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第31話 夜襲

申し訳ありません。前回投稿した話が何か気に入らないので、書き直させてもらいました。

ご迷惑をおかけしますが、どうかご理解のほど、宜しくお願いします。


楽しんで頂ければ幸いです。


下の図は、戦国時代の東総地域になります

挿絵(By みてみん)


 下総国 九十九里浜 沖合 旗艦 春風


 この日、義頼は艦内の狭苦しい個室で書類の処理を行っていた。

 艦尾の窓から入る陽光で部屋の中は十分に明るい。漆塗りの小さな机の前に座り、右の船箪笥の上に積み上がった書類の山から一枚とる。内容は倉庫の普請が終わったことが記されていた。一読して花押を書き、処理済みの木箱へ入れて次の書類――近くの漁村からの訴状と、これに対する仲裁案だった――を吟味する。


 領地というのは戦で勝利すれば直ぐに自領になるという訳では無く、様々な手続きがいる。ざっくりと言えば、まず国人衆や地侍に忠誠を誓わせ、郷村に領主が変わった事を伝え、そこで年貢や賦役などを話し合い、決めなければならない。これが拗れると年貢の徴収が出来なくなってしまい、最悪一揆が起きてしまう。


 そのため、義頼・安泰・時忠ら水軍は坂田城が陥落したと聞くや即座に動いた。この時、彼らの手には落城のどさくさに紛れて根こそぎ掻っ攫った、三谷一族が管理していた台帳に近隣の郷村の訴状があった。


「これさえあれば国人のしけた財貨なぞいらん。何処に誰がどれだけ住んでいるのか。貫高は幾らで、誰が利権を握っているか。領内でどんな問題が起きているか。全て丸分かりになる」


 金穀は使えば無くなるが、台帳は今後ずっと使える金のなる木である。


「あとはこの台帳と訴状を元に、彼らに必要な事をすればいい」


 今回の戦が起きた理由は飢えである。腹が減って狂暴ならば、飯を食わせて大人しくさせれば良い。そこで戦勝に喜んでいた井田に言いつけ、近隣の村々から人を集め、肉や山菜などの具がたっぷり入った雑炊と焼き魚を振る舞い、こう告げたのだ。

  

「これより、ここは里見と井田の領地になった」

「今年はこれ以上の年貢は無しだ。春の種籾は必ず確保せよ」

「もし仕事が欲しければ仕事をやろう。雇われている間は飯と給金を出そう」

「水利権は纏めて取り上げる。その上で各村へ用水路の整備を行い、全員に平等に分配する。ただし、修繕費として積立金は取る」

「我らに属する行商人を定期的に派遣しよう。物は売るし、物があれば買い取ろう。必要なものを言えば次に持ってくるだろう」

「何かあれば訴状でも落首でも良い。訴えでよ。必ず吟味し、裁定を下すことを約束する」


 効果は、覿面であった。

 郷村の長達は納得し――納得するしかないのだが――、直ぐに里見家による支配を受け入れた。

 そして溜まりに溜まっていた調停に名乗り出たために、村同士の争いは一応の解決を見せた。最も、またいつか同じ問題は再燃するだろう。彼らもそれを折り込み済みであった。


「村の為になるならば、必要ならば追加で年貢を出すし、賦役に人を出す。敬意も見せよう。ただし見返りが無ければ何もせん」


 つまるところ、百姓にとって誰が国人であり、誰が大名だろうが同じなのである。己らが苦しい時に助け、争っている時には決断を下し、一時的にでも矛を収めさせてくれる名分を出してくれれば良い。いなければ何時までも争いを続けなければならず、お互いに疲弊して生活が成り立たなくなるからだ。


 黙って高い年貢を払っているのは領主が都合の良い存在であり、利用価値があるからだ。もし仮に使えなければ近隣の村々と結託して年貢は払わないし、改善を要求する一揆を起こす。

 それぐらい、昔の百姓たちは逞しかった。


 さて、栗山川系の水運が使えるようになると、これに目端の利く商人たちが動いた。彼らは先の乱入騒ぎで戦となると確信し、食糧を買い集めていた。勿論、価格が高騰しないようにだ。

