手を手に入れた。
三者どちらにとっても得のある話であり、里見家が比較的初期に東北方面への販路を手に入れられたのも、これが理由だった。
「公方様、お久しゅうございまする」
二人の会話が途切れたのを見計らって、義舜は一礼した。
「顔を上げてください、義舜殿。僕の義兄になるのだから、ここでは畏まった態度はいりませんよ」
「……はっ」
あくまでも臣下としてふるまう姿に、頼純は人の良い笑みを浮かべた。しかし心の中では、まだ小弓公方は有用とされているな、と冷静に判断していた。
三人で楽しく会話しているうちに、次の挨拶が来る時間となってしまった。
「義舜殿、姉上。式のあとも暫くは逗留する予定ですので、ぜひ諸国の話をさせてください」
「あら、本当に? 楽しみにしているわ」
頼純は二人の下から辞した後、歩きながらぽつりと呟いた。
「……これで、里見家は安泰かな」
「はい、既に江戸湾の掌握も進んでおり、北条や千葉めの勢力圏を削り取っております。房総三国を領有するのも、時間の問題かと」
「うん、いい事だ」
近習からの報告に、頼純は笑みを浮かべて小さく何度も頷いた。
「これならば、小弓城への早い帰還も叶いますぞ」
「んー、そうだけどね。今の生活を続けたいなら、大人しくしておくように」
喜色を浮かべて暗に下総攻略を急かそうとする近習の言葉に、頼純の反応は鈍かった。
父の跡を継いで小弓公方と名乗っている以上、かつての拠点である小弓城に一度は戻りたいとは思うが、それだけだ。
今回の婚儀により、小弓公方の遺臣はその多くが里見家に仕えることになった。頼純の直臣は僅かで独自の基盤は無く、政の采配どころか、城の維持管理など到底できない。
となれば、どこからか人や銭を借りて、管理を任せるしかない。この場合だと、里見家から借りることになる。
それは、今と何か違いがあるのだろうか? ただ屋敷が変わるだけでしかない。
同じ屋敷ならば田舎の古い城よりも、庇護者である里見家の本拠の近くに新しい館を建てて貰った方が断然良い。近くにいれば何かと手助けしてもらいやすく、また文化に人の往来も盛んで楽しい。
「楽しい、ですか」近習は奇妙な表情を浮かべて言った。
「そ。座ってるだけで日々を遊んで飯が食えるなんて、最高の贅沢だよ。彼ら曰く、にぃと万歳、だったかな?」
それは紛れもない本心だった。傀儡の立場から脱却しようとした父と兄は武勇に秀でていたが、呆気なく討ち死にした。それを知った頼純は、公方に個人の武勇があっても意味がないと幼少ながらに思ったのだ。
必要なのは、剣よりも権の使い方であり、この血筋だ。少なくとも、里見家は小弓公方が有用なうちは尊重してくれる。小弓公方を長く続けさせたいならば、今の様に余計な事をせずにいるべきなのだ。
「もし、仕事をしたいなら紹介するよ? 彼らは人手不足の様だしね」
「いえ、遠慮させていただきまする。某はまだ死にとうありませぬので」
鬼の陸軍、地獄の水軍、死んでも帰れぬ奉行衆。
出世できる奴は心身健常。かつ途中で過労で倒れないこと。
出世したらどうなるか? 知らんのか、仕事がたくさん増える。
奉行衆は家族。毎日家族に会えて幸せ、です。
俸禄は貰えます。銭は稼げます。でも自分で使う暇はありません。
月月火水木金金。
一部はよく分からなかったが、里見家の評判を思い出した近習は真顔で答えると、頼純はカラカラと笑い声をあげた。
「さて、辛気臭い話も終わり」と、頼純はパンと手を叩いた。朗らかな笑みだった。
「今日は祝いの席だ。各地の名店の味や珍しいものを腹いっぱいに飲み食いして、大いに祝おうじゃないか」
そして出席者たちが揃うと、厳粛な空気の中で式が執り行われた。
その後、それぞれ港に停泊中の海防艦や大型弁才船へと乗船。掲げられた無数の船幡(大漁旗)をたなびかせており、乗船した来賓たちが綺麗に掃除された甲板上の椅子に座り、物珍しそうに艦を眺めた。
その間を、小奇麗な格好をした水夫たちはいかにも楽し気な表情で出港準備を整えていった。
「出港だ! 車地回せ。抜錨!」
義頼の号令と共に甲高い号笛が鳴り響き、水夫たちは待ってました、とばかりに踊るかのように動き出した。陽気に舟唄を歌いながら錨を巻き上げ、行き足をつけた船が揺れる。その中で横静索に飛びついてスルスルと檣の最上段まで一気に登り上がると、来賓たちから感嘆と驚きの声が漏れた。
