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第32話

お久しぶりです。

 里見勢が匝瑳郡で暴れ回っている頃、千葉宗家の本拠である佐倉城(現在の本佐倉城)では今日も無意味な会合が続けられていた。


「今すぐに海賊共を討伐しろ! 近隣の国人共は何をやっているのだッ!?」


 下総千葉氏第二十六代当主、千葉(ちば)親胤(ちかたね)は上がってくる報告に癇癪をおこし、そして重臣らを集めるや金切り声で当たり散らしていた。

 親胤はいま齢十五の、色白でひょろりとした男である。苦労を知らない小さなうりざね顔に青筋を浮かび上がらせ、扇子で畳を叩き続けている。


「現在、鏑木殿が軍勢を編成中です。整い次第、東総へ向かわせますゆえ、それまでのご辛抱を」


 最前列にいる家宰の(はら)胤貞(たねさだ)が答えた。初老の男で、身体つきは枯れ木の様だ。顔は深いしわだらけで髪は白く薄くなっている。しかし、下総国にいる殆どの者がこの草臥れた老人に対して畏怖の念を抱いている。

 胤貞の父の代より親北条路線の中心的存在として家中の敵対派閥を抑えこみ、また家宰として実権を握り、築き上げた権勢は千葉宗家を上回っていた。またその手腕も確かで、この戦乱の世の中でも大名千葉介を今も保たせていたからだ。


「辛抱? 辛抱せよと言ったか!? その言葉、もう聞き飽きたわッ!」


 ひと際大きく扇子を叩き、唾を飛ばして面罵する。


「なぜ今になっても救援が出せん!? 兵がいない? 陣振れを出せばよかろう!? もしくは北条めに軍勢を出させろ! いつも貴様が頼りになると吹いていたではないかッ!!」

「はぁ、それがですね。北条殿の主力は越境してきた越後の長尾殿と相対しており、また三浦では〝黄八幡〟と〝槍大膳〟が睨み合いを続けている状況です。近隣の江戸衆は里見水軍によって抑え込まれており、流石の北条殿でも今すぐにこちらへ救援を寄こすのは無理かと」

「――どいつもこいつも! 回るのは口だけで、全く役に立たんッ!!」

 

 激情のままに思いっきり扇子を叩きつけるが、へし折れて指を強かに打った。親胤は痛みと羞恥から顔を真っ赤にし、残骸を原の顔に投げつけた。


「とにかく、はよう成り上がりの海賊共を叩き潰す方法を出せ! それが貴様らの役目であろうに!」


 結局、親胤にとって良い案が出る筈もなく。会合はその後も親胤が喚くだけ喚き、そして疲れると苛立たし気に居室に戻ったところで終わる事になった。



「やれやれ、御屋形様にも困ったものだ」原はぼやいた。

「確かに東総から里見を叩きださないと拙い。だが、肝心の兵が居なければどうにもならんというのに……」


 そして自身の居館に戻るや、近習が急報ですと告げた。


「どうした? 今度はどこが落ちた?」

 

 原は溜息交じりの口調で言った。里見方が下総へ侵攻してきてまだ一月と少し。しかしその間、十以上の要害が降伏、もしくは里見方へ内応し、開城となっていた。


「はい。鏑木城、椿海城、八日市場城など椿海周辺の主だった城砦は陥落。これを受けて府馬や椎名ら国人衆は里見に恭順したの事です」

 

 思わず顔を覆い、天を仰いだ。余りにも速過ぎる陥落である。

 椿海は東総地域の大動脈というべき場所だ。香取海の影響で真水が貴重な東総において枯れる事がない水源であり、また川船による流通網、そして香取海と上総国を結ぶ中継地として大きく栄えている。特に近年では品質の良い麻織物や木綿、大量の魚や塩などがここを通って下総へと流れ込んでいた。

 ここが抑えられたという事は、千葉が東総への影響力を大きく失う事を意味していた。


「里見勢はいまや三千に膨れ上がっており、士気も高く、また高価な鉄砲に大筒を大量に揃えています。それで攻め込まれればどうにもならないかと……」

「(……家柄がどこも高く、ほぼ対等なのが仇になったか)」


 千葉氏は戦国大名、いや日本でも屈指の古族である。当主は千葉介と代々名乗り、平安末期より四百年もの間、下総国の国主として君臨していた。時代が変わる毎に多くの名族らが戦乱の世に飲み込まれて没落し、消えていった事を考えれば、これは凄まじい事だった。

