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閑話3

本編がちょっと行き詰っているので、閑話です。

1,2年前に活動報告で上げたものが殆どですが、楽しんでいただければ幸いです。

1.木瓜八の鉄斬(くろがねぎり)


 「良い刀」とは何か。

 現代で良い刀と言えば著名な刀工を輩出した五つの地域の刀、いわゆる五ヶ伝が有名である。

 質実剛健の大和伝(奈良県)、品格高く雅な山城伝(京都府)、多彩で流行を取り入れる備前伝(岡山県)、技巧的で華美な相州伝(神奈川県)、実用性本位の美濃伝(岐阜県)である。


 この戦国時代においても、各地の刀匠達は己が理想とする「良い刀」を造ろうとしていた。それは刀の理想である「折れず・曲がらず・よく切れる」であったり、優美である、品がある、有力者たちが持つのに相応しい格を備えているなど、様々だ。

 このような色々な考えがある中、里見家が出した「良い刀」の答えは単純明快。


 「早い・安い・頑丈」である。


 これは里見家の面々が「武器である以上、刀も消耗品。使ってなんぼ」と割り切っており、実用性特化の数打ちを求めたからだ。


 また生産された刀の大半は足軽や雑兵に支給される。練達した者ならば刀身を傷めず、敵を切り捨てる事も可能だろうが、碌な訓練をしていない兵らはまず碌に正しい扱い方を知らず、手入れも雑である。


 それに、長期間に及ぶ戦中に手入れする余裕もなく、名刀だけどちょっと手入れしてなかったから使い物になりませんでは困るのだ。


 なので、どんなに乱暴に使っても壊れず頑丈で、かつ使い捨てても惜しくない値段で、直ぐに生産が可能。また山岳や船上などで扱いやすいよう片手でも振りやすく、取り回しが効く刀身が短めのものが良いと考えた。

 これに作刀に携わる安房の刀匠らは嬉々として希望に沿った数打ちを造りだしていった。

 というのも、刀匠らは元々は野鍛冶と呼ばれる農具などを打って生計を立てていた者が殆どであり、刀も安くて実用本位の数打ちを造っていたことが主な理由だった。


 つまるところ、里見家の考えと、この鍛冶集団は非常に相性が良かったのだ。また、近くに五ヶ伝の中でも技術が高く見栄えの良い相州伝があり、「高級品は相州伝、消耗品は安房のを」と、一種の住み分けが出来ていたのもある。


 鍛冶師たちも便利な道具に質の良い鉄が得られ、金払いも良いとなれば大いに腕を振るうのも当然であった。


 そして出来上がったのが、角炉を使って量産された鉄材を動力大槌で刀の形に成型し、焼入れして足踏み式回転砥石で軽く研いだ刀。陸軍・水軍が使う刀から後に軍刀と呼ばれるようになった。


 軍刀は太刀、打刀、脇差と造られたが、どれも早く安く作るために拵えも無骨で素っ気無いものになっていた。


 しかし、実用性だけは異様に高かった。分業体制と機械化によって職人の育成が早く、一定品質の鉄が大量生産されたことで一日で数十口もの刀を量産でき、今までよりも安く済む。

 刀身は二尺で他国の刀と比べて重いが、重心バランスから取り回しは良く、片手で振るえる。また敵をどれほど殴りつけても折れない頑丈さを持つ。


 ただ、一定以上の技量を持つ兵、特に武将からは若干の不満が出ていた。


「確かに頑丈だ。だが、そのままだと切れ味はあまり良くない」


 というものである。

 これは素人が具足を相手に殴りつけられるよう造られているため、刃を殆ど研いでいないのだ。一定の技量以上の者には「ただ頑丈な鉄の棒」になってしまうのがこの刀の欠点だった。

 これに関しては砥げばいいとなったが、そうなると長さ、重さ、柄の太さとあれこれ欲も出てくる。そこで個別に発注して造れ、ということとなった。

 

