第22話 穏やかな正月
ようやく投稿です。楽しんでいただけたら幸いです。
天文二十三(1554)年一月 上総国 久留里城
新年になり、正月。
本拠点である久留里城には当主と家臣一同が集まり、正月を祝っていた。
細かい仕来りの多い武家であるが、転生者たちが前世のような正月がしたい、というのもあって里見家の正月は出汁の効いた雑煮に漆塗りの四段の重箱に入った料理を食べ、清酒や焼酎を飲むようになっていた。
これが義堯や他の家臣らにも性に合ったようで、妙な見栄を張らず食べて飲むようになっていた。
だから北条などから「野蛮」やら「田舎者」などと呼ばれるのだが、里見家にいる面々は最低限の礼儀さえあれば良いと考えている者が殆どであった。
風魔小太郎もこの正月に参加していたが、当主である里見義堯自らが風魔小太郎を歓待し、他の重臣たちと同列に扱ったため流石に恐縮しきっていた。家臣らの内心はどうであれ、主だった重臣たちが賛同しており、折角の正月をつまらなくする事を誰も言うことは無く。終始和やかな雰囲気で終ることとなった。
「ところで、父上達は?」
恒例となった“会合”の席で義頼は訊ねた。いつもなら居る筈の義堯や為頼、時茂たちが居らず、転生者しかいなかった。
「ああ、新年だから皆で清酒や焼酎の樽を開けて飲んでたろう? それで二日酔いになって休んでいる」
「羽目を外しすぎじゃないですかね……」
「久々に落ち着いて年末年始を過ごせたからな。仕方あるまい」
ここ数年は年末年始に北条方との戦が相次いだため、里見家ではちゃんと正月を祝うことは無かった。
祝おうとしても、戦の真っ最中なのでお互いに新年の挨拶をして焼いた餅を食べ、そして一杯の酒を振る舞う程度であった。
今年は珍しく北条方に動きがなく、また里見方も攻める気も無かったので落ち着いて正月を迎えることが出来たのだ。
「まあ、兎に角だ」本日の“会合”を取り纏めることになった義舜が言った。「後は食事をしながら進めよう」
部屋の中央にある円卓の上には幾つものの大皿に盛られた料理と小皿が置かれていた。鴨肉の照り焼き、鯨の竜田揚げ、鰯の生姜煮、蛤の酒蒸し、野菜と蒟蒻の煮物、里芋の素揚げ、蓮根の酢漬けなど、冷めても大丈夫なものばかりだった。
いそいそと隅に置いていた酒瓶を取り出す。硝子製の一升瓶に張られた紙には「安房諸白 天文二十二年」と書かれていた。互いに透き通った硝子椀になみなみと酒を注いでいく。
全員が硝子椀を掲げる。義舜は笑顔で言った。
「乾杯」
全員が唱和して、中身を一気に飲み干した。かあっ、と満足そうな呻き声が聞こえた。
口当たりが良く、香りは淡い。しかし味に深みがあり、呑めばスパッと辛口の飲みごたえで後味がしつこく残らない。義頼は久々に飲むが、本当に良い酒だ。
二杯目からは手酌で清酒や焼酎など好みの酒を注いでいく。酒があまり飲めない義頼は麦茶を入れていた。それから料理を取り分けて食べ始めた。
義頼は蛤を選んだ。酒蒸しの良い匂いだけでなく、貝肉は噛めば噛むほど口に味が広がってくる。ほんの少し、醤油を垂らしてやるとまた違って美味い。
他の面々も好きなものを取り、酒や麦茶を飲みながら食事を楽しんでいた。
「義頼、風魔の様子はどうだ?」落ち着いたところで、義舜が訊ねた。
「彼らも峯岡牧での生活も慣れてきたようです。働けば働いた分だけ報酬が出るためか、かなり張り切っていますね」
風魔は成り立ちからして独特の一族である。
母体となる山の民は4つの村に分かれており、忍びは村からそれぞれ50人を出すことになっている。
そして村長兼組頭の元で活動することになる。これら忍びを統括するのが頭領であり、風魔一の忍びである風魔小太郎である。
足柄山の風間谷にいた頃は一族の皆で朝早くから猪や鹿を狩り、山菜や茸を採取し、午後からは忍びとしての訓練を行っていた。
