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第24話 嵐の前に

お待たせしました。

楽しんで頂ければ幸いです。

 安房里見家当主、里見義堯の嫡男であり、佐貫城主、里見義舜は世間からは勇猛な武将と言われ、用兵、特に足軽(里見家で言う歩兵)の扱いが巧いことで知られていた。

 これは推進した軍備の改革の成果によるものと、義舜自身の性格が大きかった。


 まず、前提として里見家の兵は農民ではなく海民が主体である。今でこそ陸軍・水軍と分けているが元は海賊衆上がりの者ばかりなのだ。海民は土地に縛られない為に流動性が高く、また装備も貧弱であった。

 いわゆる侍と呼ばれる者は槍や具足をどうにか揃えているが、大半の者が手に持つのは使い古して草臥れたものや竹を加工しただけの武器で、防具も素肌か赤裸の者。つまり衣服を纏っているか、褌のみの者が多かった。

 そこいらの百姓に竹槍を持たせたような軍勢だったが、里見家も民衆も貧乏人ばかりなので仕方ない部分もある。具足は高級品で、しかも潮の影響で直ぐに駄目になってしまう。それに着ていると蒸し暑いし泳ぎづらいというのもあった。


 また、この時代の戦とは必要な時に募集するので殆どの兵は軍事訓練なぞしない。精々、太鼓や号令に合わせて前へ出るか、槍で叩くとかその程度しか出来ない為、少しでも自軍の分が悪くなればさっさと逃げ出すか、有利な方へ裏切ってしまうのが普通なのだ。事実、戦が終わって勝利した軍勢の数を数えてみたら、何故か戦前より数が多かった、なんて事もある。


 それでも北条氏と戦えていたのは、彼ら自身に敵が多いこと。房総半島特有の地形とゲリラ戦を得意としていたことと、水軍が精強であったからだ。

 まず房総半島の周辺海域は熟練の海民ですら難儀する潮流の速さに、浅瀬で入り組んでいるため小型船でしか近づけられない。「房総里見軍記」には里見水軍には石船と呼ばれるものがあり、大力の者が石を持ち上げ、敵船に投げつけては船を破壊し沈めた。また素潜り漁が発達していた所為なのか水練が達者な者が多く、敵船に乗り込んで武者を見つけては組み合い、やおらに海中へ飛び込んでいく。両者ともに溺死したかと思えば、里見方のみが浮き上がり、船に戻ってまた武者と組み合って沈めていくのを繰り返していく、というような事が書かれている。この世界でも同様のことが行わていた。


 仮に海を突破しても、房総半島で上陸できる場所は限られており、急峻な地形も多い。大軍を展開できる場所は限られており、少勢で守るのに適している。ここに地の利のある里見氏が手勢を分けて夜討ち朝駆けを仕掛けて撤退に追い込んでいた。勿論、北条氏もじっくりと腰を据えて攻略していけば里見氏も敗北したが、駿河の今川家、甲斐の武田家、上野国の上杉氏や長野家と、彼ら自身の敵の多さがそれを不可能にしていた。

 

 しかし、前の歴史では北条氏は同盟を結び、また周辺の国人らを抑えて拡大していった。

 それを知っているため、里見家の軍事力の強化は急務だった。義舜は他の面々と共に改革を行って資金を蓄え、その金で「不利になっても逃げださない兵の育成」と「装備の充実化」を図る事になった。


 まず用意されたのが里見の兵と分かる様にと陣笠に柿渋で染められた赤褐色の軍服。畳具足に雑嚢(ざつのう)脚絆(ゲートル)、褌に足袋と草鞋が必ず兵に配られた。

 陣笠が有れば日差しや雨、また頭への攻撃を多少でも防ぐ。畳具足は厚手の布に鉄の小札を縫い付けた簡素な造りだが、安く軽量で山岳でも動きやすく、それなりの防御力はある。脚絆と足袋、草履は脚の疲労を抑える効果があった。軍服は義舜の思いもあって洋装だったため、慣れない服による混乱も見られたが、これが兵に対する特別感を出し、更に連帯感を強める効果があった。


