第21話 備えよ常に
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天文二十二(1553)年十一月 安房国 館山
内乱も落ち着き、寒気が身にしみるような頃。
館山では六月に起きた火災から順調に復興が進められ、その町並みは大きく変わっていた。
高台などから町を見渡せば、以前は枯草色や茶色で染まっていたものが今では赤色に白や黒が入り混じったような模様に変わっていることに気付くだろう。
今回の館山で起きた火災によって、今までの災害対策では不十分だと痛感させられた。今までも火消の制度化や火除地の確保などを進めていたが、上から下まで「これは必要なのか?」という疑問の声が大きかったのだ。開発と湾港整備が先で予算が無かったというのもある。
だが、今回ので実例が出来てしまった。少人数でも火消がいたことで被害は抑えられ、火除地があったために人的被害も小さく済んだ。また、焼け出された人のための炊き出しや仮の住居となる天幕なども火除地に作ることができた。
やはり実際に経験が有るのと無いのでは大きく変わり、今度は災害対策を望む声の方が大きくなった。
そこで災害対策を進めやすくなったこともあり、館山では復興と共に江戸の街とシステムを真似ることになった。
すなわち火消の増員、火元管理の徹底、街路の拡張と火除地の増大、そして家屋の不燃化である。
火消は家屋の構造に詳しい大工やとび職を中心に集められ、一定の町歩ごとに火消十人一組を置く。そして定期的に火消の訓練などを行う。いわば、現代の消防団だ。
彼らには火消だと分かるように防火頭巾や胸当て、法被を支給し、掛矢や鳶口などの他に、腕用喞筒の配備を進める。これは人力で圧を加えることにより、放水する消火道具である。
本体は箱型の鋳物製で、上には喞筒と繋がる太い木柄がついている。箱の両端には苧麻製のホースを取り付けるための口がある。
使い方はホースを着けた後、片方を水利に入れ、もう片方は放水口になる。そして木柄をシーソーの様に操作すると中の喞筒が水を吸い上げ、放水口から勢い良く水が飛び出る仕組みになっている。
元は塩造りに使うために開発されたもので、人力とはいえ放水圧力は中々高い。また沿岸部の街は水路が張り巡らされており、消火の為の水には欠かないのだ。十分に活躍できるだろう。
街路は今後、荷車や馬車の導入も考えて拡張し、火除地は機能を損なわない程度に山桃や椿といった潮風にも強い花木を植え、普段は公園としても利用できるようにして都市機能の充実を図る。
そして家屋の不燃化だが、この時代の家屋は藁葺か板葺で、壁は板張りか土壁という造りが多い。
藁葺や板葺は材料が入手しやすいという利点があるが、火災や地震、台風といった災害には弱い。特に都市部では密集して建てられるので延焼しやすいのだ。
そこで、この機会に新たに建てる家屋は全て屋根は瓦葺きに、壁は従来の土壁に漆喰、または煉瓦や金谷の鋸山から採れる房州石で造る事が推奨される事になった。
いわゆる、土蔵造りに木骨造と呼ばれる様式である。
土蔵自体は古くからあるので珍しいものではなく、職人も多い。里見では城や造船所だけでなく、室温が一定な事から貴重な書物や食料、玉薬の保管庫としても使われていた。
木骨造は土蔵造と似ており、外壁に土壁でなく煉瓦や切石を積んで柱と鎹で固定する。耐火性と耐久性に優れながら漆喰塗よりも短い工期で建てる事が可能だ。
現在は新規に建てる家屋だけになっているが、残った家屋も順に建て直しされるのが決まっていた。誰だって火災で家財全てを燃やしたくないし、切石や漆喰の生産量が増えて民間でも使えるようになった事が大きい。
特に木骨造りで造られた倉庫は見たことが無い造形で珍しく、白漆喰を使った屋敷は陽に当たると白く輝いて見える事から国人衆や大店の商人ら有力者たちが挙って建てていた。
また火災が起きた時も貴重品が燃えないよう、土蔵や石蔵を建て、家屋の地下に穴蔵を造るようになった。
これは火事に慌てた住民が必要な家財を包み、また荷車に乗せて避難しようとして道を塞いでしまうことが起きていたからだ。
また火除地に燃え易い物を持ち込み、そして飛び火して燃え移るというのも避けたい。史実の江戸において、大火のとき家財道具を大八車に載せて持っていこうとして多くの人が火に巻かれた。