 この商人たちは大半が時忠が勝浦に来た際に従属させた海賊衆である。その際に近隣を震え上がらせた海賊から庶民に愛される商人へと転職していた。まあ、時と場合によっては海賊に戻るのだが。


 故に目も良く、耳が早く、鼻が利く。そして口も回る。

 里見軍が下総国へ侵攻するやいなや、備蓄していた食料を大小の商船に限界まで載せて兵站の一部を担い、食糧を売り、戦場で出たものを買い取っていた。 

 そして、栗山川の流域は広い。ここで上手くやっていけば新しい販路が築けると、大いに奮い立った。


 これらにより、旧三谷領の全てが使えるようになった。栗山川に接する坂田城という中間集積地が手に入ったお陰で兵站の構築はかなり楽になった。城は最低限の修復をした程度だが、物資集積地として使うには十分である。牛尾城・多古城は栗山川近くにあるため、川船を使えば補給もしやすい。運ぶ人夫は村から出してくれるし、船は商人が出してくれる。

 陸軍は補給切れを心配する必要が無くなり、今では牛尾城・多古城の攻略に取り掛かっていた。

 

「どうぞ」

 

 義頼は書状に花押を書きながらノックに答えた。


「殿、失礼します」声の主は信高だった。

「艦長からの伝言です。陸から信号を受信。短艇が戻ってきます」

「分かった。直ぐに向かう」


 短艇が戻ってくると言う事は、何か急用があると言う事だ。そういう事になっている。

 義頼は筆記具を片付け、手早く身なりを整えるとゆったりとした歩みで艦尾甲板に出た。


 秋晴れの心地良い日である。先日までの嵐は過ぎ去り、今は澄み渡るような青空が広がっていた。ここいらでは珍しく海も穏やかで、風向きは南西の微風。投錨している[春風]はほぼ真後ろから弱い風を受けながら右へ左へゆったりと揺れ動き、黒潮のうねりが艦底をくぐる時にはぐっと浮き上がった。


 義頼は辺りを眺めた。九十九里浜のどこまでも続く白い砂浜に黒い人だかりが見え、凄まじい活気に満ちていた。

 太鼓の音と扇子を振り上げる網元の合図と共に、半裸の男達が「ソイヤ、ソイヤ」と威勢の良い掛け声を挙げて地曳網漁をしていた。そして引き揚げた銀色に煌めく大量の魚を笊で掬い、浜辺にぶちまけていく。


 無尽蔵に獲れる鰯はそのまま半月から一月ほど浜辺で天日干しにして干鰯(ほしか)にするか、一部は海水で煮て絞り、魚油と〆粕になる。魚を分けるのは老人や女子供の仕事であった。背負った竹籠に(アジ)(サバ)(ボラ)などを入れていき、掘っ立て小屋のような作業場で干物にされる。

 そして、山のように積み上がった魚油の樽や干物の俵物を前に、仲買人と商人達が値段を交渉していた。


 商人達の中には千葉方の者もいるが、彼ら相手でも変わらず売買する。これも調略の一環であった。既に里見方の商人と風魔達は千葉氏の所領に潜り込み、売買を行いながら世間話や噂を庶民に広めていった。


「いやぁ、里見家の支配下になった匝瑳に行ったんだけどよ、凄ぇぞ。このご時世なのに税はえらく安いし、皆たらふく飯は食えるわ、仕事も山ほどあるんだ」

「え、そんな嘘を言うなって? いやいやホントなんだって! これらを見ろよ、みんな匝瑳から買ってきた品物なんだよ」

「ここだけの話だが、里見家は九十九里浜で獲れる魚が目当てらしい。その魚を大量に手に入れるためだけに人手を搔き集めて、漁業に魚の加工場や港の普請に当たらせているんだ。今すぐに欲しいって急がせているから、飯も銭もたっぷり出るって訳だ」


 と、そんな話を広めていった結果。

 まず流動性の高い舟暮らしの海民が、次に明日の飯も仕事も無い流民と貧農がやって来るようになった。つまり、食い詰めて兵になる者がごっそりこちらに来た事になる。故に千葉家側では陣振れを出しても兵の集まりが悪く、初動が遅れる結果になってしまった。