 そしてこの日、正木時茂は館山の職人街へと来ていた。自分好みの太刀を打ってもらう為であった。

 職人街唯一の門の脇にある応接所にて、応対に出た実元が見本として幾つかの刀を持ってきた。その中の一口が、時茂の目に留まった。

 それは他の軍刀と同じ造りであったが、持ってみた感覚がどこか違ったのだ。


「それですか? 木瓜八の組が打ったものですね」

「木瓜八?」

「ああ、渾名ですよ。ここは大きいので職人内でも同じ名前が多いんです。本名は喜八って言うのですが、その木瓜の実のような顔立ちからみな木瓜八と呼んでいるんです」


 若いですが腕の良い職人ですよ、と実元は続けていった。

 気になった時茂は他にも何か木瓜八作の刀はないか尋ねると、実元はすぐに木瓜八のところへ使いを出した。

 暫くして、数人の職人だろうか。中央前に生成りの麻服を着た、黄色味がかった肌に真ん丸の顔をした男がやってきた。彼が木瓜八なのだろう。確かに木瓜の実によく似た顔立ちだった。

 

「すまないな、木瓜八。急に呼び出して」

「あいや、安西様。お気になさらず」木瓜八は顔の前で手を振り、頭を下げた。「何か、お呼びと聞きましたが……」

「ああ、用があるのは私ではなく――」


 ス、と実元は軽く身を引くと、時茂は言った。


「正木大膳亮時茂だ。貴方が喜八殿ですかな?」

「こ、これはとんだご無礼を……」


 木瓜八は思いも寄らぬ大物の登場に驚愕し、卑屈なほどに腰をかがめ、ぺこぺこと頭を下げた。

 俺の時と対応違くね、と実元がぼそりと言う。時茂はそれに小さく笑った。


「はは……、ところで喜八殿、私に刀を見せてくれませんか?」

「は、はあ、ではどのような刀がよろしいでしょうか?」顔を上げた木瓜八が言った。

「私は身体が大きいからな。長物が良い」

「では、これはどうでしょう」


 木瓜八が取り出したのは太刀拵え。二尺三寸、刀身は反りが浅く身幅が広くて厚い。柄は強度を高めるため茎が柄尻まで伸びるほど太く長い。館山の砥石でよく研がれた刃は(のた)()の目(様々に変化する波状の刃紋)で大切先は鋭く尖っている。

 重く頑丈。高い膂力が無ければまともに振るうこともできない豪刀であった。


「アッシの独自の鍛造と焼き入れを行っとります。他の刀よりも重たくなっとりますが、より頑丈で切れ味も鋭くあります」

 

 時茂は刀を手に取り、持った感触を軽く確かめる。そして「試し切りしても」と、尋ねた。

 木瓜八も快諾した。実元は直ぐに裏手にある庭へと案内した。

 そこには藁を巻いた青竹が用意されており、試し切りが出来るようになっていた。

 

 時茂は地面に突き刺してあった青竹の前に立つと、ス、と刀を担ぐように構える。

 小さく呼気を一つ。

 振り落とした一撃は青竹を両断し、返す刀で大切先が跳ね上がる。更に切っ先が頭上高く、円を描くように再び袈裟に斬り落とした。

 流れるような三連撃におお、と観客が湧く。

 ふむ、と時茂は刀身を凝視すると、おもむろに「兜を持ってきてくれ」と、近習に言い放った。


「鉢試しするのですか?」


 実元が驚いた表情で言った。時茂は小さく頷く。

 鉢試し、つまりは兜割りである。

 そもそも兜は頭部を保護するためのもので、刀で斬れない様に様々な工夫が凝らされている。

 それを斬るなど尋常の事ではない。それを、時茂はやるというのだ。

 

「今なら、この太刀なら出来る。そう思ったからですよ」


 時茂はそう答えた。

 鉢試しには館山で生産された頭形兜が用意された。刀と同じ鍛鉄の板を張り合わせた、堅牢な兜である。

 周りには話を聞きつけた耳聡い職人連中が集まっていた。小声で大膳亮様なら斬れる、いや難しいだろうと言い合っている。

 時茂は兜の前に立つと、段々と声が小さくなり、静まり返った。チリチリとした空気が辺りを漂う。ゆったりとした動作で木瓜八が鍛えた豪刀を右肩に担ぐように構える。


 時だけがゆるやかに流れる。

  