 この時には会合の面々らの奮闘によって金属の輸入量も増え、麻織物や皮革が量産されてこれらを支給できるほど余裕があったのもある。あとは剣鉈・円匙(シャベル)と、兵科ごとに長槍・刀・弓といった武器が貸し出されることとなった。


 そして領国支配も安定し、交易と捕鯨などによって資金が増えてくると火縄銃と大砲の配備を特に進めて火力を増強。そして、大量に必要となってくる弾薬と食料、水などの物資を輸送する為の兵站の構築。


 最も重要なのが、教育。これら兵器を有効に扱うには規律を守り、効率良く動かせられる軍が必要となってくる。いきなりやってもその有用性の証明と、教育するためのノウハウがある者がいない。


 まずは、徴集した兵らに教育を施すことが出来る者の育成。禄の少ない土豪や浪人、農家の次男三男坊などを集め、いわゆる教導隊を設立した。ここで、義舜はかつて所属していた陸軍式の教練を基にマニュアルを製作。これを実施し、軍兵の質の向上と統制するための規律を定めた。


 当然、今まで余り行われなかった厳しい訓練と細かい規律に反発する声も大きかった。

 だが、訓練中も衣食住を提供し、給料を必ず支払っていた事。義舜自らが率先してやってみせ、何度も言い聞かせ、出来た者には分かりやすく褒めて見せた事。

 これら義舜の細心、困難にあたっては率先して苦労を分かち合う態度が、彼らの心を動かすことになった。

 

 以後、彼らは義舜の言う事に耳を傾け、そして実行する。ただ聞くだけでなく、よく話し合い、有用なモノならば承認する。そして彼らは義舜によって「振武隊」と名付けられ、義舜直属の部隊として実戦に参加し、大きな戦果を挙げた。これでようやくその有効性が認められるようになった。

 その後、彼らは他の兵の育成に取り掛かり、そして最近になってようやく陸軍の形となってきた。


 この功績と兵と苦労を共にする性格から人気が高く、次の里見家当主は確実と言われている義舜だが、ある欠点があった。

 それは室、妾ともに女性が側にいないということ。これは致命的と言っても良いことだった。

 義舜は幼少より神童と呼ばれ、故に元服する前から多くの有力者たちが縁談を持ち掛けていた。それに大名の嫡男であり、武術全般に秀で、軍略も義堯から意見を求められるほどであったため、これで繋がりが持てれば一族の発展間違いなし、他の家より一歩どころか二歩三歩は前に出れるはずだからだ。

 

 だが、義舜は縁談を全て断っていた。持ち掛けてきたのは正木氏や土岐氏、中には佐竹氏からも打診があったという。いずれも大名クラス、特に佐竹氏と婚姻を結べれば同盟は強固なものとなり、対北条との協調もしやすくなったはず。義舜はそういった利点を知っていながらも断ったのだ。

 流石に家臣らからも不満が出たが、義堯が義舜の意固地さに呆れながらも「好きなようにさせよ」と言ったことで渋々と引き下がることになった。

 義堯が認めた以上、今までのように縁談攻勢をかけるのは拙い。不評を買いかねないからだ。


 それから女性を傍に置かないのは、女性が嫌いだからじゃないか、という意見が出た。

 つまり男色家、衆道である。

 成程、男色は武将の嗜み。そして「風流の花」と呼ばれた崇高な趣味とされており、寵愛を受けた者は出世のきっかけとなる。

 そこで今度は見目良く、優秀な少年青年を義舜に送り出したが、これも駄目。むしろ男色を嫌っており、後に痴情の縺れによる傷害事件や感染症を防ぐためとして男色を禁ずる触れを出すぐらいであった。

(最も、これは転生者たち全員が男色嫌いであり、「ここにいる面々とおホモ達になりたくないです」という共通の認識があったのが一番の理由であった)


 女性は傍に置かない、男色は嫌い。極稀に、義堯が命令で有力どころの娘と引き合わせたり、時茂や時忠、家臣である実元などが義舜も誘って色街に繰り出す事もあるが、それだけ。それ以上に仲良くなろうとか、また次も客としてくるとかそういった事は一切無い。

