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第20話 三者のこれから

楽しんでもらえれば幸いです。

 天文二十二(1553)年十月 安房国 久留里城


「――として、ここで風魔小太郎は私の配下として忠誠を従うと表明。風魔調略は成功したと思います。現在、相模国より移動してきた風魔たちには椎津に待機させています」


 会合の席で、冷や汗を流しながら風魔調略について報告をする義頼。

 そして報告を聞く面々は「ああ、やっぱり」という表情を浮かべていた。何故だ。


「……なんで皆さん落ち着いているんですか?」

「いや、まあ予想はしていました。本当に陪臣になるとは思いませんでしたが……」


 代表して時忠が言う。風魔を里見家の家臣として迎え入れようとしたら、義頼の家臣となった。あまり好ましいとは言えないが、義頼以外の面々は何となく予想はしていた。


 風魔調略の際、一番揉めたのは誰が交渉するかだった。

 かき集めた情報を元に、交渉にあたって必要なのは「里見の中で地位が高く、忍を下に見ず対等にもてなし、口が立つ者」と結論が出た。


 まず最初の前提である地位が高い者で忍を下に見ない、という時点で会合の参加者と僅かな重臣のみとなった。口が立つ者でも同じである。そして、万が一のことがあったら、という事で義頼に白羽の矢が立ったのだ。


 義頼の知識(造船関連)はこの時代で再現できるものは既に本に纏めており、また船大工達にも技術を教えていたことに加え、他の面々は仮にいなくなった後の損害が大きすぎるのが理由であった。これは義頼も認めていた。それに義頼は次の後継者の一人でもあり、当主である義堯の息子。交渉する際に「里見はこれだけもてなしている」と見せる事ができる。また本人は自覚していないようだが、その人たらし(・・・・)としての能力も買われていた。


 ある意味、風魔との交渉にはうってつけの人材でもあったのだ。

 今回の調略に当たり、まだ若いが、今までの功績によって正式に館山城主となった。ただ、今回ばかりはそのたらし(・・・)が効き過ぎたようだ。


「……最良の結果ではないが、良くやった。これで北条からの嫌がらせも減るだろう」


 義堯の言葉に全員が大きく頷く。

 元々、里見が治めている地域は耕作土地が少ないため田畑を潰されたり、倉を燃やされる、貴重な軍馬を盗まれていくなど、風魔による襲撃は深刻な問題だったのだ。それが一気に改善されるだけでも相当楽になるのだ。


「とりあえず、風魔に与える領地は――」

「そのことだが」義堯だった。義舜の言葉を遮り、全員の視線を集めた所で話を続ける。

「風魔は騎馬を得意とするのだな?」

「はい。彼らによれば今の明国や遊牧民、中には欧州から渡って来た人々を祖にしており、馬の扱いには絶対の自信があるようです。また、一月足らずで数百人もの人間が上総国まで移動してきたのを考えれば、間違いないかと」


 義頼は素早く答えた。

 小太郎によれば忍は四組二百人、そして老若男女の一族の者が加わる。かなりの大所帯だ。そして、足の遅い子供や老人に合わせて動くため、通常、民衆の移動には時間がかかる。


 会合の面々もそれを分かっていたため、当初は水軍が相模国まで夜間強行し、迎えにいくという案があったのだ。ところが風魔はそれを断った。風魔は北条から軍馬を強奪し、自慢の足で険しい山岳部を通り続け、時には関所を強行突破して上総国に入ったのだ。

 かの早雲が惚れ込んだ、凄まじいまでの技と能力。それを見せ付けられる形となった。


「ふうむ……」


 それを聞いて、義堯は瞑目する。そして長考。ただ卓上を指で打つ音が一定の間隔で響いていた。何か迷っているようだった。

 暫くして、指を打つ音が止まる。考えが纏まったようだ。


「風魔に与える領地を変える」


 義堯の言葉に全員が怪訝な表情を浮かべた。

 予定していた領地は先日までの内乱で手に入れた、上総国の内房正木氏らの領地である。前線に近いが石高もあり、結構な広さはある。

 まさか減らすのか、と内心考えたが、義堯は領地を変えると言った。

 では、何処だ?他に場所は無かったはず。そんな疑念には答えず、義堯は言う。


「義頼」

「はっ」

「今回、風魔を調略した功績により、峯岡牧(みねおかまき)の土地と管理を任せる。ここを風魔に新たな領地として与えろ」

「……ゑっ?」


 思わず変な声が出る義頼。余りにも予想外の言葉であった。

 なんせ峯岡牧は、愛宕山・嶺岡浅間山を含む嶺岡山地一帯を使った牧場であり、その総面積はおよそ千七百十七町歩、17平方キロになる。

 とにかく、とんでもなく広い牧場だった。またここでは入手した騎兵用の軍馬の育成が行われており、里見家の軍事機密のひとつでもあった。

 