 だが、室町時代中期。関東地方における戦国時代の発端とされる「享徳の乱」の際、原胤房が千葉宗家に攻め入り、これを滅ぼす事件が起きた。これ以降は千葉家の支配が揺らぐ事になり、各地で小領主が乱立するようになる。

 それでも千葉家が持っているのはその古い血筋を誰もが「便利」で「有用」と見ており、原と鏑木、そして木内の千葉家三家老が必死に支えているからであった。


(……鏑木が軍勢を派遣できるよう準備しているが、これでは無理だな。誰も大事な兵を他家の為に出したがらん)


 この時の下総千葉家を風刺した狂歌に「千葉に原。原に高城と両酒井」という言葉がある。

 千葉を支えているのは原であり、その原を支えているのは葛飾郡東部を統治する高城氏、東金と土気の酒井である、という意味だ。

 千葉よりも原の方が兵の動員数が多く、原よりも地方の豪族である高城や両酒井の方が軍事力は勝っていた。千葉氏や原氏はその歴史の長さと多過ぎる分家で力が分散しており、一族内での主導権争いで疲弊しているのだ。


 もっとも、これは原に限った話ではなく。木内や鏑木も似たような状況である。彼らが山室や井田などの有力国人衆が居ない状況で兵を集めようとしたら三百が良いところだ。

 そして千葉の軍事力を担っていた両酒井に山室など纏まった兵数を出せる国人衆は殆どが東総地域に領地を持つ。 


 勿論、皆が一致団結すれば戦えるだろう。鏑木と木内が手を組み、更に桜井城の上代や森山城の海上、小見川城の栗飯原に大須賀などで連合を組み、地の利を生かして里見を迎撃する。

 だが、これはまず無理だろう。必ず揉める。まず在地の領主は自身の領地が戦場になる事を嫌う。戦場になれば軍勢による略奪や暴行が起き、土地は荒れて今後の統治が難しくなる。そして指揮権の問題があった。誰もが自分が最も偉いと考えており、陣中での席順や言い方でも揉める。

 数を揃えても烏合の衆であれば意味が無いのだ。それが分かっているから誰も彼も貴重な兵を出したがらないし、対等か下に見ている者の指揮下に入りたいとは思わない。


「(最早どうにもならんな。だが、とにかく時間を稼がなければならん……)お主の裁量に任せる」

「ははっ、では適当な雑兵と米と銭を揃えておきます」


 さすが我が近習よと原は笑みを浮かべ、直ぐに使いに出した。

 

 正直、ここで損切りするべきだと原は考えていた。

 今から東総へ進軍しても取り戻せない。それならば椿海周辺は里見にくれてやり、手打ちにする。そして残った領土を固めつつ時期を見て北条の援軍とともに東総を奪還する。原も一時的とはいえ東総の領地を失い、また出費は痛いが、これならまだマシ(・・)な将来が見える。


 だが、千葉介である親胤はまず認めない。碌に苦労もせず若くして千葉介となった彼は今の負け続けの状況を決して認めず、癇癪を起こしてひたすら喚くだろう。また周りの近習が親胤に耳触りの良い声ばかりを言い続けて煽っている。

 止められる立場である後見の鏑木も分かっている筈だが、今の彼に止めることは出来ない。一刻も早く本拠地である鏑木城を奪還しなければ自身の立場が危ういからだ。また原がここで停戦を呼び掛けても負け続けの現状だ。止まるはずがない。これ幸いと己に反発する者共が攻撃し始め、家中での争いを大きくしてくるだろう。彼らにとって下総東部での出来事はまだ遠い国の話なのだ。


 それだけは避けなければならない。故に、時間を稼がなければならない。

 里見だってこれだけ短期に城を落とし続けるのは負担は大きい筈だ。どこかで一息つく。その時に救援と北総の国人衆で撃退出来れば最上。駄目でも本佐倉城まで攻め込まれる前には北条が兵を出す時間ぐらいは出来る。


