第19話 風魔調略
楽しんでもらえれば幸いです。
※今回、差別用語を含みます。人によっては不快な思いをされますので、苦手な方はご遠慮ください。
風魔調略。
今まで里見でも考えられてきた案件である。
史料に乏しく存在が疑われる風魔ではあるが、この戦国の世に実在するのは分かっている。そして、伊賀、甲賀と並んでその知名度は高い。
また、これまで里見が実際に体験したように、風魔の持つ諜報・謀略だけでなく、敵地での破壊工作の技術もある。そういった忍のいない里見にとって、風魔は喉から手が出るほど欲しい存在であった。
ただ、風魔は何処にいるか分からない。下忍ではなく、今まで頭領である風魔小太郎や組頭などは探していても神出鬼没で捕まえることが出来なかった。
そこで、“会合”に参加する面々の前世と今世の知識をフルに使い、そして義頼の思いつきで無理やりでも風魔を引っ張り出すことになった。
◆
天文二十二(1553)年八月 安房国 館山城
深夜。
館山城内にある広間で、里見義頼と風魔忍軍頭領、風魔小太郎が対面していた。四方に置かれた洋灯が明るく照らしているため、互いの姿がはっきりと見えていた。
隣の控え部屋には里見方からは源一郎と岡本安泰が、風魔からは上忍が一人、控えていた。
「己が、当代の風魔小太郎であります」
(これが、風魔小太郎か……)
まだ若いな、と義頼は思った。見た目は二十代後半から三十代前半といったところか。
風魔小太郎は中肉中背で、凛々しい顔をして眼光が鋭く、それでいて纏う雰囲気は穏やかで物静かな感じであった。現代ならさぞモテただろうな、と思っていると小太郎がこちらをじっと見ていた。慌てて取り繕う。
「や、失礼。私が館山城主の里見義頼だ」
そう挨拶する義頼に、小太郎は困惑していた。
本当に館山城主になったのか。いや、それはどうでもいいな。
己と奴の距離が近い、近すぎる。ほんの数歩踏み込めば、義頼の首を取れるほどに近い。
そして、座敷には己と義頼の二人しかおらず、近習もいない。隣の控え室に岡本安泰と初老の男――朝比奈と名乗っていた――が控えているぐらいであった。
あまりにも無警戒すぎたのだ。
「良く来てくれた。まあ茶でも出そう」
そう言うやな、義頼は用意していた物を取り出す。煎茶を入れるための茶道具であった。
沸かしておいた湯を二人分の湯呑みと湯冷ましに注ぎ、茶筒から茶葉を適量取り出して急須に入れる。湯呑みに入れた湯を捨て、湯冷ましから急須に注いで蓋をして茶葉を蒸らしていく。頃合になると均等に茶を注ぎ、小太郎に差し出した。
「どうぞ」義頼が続けて言う。
「ああ、毒は入っていないぞ。折角の茶がもったいない。私が言っても信用できんだろうから……」
義頼は茶を一飲み。
「うん、美味い」
それを見た小太郎は、茶に毒は入っていないようだ、と判断した。
湯飲みを手に取り、一口飲む。
「ほう、これは……」
美味い。茶がこんなにも美味いとは思わなかった。出された茶はじんわりと温かく、口に含めばほろりと苦味がある。飲めば後味に芳香と甘さが残った。
「煎茶と言うんだ。私は茶の湯よりも、こういう茶が好きでね。中々良いものだろ?」
「成程、確かに」
義頼の言葉に小太郎は微かに笑顔を見せて答える。確かに良いものである。
「それで」人心地ついた所で小太郎が湯飲みを置き、話を切り出す。「我らをこれを使って呼びだした理由は?」
小太郎が見せたのは週に一度、館山で発行される瓦版だった。領国内で発行される瓦版は良く売れていた。書かれているのは、先日、九十九里浜では鰯が豊漁だった、捕鯨の時期が来た、上総国で国人同士の小競り合いが起きている、地域に伝わる昔話や伝承、暮らしに役立つちょっとしたコツ、毎週掲載される娯楽小説、等々。色々ごちゃまぜで紹介していた。
わら半紙と活版印刷によって値段も安価であるため、国人衆や商人らが勉学や儲け話などのために、また百姓らでも銭を出し合って購入することも多い。
娯楽に識字能力の向上だけでなく、意識の誘導としても大いに役立っていた。
義頼はどうやって瓦版で神出鬼没な風魔を呼び出したのか?