 これがずっと続くとなれば、誰もが「早く室でも妾でもいいから、子を成してくれ」と懇願するようになっていた。

 義舜だって人の子。何時死んでも可笑しくはないのだ。それに家臣らからすれば、義舜が居なくなれば自分たちが食い扶持が無くなってしまう。

 現代で言えば一族丸ごとリストラされ、収入が激減、もしくは消えて路頭に迷うことになるのだ。

 だからこそ、誰でも良いから早く室を入れてくれと必死だった。家臣の中には他の兄弟へ鞍替えする者も現れていたが、それでもなお、義舜は断り続けた。


 義舜は、昔から一人の女性を想い続けているからだった。



 天文二十三(1554)年三月上旬 上総国 久留里城


 三浦水軍に動きアリ。 

 この知らせを受け、里見家では直ぐさま緊急の会合が行われた。

 会合に集まったのは当主である里見義堯、その子の義舜、義頼。直臣の土岐為頼、正木時茂、時忠。陪臣である安西実元、岡本安泰である。


「現在、潜り込ませていた忍びからの報告によれば、物資の大量買い付けが起きており、また商船や漁船などが次々に徴発され、三崎城に新井城、浦賀城の三浦水軍が活発化しております。また――」


 義頼が話を続けようとすると、部屋の外にいる近習が伝令です、と声を上げた。義堯は入室を許可する。風魔小太郎だった。義頼様、と声を掛け、一枚の紙切れを渡す。腕木通信から新たな信号を受け取ったのだという。内容を一読した義頼は小さく頷き、労ってから下がらせる。


「何があった?」義堯が訊ねた。

「館山城からの情報です。三崎城に大型軍船、恐らく安宅が数隻、相模より回航された模様です」


 この報告に誰もが顔を顰めた。物資の買い付けに船の徴発、そして軍船の回航となれば此方へ侵攻してくると考えられるのだ。


「しかし、分からんな。なぜこの状況で動く?」


 義堯が小さく呟く。上野国では大勢は決しているものの、関東管領が未だ焦土作戦で粘っている。先の江戸湾海戦での損害。そして、房州の逆乱の早期終結。これを考えれば、まだ北条は動かない。動けない筈なのだ。出席者達は机の上に広げた地図を見やり、現在の情報を基に地図上に置かれた駒を動かしていく。


「戦の準備にしては、玉縄城の綱成が動いていませんね。となると、湾内の防備を固めただけでは?」

「そうだな。江戸湾内に北条方の船は残っているが、まだ痛手から回復していない筈だ」

「いえ、前回のように既に人員だけを回したのかもしれません。また三浦水軍を北上させるとも考えられます」

「むぅ……」


 義堯は唸り声をあげ、どう対処するべきか思案していた。恐らくは時忠の言う通り、まだ防備を固めただけに思える。

 この時忠の予想は当たっていた。氏康は江戸湾の沿岸部にいる国人衆からの懇願に近い要請を受けており、先の海戦での敗北による影響力の低下に歯止めをかけようとしていた。

 江戸湾と武蔵国を走る河川は下総国、常陸国、上野国を結ぶ重要な航路。特に上野国ではの山内上杉家との戦が激化しており、ここが不安定化すれば今後の拡大化に影響が出てしまう。

 

 しかし、生半可な軍船では里見が海防艦と呼ぶ大型軍船には対抗できず、また少なくなった水軍を分散させる訳にもいかなかった。

 そこで最新の軍船かつ防御力も高い安宅を配備する事で「北条は見捨てることはない」とアピールし、守りを固くしようとした。これが今回の真相だった。

 

 しかし、里見家にとっては堪ったものじゃなかった。

 安宅が江戸湾内に入る。それだけで十分に脅威だった。安宅は当てはめるなら戦艦の様な存在だ。性能ならば海防艦の方が断然上であると義頼ら水軍衆は断言するが、近隣の海賊や国人衆にとってはどちらも恐怖の対象だった。むしろ、得体の知れない形をした海防艦より、関船のスケールアップである安宅の方が分かりやすく脅威的に見える。


 つまり、このままではようやく制海権を手に入れた江戸湾が再び不安定化し、里見家の勢力圏が大きく後退しかねないのだ。

 静観すればこの先も数を増やしていくと考えられ、また先の実例、江戸湾に水軍を編成して強襲させるのも有り得る。


 里見家は江戸湾内に出っ張っるようにある冨津岬以南は沿岸の海城を強固に築き、各所に腕木通信を備えた番所や物見櫓によって連絡を密にし、直ぐさま応戦できるようになっている。この為、北条水軍は小舟数隻によるゲリラ活動しか出来なくなっていた。