 裂帛の気合と共に、刃が筋兜に振り落とされた。

 

「……良い刀だ。気に入った!」


 時茂は快活に笑った。

 見れば、堅牢な筈の兜鉢の半ばにまで太刀が斬り下がっていた。引き抜いた太刀には刃こぼれや歪みも無かった。


「うそん……」


 実元は顎が外れんばかりの表情で言った。

 そして、わぁ、とこの偉業を称える歓声が上がった。伝説の様な出来事を目の前にして、興奮しきっていた。


「喜八殿、この太刀に銘を付けさせてもらっても構いませんか?」

「へっ? あ、うん、はい、どうぞお付けください……」


 木瓜八は未だ呆然とした表情で頷いた。


「うん、では今後、鉄斬(くろがねきり)と呼ぶことにしよう」


 その後、この話が広く伝わり、木瓜八の刀は「鉄をも易々と斬り裂く」と力自慢の武将達から人気を博した。

 また兜割りに使用した太刀は「鉄斬喜八」と銘を入れられ、時茂の愛刀として共に戦場を駆け抜け、その切れ味と威力を発揮することとなった。



2.職人の意地


 安房国 館山造兵廠


「いや、凄いなこれ」

「頑張りましたからな」

「ええ、全力で造りましたとも」


 目の前に鎮座するものを見て、実元は呆然とした表情で言った。

 対して、鉄砲鍛冶師と鋳物師らはみな濃い疲労の色が見えるものの、仕事をやり遂げた後の誇らしげな表情を浮かべていた。


 声を張る彼らの前に置かれているのは、里見家が主力砲として採用している三斤平射砲によく似ていた。左右に頑丈な木と鉄で造られた大きな車輪に隠れるように、中央の台座にはちょこんと小さな鈍い黒色に輝く砲身が乗っかっていて、そこから伸びる架尾が地面についている。

 

「砲身は鋳鉄と割鉄です。層成構造でしたか? 要は鋳物の筒に水車の大槌でドカドカ叩いて伸ばした筒を焼き嵌めて馬鹿でかい大筒を造ったという訳ですわ」

「これは凄いな……」


 まさか本当に造れるとは思わなかった、と実元は内心呟いた。

 事の始まりは、実元が職人たちに鉄製の大砲を造れないかと持ち掛けたのが始まりであった。


 大砲は銅に錫を添加した砲金、いわゆる青銅が使用されている。

 これは鋳造が容易で、加工しやすく強度もあったため。また砲身の破裂前には前兆が現れやすいため、危険を察知しやすかった。

 欠点は青銅砲の鋳造に必要な銅と錫は全て輸入品であり、かなり値が張ること。また青銅は鋳造しやすいが、鉄に比べて摩耗しやすく熱に弱い。そのため熱で砲身が簡単に歪まないよう、厚く鋳造する必要がある。青銅砲は射耗しても融解して再鋳造すれば使えるが、そのコストは大きくのしかかっていた。


 鉄は九十九里浜周辺の砂鉄鉱床が手に入ったため、自給はできるようになった。また耐久性も高く、鋳鉄砲が造れれば価格は青銅砲の四割程度にまで下がると見られていた。


 しかし、問題が多かった。

 鋳鉄砲の開発そのものは以前より進めていたが、これが上手くいかない。角炉から生産された銑鉄を溶かし、型に入れて成型する。造られた砲は試射の際に砲身が断裂したり、暴発する事故が続出した。

 

 原因は鉄。この当時の銑鉄は白銑鉄と呼ばれ、破断面が白く、材質は硬く脆い。砲身のような高圧力がかかるものには不向きだった。必要なのはねずみ鋳鉄と呼ばれる、破断面が灰色になった鉄。

 このねずみ鋳鉄は輸入品の南蛮鉄か、角炉でも少量しか生産できない。また相次ぐ失敗と他の武具の改良、また優先するべき仕事が山積みになっていた実元は疲労しており、おざなりになっていた。