新聞での人探し欄である。
わざわざ瓦版の一面にでかでかと「風魔党の頭領、風魔小太郎と会談したい。いつでも良い。館山城で待っている。館山城主 里見義頼」の一文と花押を書いて。
この新聞を伊豆国に行く商人たちに持たせ、あとは風魔に見つかるのを待ったのだ。
流石の風魔も、この新聞を見たときには悪態をついた。最高の嫌がらせであり、こうも分りやすく呼び出してくるとは思わなかったのだ。
風魔は北条に嫌われている。これは間違いない。
この内容はいずれ北条にも知られる。知られたら風魔を嫌う連中が嬉々として「里見に内応していた」と言い触らし、扱いは更に悪くなるだろう。粛清もありえる。
里見に下るにしても義頼の首を取るにしても、風魔は強制的に、館山城に行って一度は必ず会わなければいけなくなったのだ。
そして狙い通り風魔がやってきた。
右筆(側使えの書記。文章の代筆や公文書、記録の作成を行う)と共に腱鞘炎になるまで書いた甲斐があったな、と義頼は内心ごちた。
「単刀直入に言えば、我ら里見に協力して欲しい、だな」
「ほう……」
里見に『下れ』でも『配下になれ』でもなく『協力して欲しい』。小太郎はどこか面白そうな表情を浮かべた。
「なんとも回りくどい言い方。それにこのような方法で呼び出して『来て欲しい』と言われても、まず信用できません」
「だろうな。だがこちらでは風魔を見つけ出し、直接あなた方に親書を渡すことが出来なかったのでな。他に方法が無かった」
そう言って義頼は一息に茶を飲み干す。
「茶のお替りは?」
「いただきましょう」
先程と同じ手順で茶を淹れる。義頼は新しく淹れた茶を飲みながら言う。
「確かに、風魔の技術は魅力的だが、あなた方に無理強いは出来ないだろうからね」
「その言葉の意味は?」笑みを深めた小太郎があえて訊ねる。
「色々と調べた、と言えばいいかな」義頼も微笑を浮かべて答える。
「なァ、古の豪傑たちの末裔よ」
「……くくっ、我らが何なのか、知っているようで」
心底面白そうな声で、小太郎は言った。その顔には歪んだ笑みが浮かんでいた。
「まあ、知ったのは偶然だがな。さて」義頼はいったん区切り、
「風魔は土蜘蛛、これは間違いないかな?」
「いかにも」
深い声で、小太郎は答えた。
土蜘蛛。
現代では能で「土蜘蛛」という演目がある。これは平家物語にある平安時代の源頼光伝説より題材に取り入れられた。
だが、土蜘蛛が蜘蛛の妖怪として扱われるようになったのは鎌倉時代以降で、本来の意味は「まつろわぬ人々」、つまり天皇に恭順せず敵対した、土着の土豪とその一門の蔑称である。
風魔の場合、最後まで従わなかったために土着の土地を追いやられ、そして各地を放浪しながら少しずつ同じような境遇の者を受け入れていった。
何年何十年も各地を彷徨い続け、辿り着いたのが足柄山の麓にある風間谷であった。大所帯となっていた彼らはここに隠れ里を作り、「山の民」として住むようになった。
彼らは竹細工や川魚などの狩猟、山の恵みの採取を生業とし、時折人家近くにあらわれては主に農作業で使う箕などと穀物や野菜、時には金銭と交換し、質素で素朴な生活を送っていた。
永い間放浪し続けた所為か権力志向が殆ど無く、また人の支配・被支配関係を忌み嫌う、不必要な武力は振るわない、といった事も分かっていた。
これは里見の商人と忍による長年の調査と、そして前世の記憶を交えた情報である。