何か任務があれば、村の事を引退した忍びや老人、子供に任せて向かうことになる。
早雲が存命だった頃は米や雑穀、銭、そして布や鉄などを支給されていたが、遠ざけられてからは扱いは足軽以下で、ここ数年はまともに報酬を貰った事がない。忍びの装備はおろか、生活に必要な道具や衣服を揃えるにも難儀していた。
そのため接骨木や猿梨などの実を発酵させて作った酒や獣の干し肉、山芋、蔦で編んだ駕籠を売り、得た銭で必要な量の鉄や布を買い求めていた。
特に冬の前はしっかりと稼がないと、越冬できる人数に影響が出るほどだった。
その扱いに嫌気が差していたのもあり、風魔たち山の民は里見家に降った。
そこで義堯の提案もあって山の民には再興した峯岡牧にて軍馬育成の任が、風魔忍軍には新設された御庭番という地位が与えられることになった。
御庭番は平時では城内の警備を担い、時には土豪や敵国の内情を探る隠密である。
身分は表面上、足軽と同じに扱われる。これは高い役職や身分にすると他の武士階級からの突き上げが酷いことになる、という実情もあった。
しかし望む限りは直ぐさま主君に会い、直接命を受けて動くため御庭番は特殊な立場となっていた。
そして峯岡牧は五つの牧からなり、そのうち西一牧・西二牧・東上牧・東下牧が馬の放牧地となっている。この4つは平郡・長狭郡にまたがり、山岳部を細長く帯状に設置されていた。
西一牧・西二牧の下側にある柱木牧は現在、皮を得るために鹿や牛の牧場として使用されている。
峯岡牧と柱木牧は水は豊富なのだが、住むのが難しい山岳地帯であるため牧畜に必要な最低限の人員しかいない。というのも、近くに米どころである長狭平野があったため、態々住みにくい場所へ行く必要が無かったのだ。だから牧場になったといえる。
そんな場所であるが、風魔たち山の民からすれば峯岡牧は足柄山に比べれば暖かく、食料も豊富で住みやすい場所であった。
馬の管理についても、彼らの得意分野であった。
この時代の馬産はただ広大な牧の内外を野馬土手という土手で囲い、中にいるほぼ野生の馬を自由交配させ、良馬を探し出して捕まえるというものだった。そのため馬種改良が進まないという欠点があった。
そこで風魔に頼み、優れた牡馬は種牡馬として管理して繁殖を行う事は任せたのである。流石に蹄鉄や去勢といった技術を知らないので、これぐらいしか出来なかった。また馬種改良の効果が出るのは数十年先の話になる。が、少しでも質の良い馬ができるならそれに越したことはない。
まだ本格的な育成とはいかないが、突貫工事で必要な陣屋と家屋、そして厩舎の普請も終ったため風魔たち山の民は早速村ごとに割り当てられた土地に移り、馬の世話をしつつ、新たな生活を始めていった。
「ただ、少し張り切りすぎていますね。この間も色々と提案してきましたし」
かちゃり、と蛤の貝殻を積み上げながら義頼は言った。
「山賊になって金と情報を取ってきます、とでも言ってきたんですか?」
照り焼きを頬張りながら時忠は言う。冗談のつもりで言った筈なのに、義頼は曖昧な笑みを浮かべたままだ。
「……え、本当にそんな事を言ったんですか?」
「ええ、そんな感じですよ。山伏や歩き巫女として各地をまわり、色仕掛けで誘惑したり、また村々を放火し、田畑と井戸には毒を流し込んで混乱させましょう、とね」
殆どがゲッとした表情を浮かべた。この時代では放火略奪は戦の時に起こり得る話なのだが、流石に田畑や井戸を潰すのはやりすぎだ。
一人、真面目な表情で考えていた義舜は「割りに合わない」と言い捨てた。
「それだと占領した後が面倒だ。バレたら悪評が立つ。風魔にやらせるような仕事でも無い。やるなら陸軍で十分だ」
「出来ればやらない方が良いと思いますが、その通りだと思います。ですので提案は突っぱねて、風魔には御庭番、山の民には馬の育成を進めるよう改めて言っておきました」