 だが、その北となると微妙なものになる。

 江戸湾内も安西氏旗下の海賊が多くいるものの、千鳥型は極僅かで旧来の小型船が多い。反抗的な者は先の反乱で排除できたが、未だどっちつかずな土豪が多く、水軍の整備はようやく始まったばかりなのだ。


 対して、江戸湾内は北条方である玉縄海賊が勢力を及ぼす海域でもあり、北条は漁業特権と引き換えに葛船という大型船での操業を許可しており、多数の船を抱えている。


 これに大筒を配備し、大軍がやって来ればどうなるか? 戦闘になればまだ良い。かの地域は里見・北条どちらにも帰属する半手が多く、また江戸湾内の海賊は旧来の、情勢に流されやすい海民である。条件次第では嬉々として北条方を迎い入れかねない。

 江戸湾海戦で有利になった状況が、全てひっくり返されかねないのだ。


 そうなれば金谷城、勝山城、岡本城、館山城の水軍を救援に向かわせることも難しい。数の多い北条水軍に対抗するにはこちらも全艦出さなければならないが、三浦半島と内房の距離の関係上、お互いの動きは良く分かるのだ。片方が動けばもう片方も動き出すため、三浦水軍と途中でぶつかる事になる。そうなればお互いに被害は免れないうえ、こちらの水軍が勝利したとしてもその後に消耗した状態で江戸湾内の北条水軍と戦うのは難しい。内房に襲来する水軍を防げない。


「……ならばいっその事、先手を取りましょう」


 義舜が言うや、全員が顔を向ける。


「こちらから、三浦を攻めます。鎌倉まで行けば、北条も内房へ手出し出来なくなるでしょう」

「……大永六年(一五二六年)の三浦攻めのようにか?」

「はい」


 これに義堯は苦い表情になった。思い出したくない理由があった。

 

 大永六年、小弓公方足利義明の命に応じ、里見義豊が兵船数百艘を集めて三浦に攻めこんだ戦いがあった。この時は三浦沖で海戦を行い、三浦水軍を撃破。勢いに乗った里見軍は上陸して進軍し、鎌倉にて小田原からの援軍を得た北条軍と交戦、これを破る。だが乱暴・放火によって鶴岡八幡宮が焼失。これを不吉に思った義豊は三浦半島から撤退した、となっている。


 実際は当時の里見家の主力は同盟関係(家臣ではない)にある海賊衆であり、在地の国人衆を従えるだけの権力も地位も無かった。故に獲得した三浦半島の地を維持できず、またその兵火で源頼朝公より関東の総鎮守であり、武家の崇敬を集める鶴岡八幡宮を燃やしたのだ。

 当時、一部将として参加していた義堯はこれに文字通り顔が青ざめ、すぐに停戦と消火を進言したが、義豊は戦いを続行。そのまま玉縄城を攻め、撃退されてしまったのだ。


 この戦で敗戦と鶴岡八幡宮の焼失という失態を犯した義豊の名声は堕ち、逆に上総国で勢力拡大を務めていた実堯の名声が高まることになった。結果、二人の仲は悪くなり、稲村の変へと繋がってしまう。

 その後、義堯による下剋上がなり、義豊の首を北条氏綱に送り、更に史実では途中で打ち切られた鶴岡八幡宮の再建の為の木材と銭を送っているが、悪名は消えずに残っていた。


「確かに昔とは違い、国力も上がっています。ですが鎌倉は……。それに、あの地黄八幡とぶつかる事になります」


 それだけは避けたい、と安泰が答えた。

 あの時と違うのは北条も同じである。当時の三浦水軍はまだ碌に整備がされておらず、三崎十人衆と呼ばれる在地の海賊土豪らが守りに入っていたが、数も三浦組に与力、雑兵を含めて精々三百程度しかいなかった。