こういった事態を防ぐため家屋の不燃化に並行して、定期的な避難訓練を行うようになった。いくら家屋を頑丈に作り、燃え難くしても被害を完全に防ぐことは不可能だから、お互いに助け合えるように民衆への教育が必要となる。
これらの復興計画を実行するには巨額の費用と時間がかかるが、災害で街が壊滅するよりかはマシだと義頼らは考えていた。それに捕鯨と交易による利益が十分にあるため、必要な資金をどうにか捻出できるのだ。
しかし、やはりというか問題も有った。
「まだ、物価は下がらないか」
館山城内の執務室で、義頼は上がってくる報告書を見ながらぼやいていた。
食料は秋の収穫を終えたために落ち着きを見せているが、瓦や材木、それを扱う職人の賃金が例年よりやや高い水準を維持している。また他でも需要の増加に便乗した値上げも行われていた。
だが許容出来る範囲であり、火災直後の頃よりマシになっていた。
何せ燃えたのは穀倉地帯、そして職人街を中心とした市街であったために商人達はこれを好機と見た。
すぐさま近隣から食料と材木といった物資を買い占め、売り惜しみを始めたことにより物価が高騰。更にそこから需要の拡大による職人や渡し船、馬借の賃金も上昇も始まったのだ。
これではまともな復興が出来ない、と判断した義頼は、まず町触を出して価格の上限を定め、特需とはいえあまりにも価格を釣り上げる者は処罰するなどして物価の高騰を抑えることにした。
更に計画中だった鶴谷八幡宮近くの再開発に用意していた資材を復興にあて、水軍から水夫と船大工も現在の建造を一旦停止して共に投入したのだ。
しかしこれでも、物価の上昇は止まらず売り惜しみを続ける商人が出ていた。
「折角の儲け時よ、今やらずにして何時やるのか? 今でしょ」
ある商人はそう言い放ち、子飼いの無頼漢や浪人崩れを使っての脅しや他の商人仲間と結託して価格を更に釣り上げようとした。
義頼もこの程度で物価の高騰が止まるとは思っていなかった。なので、さっさと解決するべく餅は餅屋に頼んだ。
義頼は町触れを出して直ぐに腕木通信と伝令を使い、勝浦と勝山に連絡した。
内容は簡潔に「復興支援求ム」。
その連絡を受けるや否や、時忠は直ぐに備蓄していた物資の放出を始め、子飼いの水軍を使って館山に物資を運ばせた。勝山の安西氏も復興に必要な人員や船の派遣を行った。
彼らにしてみれば決められた価格でも十分な利益が出るし、水夫を人足として働かせれば当分の間の賃金などが浮いて恩も売れるのだ。一挙両得どころではなかった。
流石の商人達も、里見家の交易を一手に担う時忠を相手にするには資本も能力も足りず、また悪名高き海賊大将と配下の海賊達を相手にする度胸も無かった。
結局、彼らの目論見は失敗。売り時を誤った為に大損しただけでなく、触れに逆らった罪人として裁かれることになった。
この一連の出来事によって最終的な解決となった。物価の高騰は止まり、見せしめの効果もあって町触れ通りの価格帯に落ち着くことになったことで民衆、特に被害を受けていた者からは感謝されることになった。
しかし、この後から義頼は「領地を独力で治められない愚か者」という噂が流れるようになった。流石に当主の息子に対して表立って言うものはいないが、広めたのは恐らく儲けが少なかった商人や、その商人と関わりの深い国人らだろう。北条方の流言も考えられる。
義頼も強く噂を否定することなく放置している。むきになって否定するのも面倒だし、ただ噂を広めた連中を喜ばせるためだと思っていた。これで敵国にも広がって侮ってくれればそれでも良いし、史実の江戸の大火後や震災後の混乱について知らなければ、そんなものだろうと考えていた。
そういう風に自分自身に思い込ませ、納得させようとしている。そして周りに当たり散らすのはみっともないと考えているから、苛立ちは溜まるばかりだった。
解消しようにも、物価を以前と同じ水準にまで下げなければゆっくりとすることも出来なかった。
「はぁー、どうにかなんねーかなぁ……」
「殿、暫くは辛抱を。今のところ賦役も上手くいっております。失業者も少なく治安も悪くないのですから、来年の春頃には落ち着くでしょう」
義頼の苛立ちの籠った溜息に、源一郎は困ったような表情で言った。