(まあ、どちらにせよ待っているのは苦難か。あとは、御屋形様の喚きに付き合わんといかんか……)

 

 原はありありと思い浮かぶ未来に嘆息し、頭の中でどうすれば家を残せるかを考えながら積みあがった書状の処理に取り掛かった。



 天文二十三(1554)年十一月下旬 下総国 鏑木城


 椿海城を落とした水軍はそのまま義舜率いる陸軍と合流。そのまま椿海周辺の城を落としていき、匝瑳郡を占領。連戦連勝、我らを遮るもの無しと里見方の将兵は沸いていたが、同時に限界も出始めていた。


「休息ですか」

「そうだ。ここで一息入れたい」


 義頼が呟いた言葉に義舜と時忠は同時に頷いた。いま、この部屋の中にはこの三名しかいない。他の転生者や重臣らは城と屋敷の復旧のために忙しく動き回っており、部屋の外からは声と作業する音が入り混じった喧噪が聞こえてくる。 


 理由は、兵の疲労である。

 陸軍は華々しい戦果を挙げているが、連戦に次ぐ連戦で少しずつ被害が出始めている。というのも、下総国の国人衆の大半は連携すること無くバラバラに動きまわり、そして蹴散らされている。

 これが問題だった。


「兵がまっっったく足らん! 合戦(ドンパチ)やって、占領した領地と城砦の復旧に百姓の慰撫と今後の取り決めの確認をして、それから合流した雑兵共の監視をしつつ治安の維持をしながらこれ以上の攻勢なぞ出来るか!」


 これが陸軍の総意であった。

 思っていた以上に下総国の状況が良くないのだ。下総国の郷村の管理が甘く、また敵方の雑兵たちは曲がりなりにも武装している。それも大半は食い詰め者がであり、彼らが村に帰ったところで待っているのは村八分という生き地獄である。

 これらが行きつく先は野盗しかなかった。纏まった集団を作っては食糧のある村や小荷駄隊を探し回り、襲いかかってくるのだ。ただでさえ土地勘があり、しかも生き残るために死に物狂いで突進してくる。中には有能な指揮者がいるのか少人数で小荷駄を強襲し、積み荷と馬を略奪し、残りは火をかけて手早く逃げていくので地味に辛いのだ。


 とはいえ、こちらは徐々に鎮静化しつつある。

 元々、里見家はゲリラ戦を得意としており、その対処法もよく分かっていた。また風魔たち忍びも良く働いてくれる。

 協力する者には仕事と食事を与え(特に小規模でも隊を指揮できる者は好待遇だった)、反抗する者は徹底的に山狩りを行う。ゲリラ戦をするには近在の村々の協力が必要不可欠だ。補給できる場所を潰してしまえば野盗は勝手に弱っていく。

 勿論、こちらに協力する村々には備蓄していた雑穀に九十九里浜で大量に獲れる魚を景気良く振る舞い、年貢の比率を下げて訴状の仲裁を推し進めることで安定化を行っている。


 また野盗からしても下って問題無し――流石に他の者らと同じではなく、放火・強盗・殺人などの犯した罪によって作業の軽重を付け、特に重罪を犯した者は処刑することになる――となれば食事と仕事にありつけるとあって、無理に野盗を続ける必要が無くなりつつあった。


「ただまぁ、それでも野盗は出るし、意地でも協力しない村もある。協力すると言って渡した食糧を横流しする所もある。ここを今後も領地として維持するのであれば、本腰を入れて取り掛かりたいというのが本音だ」


 隣村=別の国と考えているこの時代の百姓たちにすれば、他所の村まで行ってしまえばもう自分たちには関係ないと考える。特に匝瑳郡は椿海の水利権による揉め事の多い地域だ。もし再び襲撃してきてもいい様に対策だけは行うが、それだけだ。