 今の三崎城は度重なる房州海賊からの襲撃を防ぐべく、氏康の命による大規模な改修・拡張工事が行われて艦隊が整備された。お陰で関船が最低でも十隻、そして数えるのが馬鹿らしい程の小早が配備されている。


 何より、鎌倉近くの玉縄城には、あの男がいる。

 [地黄八幡] 北条(ほうじょう)綱成(つなしげ)


 転生者達にとっては悪夢のような存在であり、義堯らもその武名を聞き及んでいる。本人の武勇もさることながら彼の武将に率いられる兵は「八幡」と書かれた朽葉色の指物を掲げており、各地を転戦しながらも勝利している事から「常勝軍団」との呼び名もあった。

 近年では河越城を三千の兵で六万の両上杉軍から半年間も守り通し、その後の河越夜戦で勝利に導いている。


「そうです。制海権を完全に握るだけなら三浦半島の下半分、いえ三浦城と浦賀城だけでも抑えれば……」


 そこまで言った所で時忠はハッとした表情になった。


「……まさか、青岳尼様が目的ですか?」


 時忠の言葉に義舜は暫く沈黙していたが、小さく「そうだ」と呟いた。これには他の面々も難しい顔をして考え込んでしまう。


 青岳尼。

 天文七(1538)年の国府台合戦にて討ち死した小弓公方・足利義明の長女である。義舜と同年代で、一時期里見家に庇護されていたことがあった。後に鎌倉へ渡り、現在は出家して太平寺の住職となっている。

 彼女は、かつて義舜と将来を誓い合った相手であった。


「水軍は、その提案に反対です」


 真っ先に、義頼は反対した。はっきり言ってデメリットの方が多すぎたのだ。

 確かに、里見家には常備軍の存在もあるから今なら先手を取れる。三浦水軍の本拠地である三崎城を抑え、水軍を吸収すれば浦賀水道と江戸湾の制海権も完全なものとなる。また小弓公方も古河公方から分かれた家。足利家という名門の血筋を入れられる。また旧小弓公方の家臣らが里見家に来ることも期待できた。

 

 だが、それ以上に出家した娘を室にするということ。また鎌倉で再び同じようなことが起きる可能性がある。


 それに、鎌倉まで行くには水軍が矢面に立たなければならず、そしてその戦力が足りないのだ。

 現在、里見家は新鋭艦の建造ラッシュの真っ最中であった。特に安西氏や正木氏から頼まれている関船の代艦を建造中であり、まともに戦うのは難しい状況だった。


 動かせられるのは甲型二隻、乙型四隻を中核とした艦隊と従来の小型船のみ。これだけで敵の勢力圏内で、安宅を含む北条の大軍とやり合うのは真っ平御免である。水軍だけでなく、殆どの者がそういった認識であった。


「兄上の気持ちは解らなくもないですが、やるならせめて一、二年は欲しいですね。そうすれば甲型も四隻になり、戦力も揃います」

「分かっている。分かってはいるが、今でなければもうこの機会はもう無いと思えるのだ。どうしても今直ぐに会いたい。俺の妻にしたいのだ」


 義舜は額を床に叩き付けるように頭を下げ、「頼む」と協力を求めた。余りの必死さに面々は言葉を失い、どうしたものかと思案する。

 そんな中、義堯が口を開いた。


「ワシとしては、賛成しても良い。鎌倉まで攻めるかどうかはともかく、三浦攻めをすれば今後が楽になる」

「何故です?」と、義頼が理由を訊ねた。

「品川だ。あそこを勢力圏に置きたい」


 現在、三浦と江戸湾内に残る北条水軍が影響力を持っているのは三浦半島、そして武蔵国である。ここは強固な防衛体制を取っていたためだった。


 特に北条が武蔵国にこだわる理由は、この国の水利権にあった。

 この時代、武蔵国は縦横無尽に河川が走っており、湿地と河川の国であった。江戸湾に注いでいる川でも特に大きいのが住田川(すみだかわ)(現在の隅田川)・太日川(ふといかわ)(現在の江戸川)である。住田川は江戸湾から遡っていくと入間川、綾瀬川と枝分かれしており、上流は利根川と呼ばれている。その東を平行して流れる太日川は下総国府(市川市)、関宿(せきやど)(野田市)、古河の側を通り、上流は渡良瀬川(わたらせかわ)となっている。