「……殿、よろしいので?」時茂が訊ねた。義堯の所領を大きく削ることになるからだ。

「元々、風魔には軍馬育成を任せようと考えていた。そして、あそこ一帯には人は殆ど居らず、土地も広い。貴様らの言葉で言えば『餅は餅屋』だったか?馬は専門の人間に任せたほうが良いだろう」

「確かに……。義頼の領地も先日の風魔による被害がありますから」


 納得した風に義舜が言う。この中で広大な領地を持つのは義堯、時茂、時忠の三人だけであり、余裕がないだけでなく、義頼が治める館山は風魔による放火で甚大な被害を出している。


 義頼個人で言えば、風魔に対して含むものはある。自身の領地を焼いた相手だ、何も思わないはずが無い。だが、己の感情よりも施政者として動かなければならない立場にあった。もし、風魔がこれからも敵であれば被害が出続ける。民衆にも、これからの戦略にも影響が出続ける。それだけは避けたい。そう考えて納得させている。


 しかし、民衆はどうか?

 先の火災の原因が風魔だと分かれば、まず納得しない。民衆が風魔に感情をぶつけ、諍いになるのは目に見えている。

 

(それに、風魔は里見を裏切らないだろう……)


 そう義堯は確信した。

 転生者たちによって考え方が変わってきているものの、義堯には忍びという存在が完全には信用できないでいた。

 だがこの状況で、風魔が下ったことが最初から北条の命令であるとは考えにくい。北条は風魔を嫌っており、やり方も酷く回りくどい。今まで通りに諜報を行えば十分であるからだ。

 

 ならば、いっそのこと軍事機密である軍馬育成を任せてしまえば良い。情報の拡散防止にもなり、里見は広大な領地と重要な役職を与えることで風魔に我々はこれだけ厚遇している、そう見せることもできる。


 また嶺岡山地は地盤が脆く崩れやすい所があり、耕作には不向きな土地なのだ。その所為でこの土地で生活する人間も殆ど居ないため、余所者である風魔を嫌う人間も居ない。

 お互いに良いこと尽くめであると義堯は考えたのだ。


「……こう言うのも何ですが、殿も大胆ですね」

「ワシは里見家当主だ。これが一番良いと判断したまで」そこまで言って、義堯はニヤリと笑う。

「大胆というなら貴様らに毒されたのか、ワシも義頼(こやつ)の父である、ということだろう」


 そう言って小さく笑いを零した。

 この言葉に義舜は何ともいえぬ顔つきに、実元と安泰は笑いを噛み殺していた。義堯と付き合いの長い時茂と時忠の兄弟はあー、という納得したような顔つきだった。義頼だけは眉根を揉んで俯いていた。


 場の雰囲気は明らかに変わったが、義堯はさくっと無視して話を進める。


「しかし動きが速いな。さすが風魔、といったところか」

「風魔忍軍の概要を訊ねたところ、老若男女合わせて忍は二百人ですが、幼少期から全員、忍としての訓練を受け、試練に合格した者のみが風魔として活動するそうです。ですので上から下まで、最低限の能力と技術は持っているようです」妙な顔をしたまま、義頼は答える。

「下手したら忍になれなかった者でも、そこいらの武者より強いかもしれません」


「それは重畳」時忠が言う。

「敵だったら厄介ではありますが、味方ならこの上なく頼もしい存在ですね」

「全くです。我々は風魔に散々手を焼かされましたが、その風魔の攻撃を北条が受けることになるのか……。ご愁傷様ですね」


 実感の篭った声で実元が言う。

 風魔による攻撃、特に集中して受けたのは兵器製造分野である。つまり実元の管轄であった。今までの苦労をしみじみと思い出しながら、これから起こるだろう北条側の苦難に同情した。それ以上にざまあみろとも、胃を痛めてしまえ、ストレスで禿になってしまえとも思っていたが。