「前檣上帆、展帆よォーい!」
水夫たちは細い綱の上を足場に、帆桁両端から中央へと順に帆を広げていく。新しく拵えた真っ白な帆が膨らみ、風を捉えた艦の行き足が速まる。
「総帆開けッ!」
バッ、と音を立てて中帆、大横帆、そして主檣の縦帆が張られると、来賓からの歓声が大きく上がった。
ゆっくりと北上を始めた艦隊の周りには、一目見ようと漁師や商人の船が遊覧しており、中には手作りの幡を掲げながら祝いの声を上げる領民たちの姿もあった。
そんな彼らに見送られた艦隊は江戸湾内に入り、木更津で上陸。
ここで五千を超す行列を編成し、久留里城までの輿入れを練り歩いた。輿に乗った新婚の二人を、真新しく統一された礼服に身を包んだ連隊が、指先一つまで揃えた動きで警護していた。
また女騎と呼ばれる、女性だけで編成された騎馬隊も動員された。
少数なれど、誰もが良馬に跨り、領国内の職人の粋を集めた艶やかな衣装に身を包んでいる。特に美形の者は朱い胴丸に薙刀と、巴御前もかくやの姿に一際大きな歓声が上がるほどだった。
「なんと、凄まじい……」
「里見とは、これだけの人とモノを集められるのか……」
見たことが無いほど巨大な軍船に、一糸乱れぬ動きで統率された足軽。そして艶やかな衣装と並ぶ馳走の数々に、下総の国人衆や商人らは衝撃を受けていた。
その様子を見ていた安房・上総の国人衆は昔を思い返すと同時に、自分たちが彼らを驚かせるほど発展させたのだと、誇らしい気持ちになった。
また、近隣の者らも精一杯おめかしして、この行列を一目見ようと集まっていた。そして今まで見たことが無い輿入れに歓声をあげ、申楽やお囃子を楽しんだ。
至るところで振舞われる餅や酒、また街道沿いに出店された屋台では、獲れたての魚の塩焼きや寿司、天ぷら、揚げもの、また肉の煮込みに鯨料理と、様々な珍味を食べて飲んで祝った。
なお、義頼や時忠らはこの婚儀に便乗して荒稼ぎしていた。
「流石に戦後処理に外房の開発、それから今回の商売の采配までやるのは流石にきつかったですが、お陰で物産の紹介もできましたし、各地のコネも大量。いやぁ良いですねぇ」
「ウチも水軍の名が売れたし、館山も盛大に祭りができた。経済効果でおいしいです」
「あの、殿。出店と馬借をしただけで、儲けが凄いことになったのですが……」
「小太郎、儲けはちゃんと皆で分けろよ。ああ、それと来賓からも女騎の評判が良かったぞ。それで兄上が褒美を与えるそうだから、後で会ってくれ」
「………はっ(金銭感覚が、おかしくなりそうだ)」
今回の婚儀に限った話では無いが、何かしらの催しが行われれば多くの人が集まる性質上、非公式の外交の場にもなる。長年の友や同盟者らと世間話を行い、またこの機会に領地の特産品や年頃の子を紹介し合い、良縁を結ぶ。
そして「小弓公方」足利頼純も、生涯の友となる土岐頼芸と出会う。
頼芸は普段は書画に歌と悠々自適に過ごしながら、困った時には手助けして礼を受けるという、頼純から見れば理想そのものの生活をしていた。
頼芸は当初、かつて美濃守護の後継者として争った「頼純」と同じ名前という事で警戒したが、会って話してみれば穏やかで機知に富む正反対の人物。また小弓公方と、足利将軍家に連なる血筋と家格が高いこと、互いに居城を追われたり、各地を放浪していたことから意気投合。会って間もないうちにお互いを名前で呼び合うほど親しくなっていた。
式が終わったあとも、このまま別れるのももったいない、という話になり。
久留里で楽しむだけ楽しんだのち、頼芸は自身の居館へ頼純らを招待した。
「土岐殿、暫く世話になるよ」
にっこりと笑みを浮かべる頼純を前に、現在の頼芸の庇護者である土岐為頼は嫌とは言えず、深々と頭を下げた。
万喜に逗留する事になった頼純だが、お互いの家臣や近隣の者を招いて花見や茶会、連歌会を盛大に開くだけでなく、七宝焼きの製作に屋形船に乗って釣りを楽しむなど、交流を深めていった。
なお、必要な費用は二人の他に義堯ら会合衆も出したが、手配は全て為頼が行った。
為頼は増えた仕事と胃痛に、居室で一人泣きした。
誤字・脱字、また感想などありましたら連絡をお願いします。
やっと婚姻の話が書けた。そして忘れていた小弓公方も出せました。
次からは暫く内政やら義頼の婚姻など書きたいと思います。
2020/06/16 文章の追加、修正を行いました。