「殿、短艇が戻ってきました」安泰が告げた。

「うん。あれは小太郎かな」


 浜辺からやって来る短艇の舳先には春風の所属を示す旗が掲げられている。今は風が弱いため、赤裸の水夫たちが掛け声とともに艪を漕いでいた。舷側から縄梯子を降ろすと、短艇から風魔小太郎が甲板に上がってきた。

 

「殿、ただいま戻りました」小太郎が言い、義頼も敬礼で答えた。

「こちらを」


 小太郎は懐からさっと書状を取り出すと、恭しく義頼に手渡した。


「――まぁた兄上は、派手にやってるねぇ」


 手渡された書状を読むや、義頼は呆れた表情を浮かべた。

 

「この間、坂田城を落としたばかりだというのに、もう牛尾城と多古城を落としたのか」

「はい。どうやら、殿が送った食事で元気になられたようです」


 小太郎が軽い調子で答えると、義頼は「そりゃ良かった」と大笑する。

 

「まあ、残念な事にあれの備蓄は無いんだけどね」


 あの後、民衆に飯を振舞った際に全て使い切ったのだ。特に余っていた堅パンは石塊と蔑称されるだけあって歯が欠けるほど硬い代物で、しかも古くて蛆虫が沸いている状態だった。

 それでも食えるから、と蛆虫は取り除いて木槌で砕いて雑炊に入れたところ、食べ応えがあって満腹感が得られると好評だった。なお、虫は魚や鳥の餌となった。


「安泰、朝方に良い形の(タイ)が上がっていた。補給の追加で兄上の所に送っておいてくれ」

「はい。殿、伊勢海老(イセエビ)もあります。醤油と薬味を一緒に送りましょうか?」

「そりゃ良いな。それも頼んだ」

「了解しました。では、そのように」


 敬礼後、安泰は直ぐに声を張り上げ、矢継ぎ早に指示を出していった。

 陸軍は快進撃を続けているが、それだけ兵の負担は大きい。落とした城には城番を置き、陸軍は坂田城まで戻ることになっている。

 水軍が送った新鮮な魚や酒などの補給は、きっと疲れた彼らを楽しませ、英気を養ってくれる筈だ。


「で、小太郎。調略の方はどうだった?」

「はい。飯倉城と井戸野城の椎名は応じました。こちらに手勢を連れて参陣するとの事です。八日市場城と椿海城は拒否。抗戦の構えを見せております」

「そうか」


 椎名は先日、攻め落とされた坂田城の三谷氏の家臣だ。坂田城の籠城戦では多数の兵を失い、そして飯倉城は坂田城と近い。この状況下では抗戦出来る筈もなく、里見に転ぶしか生き残れない。

 八日市場城の押田昌定は勇猛果敢な武将であり、また千葉家三家老で千葉宗家の後見を務める鏑木氏の一門である。椿海城も武勇に秀でている――確か安房里見氏の祖と兄弟だった海保氏の一族――城主が入っていた。


 ここで調略できれば楽だったんだがなぁ、と義頼は内心ごちていると、信高が再びやって来た。


「あの、殿、昼飯の時間ですが、どうなさいますか?」


 ああ、もうそんな時間か。空を見上げれば、確かに太陽が中天にかかっていた。ただそんな気分ではなかった。正直に言えば、今日はずっと個室で書類作業をしていて腹が殆ど減っていなかった。


「そうだ、小太郎。時間はあるか?」


 義頼がぱっと思いついたことを口に出すと、小太郎は僅かに眉根を寄せ、当惑した表情を浮かべた。


「はい。問題ありませんが」

「なら良い。良かったら一緒に食べないか?」

「有難うございます。喜んで」


 小太郎は小さく笑みを浮かべて頷いた。風魔には昼食を摂る習慣は無かったが、仕事の後なので腹は減っていたのだ。何より、主君からそのような誘いを受けた事が嬉しくてたまらなかった。