 一気に片付けるなら兵を募集し、大増員を行えば良いのだが、今度は兵站が持たない。物資と銭はあっても、それを采配できる人員がいないのだ。


「雇ったばかりの雑兵では兵站の采配なぞ出来ませんからねぇ。かといって、今いる人員でこれ以上は手が回りません。まあ、今でも手が回っているとは言い難いですが」


 これに面々は乾いた笑いをこぼした。

 物資の買い付けにそれを運ぶ人馬の手配と管理。更にやってくる商人や遊女への対応も兵站の分野である。この采配する人の手が回らなければそれだけで混乱が起きる。

 既に一部では伝達の混乱が起きて中継地で積み降ろされた物資が放置され、野ざらしにされた武具が痛み、大事な食糧が腐っていく。一見して愚かに見えるようなトラブルが各地で起きていたのだ。


「ともかくだ。このまま戦うにしても、兵も疲れている。これ以上進むなら安房と上総に残る連隊と合流しないと無理だな」

「それだと採算が取れませんので、ここを領国化するという名目で軍勢を整え、適当なところで切り上げたいのがひとつ。あと、これ以上は内陸部に入ります。下総台地を超えなければならないのが……」


 渋い表情になった義舜と時忠に、義頼は疑問が芽生えた。輸送の負担が大きくなる陸路を嫌うのは当然だと思っているが、話に聞く限り下総台地はそこまで危険なのかと不思議に思ったのだ。


「そうか、義頼はこっちに来るのは初めてだったか」


 その事を正直に伝えると、義舜は一人納得した表情となった。


「そうだな。以前にもここを北上して椿海を渡り、対岸にある府馬から香取郡へと移動したのだが、これがな……」


 下総台地によって形成された下総の地形は、谷戸と呼ばれる山と山の狭い谷に水田が作られている。この時代の道は馬一頭か兵が二人並んで通れる程度の狭い道が基本で、地形に合わせて上下左右にうねっている。そして両脇は泥田か、木々が生えた斜面。低い山だけとはいえ、装備を付けたまま幾つもの山を上り下りするのもしんどい山道だ。


 現在、里見方がいるのは外房、九十九里浜周辺を拠点としている。椿海を占領した今、内陸に行こうとすると下総台地を超えて香取郡に出る必要がある。香取海へ通じるにはこれが最も近い。

 里見家の主力は槍兵と銃兵で、弾薬の補給の問題から今まで落とした城は全て川沿いか、海沿いの地域である。採用している戦術と弾薬の問題から、全て領国から運ぶ手間が必要だからだ。

 対して、下総の国人衆は槍や刀、弓といった従来の武具。最悪、竹槍や投石でも戦える。つまり、食糧さえあれば戦えるのだ。


 もし仮に、自分が下総の国人なら、どう動くか?


「手勢を率いて待ち伏せ。山道を歩く敵勢が細く伸びたところを横合いから思いっきり叩きますね」


 その回答に、義舜は満足げな表情で頷いた。

 

「そうだ。混乱する敵兵を分散化させ、そこを国人衆ごとに襲い掛かられれば幾ら連隊であっても敗北する」


 義頼がこの世に来る前まで、かつて里見家も北条相手によく使った手である。

 見通しが悪い狭い道の中を地の利が無い軍勢が、人馬に大量の物資を担がせて長蛇の列をなして歩くのだ。

 もう襲ってください、と言わんばかりの状況である。

 いつ襲われるか分からない状況でずっと警戒し続けるのは熟練の兵であっても無理だ。例え練度の低い雑兵であっても、勢いをつけて突っ込めば襲われた軍勢は混乱する。遮蔽物が多い山間部、それも接近戦では鉄砲は役に立たない。囲んで叩けば十分勝てる。

 後は運んでいた糧秣と死んだ敵兵の武具を回収すれば補充も出来て相手も弱体化でき、一石二鳥の結果になる。


「これに加え、香取郡では砦の建設が進められているようです」


 下総入りした商人からの報告によれば、府馬城を北に行った小見川の平野部、特に東庄から香取神宮周辺にかけて多くの戦時用の城砦が建てられているという。恐らく、過去に構築して破棄したものを整備し、復旧させたのだろう。どれも小さな縄張りで壕と土塁、木柵で囲んだだけのものだが、少なくとも三十以上はあるとの報告に顔を顰めた。