 

 意味を理解した義舜は苦笑した。今まで事有るごとに実元の恨みや愚痴を聞かされており、自身も苦労したからだった。

 まあ、それはともかく、と仕切り直して話を進める。


「ま、風魔には当面、北条の城の見取り図の作成、それと諜報網の構築と馬の育成に取り掛からせるか。あと技術を持つ者には教師として召し抱えよう。特に医学や薬学を持っている人材は希少だ」

「あとはこれまで以上に連絡を密にするために、各地に風魔用の家か部屋を用意しませんと」

「兵器製造関連にも必要です。諜報だけでなく、違う視点からの意見も欲しいですし」

「水軍にも要りますな。水夫として風魔を忍び込ませればこれまで以上の成果は出るでしょう」


「――ふむ、そうだな。義頼」ある程度意見が出尽くしたところで、義堯が言う。

「風魔にどんな人材がいるか、直ぐに詳細を調べろ。出来上がったらワシのところに持って来い」


 嗚呼、やっぱり。仕事は増えるのね。


「当然だ。お前の家臣だからな」

「デスヨネー」義頼は半眼になりながらも答える。

「うむ。――風魔に関しては良いだろう。内乱は?」


 一瞬で空気が変わる。全員が真剣な表情に戻る。義舜が立ち上がり、報告を始めた。


「内房で反乱を起こした内房正木氏、及び土豪勢は鎮圧しました。ただ、一部は内乱前に三浦半島へ渡っていたようです」

「正木与五郎か。……情報漏れか?」


 情報漏れとなると、内通者がいることになる。その事を義舜は首を横に振って否定した。


「いえ、調査したところ情報が漏れた痕跡はありませんでした。前々から交易で北条側から連絡役が欲しいと希望しており、それで移住していた模様です」

「……本当だとしたら運の良い奴だな」

「念のため、これからも調査する予定です」

「義舜様、失礼ですが、陸軍はどの程度まで完成していますか?」


 安泰が訊ねる。今回の内乱では新しく編成された陸軍も動員された。これから対北条の要になる存在なため気になっていたのだ。


「……まだまだ、だな。教育で最低限の規律は守り、また今回の内乱では損害も少なく常備軍の実戦経験も錬度も十分になった。だが、やはり金が足りないな」


 現在の里見家は安房国、上総国中部以南を押さえており、貫高は十五万貫。石高で三十万石ほど。負担は大きいが、従来ならば最大で七千五百の軍勢を養えるだけの国力はある。

 とはいえ、ここから里見家自身が自由に使えるのはこの半分以下。会合の面々の協力を得ても、十万貫が限界であり、増大する戦費と維持するだけで金を喰う常備軍となると話は変わる。


 義舜はかつて受けた日本陸軍の教育と徹底した軍事訓練を行い、また充実した装備と銃兵、砲兵を中心に編成しているため、金がかかっている。それにこういうのが出来るのは会合の面々の領地のみであり、現状の国力では数は三千が限界であった。


「あとは従来通りに陣振れで人を集めるしかないな……」

「集まるかなぁ……」


 この当時の足軽の多くは食うのに困った者や領主と奉公関係を結んだ者がなっていた。つまり、村に居ても生活できないから足軽になるとか、普段は村に居るけど戦の時は兵として出て行くものだった。


 というのも、この時代の農村は自治性が高く、領主の政策が気に入らなければ村ごと逃亡や反乱を起こすのだ。村には足軽の取り纏め役である地侍がいるし、また村ごとの抗争も多かったので武器が貯蔵されている。