 これらの川は北関東と江戸・房総半島を結ぶ交通の幹線であり、そして下総国と常陸国の間を走る香取海系の河川が直ぐ近くにあり、香取海からは上は常陸国と東北へ、下は椿海を通って外房の航路と繋がっていた。


 そのため古来より武蔵国は物流の国として栄え、特に品川湊は兵糧米の一大集積地であった。

 ここの支配権を巡って北条氏・里見氏・扇谷上杉氏・上総武田氏が争い続けてており、現在、江戸城を抑えて品川湊を支配しているのは北条氏である。ここから川を遡って、北関東の反北条方と戦い続けているため、軍事的にも重要な拠点であった。


 北条氏がずっと支配していくなら良いが、後には氏康の甥である古河公方・足利義氏の御料として献上されてしまう。史実では、義氏が元服するのが今年の十一月。この時に祝いとして品川湊を献上されてしまうと、手出しがしづらくなる。名目上の領地であっても、古河公方と足利の名前は有効なのだ。北条に「古河公方を攻撃した」という大義名分を与えかねない。


「未だ動きはないが、義氏の元服が早まるかもしれん」

「今のうちに品川湊の支配は無理でも、影響力を持ちたいと?」

「そうだ。目の前に敵の水軍がおれば影響力は低下する。その隙に一枚噛んでおきたい。まあ、それを見逃がす氏康ではないが、それなりの防備を整えなければならない。多少でも消耗するはずだ」

(……それだけじゃないな。父上は何を考えているのだ?)


 現状でも、浦賀水道から得られる関銭だけでも莫大な富を産み出していた。だから品川湊も勢力下に置けば更なる収益が期待できるが、本当にそれだけが理由なのだろうか?

 どうにもわからない。


「皆の者、ああ義舜以外だ。ちと近寄れ」

 

 手招きする義堯に、全員が怪訝な表情を浮かべたが直ぐに立ち上がり、義堯の側まで近づく。

 頭を突き合わせ、小声で話を始める。


「(それに、このままだと拙いのだ。義舜に対する家臣の不満が高まっておる。一部では不能やら種無しなどと呼ばれているのだぞ? このままだと奴を廃嫡せねばならん。そうすれば里見家は割れる)」

「(確かに、義舜様は齢二十五。もう子の一人や二人出来ていてもおかしくない年齢ですな。早く子を成しませんと……)」

「(ですが、それで鎌倉攻めをするのは……)」

「(そうです。殿でも説得出来ないのですか?)」


 時茂の言葉に、義堯は小さく首を振る。


「(やってみたが、あれは無理だ。無理やり他の女子を室にしても臍を曲げるだけよ。これで廃嫡にして喜ぶのは北条だけだ)」

「(うわぁ……、兄上ってめんどくせー)」

「(というか、二人が出会ったのって十六年前ですよね? もしかして、義舜様ってロリコン?)」

「(……実元さん、それ言い出したら、みんなロリコン扱いになりますから)」

「(おい、時忠、ロリコンとはなんだ?)」

「(幼女趣味の変態って意味です)」

「……おい、聞こえているぞ」

 

 義舜が怒気を滲ませて言うと、面々は慌てて席に戻る。


「まあ、そういう訳だ。儂としては賛成だな」


 義堯が賛成を示すと、殆どの者は賛成側についた。残るのは、水軍を纏める義頼だけであった。


「……鎌倉攻めとなると、一度水軍を撃破し、一時的でも三浦半島を占領下におかなければなりません。ですが、敵の勢力圏内で戦うなど私は真っ平御免です。

 それでも、兄上はただ想い人に会いたいがために軍を動員しろと言いたいのですか?」

「そうだ」やや間はあったが、義舜は力強く頷いた。

「どうしても彼女に会いたい。彼女でなければ駄目なのだ」


 義頼は盛大にため息をつき、目を瞑って眉を揉む。無性に煙草が吸いたくなった。しかしこの国には無い。代わりに机の上の硝子皿にあった生姜飴を口に入れる。生姜の辛さと蜂蜜の甘さが心地よい。