今まで里見家に足りなかったのは忍びに対する防諜だった。なので風魔には御庭番として警備に専念して欲しいと考えていた。
山賊行為ならば陸軍がやればよく、また色仕掛けならば既に該当するものがあった。
国内では遊女屋、国外ならば歩き巫女がそうである。
里見家では、遊女は個人で国に登録した者でなければなれない公認公娼制という制度を発布しており、また歩き巫女のための組合があった。
遊女の規制自体は鎌倉時代、里見氏の祖である里見義成が遊女別当となった時に行われたのが始まりとされ、今までも里見家の治める安房国・上総国には遊女に対する規制はあった。特に安房国では交易が盛んな地域であり、そして需要も多いため各地の港に多くの遊女屋が存在していた。
だが、現実問題として規制を守っているところは少ない。
遊女屋に売られる者は人攫いや口減らし、戦で得た奴隷などが殆どで、借金を返済して自分を買い戻せば自由になれるとされていた。だが、今までのは個人ではなく遊女屋に公許が出されていた。つまり、遊女屋が好き勝手できるので遊女に対する折檻や利益のピンハネが凄いのだ。
そのためどんなに仕事しても借金の返済は出来ないので、遊女は自殺する、店主を恨み殺害する、理由を知った客らが逆上して暴れる、更には店に火付けをするなど、治安の悪化が問題視されていたのだ。
これに加え、この時代には既に梅毒が日本に入っていた。
性感染症である梅毒は、この時代に確実な治療法は無い。梅毒は熱に弱いので、マラリアに感染させて高熱を出させて治療するという荒っぽい手段があったが、普通はやらない治療法であった。
抗生物質であるペニシリンが作れれば良いのだが、確実な製法は誰も分からない。もう薄くなった前世の記憶から某医療漫画で書かれていた内容を出来るだけ思い出し、手当たり次第やっている状態だった。
一番なのは感染を防ぐ、また感染しても広まらないようにすること。だが、法を守らない遊女屋がいれば全て台無しになる。
そうした事態を打開するべくこの公認公娼制が発布され、悪質な遊女屋は軍を動員して取り潰しになった。というのも、陸軍水軍ともに兵は溜まったら遊女屋に行く事を奨励していたため、多くの兵が馴染みの遊女を助けるためと張り切ったからだ。そして取り潰された遊女屋は里見家が全て買取り、直営店になった。
ここで各国から来る者に対してさりげなく情報を引き出し、歩き巫女も実態はともかく神職であるから国境をフリーパスで通ることができ、大いに活躍していた。
「しかし、風魔の色仕掛けですか……。どんな感じなんでしょうかね?」
楽しそうな表情で実元が言った。余り飲んでいない筈なのに、もう酔っ払っているようだ。
「さあ? 私も詳しく聞いていませんので」そっけない声で義頼は答えた。
「まあ、誰か試してみて、風魔の房中術が有用なら遊女や歩き巫女たちに教えておきたいですね」
全員が思わず時忠を見やる。本人は目線などは知らないとばかりに嬉しそうな顔で菜箸で生姜煮を小皿に移しかえっていった。
「うん? どうかしましたか?」
生姜煮をつつきながら、何かおかしかったですか?という表情で時忠は言った。
「……いや、誰が試すんです? それに今でも評判は良いですし、情報は入ってくるんですから良いのでは?」
「それでは勿体無いですよ。皆で色町に入り浸ってAVの知識を教えたと言っても、完璧では無いですからね。うん、この生姜煮は美味い」
「私が作ったんですよ、それ」安泰が素早く答えた。「久々に作りましたが、やはり煮付けはしっかり甘辛く煮ないといけませんね。今回のは自信作です」
「そうか。時忠、すまないがふたつほど頼む」義舜が言った。
「ああ、はい。どうぞ」
小皿を受け取った義舜は、場の雰囲気を変えるべくさくっと話題を変えた。
「ところで、水軍の調子はどうだ?」