 また小見川・東庄にいる主な将だけでも、千葉宗家の家老職であり、千葉三家老の一つ、米野井城主の木内胤倫。平安末期より小見川を本拠とする千葉氏重臣、粟飯原(あいばら)常次。

 そして、現在の下総千葉宗家当主の兄であり、森山城を本拠とする海上(うなかみ)九郎胤富(たねとみ)。後の下総千葉家、第二十七代当主だ。


 この面々の居城は東総でも規模が大きく、兵数も集めれば多い。疲弊し、弾薬も少ない状況で無理して下総台地を超え、これらを相手にするのはかなり無理があった。


「奴らも防備を整え終わるまでは動かん。それならこっちも占領した土地を安定化させ、調略で国人衆の切り崩しに取り掛かった方が手っ取り早い」

「となりますと、主力は鏑木城ですか?」

「ああ。どうやら準備ができ次第、千葉はここに軍を派遣するらしいからな」

「……その報告は聞きましたが、いくら何でも無謀だと思うのは私だけですか?」

「安心しろ、俺もだ。まぁ、あちらさんの面子と都合のせいだな」


 義舜としては実のところ、主力は整備したばかりの坂田城に置きたい。治安も良く物資集積所としても優秀で守りやすく、防御力も高い。だが敵の狙いが鏑木城の奪還と分かっている以上、動かすことが出来なくなった。お陰で兵站の維持に手間がかかって仕方がなかった。


「だが、ここで敵の軍勢を撃退すれば今回の戦も終わる。そうなればやっと青子との式を挙げられるんだ……」


 義舜はやっと見えてきた未来に、嬉しそうに薄く頬を緩ませていた。


「はいはい、御馳走様です」


 惚気に当てられた義頼は苦笑いを浮かべた。ただ、それまでの仕事と訓練にしか興味を持たなかった兄が、良い意味で人間臭くなったことに嬉しくもあった。


「では、水軍は兵站の維持と民衆の慰撫に努めましょうか」

「ああ、それなんだが」義舜が言った。「水軍には別に頼みたいことがある」

「別の?」

「義舜様、そこから先は私が」時忠は断りをいれ、義頼へ身体の向きを動かした。

「実は、水軍には外川の攻略を頼みたいのです」

「外川……、銚子をですか?」


 これに義頼は不思議そうな表情を浮かべた。この時代の銚子は決して裕福ではない。それも農業も漁業も碌にできない地域だからだ。


 銚子と言えば温暖な気候と三方を海に囲まれた立地を生かして農業と漁業が盛んなイメージがあるが、この時代では水は湧水と天水だよりであり、潮風の影響で農業がやりづらい環境にある。

 そのため漁業と交易に注力するしかないのだが、ここで問題になるのが日本三大難所の一つに数えられる銚子の潮流の激しさだ。小型船はおろか、大型の弁才船ですら流される潮流の速さに加え、現代は多数の漁船と巨大な湾港がある銚子口は水深が浅く岩礁も多いのだ。


 銚子が栄えるようになるのは江戸期に入り、利根川東遷事業による安定した交易路の確立と鰯漁による干鰯、そして現代にも続く醤油の生産ができる様になってからである。また銚子口が現代のようになったのは、大正期に大規模な河口部の浚渫と整備を行ってからだ。

 もっとも、湾口を整備したところで潮流の危険度は変わらないし、香取海の水上交易路を使えば安全かつ早く確実に常陸国へ輸送できる事もあって投資に見合わない。

 

 そのため銚子で栄えているのは海上氏の本拠である中島城下の三つの港、現在のかもめ大橋一帯が香取海の交易路の終点となっている。

 そして外川は銚子半島の下部にある、太平洋に面した地域だ。源義経伝説のある千騎ヶ岩や犬岩がある地だが、近海での小規模な漁業と高神愛宕山から採掘できる石材が主産業であり、香取海の交易路から大きく外れていることから小さな集落があるのみである。