確かに今のペースで行けば、来年の春頃には色々と落ち着くだろう。家屋の不燃化や町の整備のために景気良く金と仕事をばら撒いたため、家財を無くした者でも人足として働けば普通に生活でき、民衆も工事に納得して協力してくれるのが大きかった。
「まあ、分かっちゃいるけどねぇ」義頼は言った。「そうだ、これから本格的な冬に移れば凍死者が出る可能性もあるな。薪の生産を増やしてあるか?」
「薪に関しては既に伐採量を増やしてあります。十分な量は確保できるでしょう」
伐採し、禿山になった所では成長の早い椚や杉、松などの植林を行っていた。特に椚は生薬や染料なども取れる上、伐採しても切り株から新しい芽が出て再び木になるなど利用価値の高い木であった。他にも造船に必要な樫や楢、欅、檜など堅木も育て始めており、花粉症対策に杉や松を植え過ぎないようにしていた。
「なら大丈夫そうだな。暫くは仕事に困らないから経済も安定するだろうし」
館山の再開発が落ち着いても、次は[四四艦隊計画]による艦の大量建造が始まる。また今回の事態の収束に協力してくれた時忠と安西氏には、対価として何隻かの艦の建造の発注を優先的に受ける事になっていた。
弁才船などの和船はともかく、西洋式の軍艦の建造となると義頼の設計が必要で、専門の設備と熟練の職人が揃っている館山でしか造れないからだ。また従来の和船であっても細かい部分で改善されていて評判が良い。
そのため、今では「廻船屋ならば、館山で造られた船を持って一人前」とまで言われるようになっていた。
暫く、義頼は源一郎と話を続けていると、部屋の外から、ドスン、ドスン、と不規則な間を置いて聞こえてくる音があった。
だんだんと近づいてくる音に、義頼も源一郎も、誰が来たのかすぐに分かった。
部屋の直ぐ外で一際大きくドスン、と音が鳴り、そしてピタリと鳴り止んだ。
外に待機していた近習が来客を告げた。
「どうぞ」義頼は言った。
「失礼する」
ドスン、ドスンと義足で床を踏み鳴らしながら入ってきたのは、向こう傷のある厳めしい顔をした中年の男。
義頼の家臣になった、真里谷信応であった。
音の正体は、信応の義足の先にある革が板張りの床を突く音だったのだ。
信応は切断された足は壊疽することは無かったものの、長い事寝台で横になっていたために顔は白く、身体付きも細くなっていた。また再び歩くために義足をつけ始めたが、両足で立った時のめまいと筋力の衰え、そして脚の切断面にかかる負荷から酷い痛みに悩まされ続けていた。
しかし、リハビリを始めて半年後には慣れていき、今では普通に歩けるまで回復していた。
「北条方との商談がまとまったぞ。確認を頼む」
そう言って数枚の紙を義頼に渡し、自分はさっさとたっぷりの詰め物がされて柔らかい長椅子にどかりと座り込んでしまった。
義頼は苦笑しながら源一郎に茶と菓子を出すように言い、渡された紙を執務机に広げて内容を精査する。
北条方との商談だが、これは別に珍しいことでは無かった。
北条氏と里見氏は対立しているが、今までも三浦半島と内房間で交易は行われていた。
これは里見氏が商人に通行許可証を発行しており、また半手、つまり里見方の海賊から掠奪を受けていた村々では、年貢の半分を差し出すことで安全を保障していた。同様に、これと同じ事を北条氏も行っていた。
つまり、里見・北条どちらにも帰属していたわけであり、村々では半手の対価に里見―北条間の輸送業務を担っていた。
今まで北条方と交易するのに使っていた港は造海城を中心に行っていたが、館山が整備されてからはここが交易の中心になっていた。
交易では主に、里見方からは麻織物、塩、鯨肉や鯨油、酒、硝子、煎海鼠や干鮑といった俵物などを輸出し、北条方からは屑鉄、荒銅、鉛、米、雑穀などを輸入していた。
「……また随分とふっかけたね」内容を一瞥して、義頼は言った。「よくこれで纏めることが出来たね」
「今回の奴は顔に感情が良く出る奴だったからな。存外やりやすかった」
出された茶を飲みながら信応は言った。
「いやいや、それが出来たら苦労しないって」
信応はかつては真里谷家当主として動いていたこともある所為か、人の機微を読み取るのが上手い。特に交渉事に秀でているため、交易で商人達とやり合う事の多い館山ではなくてはならない存在になっていた。