「艦の建造と就役は順調です。内房の防衛も上手く行っていますが」
義頼は一旦区切り、安泰を見やる。安泰は小さく頷き、空になった硝子椀を置いて答えた。
「ただ、嫌がらせはもう難しいですね。守りが堅くなったので暫くは休止するしかないかと」
水軍は三浦半島や江戸湾沿岸部に千鳥型による砲撃で造船所や軍船を攻撃するなどの泊地攻撃を繰り返していたが、流石に哨戒船の数も多くなり、また船を奥に隠すようになったため嫌がらせの効果が薄くなっていた。
かといって、まだ伊豆や相模まで襲撃しに行きたくは無い。大型艦が少ない上にデメリットが多すぎるのだ。
小田原の沖に出て襲撃すれば混乱に陥れることは出来るが、それも最初だけ。藪をつついて蛇を出す、というように本拠地を守ろうと北条水軍は増強を始めることになる。それに和船は砂浜に船台を置けば建造できるため、相模の砂浜に関船・安宅などが大量建造されたら目も当てられなくなる。
であるからこそ、「里見水軍は三浦半島と江戸湾沿岸部しか攻撃しない」と意識させておきたいのだ。
「そうか。なら判断はそちらに任せる。実元、すまんが里芋の素揚げを頼む」
「はいはい」と、実元は言って小皿に素揚げを盛っていく。「他の方もどうです?フライドポテトみたいで美味いですよ」
それを聞いて皆声を上げた。実元は人数分用意して手渡していく。
義頼も早速、つまんで食べてみる。四つ切にして揚げただけの里芋は外はサクッと、中はねっとりとしている。塩が少し効いているが、これが懐かしい感じがして美味いのだ。
「と、兄上。酒が入っていませんね。麦焼酎で良いですか?」麦茶で口の中の塩と油を流しながら義頼は言った。
「ああ、すまん」と、差し出してきた空の硝子椀に義頼は麦焼酎をなみなみと注いだ。「安泰はどうだ?」
「え、ああ、はい」安泰は少し困ったような表情を浮かべて、そして自分の硝子椀を差し出しながら申し訳無さそうな声で言った。「すみません、有難うございます」
「まあ、彼らが適当に襲撃してくれるので北条からすれば嫌がらせは続きますがね。あちらが引きこもっているなら、こちらも大人しく戦力の増強に努めるべきでしょう。図南丸型が使えなくなりましたし」
「やはり、図南丸型はもう駄目か?」麦焼酎を飲みながら義舜は言った。
「駄目ですね」義頼は断言した。「まあ元が捕鯨漁船ですし、かなり持った方ですよ」
捕鯨漁船である図南丸型は、その大きさから今まで戦時改装して軍船として利用していた。
だが、いい加減限界が来ていた。前々からその感じはしていたのだが、流石にもう軍船として使えなくなっていた。
理由は、臭いからである。
捕鯨漁船であるため、既に相当な数の鯨を獲っていた。つまり、船体に油や血が染み付いてしまって強烈な臭いを発するようになっていた。その臭いは強烈そのもので、近くにいれば目に染みるほどで、また船は見えなくても潮風と共に血と油の臭いが漂ってくるので位置が簡単にばれてしまう程だ。
今まで図南丸型は戦のたびに艦砲を積んでいたがこれを止め、捕鯨基地である和田港に固定。そこでずっと捕鯨漁船として活躍することになる。
「新造艦の方はどうだ?」
「今のところ問題はないですね。甲型二番艦と乙型三・四番艦の就役はもう直ぐですし、船大工がようやく揃ってきたので建造期間も短縮できるようになりました」
進水した甲型二番艦[雪風]と乙型[梅]・[椿]はあと一ヶ月ほどで就役できるようになる。そうすると甲型二隻、乙型四隻となるため、図南丸型が抜けても戦力的にはむしろ向上していた。
「残りの甲型二隻の建造も始まりましたので、何事も無ければ来年度には主力艦が揃います」
「本気でやるんですね、あの艦隊計画」呆れた顔で実元が言った。「あれ、明らかに過剰戦力ですよ」
「当たり前じゃないですか」煮物をよそいながら義頼は言った。「それに今更止められませんよ。艦長は私に是非、って訴える者も多いんですから」