 もし領主が反乱を鎮圧しても、残るのは鎮圧に掛った費用と、荒れ果てた村だけ。すると年貢や労役が全くなくなる訳で、領主は大きな打撃を受けてしまうのだ。

 であるから余り強気に出れないし、領主は村と人を大事にしなければならなかった。


「……まぁ、米や銭を報奨としてばら撒けば流れ者も来る。千や二千は集まるだろう」

「しかし、雑兵を戦に連れて行くのですか? 勝ってるときは良いですが、不利になれば一気に崩れかねませんが」

「分かっている。基本は人夫か工兵にする。賦役の一種として呼びかけるしかない」

「賦役なら道路を中心に作りたいですね。輸送量と行軍速度が格段に上がります」

「商人も呼び込めるうえ、軍の展開も楽になる、か。それで行くか」


 特に反対はでず、陸軍の方針については決定した。


「水軍は?」義堯が訊ねる。

「第五、第六造船所が損壊した影響で建造計画に遅れが出ています。ですが、甲型二番艦と乙型三番艦、四番艦の建造は順調です。予定している艦隊計画にはまだ足りていませんが、これから技術の蓄積をしつつ、新型艦を設計し、試験運用などもを試してみようかと考えています」

「……ちょっと待ってください。水軍は何処までやる気ですか?」

 

 妙な言葉に引っかかった実元が訊ねる。義堯も聞いておらず、怪訝な表情を浮かべた。


 現在、内房と外房から動員できる里見水軍の戦力は、


 軍艦

 ・帆船

  ・甲型海防艦   一隻 春風

  ・乙型海防艦   二隻 桜・橘

  ・千鳥型砲艇  二十隻

 ・和船

  ・関船     十二隻 

  ・小早      多数


 商船

 ・図南丸型    十二隻(捕鯨漁船)

 ・弁才船      多数


 となる。未だ小型船が中心だが、捕鯨と交易による利益で大型船の整備も少しずつ進んでおり、現在では東国でも一、二を争うほどの大戦力となった。

 ただし、図南丸型は捕鯨漁船であり、弁才船は交易として使うため全て動員できる訳ではない。

 これからは甲型と乙型、そして千鳥型を中心に水軍が編制されていくことになる。


 対する北条水軍は不明確だが、里見水軍の軍拡に対抗するべく、大型軍船――恐らく安宅船――が十隻、関船三十隻はいるのは分かっていた。更に追加で大型船を建造していると言う。

 義頼は艦の性能はこちらの方が高く、熟練の水夫を持つため質では北条よりも上だと考えていた。だが、物量と天候、そして運次第では大敗することもあるのが現実。


「水軍では、きたるべき北条水軍の決戦に備えるために当面は(・・・)甲型四隻、乙型四隻を建造、これを中核とし、また千鳥型の更なる量産、そして改装軍船を含めた[四四艦隊計画]を考えております」


 義頼の言った野心的な建造計画に、思いっきり引き攣った笑みを浮かべる面々。いや、安泰だけは大きく頷いて賛成していた。


「……大丈夫ですか、それ。国力が持ちませんよ?」


 代表して実元が訊ねる。現状でも維持費だけで金がかかっており、水軍の戦力は十分だと考えていた。それに、義頼の艦隊計画はどう考えても日本帝国海軍の大艦隊整備計画にしか思えず、「当面は」と強調して言ったことから、それ以上の艦隊計画――恐らく八八艦隊計画を意識したものだろう――を考えているようだった。


「水軍は直ぐに拡大できるものでは有りませんし、館山は復興特需で経済も順調に回復しております。また捕鯨と漁獲量を増やし、交易を行えば十分に可能と判断しました」


 どうやら、水軍関係者の二人は問題無いと判断したらしい。

 本音で言えば、義頼は甲型海防艦、乙型を八隻ずつ建造する気であった。だが現状では建造費の高騰で難しくなっていた。

 

 原因は、義頼の所為である。

 甲型では現状で最高の艦、つまり「高火力・高防御・高速力」を目指して設計されたために、使う木材も主に樫と楢を使用することになっている。

 樫と楢は欧州ではどちらもオークと総称されるが、日本の樫はストーン・オークと呼ばれるほど硬く重い木材であった。それ故に堅牢で安定性も高いのだが、加工にとんでもなく手間がかかる。


 要するに義頼が意気込んで材質と設計を凝りに凝った結果、建造費用の高騰と建造の遅延を招いてしまったのだ。

 そのため建造数を減らし、また一部設計を改めて汎用性を高めようとした。

 費用と工期を圧迫する樫の使用を減らし、安価で加工しやすく揃えやすい杉や松に変更。また艤装を簡素にして生産工数を簡略化し、全体の軽量化を行う。これにより、火力はそのままに使い勝手を良くし、建造費削減が出来るとしていた。