 ――上手くいくかどうかは分からないが、やるしかないか。クソ真面目な兄上からの、頼み事だしなぁ、と義頼はうんと頷き、飴を噛み砕いて飲み込んだ。


「……分かりました。水軍も協力しましょう」と、義頼は頭を下げた。

「有難う」


 義舜は再び深く頭を下げた。


「では、目的を確認しよう。鎌倉にいる青岳尼の救出。その為には三浦水軍と半島内にいる軍勢を撃破する必要がある」


 義堯は鋭い目で面々を見渡し、口を開いた。


「まともにやったら今の儂らでは勝てん。では、どうやって勝ちを拾うかだ」

 

 陸では北条綱成に、海では三浦水軍に勝たなければならない。しかもその後の事を考えると、鎌倉に被害を出さず、できるだけ損害を少なく抑える必要があった。

 暫く沈黙が下りる。最初に口を開いたのは義頼だった。

 

「まともにぶつかれば、まあ、良くてお互い痛み分けですね」

「そうだな」


 里見、北条共に水軍の兵船の大多数は小早である。砲撃が中れば消し飛ぶような存在だが、数は北条の方が多い。里見は掻き集めて百隻かそこらだが、北条はこの倍は動員できる。この小早は取り付かれてしまえば流石の帆船であっても被害は免れない。


「なら、話は簡単です。まともに戦わなければ良いのです」


 そして義頼の語った作戦を聞かされた面々は嗤ったり、呆れたり、不安を浮かべたりと反応は様々だった。


「よくもまあ、こんな無茶を思いつくなお前は」義堯はどこか感心したように頷く。「だが、他に方法は無いか」

「しかし、危険ですぞ。失敗すれば貴重な軍船を潰してしまいます。勝算はあるのですか?」


 腕を組んだ為頼が唸る様な声で言う。何せ、常識で考えれば内容は危険極まりないもの。何も成果を出さずに終わる事だって大いに有り得るのだ。


「ありますよ。そもそも三浦水軍で怖いのは安宅では無く、大量の小早です。これさえ如何にかしてしまえば此方が有利になります。あれが失敗しても、今度は艦砲で猛打を行います。それでも駄目なら撤退しか無いですね。どちらにしろ、水軍は負けませんよ」


 そこまで言い切り、義頼は意識してニィと笑みを浮かべた。


「それに勝算が無ければ兄上の三浦攻めに賛成しませんて。私だって、こんな事で死にたくないですからね」

「成程な、確かにそうだ」義堯は苦笑する。「よろしい、やってみよ」

「はっ」義頼は小さく礼をする。「で、兄上の方は? 三浦に上陸すれば逃げられませんよ?」

「普通ならそうだな。だが、あの地も色々と複雑でな。こっちには正木がいる」


 元々、三浦半島は相模三浦氏が治めていたが、北条早雲によって滅ぼされている。だが、庶流は残っており、その内の一つが今の正木氏であった。それだけでなく、相模三浦氏が健在だった頃には三浦半島と房総半島の土豪らは積極的に婚姻関係を結んでいた時期があり、親戚も多く残っていた。

 また半手と里見・北条どちらにも家臣として仕えている者も多いため、里見が三浦半島を領有しても権利さえ守ってやればさほど問題は起きないだろう。


「そういう訳だ。陸は在地の国人衆をを仲間に引き入れた後、鎌倉を目指す。そのためには、風魔の手助けがいる」


 義頼は部屋の外に待機しているだろう小太郎を呼び出した。

 義舜は小太郎に作戦内容を告げ、最後に協力を頼みたい、と頭を下げる。

 予定している作戦にて大役を任される事となった小太郎は気分が高揚する反面、「自分の様なものがやってよい事なのだろうか」という不安が芽生えていた。

 それを察した義堯は、朗らかな笑みを浮かべて言った。


「風魔よ。折角の戦功の機会だ、活躍してみせよ」

「――ハッ!」

 

 風魔は内心期待されている事に感動しながら短く、そして決意した表情で一礼する。

 義堯はその様子を見て満足そうに頷くと、すぐさま冷然な表情へと変える。


「よろしい。では此度の戦は総大将を義舜とする。皆の者、準備を始めろ。時間が無い。急ぐのだ」


 そして、里見は決戦に向け、準備を始める。


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