こういった話が来るのも、今まで活躍していた図南丸型の影響が大きかったためだ。
図南丸型は捕鯨漁船であり、二度の海戦に参加して損害を殆ど出さずに一方的な勝利を収めているなど、華々しい活躍をしていた。
乗れるのは精鋭だけであり、一般の水夫よりも待遇が良い。そして名誉と富を手に入れた船長を見て、いつか自分も、と水夫達が思うのは当然の事だった。
そこに、図南丸型よりも凄い船が就役した、しかも数隻だけが建造される、艦長は実力ある者で貴賎問わずと聞いて、水夫達は色めき立った。
艦長に任命されれば、今までのような芋洗い状態で乗る小船とは違い、百数十人にもなる兵と最新の装備、そして圧倒的な存在感のある艦を指揮する立場となる。
その艦が自分の命令通りに動き、檣には高々と自分の軍旗が掲げられ、周りからは敬意と羨望を受けるようになる。
そして里見家の当主である義堯から直々に信頼と莫大な禄が渡されることになるのだ。
ある者は成り上がりを夢見て、ある者は自家の繁栄を願ってより一層励むようになった。
そして水軍を纏める立場にある義頼、安泰、時忠らに猛アピールする者が多くなったため、ここで公表した艦隊計画を止めると言ったら、どうなるか分かったもんじゃなかった。
「ま、よく働いてくれるなら良いんですよ。艦も無駄にならないで済みますしね」義頼は残っていた麦茶を飲み干した。「水軍からは以上です」
「陸はどうです?」ちびちびと安房諸白を飲んでいた時忠は訊ねた。
「周りは大人しいもんだ。この間の内乱で親北条方の国人共を一掃したのが効いている。軍として言えば、装備も行き渡るようになったし、錬度も良いが、今年から北条方の圧力が強まりそうでな……」
「ああ、三国同盟ですか。確か、今年中に北条氏康の娘が今川家に嫁いだことで武田・今川・北条の同盟が出来ますね」
義舜の言葉に、実元が詳しい説明を入れる。
甲相駿三国同盟と呼ばれる協定は今川家の太原雪斎の発案の元、結ばれることになった。
この当時、三者にはそれぞれ目的があった。
甲斐を統一した武田晴信(後の信玄)は信濃への侵攻を本格化、及び長尾景虎との抗争に専念したい。
相模の北条氏康は関東統一のために敵対する諸大名らを抑え、戦を有利に進めたい。
駿河の今川義元は北条との関係を回復し、遠江・三河の進出と、尾張の織田氏との対立に専念したい。
そして同盟を結べば、「背後の守りを磐石にしたい」、「戦力支援を見込みたい」、「同盟による領土の将来的な統一」の三つの考えができる。
戦で遠征すれば本国の守りが薄くなるため、攻撃されないようにし、また援軍を期待することが出来た。
そしてこの時代の同盟はつまり婚姻関係を結ぶため、後継者が居なければ他国に嫁いだ娘の子に領地を引き継がせられる事も可能になる。
三者の利害が一致したことにより同盟が結ばれ、そして今年の11月に北条氏康の娘、早川殿が今川義元の嫡子である今川氏真に嫁ぐことになっていた。
これにより、北条は後背の憂いが無くなるため、より多くの兵を房総半島へ差し向けることが出来るようになる。
「ですが、今は史実と違う流れになっています。江戸湾の制海権も此方が握っている以上、大丈夫なのでは?」
「万が一ということもある。それに佐貫城と椎津城の間は守りが比較的薄いからな」
この時期の房総半島は上は湿地帯が、中央と下は山岳地帯となっている。
里見家の領土は山岳地帯になっており、守りやすい地形となっている。当然、現代のように道が整備されていないため、陸路で大軍を進めるのは難しいのだ。
となると、海路しかない。
内房は沿岸警備のために哨戒船を配置し、マーテロー塔などの砲台を建設しているが、椎津城―佐貫城間には主だった城砦が無く、平野が広がっている。また海岸から小櫃川を辿って平野部をいけば久留里城に辿り着くような地形となっている。