「材質が違うため防御力はやや落ちますが、同等の戦闘力を維持し、建造費と工期も短くなります。なにより、図南丸型は捕鯨漁船です。何かあった際には戦力としてなりません」

 

 ここぞとばかりに利点を並べていく。そして、本当の要求を口にだす。


「ですので建造に必要な資金を幾らか融通して頂きたい」


 実は既に艦隊計画に必要な資材は発注してしまい、後戻り出来なくなっていた。そのお陰で館山の財政は火の車。

 義頼は必死だった。


「………ふむ、まあ良いだろう」深く深くため息をつき、義堯は許可を出した。

「義頼の言うことも一理ある」


(よっしゃーっ!危ねー!)


 内心小躍りしながら許可が出たことに喜ぶ義頼。安泰も満面の笑みであった。

 しかし、即座に冷や水を浴びせられた。


「ただし、金はこれだけしか貸さん。残りは自分で調達しろ。こっちは陸軍の編成で手一杯だ。あと、建造計画も持って来い」


 義堯は言うや部屋に置いてあるそろばんを打ち、その金額を提示した。


「年利は三割だ」

「……げっ」


 愕然とした。義堯の提示した予算は乙型海防艦四隻分で、年利で三割。まだ足りない上にかなり阿漕な年利であった。

 現在、館山は復興のために商人達から資金を借りており、これ以上は借りられない。これ以上は何をとられるか分かったもんじゃなかった。また領主たちに建造した艦を売りつけて運用するのも考えたが、負担が大きい上に館山・勝浦以外ではまともな港が無いため、管理が出来ない。色好い返事は少なかった。

 そのため、初期投資分は面々を巻き込んで資金を募り、それを元に建造する予定であった。完成した艦は館山に係留され、有事の際に運用、また貸し出しを行おうと考えていた。


 即座に義頼は年利の引き下げと増額を願ったが、


「無理だな。まだまだ修行が足らんわ」


 帰ってきたのは無常な声だった。


「……あー、すみません。時忠さん、手伝ってください。お願いします」


 義頼は即効で時忠に土下座をかまして、資金援助を願った。


「ふふっ、良いですよ。堺の商人たちをもう少し呼び込もうと考えていましたし」


 時忠は笑顔で快諾した。


「その代わり、捕鯨の利益分配はこれで。あと、関船の代艦の建造と、甲型は此方にも貸してくださいね」


 もう少し民衆に銭を持たせたいので、とぱちぱちとそろばんを打つ。現行よりも利益は減るが、背に腹は代えられなかった。


「……ハイ、ワカリマシタ」


 救済する天の声だと思ったら、悪魔の囁きだった。そうだった、時忠は悪魔だった。

 義頼は真っ白になった。


「さて、義頼は放って置いて」義堯は話を進める。

「当面は国内の充実、金儲けが優先となるな。その間にも北条が攻めてくるかもしれん」

「その北条ですが、面白いことになっているようです」時忠が言う。

「ほう?」

「どうも風魔は相当暴れたようで、その被害から当分動けないようです」



 相模国 小田原。

 月に一度行われる評定では、重苦しい雰囲気に包まれていた。


「…………なんだ、これは? 何故これだけの被害がでた?」


 搾り出すような声で、氏康は問いかける。

 その手には何度も見返して皺のよった報告書があった。

 一言で言えば、被害甚大、である。


 先日より、風魔の様子がおかしくなっていた。

 普段は町で窃盗や諍いを起こすはずなのに、ここ最近ではそれが無くなっていた。それどころか風魔が町に出てこなくなったのだ。民衆は忌み嫌う風魔を見なくなり清々した、と喜んでいたが、氏康らには不審に思った。

 今更、改心するはずが無いと考えた氏康は風魔とは違う忍を動かし、調査させることにした。

 

 その結果、なんと風魔ら山の民は住処であるはずの風間谷を離れて、山岳の中をひたすら東に向かって移動しているという。

 直ちに氏康は風魔小太郎を呼びつけ、何故の理由があって土地を離れるのか、と叱責した。

 対する小太郎は微笑を浮かべて、既に早雲様との契約は切れております。ですので、新たな契約を結びました。そう答えて消えていった。

 氏康は激怒し、すぐさま探してこいと辺りに怒鳴りつけたが、既に遅かった。


 風魔による襲撃。軍馬が強奪された。倉から米が盗みだされました。

 火災が発生しています。

 風魔によって鉄砲が奪われました。技術書が無くなっています。


 矢継ぎ早に入ってくる情報に、氏康は理解し、再び激怒した。


 ――おのれ風魔めっ!里見に内応したのかッ!