「安泰」

「はい、直ちに」


 そして大声で指図し、数人の水夫達が艦内から折り畳み式の食卓を置き、床几を並べていった。そしてその上に様々な馳走を並べ始めた。今日の昼飯は雑穀入り玄米の大きな握り飯に若芽(ワカメ)芋茎(ズイキ)の味噌汁。生姜と唐辛子を利かせた胡瓜の佃煮。そして新鮮な秋刀魚の塩焼き。これに冷たい麦茶がつく。


「これは馳走ですな」 


 と、小太郎は進められるままに椅子に座り、机の上に並んだ盛りだくさんの馳走を見渡した。房州に来るまでは生活が苦しい事が多く、贅沢する事など出来なかった。今では禄も良く、腹一杯に食べられるようになったが、やはり米と味噌汁、そして山育ちの風魔にとって新鮮な海の魚は何よりの馳走であった。


 三人が席に座ると、碌に腹が減っていない義頼はゆっくりと味わうように食べ始めた。

 それを見た安泰は思い出しかのように甲板当直にも交代で食事を摂るよう命じると、握り飯をむんずとつかみ取り、いつも通りに旺盛な食欲を見せつけた。小太郎はやや戸惑った様子だったが、一口味噌汁を飲み始めると驚いた風に目を開き、そして美味そうに飲み干した。そしてお代わりを貰い、安泰と同じように握り飯を頬張り、これまた嬉しそうに秋刀魚の塩焼きを食べ始めた。


 今は戦中だというのに、柔らかい陽射しの中で昼食を食べ、談笑するのは楽しいひと時であった。艦はゆりかごの様に揺れ、爽やかな風と索具が軋む音が心地良い。向こうに見える九十九里浜の白い浜辺に白く泡立った波が打ち付け、人々が祭りのような賑わいを眺めるのは妙に面白く感じられた。


「それで、小太郎」


 食事を終えたところで、義頼は切りだした。


「書状を見た。兄上からの許可は取れたが、仕込みは出来ているか?」

「いいえ」


 飾り気なく、小太郎は短く答えた。


「どれくらいかかりそうだ?」

「早ければ今日中に。城の見取り図がまだ届けられておりません」

「ふむ」


 義頼は顎に手をやると、一つ一つ確かめるように言っていく。


「郷村に協力を取り付けられたか?」

「はい。減税と乱取りを禁止するならば味方すると話が付きました」

「寺社は?」

「寄進と引き換えに協力。百姓の説得し、争いには静観するとの事」

「敵勢の兵数は?」

「兵が百。城主や家臣の家族などを含めて百五十ほど」

「兵の内訳は?」

「大半が雇われた雑兵。村から出される兵も雇った人足や小者を使っています」

「攻略には間諜が必要だ」

「はい。手の者を浪人として入り込ませました」

「よくやった」


 満面の笑みを浮かべて義頼は言った。


「有難うございます」


 頭を下げる小太郎は、湧き上がる感情を表に出さないよう努めた。

 義頼は安泰をチラリと見やった。安泰は頷き、用意していた小さな布の包みを手渡した。中には義頼の花押が書かれた包金が一つ入っていた。


「御庭番頭、風魔小太郎。此度の功績に対し、褒美として金十両を与える」

「ははッ!」


 金十両! たった一度の活動で、金十両!

 思いがけない大金に、小太郎は心が躍った。聞き耳を立てていた水夫が羨まし気な声を上げているの聞き、ずっしりと重い包みを貰うと心の中で叫び、得意満面になる。

 

「喜んでくれたようで何より」義頼は言った。「安泰、水兵と水夫の選抜を頼む」

「では、やはり?」

「ああ」義頼は笑みを深めた。

「城攻めだ。見取り図が届けられ次第、水軍は椿海城を落とすぞ」



 暗闇の中、椿海へ通じる川をあがる船団がいた。漁船や伝馬船に扮した里見水軍であった。今回、水軍が派遣したのは艦載艇と小早の計八艘。九十名ほどが時間を置いてばらけながら、しかし椿海城へ目指している。


 これだけの人員を乗せていても、誰も不思議には思わない。

 戦時であっても、百姓の営みは変わらない。むしろ戦時なのでいつも以上に米俵や塩を目一杯に載せ、椿海一帯を活発に行き来していた。この艇も偽装の為に米俵を載せ、筵を張っているためパッと見は兵船だと分からなくなっている。