そのため久留里城は本拠地であるが、同時に対北条の最前線でもあったのだ。
ゆえに史実では何度か北条の攻撃を受けていた。
攻撃があったのは丁度、房州の逆乱が起きたときであり、江戸湾の制海権が急速に失われた時期でもあった。天文二十三(1554)年と翌年に北条綱成が二万余騎の軍勢を、永禄三(1560)年には北条氏康が大軍を率いている。
天文時は撃退に成功し、永禄時は使者に正木時茂を出して長尾景虎に援軍を要請。景虎は関東へ出兵したことで包囲していた北条氏康は撤退し、落城を免れている。
「それで越後に渡りをつけているんですね」
「ああ。流石に北条の圧力が強まってきた今、単独ではキツイからな。越後の長尾殿に同盟を持ちかける予定だ」
史実であった房越同盟である。
里見家は房州の逆乱を早期に収めたことで浦賀水道の制海権と上総国の領土を守っており、史実よりかはマシな状況ではあるが、北条は伊豆国・相模国に加えて武蔵国を制圧し、上野国下部・下野国・下総国にまで影響力がおよんでいた。
反北条である関東管領の上杉憲政はどうにか上野国北部で粘っているものの、北条氏康による調略と武力で着実に勢力を削られつつあった。
そこで北条と対等にやり合える越後の長尾景虎と同盟を結び、北条からの圧力を弱めようというのが理由であった。
史実では長尾氏にとっても関東に出稼ぎを行うには良い口実であったため、里見家の同盟を受け入れる。これは永禄三(1560)年の関東出兵の要因にもなった。
「ま、陸はいつも通り、という訳だ。積極的に攻勢には出ない」
「陸も水も、兵器の生産と兵站の維持で手一杯ですからね」
つまるところ、里見家には戦をするだけの余分な金が無かった。
陸軍は兵の訓練に鉄砲と大砲の充足と騎馬の育成費で手一杯。しかも攻めるには今まで心強い味方であった山岳と湿地を重たい大砲を牽引し、大量の玉薬を持っていかなければならない。
水軍は新造艦の建造と物資の備蓄に忙しい。
軍だけでなく、都市部の再開発や道の拡張や開墾、新規航路の開拓などでも金が飛ぶ。
今この状況で積極的に動きたくは無い、というのが全員の共通意識であった。
「まあ、多少は改善できるかもしれませんよ?」
実元の言った言葉に全員が顔を向ける。
「いや、まあ、多少は兵器の生産が楽になって、安くなる程度なんですけど……」たじろいた顔で実元が言った。「ええと、つまり、これですよ」
実元は持ってきていた鞄から取り出し、机の上に置いたのは長方体の白い石だった。
「これは、煉瓦?」
「ええ、耐火煉瓦です!」
実元は胸を張ってその成果を誇ったが、周りの反応はイマイチだった。
「あー、何て言えばいいんでしょうね」
「ああ、そういえば作っていたな」
「なんか扱い酷くないですか?」実元が言った。「これから重要になる、と皆で話し合ったから私だって頑張ったんですよ?」
「いや、重要なのは分かっているが、普通に忘れてた」
この言葉を聞いて、実元はがっくりと項垂れてしまった。
耐火煉瓦は、以前より製鉄の向上のために開発が進められていた。
耐火煉瓦を作るには良質の粘土が必要になる。陶磁器に使われるようなものが良いのだが、歴史的に見て房総半島に有名な窯元は無い。
そこで今までも炉材や鋳型として使用していた白土を使うことになった。
その中でも特に館山と土岐為頼の領地である伊南荘・千町荘(現在のいすみ市三門)から産出する白土が質が良く、最も良い結果が出た。
この白土をたたら師や瓦師らによって調整され、従来の物より高温を出せる大窯を組み、長時間じっくりと焼き上げていく。そして焼き上がったものを砕いて石臼で粉にし、これを再び白土に混ぜて煉瓦を作る。これを繰り返して出来上がったのが、この煉瓦だという。
「へえ。じゃあこれで高炉や平炉とか造れるようになりますね」