 同時に、酷く不味い状況であった。

 風魔忍軍の頭領である風魔小太郎は、初代早雲様により「風間出羽守」という名と「警備」の役職が与えられていた。小田原城だけでなく、各支城の構造、戦力の配置などを知っている。

 これが里見に伝われば、今後の戦略が全て意味を持たなくなる。

 すぐさま兵と忍らを動員し、風魔討伐を命令した。

 

「奴らは里見に内応した。一人残らず討ち取れッ!」


 しかし、風魔は山の民であり、氏康が尊敬して止まない早雲が惚れ込んだ程の技量を持つ集団である。

 険しい山岳の中であっても卓越した技量で持って騎馬を走らせ、その追跡をかわしていく。

 命令を受け、関所に軍勢を待ち伏せさせたが全員が嬲り殺され、遺骸を晒して他の軍勢を恐怖に陥れた。

 道中、忍がどうにか風魔たち山の民の中に紛れ込むも、夜間に小太郎の合図でたいまつを灯し、お互いに取り決めていた声をだし、立ち上がり、立ち座りを行った。

 「立ちすぐり・居すぐり」という、紛れ込んだ敵を見分けるための合図であった。

 これにより、紛れ込んだ忍は全て討ち取られてしまった。


 そして、そのまま相模国、武蔵国、下総国と抜けて行き、上総国の里見の勢力下まで逃げ切られてしまった。


「つまり、なにか」氏康は額に青筋を浮き上がらせ、怒気を滲ませる。

「風魔は我々の追跡を全てかわし、里見の勢力下まで逃げ切られた、と。そう申すのか?」

「はっ……その通り――」


 報告する家臣は続きを言えなかった。氏康が投げつけた扇が頭に直撃したためだった。

 氏康は怒りのあまり、腰を浮かせ、顔を真っ赤にしていた。


「馬鹿者ッ! 今まで貴様の忍は風魔なんぞより優れていると散々言っていたのではないかッ! 何だこの体たらくは!?」

「は、ははッ! 申し訳ありませぬ! なにとぞ、なにとぞお許しをッ!」


 平伏し、許しを請う姿を見て、僅かに溜飲を下げる。そのままどかり、と音を立てて座り直し、息を整えていく。

 僅かに落ち着いた当主を見て、家臣らは口々に里見や風魔を罵りあう。


「里見め、風魔を調略するなど……」

「風魔も風魔だ。いけ好かない奴らだが、北条への恩を忘れるとは……」

「里見と風魔、異端同士気が合ったのだろうよ……」

 

 北条から見れば、風魔は裏切り者だ。山の民であるにも関わらず、早雲様によって見出され、名と役職を貰うという名誉があった。

 それにも関わらず、今まで村々で略奪を働き、今回はその恩を仇で返したのだ。

 裏切り者以外、何でも無かった。 


「静かにせよ」苛立たしい声で氏康が言う。

「忌々しいことに、今は里見と風魔に報復することも出来ん」

 

 この言葉に全員が苦虫を潰した顔をする。

 現在、北条は関東管領である上杉憲政の要請を受けた越後の長尾軍によって上野国を攻められていた。北条軍は長尾軍のいる上野沼田城を攻めたが撃退され、さらに平井城、平井金山城を長尾軍に奪われていた。

 これにより北条幻庵が率いる北条軍は上野国から撤退、武蔵松山城へ逃れており、長尾軍に備えて新たな軍勢を動員、再編成している最中であった。

 これに加え、今回の風魔による騒動である。


「風魔は里見に下った。その対策を考えなければならん」


 難題である。家臣らは喧々諤々と言い合い、議論していく。

 氏康はその声を聞きながら考えていた。


(何故だ、何故こうも上手く行かないのだ)


 散々里見に煮え湯を飲まされた挙句、風魔にも裏切られた。これも風魔を理解しなかったためであるが、氏康には分からなかった。

 

 ――だが。


(我々は志を持たぬ里見などとは違う。我々の夢の邪魔はさせん)

 

 北条の夢、それは早雲が目指した夢である。


(執権北条氏としてこの関八州を、ひいては全国を差配し、平穏で豊かな国家とする。その邪魔はさせん……!)