 そして今、椿海の出入り口を監視する椎名ら国人衆は里見方についた。なので上陸するまでこの船団を止める者はいない。

  

 義頼は短艇の中で仰向けになって夜の空を眺めていた。前世よりも星が近くに感じられ、綺麗だった。

 義頼だけでなく、舳先で船頭を務める御子神土佐と舵柄を握る信高、そして艪を懸命に動かす水夫以外は狭い短艇で身を縮こませ、息を潜めていた。


 御子神は[春風]に所属する、海戦や上陸戦の際に先陣で切り込む水兵隊長である。他の水兵と同じく麻の軍服に無骨な鉄鉢兜(ヘルメット)を被り、胴丸を着けただけの軽装だ。それでも最新の兵器である鋼輪式滑腔銃(ホイールロック・ガン)を背負い、二刀を差している。 


 他の水兵たちも同様の装備だ。ただ、狭い短艇の中で鎧姿の乗員が多いとやはり息苦しい。艪受けが軋む音を立て、ザバザバと海水が跳ねて時々身体に掛かり、軍服と陣羽織に海水が染み込んで重くなる。


 義頼は抱えていた鉄鉢兜を口元に持ってくると深く溜息をついた。春風に乗っていた時の安心感は無く、不安と緊張のみがある。この一種の冒険のような戦でここにいる誰かが、また自分が死ぬかもしれない。


 そんな不吉な考えを振り払えば、次は今までの準備について浮かび上がった。

 出発前の準備は、それはもう酷い騒ぎだったのだ。


 そも、連日の陸軍の華々しい戦果を聞いていて自分も活躍したいと願う者は多かったのだ。そこに義頼が爆弾を投下したからだった。


 元々、水軍の兵は殆どが土地を持たない海民だ。船で暮らし、漁師や水夫として、また海賊として生活をしている。生きていく以上、何かしらの勢力と関わりを持っているが、確固たる基盤がないため貧しい暮らしをしている。


 普段から自然や襲ってくる海賊を相手にしている所為なのか荒っぽく、また船上は酷く蒸し暑くて足元が不安定であるため具足どころか服も着ず、褌一丁の赤裸という勇ましすぎる格好であった。そもそも武具を揃えられない、という問題もあった。


 流石にそれでは拙い。今回の作戦は上陸戦、城攻めである。今の彼らは漁師ではなく水兵であり、大事な同胞である。簡易でも鎧を着けさせたのは少しでも生きて帰らせたいという願いもあった。それに、兜を被っていれば死んで首になったとしても上士格として認められる。つまり、敵に粗雑に扱われず故郷へ帰ることも可能なのだ。


 義頼にしてみれば銭も武具もある。できる限りの事をしてあげたい、とただそれだけの事だった。

 だが、この武具を受け取った水兵達はそうではなく、みな感激しきり、中には咽び泣く者まで出た。当惑する義頼を他所に、今回の戦は殿の為に、そして自分の為にも必ず成功させると意気込んでいた。


 そして、今回の戦はリスクが小さく、勲功が稼げる場でもあった。


 下総国には国人衆が独立した勢力として乱立しており、一国人が村落から動員できる兵数は多くても数百。千葉家三家老の一人であり、現在の千葉宗家当主の後見を担っている鏑木氏ですら兵三百が精々である。しかし、小領主が住むには不相応な規模を持つ城郭が多く、中には千の兵が籠城できるようなものもある。

 これは海上交通網が発達しており、交易が盛んなことから土地の収量以上に兵が他所から集めやすいこと。また近隣の在地領主、一族など関係のある将らの援軍を向かい入れて戦えるようにしているためであった。


 しかし、今回はそれは機能しない。事前に風魔によって郷村への調略が行われたからだ。

 彼らに税が安くなると謳い、暮らしが楽になると噂を流せば村の有力者達の耳にも入る。この時どう判断するか彼ら次第だが、はっきりと優劣がつくまで積極的に動くのは少なくなる。その後で新しい支配者へ恭順を示しても遅くはないし、支配者が変わらなくても戦で消耗する。そうなれば村を罰することは出来ないからだ。