「あ、それは無理です」
「へ?」
「正直、甘く見すぎていました。色々と問題が多すぎまして手がつけられません」
炉を造り、安全に操業させるには最も簡単な方法がある。
炉を熟知している技術者を連れてきて、造らせれば良い。操業もその炉の扱いに長けた熟練の職人に行わせれば良い。
それが出来ないため、実元のうろ覚えの記憶と職人達の持っている経験と知識をすり合わせ、全て手探りで行わなければならない。
構造物である耐火煉瓦は出来た。しかし炉の構造や送風機の開発、完成した炉を操作できる職人の育成、そして原料の問題があった。
近代製鉄には鉄鉱石が必要になるため、何処かの国に採掘を依頼して輸入しなければならない。また石炭が取れる場所は九州、未来では筑豊炭田と呼ばれる地域からである。この時代には住民が石炭は薪代わりに使用していたため見つけるのは簡単なのだが、九州から房総半島は遠すぎるのだ。
原料を輸送する廻船は大型でなければならず、時間もかかる。またいくら安く買い叩いても各地で関銭を取られる為、結局金がかかってしょうがないのだ。
これらの問題を解決するには時間がかかる。
そのため、現在の状況を考えるとたたら炉やこしき炉の改良程度で十分であると判断した。
現在のたたら炉とこしき炉の構造物を耐火煉瓦に変え、送風にはふいごを使う。炉壁を変えただけの試作炉は既に組み上げられ、操業も始められたが、炉壁を壊さずに済むために連続操業が可能になったのだ。
生産された鉄の品質は悪くなく、連続操業で今までに掛かっていた費用や手間も減らすことができる。これに手ごたえを感じた職人たちは更なる大型化と水車送風を使った本格的な炉の築造に取り掛かっていた。
実元らは知らなかったが、この製鉄炉は明治時代に近代製鉄に対抗するためにたたら炉に近代製鉄炉の技術を取り入れて発明された、角炉と呼ばれるものと同じ構造であった。
「と言う訳でして、うまくいけば生産力が上がるので多少は安く済むようになります。平炉はまあ、このまま研究を続けていけば二、三十年後には出来るんじゃないですかね?」
「三十年後ね」相変わらず安房諸白をちびちび飲んでいた時忠が言った。「そのときには私は六十過ぎ。元気にやっていますかねぇ?」
「さあな」鯨の竜田揚げを頬張っていた義舜が言った。「まあ、生きてたら間違いなくどこかで意地の張り合いを続けていて、白髪で禿げ頭になっているだろうよ」
「意地の張り合いですか。面倒ですね」
これに小さく笑いながら義舜は答えた。
「仕方ないさ。我々がここに来てしまった以上はな。ま、今後もこうやって酒飲んで、美味い飯を食えるように頑張らんとな」
そう言って、義舜は口の中に残る油を洗い流すために焼酎を呷った。
結局、この日は全員が朝まで飲み続けることになった。そして各自の持ち場に戻ってからは今後に備えて真面目に準備を進めていく。
しかし房州の逆乱を早期に押さえ、風魔を調略した所為なのか、これ以降少しずつ史実と乖離していくこととなる。
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・小ネタ
○白土
酸性白土と呼ばれる粘土。
天然ものは真っ白、と言うわけではなく、鉄やアルミニウムなどの不純物が混ざっていると色が赤みや黒みを帯びるようになる。
房州の白土は粒子が極めて細かく、江戸時代の頃には白土を水漉したものが[房州砂]と呼ばれるようになり、磨き砂、歯磨き粉として江戸市民に使用された。明治に入ってからは精米の研磨剤、ビール瓶の着色料、セメントの原料、陶器の釉薬にもなった。
現代でも館山市北条で取れる白土は、眼鏡のフレームの研磨剤や陶器の釉薬として使用されている
他には伊豆半島天城山で取れるものが良質であり、幕末はここの白土で耐火煉瓦が焼かれ、韮山の反射炉が築かれた。