 ただ、その時に「そういや歴史で鍛鉄の大砲を造ったとかあったな」という事を思い出し、駄目で元々と鉄砲鍛冶師に話をしたのだ。


 これに彼らは大いに奮い立った。

 当然、今までに三斤の砲弾(鉄砲に使う重さに換算すれば480匁)を撃ち出す大砲など造ったことが無い。だが鋳物師が散々自慢する大砲の製作が出来る。それに、実元も「無理しない程度に」と出来なくても構わないという態度にいたく矜持(プライド)を刺激されたのだった。


 かくして、彼らは鉄砲鍛冶師の中でも選りすぐりの者を出し、新しい三斤平射砲の開発に取り掛かった。

 目標は「安い・軽い・高耐久」。


 何度か試作を繰り返し、最初の完成品は鉄砲と同じように鉄板を丸め、そして帯をグルグルと巻き付けて製造された。これは試射に成功し、耐久性は良かったものの重く、値段がべらぼうに高かった。

 鉄砲などに使用する鉄は割鉄(包丁鉄とも。錬鉄に相当する)と呼ばれるもので、これは使い道が多く、当時は鋼よりも高価だ。これを三斤平射砲を一門造るのに四十貫(約150kg)も使ったためだった。


 行き詰まりを見せていた鍛冶師たちに合流したのは、鋳物師の枡田安二郎という男だった。彼は鋳鉄を扱う職人で、その真面目さと腕の良さから実元から信頼され、鋳鉄砲の開発を任されていた人物だった。

 彼は南蛮鉄を調べ、同じものを造れないか研究をしていた。そして鉄を溶かして調べるのを繰り返すうちに破断面がねずみ色のものが現れた。


「銑鉄をこしき炉で融解を繰り返せば、砲身に使えるねずみ鋳鉄になるのでは?」


 暫くして、ねずみ鋳鉄の生産に成功する。しかし、砲身の強度はまだ不足していた。


「以前、館山の若(義頼)に聞いたところ南蛮の大砲には筒を重ねる層成構造というものがあるそうです。鋳造した砲身に皆様方の技で帯を巻き付けて強化すれば、耐久性のある大砲が造れるのではないか」


 層成砲。鋳鉄と錬鉄を使い、この手法で造られたのがアメリカの南北戦争時に使用されたパロット砲やブルック砲がある。また鋳鉄ではなく、錬鉄のみで鍛造した筒を複数使い、焼き嵌めたものにアームストロング砲がある。


 この試みは上手くいき、ようやく実用的な大砲が完成した。


「まず何といっても特徴は鉄のもつ耐久性です。肉厚が薄い分、青銅砲よりも軽くなり、耐久性はその倍以上はあります」


 砲身は鋳造の内筒と錬鉄の外筒の層成構造となっている。内筒は鋳型の中に中子を設けて鋳造している。中子自体は古くからある手法だが、これは中子に水を循環させて砲身の内外を均一に冷やす水冷中子になっている。これによって砲身の強度を高め、寸法精度を高めている。そして出来上がった砲身に動力大槌で成形した錬鉄の筒を焼き嵌めて砲身が完成する。


 また砲身を載せている前車にも改良が加えられている。従来のは水平射撃が主体で、また砲撃のノウハウが無かったことと砲撃時の反動による損傷を防ぐために仰角は抑えられていた。

 しかし、経験と技術の蓄積により、頑丈で軽い砲架の開発が進んでいた。また戦場で柔軟に運用できるよう仰角を大きくとれるようになっている。


「はあ、こいつは凄いな。分かった。取り敢えずこっちでも試験するが、構わないか?」

「勿論ですとも。ただ、結果が良かったならば――」

「わーってるよ。ちゃんと報奨金を出すさ。楽しみにしておくといい」


 ワッ、と職人たちが湧く中、実元は思わぬ産物にこれで製造コストがちょっとでも減る、と心の中でガッツポーズをしていた。


 その後の試験が行われたが、結果は良好。今までよりも軽いから馬の負担も少なく、また柔軟に使える事から砲兵たちからの評価は高かった。

 鍛鉄砲は青銅砲より生産に手間がかかるものの、値段も青銅砲より少し安く、材料の鉄を自国で生産でき、また連続砲撃が可能で耐久性が高いことから陸軍では青銅砲と入れ替わる形で徐々に普及していく事になる。