 氏康は決意を新たに、里見と風魔の対策に全力を尽くすことを誓った。



 上総国、椎津。


 会合を終えた後、義頼たちは椎津にいる風魔を訊ねていた。


「やあ、小太郎。元気かな?」


 椎津城の一室。

 義頼は片手を挙げ、気安い挨拶をした。


「お陰様で、みな良くして貰っています。誠に、有難うございまする……」小太郎は微笑を浮かべ、すぐさま深々と平伏した。

「いやいや、気にしなくていいぞ。大したことはしていない」

 

 ひらひらと手を振りながら、頭を上げ、立ち上がるようにと義頼は言った。その言葉通り、義頼は大したことはしていないと思っていた。


「そういう約束だからな。早々破らんさ。それと、紹介したい人がいる」


 そう言うや、横に座る人物に目配せをする。


「佐貫城主、里見義舜だ」小太郎は再び平伏しようとするが、義舜に止められる。

「ああ、別に構わん。俺の家臣では無いのだから平伏しなくていい」

 

 これは非公式なものだしな、とあっけからんという姿に「成程、さすが義頼様の兄上であられる」と小太郎は苦笑した。


「これのような人たらしではないがね。俺は」親指で指差しながら、義舜は言う。

「どういう意味ですか、それは」

「その言葉通りだよ」軽く肩を竦めて言う。


 戦国の世では珍しい、気安く言い合えるほどの仲の良い兄弟。思わず小太郎は笑いが零れた。


「ほらみろ、風魔殿も笑って同意している」

「くくくっ、小太郎で構いませぬ。いやまあ、義舜様の言葉には同意しますが」


 何故だ、と言わんばかりの表情を浮かべた義頼に、義舜と小太郎は堪え切れず大きく笑う。


(本当に、本当に里見に来て良かった……)


 笑いながら小太郎は、ここまでのことを思い返していた。



 あの後、小太郎はすぐさま印判状を持って風間谷へ帰還し、一族郎党全員を集めて宣言した。


「我らは、これから里見へ下る。これより里見へ移動する準備にかかれ」


 唐突な小太郎の言葉に、全員が反発した。当然であった。

 里見は長年、任務上で対立してきた敵である。その過程で命を落とした者も多く居る。またここ風間谷は長年住み続けている場所であり、土着心のある場所なのだ。ここを離れるなどとんでもない、と叫んだ。

 そんな中、一人の男が言った。組頭であった。


「理由を、お聞かせください。ただ里見に下る、だけでは納得できませぬ」 


 小太郎は義頼との会話を聞かせた。それは驚きの内容だった。


 迫害しない、平穏を与える、そして天下、世界を回るという夢……。


 山の民には懐かしい響きの、そして俄かには信じられない内容だった。

 小太郎は花押の入った印判状を掲げ、これは嘘ではない、と宣言した。


「五十年、五十年だ。長いようで短いかもしれない。だがその間は平穏を与えると、里見は確約した。我らが求める平穏を、与えると名を持って誓ったのだ!」


 声を荒げて言う小太郎に、全員が呆然とした。今まで見たことの無い姿であった。

 だからこそ、信じられなかった。

 ――あの風魔小太郎を、里見はここまで熱狂させるのかと。


「改めて、問う」小太郎はぐるりと見渡し、静かに言い放つ。

「故郷を離れ、平穏を手に入れるか、このまま故郷にしがみつき、屈辱に塗れるか」


 どちらか選べ、そう言い切った。

 数瞬後、動きがあった。


「―――わかりました」組頭は膝を突き、頭を垂れる。

「我ら風魔忍軍の頭領は風魔小太郎、貴方様です。私はその言葉に従います」


 老年の組頭が賛成したのを皮切りに、次々と山の民は賛成を示した。

 全員が分かっていた。このままでは北条に飼い殺されると。食料も少なく、着る衣服も減ってしまい、もう我慢も限界だった。

 それならば、里見に下って束の間かもしれないが「平穏」を味わいたいと。自分らが認めた頭領の言葉に賭けてみようと。もう北条には付き従いたくないと。そう考えたのだ。

 