 また、これによって椿海城の兵の質と数は落ちる。いくつかの郷村は里見方につくとしているが、領主側にも里見方が負けた場合の保険として兵を出している。といっても、村でも貴重な戦い慣れした百姓ではなく、銭で雇い入れた小者を兵として供出している。戦時なので人身売買も盛んであり、値段も安いからやられても大した損害にはならない。

 

 そして水兵達は房総海賊として活動もしていた。闇夜に小舟で渡海して敵地を襲い、放火に略奪は手慣れている。余りの手際の良さに北条が手を焼き、中々有効な対策が打てなかった程である。


 夜討ちに慣れた熟練の兵。士気軒昂。仕込みも十分。敵兵の練度は低く援軍は出ない。郷村の面々は碌に戦わない。

 やれない事は、ない。しくじらなければ勝てる。


「殿、岸が見えました」


 御子神からの報告に、義頼はもう一度、不安を吐き出すように息を吐いて身体をゆっくりと起こした。輪郭だけ見える岸辺には三つ四つの人影があった。見張り兵のようだ。こちらに気づき、怒鳴り声を上げた。


「誰だ!」

「儂が行く。続け」


 言うや御子神は勢い良く船から跳躍すると、中空で抜刀し、声も出させず瞬く間に兵を斬り捨てた。そして後続に二人三人と水兵が飛び出し、唖然とする敵兵を一人ずつ斬り捨てていく。残っていた水兵達も順次飛び降り、力一杯に短艇を押して浜に引き上げる。


 義頼はゆっくりと船から降りた。小走りに浜を進むと、足が何かを蹴っ飛ばした。それは雑兵の生首だった。浜辺に転がる首が止まり、濁った眼がこちらを見ていた。

 ぎょっとなって身体を硬直させると、生首は兵の一人に髪の毛を掴まれ、手慣れた様子で浜に転がる死体と一緒に草蔭へ投げ捨てられた。

 全てが静かに、整然と行われている。しかしそれが現実のものとは思えなかった。

 

「殿、他に敵は居ないようです」

「よし」ここは敵地だ。気を張りなおす。

「又助、又助はいるか?」


 呼ばれた安西又助は直ぐにやって来た。


「事前の打ち合わせ通りに行く。私は大手門に回る。又助は手勢を引き連れて搦め手を攻めろ」

「はッ」 

「出来る限り騒がしてくれ。では武運を祈る」


 又助は敬礼をするや、直ぐに駆け足で兵の半数を引き連れ、搦め手門へと向かった。それを見送った後、義頼達も大手門へ動き出した。


 ここから椿海城の大手門までの坂道を歩くことになる。御子神と腕の立つ水兵四名が先行し、そこから離れて義頼ら兵四十名が続くことになる。

 道は踏み固められているが、砂利が多くて踏んだ時に足の裏に刺さって痛い。必死になって小走りに進み続ける。途中で歩哨に出会う。即座に御子神らによって斬り捨てられ、適当な草陰に片付けられていく。


「――殿、風魔小太郎です」


 その時、ヌゥと義頼の真横に小太郎が現れる。信高らが短く声を上げ、慌てて腰の太刀に手をやる。


「落ち着け、味方だ。刀を抜くなッ!」 


 義頼が低い声で後ろの水兵達に伝えた。暫くカチャカチャと音が鳴り、再び静まり返る。

 

「……風魔、戦中だ。普通に出てこい」

「それは申し訳ありませぬ」

 

 言葉通りの所作で謝る小太郎。しかし何となくだが、暗闇の中で茶目っ気のある表情をしているのが分かった。

 はしゃぎ過ぎだ、と思わず半眼になると、小太郎はそれに気付いたのか、小さく笑みを浮かべた。そして居住まいを正すと片膝をついて頭を垂れる。


「手の者、配置につきました。何時でも動けます」

「よろしい。動きは任せる。好きにやって構わない」

「御意」


 小太郎は心底嬉しそうな声を残し、再び暗闇の中へ消えていった。


「……良い性格しているよ、ホント」

「は?」 

「いや、独り言だ、気にするな」

 