「んー。干鰯と、常陸との交易路の安定化のためですか?」


 時忠からの頼みだとすると、義頼にはそれぐらいしか考えられなかった。


「ええ、勿論それもありますが、ここいらで香取海の通商に一枚噛んでおきたいのがありまして」


 もし外川に里見の廻船が自由に使える湾港と灯台があるだけでかなり変わる。航海の安全度だけでなく、今まで港ごとに中継していた品物が直接運ぶことができ、より安価で大量に持ち込むことができる。そうなれば今まで遠く、仲介を頼むしかなかった香取海の交易路にも手が届くようになる。


「現状では外川からは陸路になりますが、他家を挟まずとも香取海の交易路と接続できるようになります。そうなれば安価で大豆や麦、鉄が手に入ります」


 新鮮な海の魚に大量の塩、そして里見にしかない高品質の布に酒は以前より人気の商品だ。それが安価に供給できるとなれば、普通の商人なら喰いつく。これで香取海に浸透していき、今後の下総攻略の足掛かりにしたい考えであった。


「んん? 香取海の交易ならば外川では……。ああ、香取神宮ですか」

「はい。香取神宮の目の前で戦をするのは、流石に刺激が強すぎますからね」


 香取海の水上交易路を持つのは、香取神宮である。今の戦乱の時代でかつては七十七あった河関と港は在地の国人衆によって奪われて大きく衰えているが、その影響力は絶大だ。

 話が戻るが、もし下総台地を超えて香取郡に乱入すれば目と鼻の先に香取神宮がある。ここで戦をすれば確実に影響があり、香取神宮の名の下で下総の国人衆が団結するきっかけを与えかねない。また国人衆らから港と領地を奪い取っても元は香取神宮のものだった場所が多く、これで心証を悪くしたくない、というのが本音だった。


「んー……」


 これに義頼は悩む素振りを見せた。内心ではもうどうするか決まっている。


(まあ、これは受けた方がメリットが多いな)


 義頼からしても、この申し出は悪くない、いや、かなり嬉しいものだった。

 外川は整備すれば使える場所だ。今は小さな集落だから領地の管理も楽。鰯などの魚が豊富で交易の運上金も入る。

 また未だ理解はできていないが、新兵を中心に戦いたいと陳情を挙げている者が多いのだ。

 これについては義頼も分かっている。先日の、椿海城の攻略に参加できた者ら(特に新兵)が事あるごとに己の武功を自慢しまわっているからだ。

 これは新兵特有の、いわゆる童貞を済ませた者のものらしく、興奮気味に人を撃った斬った感触や戦の雰囲気を話しているから、それに当てられた者らが騒いでいるのだ。

 

 今は抑えつけているが、陸軍の活躍と比べて地味な作業の多い水軍で鬱憤が溜まっている。このままだと何処かで暴発しかねない、というのが安泰ら水軍の将らの意見だった。

 外川は人も少なく、近くにあるのは城と言うよりは陣屋だ。彼らからすれば物足りない相手だろうが、まあ武功は武功だ。ガス抜きには丁度良い。

 でも中島城の海上氏が少し問題か。調略するか。香取海の交易で里見との窓口になれると言えば喰いつくかもしれない。


「――わかりました。水軍は外川の攻略に向かいましょう」

「助かる」

「ありがとうございます」


 そして数日後。

 義頼ら水軍は主だった艦を引き連れて全力で外川に強襲。短時間で陥落させた。

 戦慣れした兵からすれば呆気ないものだったが、地元国人衆の抵抗とその後の中島城の海上氏らによる猛反撃――裏で打ち合わせ済みであり、見た目は激しくぶつかっているが実際には死傷者がほぼ居ない――で、戦の雰囲気を味わえた新兵達には満足できるものだった。


 また十二月に入り、鏑木城の奪還のためにかき集めた兵を率いて鏑木らが近隣の国人衆と共に襲来。

 そして義舜率いる里見方の圧倒的な火力を前に敗退。

 里見氏はそのまま武射郡と匝瑳郡、銚子南部の領国化を進めていく事になる。

 

誤字・脱字、また感想などありましたらお願いします。

内容は薄いですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです

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― 新着の感想 ―
[良い点] 待っておりました! [一言] 義舜兄さん、それは死亡フラグという奴では……
[良い点] 嬉しい驚きです。 今後も宜しくお願いします。
[一言] (つд`)お疲れさまです
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