3.一領具足と無法者


 里見家が拡大したことにより、今までできなかった制度が次々と実施されるようになった。


 一領具足もその一つである。

 正式には地域歩兵連隊制とやや堅苦しい名称なのだが、半農半兵で支給される具足が一組だったことから一領具足と呼ぶ者の方が多かった。


 この制度では村々の貧富や割り当てによって差は出るが、およそ十人に一人の割合で村は健康な男子を供出しなければならない。その代わり、出した男子の家には一定の田畑の開墾許可と税の免除という大きな飴があったため、想定以上に人員が集められた。


 人員は部屋住みの三男四男であったり、貧しい小作人、人狩りに遭って買われた者と様々だ。

 多くは従順で田畑を手に入れようと訓練に勤しんでいたが、例外もいた。


 いわゆる、無法者である。

 家で働かず徒党を組んで自由に過ごし、略奪と暴力を好む暴れん坊。雑兵として戦に参加した者も多いのもあって度胸もあり、どこでも手を焼く存在だった。 

 そんな彼らは一領具足の話を聞くや、直ぐに飛びついた。


「陸軍とやらに入れば侍だって? はッ、なら俺様が行って大名まで出世してやるよ!」

「おら、酒と飯を持ってこい! あ、銭ィ? それなら今度侍になるっからよぉ! そん時に一気に払ってやんよぉ!!」


 侍になれば多くの家臣に傅かれ、楽な生活ができる。彼らの中では陸軍に行くこと、つまり一領具足になることは確定事項であり、今の不遇の状況から抜け出せられる絶好のチャンスとみたのだ。


 村としても折角の田畑と自衛のための兵を貰える機会を潰したくなく、また恥部である彼らを表に出したくなかったのだが、それで止まるなら苦労しない。自分達を推薦するよう徒党と共に暴れまわったり、村のまとめ役らを恐喝して強引に迫ったのだ。


 裕福な村ならば面子のため、ここで犠牲を出してでも討伐する――実際、報告では各地で野盗(・・)との小規模な戦闘が起きていたという――のだが、弱小の村落に過ぎない彼らには一人でも犠牲者が出てしまえば村が立ち行かなくなる。


 結果、根負けした村は彼らを送り出し、その裏では領主へ慌てて詫びを入れに行き、事情を説明した。


「あー、やっぱり問題児も結構いますねぇ……」


 各地から上がってきた報告に、実元はぼやいた。集められた無法者たちは雑兵に博徒にやくざ者など様々だ。領国内が裕福になり娯楽も増えたため、働かなくてもそれなりに生活できるようになった影響もあった。


「なに、問題はない」義舜は答えた。顔には深い笑みが浮かんでいる。

「それだけ生きが良い、という事だ。それに、この程度なら教育でいくらでも矯正できる」


 「あれだけ元気なら少し強めに絞っても良いな」と、楽しそうに彼ら用の訓練を考える義舜に、実元は心の中で彼らに黙とうを捧げた。


 それから半年後――。


 年の瀬も押し迫るころ。

 とある村では、村役人たちが集まって顔を突き合わせていた。誰も彼も顔色が悪かった。


「あの悪童どもが帰ってくるが、どうする?」

「だから、どうしようもないだろう……」


 彼らの村は半年前、無法者たちを送り出していた。しかもそのリーダーはかつて襲ってきた野盗を返り討ちした、近隣でも評判の暴れん坊だった。

 お陰で村は野盗には襲われなくなったものの、彼に従うようになった者らと徒党を組んでは好き勝手なことをして過ごすようになり、そして侍になると言って出ていった。

 その男と子分たちが、戦い方を覚えて戻ってくる。


 それが恐ろしくて仕方がなかった。


「おい、不味いぞ! あいつらが帰ってきた!」


 息を切らして駆け込んできた村人に、役人たちの行動は早かった。念のため女子供は家に入れ、戦える者には槍や刀を持たせた。彼らは半年前にこうすれば良かったと悔やむが、もう遅い。