 隊は再び前進を始める。

 程なくして坂道が終わり、小高い丘の上に出る。同時に、椿海城から半鐘が喧しく鳴り響いた。椿海城の方からだ。雄叫びと爆発音が聞こえる。音がした方向へ目を向ければ、城下にある村からは火の手が上がった。忍び込んだ風魔が夜討ちをかけて騒がしているのだ。


『火事じゃ、火事じゃぞ!』

『敵だ、敵襲だァ!』

『敵が搦め手から来るぞォ!』

『おい、大手門からも敵が来た!』

『村の中も敵だらけじゃぁ!』

『火攻めじゃ、火攻めじゃぞォ!』


 村の至る所で声が上がる。風魔達は繋いであった馬を奪い、これに乗って油を詰めた焙烙玉を取り出し、点火器(ライター)で器用に火を付けて投げ入れている。まき散らかされた鯨油が家屋を燃やし、四方八方に紛れ込んで流言と勝ち鬨をあげている。

 本当に良い働きをする、と義頼は二ィと笑みを浮かべるや、水兵達に振り向いた。


「総員、弾を込めろ」


 胴乱から取り出した紙薬莢の端を口で噛み切り、鉛玉を咥える。火皿に玉薬を落とし、銃口から注ぐ。紙はクシャクシャに丸め、口から吐き出した鉛玉ごと押し込み、索杖でガシガシと突き固める。 


「敵勢は混乱している。命令があるまで止まるな。大手門に向かってひたすら前進するぞ」

『応!』


 同時に、一糸乱れぬ動きで隊伍を組む。先と同じく御子神と水兵が楔形を作って先行し、その後ろを隊伍を組んだ水兵達が駆けだす。

 大手門が見えてきた。門には町から焼け出された領民が殺到していた。同時に、城兵にもこちらの存在がばれた。


「そうだよなぁ、見捨てられねぇよなぁ。大事な領民だもんなァ」


 太鼓の音とともに大手門が開く。そこから刀や槍を持った雑兵に騎馬武者らが喊声を上げてバラバラと出撃し、領民を中へ入れる。搦め手にも人手を回したようで、数は五十ほどと多くない。

  

「銃兵、構え」


 兵達が進軍を止めて身を躍らせる。撃鉄を起こし、素早く隊形を四列横隊へと切り替わる。

 前段二列の銃兵が膝立ち、立射で鋼輪式滑腔銃(ホイールロック・ガン)を構える。距離百歩ほどか。向かってくる雑兵に対して照準を合わせる。


「撃てェ!」

 

 見事な一斉射撃であった。二十の鉄砲が猛然と火を噴き、突出していた敵の前衛を狙い撃つ。硝煙の臭いが鼻を突いた。


「次弾装填! 後段、前へッ!」


 前段の水兵達はじっと前方を見据えたまま無言で先と同じように弾込めを始め、後段二列がその前に出る。構え。


「撃てぇ!」


 轟音。今度は先程よりも多くの敵兵が悲鳴を上げて倒れ伏す。立ち止まっており、また先よりも近づいていたからだ。

 この二斉射で二十名近くをやった。悪くない。これなら四斉射は要らないか。


「後段、抜刀。前段、射撃用意」


 奇妙な静けさが辺りを覆った。その間、城兵は驚く馬を宥め、呆けた様子で動かないでいた。

 ようやく気を取り戻した頃には水兵達が立ち上がって倒れ伏した城兵を踏みつけながらゆっくりと前進し、先より近くで再び銃口が突き出していた。

 雷のような音を轟かせ、歓声も上げず、ただ無言で死体を踏み越えてくる恐ろしさに、椿海城の城兵はただ怯えてたじろいでしまった。


「撃てェ!」


 三度目の轟音。悲鳴。更に多くの兵が倒れ伏し、呻き声を上げることになる。


「首に構うな、全て斬り捨てろ! 突撃ィ!!」


 号令と共に水兵達は打って変わって鬼の様な形相で狂ったように蛮声を上げて突っ込んでいく。轟音で腰砕けになっていた多くの雑兵達が背を向けて逃げ始める。椿海城の城兵は抗戦の意思が折れてしまった。指揮者であるはずの騎馬武者ですら馬首を翻し、背を向けて逃げ出そうとしていた。