 そして風魔たち山の民全員、移動に賛成した。

 この結果に小太郎は穏やかな笑みを浮かべ、大きく頷いた。


「よろしい。では、準備にかかれ」

『はっ!!』


 そして、風魔は移動を始めた。


 北条の追撃を受け、怪我人を出し、また疲労困憊になりながらも強行軍で上総国までやってきた風魔を迎えたのは、武装した里見の軍勢であった。

 まさか、罠だったのか、と風魔たちに狂乱が起き掛けていたが、一人の身なりの良い武将が前に出た。 

 

 口上を始める。


 自分は椎津城の守将、木曾左馬介である。

 この軍勢は追撃を受け、疲弊しているだろう風魔たちを守るため、事前に義頼が木曽に頼み込み保護するよう願ったためであること。

 里見は風魔に対して、敵意を持っていない。

 怪我をしている者には、すぐさま連れて来た医者に診察させる用意がある。


 だから、我らを怖がらず、受け入れて欲しい。


 小太郎はすぐさま前に出て、了承する返答を行った。

 風魔たち山の民には驚きの連続であった。領主自らが出迎えただけなく、自分達のために医者を連れて来ていた。すぐさま簡単な診療を行い、怪我人も含めて風魔に用意した館に案内したのだ。また長旅で疲れているだろうから、と大釜でたっぷりの湯を沸かして風呂の準備していた。風呂に入るなど、非常に贅沢なことだ。さっぱりした所で差し出されたのは真新しく上等な着物に着替えさせられ、炊き出しで出された粥は弱った身体に優しく染み込んだ。


 このあまりの厚遇に夢ではないか、隙を見て皆殺しにするんじゃないか、と不審がる者もいたが数日経ってもそんな兆しは全く無く、夢じゃない、と嬉しさのあまり涙する者もいた。

 これこそ待ち望んでいた、人として扱われ、平穏そのものであった。


「――小太郎、どうした?」


 急速に、意識が浮上する。


「申し訳ありませぬ。少々、ここに来たときのことを思い出してございまして」

「うん? そうか……、何処まで話したんだっけな?」義頼も深くは聞かず、話を進める。

「風魔に与える所領についてだな」義舜が答えた。

「ああ、そうだった」


 義頼は軽く咳払いし、居住まいを正して表情を引き締める。雰囲気が変わる。小太郎も自然と背筋が伸びた。


「風魔忍軍が頭領、風魔小太郎」

「はっ」

「所領として峯岡牧を与える。また、当地にて軍馬育成の任を与えるとする」

「……ははっ!」


 一瞬、硬直してから小太郎は平伏する。その姿を見て、義頼は元の雰囲気に戻った。


「やっぱり驚くよなぁ、うん」

「まあそうだろうな」


 二人してうんうんと頷く。小太郎は困惑した表情を浮かべた。

 峯岡牧は小太郎も知っていた。軍馬育成のために再興された広大な牧場である。そこを所領として与える? 軍馬育成という、重要な役職を与えるというのか。


「ああ、それな」小太郎の疑問に対して、義頼が答えた。「父上の発案でな。折角の騎馬技術を持った人材がいるなら任せた方が良いとのことだ。風魔なら機密も保たれるだろうしな」

「……流石というか、何というか」どこか呆れた声色で小太郎が言う。

「俺と義頼の父だ。この程度で驚いていたらいちいち身体が持たんぞ」

「ま、これから忙しいぞ」

「軍備の充実、北条の城の見取り図の作成、軍馬育成、諜報網の構築、交易の拡大、艦の建造……。喜べ、仕事は山ほどあるぞ」

「どれも、大変そうですな」

「どれも風魔たちの力が要る仕事だよ。ああ、そうだった」


 忘れるところだった、と義頼は笑みを浮かべ丁寧な礼をする。


「改めて、これから頼むよ。風魔小太郎どの」


 対する小太郎は微笑を浮かべ、見事な返礼を行う。


「これより我ら風魔、里見義頼様の臣となります。よろしくお願い致します」

誤字・脱字がありましたら連絡をお願いします。


2017年4月30日 文章の加筆修正を行いました

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