 数は五人。一人も減っていないことに村人たちは舌打ちした。

 

 しかし、その姿がはっきり見えると村人たちは怪訝な表情になった。

 彼らは揃いの赤褐色の服を纏った小奇麗な姿となっていた。ほうぼうに伸びていた髪や髭も揃えられ、こざっぱりとしている。手には長槍を、腰には刀を差していた。また彼らの背負子と一頭の見事な体格をした馬には、山のような荷物を積んでいた。

 彼らは村の入り口に着くや、そのまま一糸乱れず整列し、無言で村長へ敬礼を向けた。


「よく、戻った」


 いきなりの仕草に村長は面食らったが、どうにか言葉を吐き出した。


「はっ、村長。中村の茂助以下五名。ただいま帰還しました」 

「…………え?」


 誰だ、こいつら。


 村人たちの心は一つになった。

 少なくとも、散々馬鹿にしていた村人たちの前で背筋を伸ばし、きりっとした真面目な表情で直立不動でいたことなどなかった。


「……これは、どこで手に入れたのだ?」村長は再び絞り出すような声で言った。

「はい、村長。これは先日行われた戦での、自分たちへの褒賞であります」

「戦? 確か遠くで行われたと聞いているが……」

「はい、村長。下総国の匝瑳郡で行われた戦であります。自分は多古城の攻城戦にて一番槍を上げたため、殿よりお褒めの言葉と褒賞を頂いたのであります」

 

 一番槍。それは凄まじい戦功なのだが、誰もが彼らの変わり果てた姿に呆気に取られているせいで特に声を上げることなくスルーされた。

 その後も二つ三つと質問を飛ばしていくが、逆に謎が深まるばかりだった。 


「村長、ひとつお願いがございます」

「……なんだ、申してみよ」


 村人たちに緊張が走った。


「はい、自分たちは今まで大変なご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。従いましては、この褒賞を皆で分けて欲しいのであります」

「…………あぁ?」


 一斉に頭を下げた元無法者たちに、誰もが激しく混乱した。その後、いくらか押し問答があったが、村長が根負けして受け取ることになった。

 元無法者たちはキビキビとした動きで手土産を持ってそれぞれの家へ戻っていくと、取り残された村人たちは積み上がった米俵や干し魚を前に、その場で呆けたように棒立ちするばかりだった。

 

 その後、村の至る所で似たような光景が見られ、噂で他の村々でも同じような事があったと聞くことになる。

 また以前と違って朝早くから田畑を開墾し、その合間に訓練と具足の手入れを行う姿がよく見られるようになった。


 村人たちは、陸軍とは凄いところなのだなと思った。


 なお、彼らが村へ出した褒賞は正月を盛大に祝うために使われ、後に彼らが凱旋してくる度に村では祭りが行われるようになったという。


誤字・脱字、また感想などありましたらお願いします。


以前に投稿した話をちょこちょこ修正していく予定。内容は表記ゆれの修正が殆どですが…。


2025/06/01 文章の大幅な修正を行いました。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] >時だけがゆるやかに流れる。 >はあッ! >裂帛の気合と共に、刃が筋兜に振り落とされた。 この部分なんですが掛け声を入れずにそのまま描写だけで進めたほうが文により緊迫感が…
[一言] 展開に行き詰まっているというのなら、南洋方面への探検航海とかどうでしょう? 銚子より北は同盟国の佐竹に任せられますし、館山から三浦ラインを押さえられているなら、 あとは相模湾に注力すればいい…
[一言] …刀、ですか…。 この時代、集団戦の主体なので、刀はあまり重視されてなくて、主要武器は槍だった筈ですね。 (この時期の色々な逸話でも、槍が主体です。) ただ、この作品の場合他の軍記物との…
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