「ともかく、ご苦労様。これで物価も少しは落ち着くだろうよ」
「うむ」
義頼も源一郎から茶を貰い、少しばかりの休憩に入った。お茶請けの団栗クッキーを齧りながら義頼は訊ねた。
「どうだ? 今の仕事は」
「悪くない。こうやって商いの話をするのは中々に面白い」信応は言った。「殿は商いの話は好きではないようですな」
「勘弁してくれ。唯でさえ時忠さんと交易の話をしているんだから。これ以上は頭がおかしくなる」
時忠、と聞いて信応は眉間にしわを寄せた。以前の戦で、時忠に物資の買占めと商人を締め上げられて苦労したことを思い出したらしい。
「奴か……。しかし、良くもまあ此処まで悪辣な手が思いつくな。あ奴の頭の中身はどうなっているのやら」
「直接言ってやれ。きっと『商人に悪辣とは褒め言葉です』って喜ぶぞ」
義頼がそう言うと、信応は更に苦虫を噛み潰したような顔になった。
元々、里見方は輸出品が薪や干し魚など乏しかったため、米を手に入れるのに随分と買い叩かれていた。
しかし、近年の里見家では転生者たちの努力もあり、近代の様々な技術が再現されていた。
主要な輸出品だけでも刺し網漁と地引網漁、塩の流下式塩田、鯨のアメリカ式捕鯨、木綿栽培とガラ紡といった技術があった。また現代では普通の、分担作業やカイゼンの導入によって作業効率も上がっていた。
つまり、僅かな人員で効率良く、一定の品質のものを大量に作り出すことが可能になったのだ。
これらによって起きたのは、国内での価格の下落である。特に塩と鯨の下落は凄まじく、その加工品である塩蔵品や油が誰でも気軽に買え、使われるようになっていた。
そして、時忠と里見方の商人達は考えた。
「今までのように国内で売買しても儲からない。ならば、外で売買すれば良い」
幸いにも、義頼の技術指導により大量の商船が建造されていた。その殆どが二十~三百石積みの中小型弁才船であり、僅かな人員で操作でき、快速。小型ゆえにどんな港でも出入りが可能であった。
そして、里見方の水夫達は安泰によって鍛えられており、その航海術で沖に出ても迷わず、最短距離を突っ走ることが出来た。これにより輸送費を抑えることが出来る。
結果、商人達はこぞってこの弁才船を借り、水軍の水夫を雇い、他国では価値の高い品物を運んで売買するようになった。他国の同じ商品と同じ価格で売れば、差額分の儲けが大きくなるからだ。
例えば、塩について。
この時代、塩は漬物や塩魚などの塩蔵品に戦の重要な兵糧として備蓄の対象になり、需要が増大していた。だが、従来の製塩法は地形に左右されやすく、方法も海水を釜で直接炊くか、揚浜式や入浜式で行うため塩を作るには大変な労力が必要であった。
また沿岸部であっても塩を効率良く作れる場所は限られていたため、塩は貴重品として扱われていた。
対して、里見家では塩は流下式塩田で生産される。
この方式は昭和中期に開発され、流下盤と呼ばれる粘土を敷き詰め、その上に小石を撒いたゆるい傾斜の地盤と、組んだ柱に竹の小枝を階段状につるした枝条架からなる。
まず海水を喞筒で汲み上げ、第一流下盤・第二流下盤・枝条架の順に流して、太陽熱と風で水分を蒸発させる。これを何度も繰り返し、海水を濃縮する。その後、濃縮した海水を釜で焚いてろ過し、更に焚いて塩の結晶を取り出していく方式である。
しかし、里見家の流下式は史実の物と違い、動力喞筒が無い。そのため枝条架は低く、人力で大型揚水喞筒を動かして作業しているが、揚げ浜式のように多大な労力を強いる訳では無かった。
また流下盤は日差しの強い夏に、枝条架は海水を竹枝に沿って落下させるため風の強い冬に効果的である。
これにより、里見方では製塩に必要な人員が従来の半分以下になり、一年を通しての製塩が可能になったのだ。
この塩の価値は他国に持っていけば、その国の同等の品質の塩と同じ価値になる。
たとえ片方は時間と人件費と大量の薪を使った塩と、片方は年中通して大量生産で人件費も掛からない塩で、生産者からすれば価値が違ってもだ。
今回の場合、北条方は自分達の常識で品物の価値を計るため、塩や鯨を安く買い、荒銅、米、雑穀を高く売りつけているように見えるが、実際にはその逆で買い叩かれているのと同じであった。