 

 そして、恐怖に身を縮こませた城兵の群れに水兵が襲い掛かった。

 義頼も歪んだ笑みと蛮声をあげ、抜き身の太刀を片手に狂乱の中へ飛び込んだ。背を向けている者は襲わず、向かってくる者だけを相手にする。


 目の前に現れたのは素槍を構えた雑兵だった。怯えた表情のままへっぴり腰で突き出してきた槍先を踏み込んで躱し、肩からぶつかるよう体当たりする。その勢いのまま仰向けに倒れた雑兵の首へ太刀を突きこむ。ごり、と硬い音と共に刃先が滑った感触が伝わる。そのまま両手で柄をぐっと握り、思いっきり横へ掻き切る。首から血が盛大に噴き出し、べちゃりと顔を赤く染めた。

 

 義頼は金気臭さに顔を歪めながら袖口で軽く拭い、素早く辺りを見渡した。突撃は成功し、水兵達は蛮声を上げ、命令通りにひたすら逃げ惑う敵を死体に変えている。踏み止まっていた騎馬武者は既に馬上から引きずり落とされたようで、主人のいない馬だけが戦場を彷徨っていた。

 

「殿、ご無事ですか!」


 息を切らしてやって来たのは信高だった。興奮と返り血で真っ赤になった顔に安堵の表情を浮かべ、片手には血濡れた太刀を持っている。

 意外に思った。軽く聞いてみると三人斬り倒したらしい。普段の自身の無さとは違う、将らしい頼もしさが見えた。


「こちらへ。馬を用意しております」


 水兵達が手綱を引いてきた馬――先の騎馬武者の馬だった――に乗り、夜討ちを駆けていた風魔達と合流する。彼らは楽し気に笑っていた。

 義頼は小太郎の案内の元、椿海城へ向かった。

 城からの攻撃は全く無く、大手門は先の領民に扮した忍びによって開けられている。残っていた城兵は既に逃げ出すか、突入した水兵によって斬り捨てられた死体があちこちに転がっている。こちらの軍勢は勢いのままに攻めつつも敵兵を丁寧に追い込んでいった。敵が待ち構えているだろう井楼櫓や横矢掛かりには鉄砲を撃ち込み、焙烙玉を投げ込んで潰していく。


 そして空が白みだし、夜が完全に明ける頃には椿海城は最後の一郭、城主の立て籠もる主郭を残すのみとなっていた。

 椿海城の主郭は堀と柵で囲まれた小さな曲輪であった。奥には城主が籠っているいるらしい小屋と半壊した井楼櫓があった。唯一の出入り口も木橋が取り除かれており、誰も出入りする事が出来なくなっている。

 その周りを、又助の別動隊と合流した里見勢が包囲していた。


「殿、配置が終わりました。いつでも攻勢に移れます」


 信高が言った。椿海城の城主はまだ発見されていない。搦め手は最初に別動隊を率いる安西又助らの一隊が封鎖しており、程々に銃撃と投擲を加えて逃げ出せないようにしていた。


「ご苦労」義頼は言った。「信高、降伏勧告を出せ」

「はい!」


 形式通りの勧告を出す。

 さてどうなるか。これから死兵となった相手と戦いたくはなとは思った。

 暫くして、城内で動きがあった。必死に傘が振られたのだ。降伏の合図だった。


「みなを集めてくれ。戦は仕舞いだ」


 終わりは呆気ないな、と義頼は思わず呟いた。張り詰めていた緊張の糸が切れ、大きく息を吐くのをこらえる。心の中は色んな思いでごちゃ混ぜになっていた。


 ともかく、兵に勝鬨を上げさせ、義頼は又助達が城主を連れてくるまでに身だしなみを整えることにした。いま思えば、顔中が血や汗に塗れたままだった。敵将に合うにはみっともない。

 腰から下げた水筒から手拭いに水を垂らし、ゴシゴシと顔を拭く。生暖かく白かった手拭いは真っ黒になった。

 残った水を呷ると、ようやくほっとした。

 そして周りに気付かれぬように小さく安堵の息をついた。


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