必需品である塩や油が品質が良くて安いとなればそれだけ北条領の百姓と取り扱う商人らの生活を圧迫する。それに輸入された米や雑穀は備蓄の他に酒として加工され、贅沢品として再び北条方へ売買されていた。また灰吹き法で荒銅に含まれている金銀を抽出しているため、これらは戦費として備蓄されている。
これに気が付いたとしても、そう簡単には売買を取り止める事は出来ない。今までの膨大な金と物の流れも止まってしまい、今度は品薄で価格の高騰を招きかねないからだ。
たとえ止めたとしても、今度は利益で出た資金を元に七百石以上の大型弁才船を建造し、伊豆半島の下田を回って一気に伊勢志摩まで行って売買すれば良いと考えていた。
里見家の持つ航海術と帆船ならば、それが可能なのだ。
「――まあ、そこまで上手くいくとは思わんが、時忠さんは十年は持たせると張り切っていたよ」
「これが、十年もか……」
本当にえげつない、と信応は露骨に顔を顰めていた。
その間、北条は里見に富を吸い取られ続けるのだ。贅沢は一度覚えるとなかなか忘れられない。
その吸い上げた富で里見は富国強兵を行い、更に北条に負担を強いる。しかも里見の輸出品と同じ品物を扱う同業者は凄まじい価格競争に巻き込まれることになる。
正に悪夢としか思えない状況にある。
そしてこの状況を続けるために必要な技術は、以前からの警備体制に加えて風魔が協力して全力で隠しているため、そう簡単にはバレないようになっている。
「今は休戦しているだけだからな。『いつなん時、如何なる場所で、如何なる事が起こった場合でも善処が出来るように、常々準備を怠ることなかれ』ってね」
「なるほど、良い言葉ですな」源一郎は感心した声を上げた。
「しかし『備えよ常に』ですか。いやはや、やる事が多すぎますなぁ」
義頼の言った言葉はボーイスカウトの標語である。ある“会合”の際にこの標語が出されて以来、参加者全員がその言葉通りに今出来る準備、つまりは災害よりも明確に分かりやすい次の戦に備えていた。
まず国力を上げるため、里見家の支配力を強めるために反抗的な土豪が一掃された事により北条の内政を真似た改革を行っていた。
検地による税と所有者の明確化、段階的な国人衆の中間搾取の排除、里見家主導による産業の発展、交易の拡大、そして軍拡である。
「やらんといつまで経っても国内の纏まりが無いからな。今のうちに進めておきたい」
「しかし、殿も偶には息抜きはした方がよろしいかと。ここ最近は籠って遅くまで仕事をしてばかりですぞ」
義頼は思わず驚いた顔になり、窓から外を見る。雲一つない快晴だった。
「……何故、外を見るので?」
「いや、じいがそんな事を言うから空から雹でも降るのかと思ったのだが」
「とのー? どういう意味ですかなー?」
「まぁまぁ」
源一郎が顔を引きつらせて声を上げるのを信応が宥める。
「まあ、息抜きをするのは大事ですぞ。とはいえ、出かける時はしかりと連絡してからお願いします」
「子供か俺は」
思わず言い返すが、その通りだった。ああ、まだ身体は十一歳だった。子供だな。うん。
皆で軽く笑い合った後、義頼は言った。
「それなら今度、和田に行こうかな。久々に船に乗りたいし、今年の捕鯨の成果も見てみたい」
「おお、いいですな。ワシも捕鯨を見たことが無い。行ってみたいものですぞ」
乗り気な信応の様子を見て、義頼は視線を源一郎へと送る。
「むぅ、仕方ありませんなぁ」
源一郎は溜息混じりに答えた。本来ならば危険の多い船旅をして欲しくはないが、自分が言い始めたことだ。それに、こうなったら止めても無駄だと分かっていた。
義頼は笑みを浮かべた。前世では余り縁が無かったが、船に乗るのは楽しいのだ。それも自分が設計した艦なのだから特にだ。堅苦しい礼服を着ることもなく、細かい礼儀作法を忘れて潮風を胸一杯に吸い込み、甲板をうろつき、狭い船室で揺られて寝る。本当に楽しみだ。
「ふふ、では失礼する」
信応は型通りの礼を取り、来たときのようにドスン、ドスン、と床を突いて退出していった。
見送った後、義頼は冷めた茶を一気に飲み干して息を吐いた。頭の中であれこれと夢想しながら、再び面倒な書類仕事に取り掛かった。
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