「ふうむ。私の知る山の民とは、人の支配に縛られることも、無意味な武力を嫌っていると聞いているが」
「ほう、山の民を良く知っているようで。その認識に間違いはありません」
「今は北条に従っているうえに、我々には随分な武力を発揮したようだが?」
諧謔味のある声で義頼が言う。先日の館山で起きた火災が原因だった。
「我らの生活のためです。いつ里見が我らの里まで押しかけてくるのか、怖くて堪りませんので」
「生活、ね。それで命からがら館山と佐貫を焼き、我らから奪い取った兵器を氏康殿らの前で実演してみせた。なのに、褒賞は僅かだったとか」
義頼の言葉に小太郎は一瞬、僅かに眉を上げた。表には出さないよう抑えたが内心驚愕していた。何故知っているのか。あの場には少数の者しかおらず、誰も言いふらすとは考えにくい。有り得るとしたら、氏政の近習か、須藤だろうか。
「色々と調べさせてもらった、と言っただろう?随分と北条には嫌われているようだな」
単純な事である。里見では各地に旅人や行商人を派遣し、また城下町には下男下女を潜り込ませていた。
といっても、本人たちは忍紛いの事をしているなどとは思わないだろう。彼ら、彼女らはただ、商売の際や井戸端、買出しの際に住民や商人と噂話や世間話をしているだけなのだから。
これらの世間話を里見方の商人が聞き纏め、そして物価や売れ筋、町の活気などと繋ぎ合わせて、必要な情報を導き出していたのだ。
いわゆる、オープン・ソース・インテリジェンスと呼ばれる方法であった。
小田原では戦が終った後も北条からの大量の買い付けが行われ、特定の品物が値上がりし続けていた。また潜り込ませた下女によれば、職人衆が動き回っているという。そして城下町や近隣の村々で風魔による窃盗や諍いが起きており、目安箱には民衆からの苦情が以前よりも増加しているという。
そこから情報を繋ぎ合わせ、推測を交えた結果であった。
「だから里見に協力しろと?」平静を装って小太郎が言う。「我らは土蜘蛛ですぞ。それでも風魔を雇うとおっしゃるのか?」
「それが? まつろわぬ民だから、という事で雇わないならば最初から呼び出しはしない。それに、この戦乱の時代に身分はさほど重要ではない。何処ぞの馬の骨が大名に取り入ってその領地を奪い取り、また大名も自分の家系図を弄って己の正当性を主張するんだ。ウチも数代遡れば怪しいからな」
義頼は答えた。にべもない調子だったが、その言葉になんら嘘は含まれていない。
事実、安房里見家初代は永享十二(1440)年に起きた結城合戦にて敗北し、安房国に落ち延びた里見義実としているが、本当かどうかは分からない。また現当主である義堯も元々は庶流であり、宗家に対する下克上を果たして今の地位に着いた。義頼の言葉は当主批判になりかねないものだった。
「ところで、なぜ北条に従っているんだ? その理由が分からなくてね」
内々思っていたことを風魔にぶつける。
風魔たち山の民は北条が来る前から質素な生活をしていた。それは今も変わっていないようだ。だから北条に従っているのかが分からない。
地位も栄達も望まない人間が、まつろわぬ民がわざわざ戦乱の時代へ飛び込む理由が無いのだ。
小太郎はそれに答えず、ゆっくりと茶を飲む。十分に余韻を楽しんだ後、小太郎は語りだした。
「……本当に良い茶ですな。久々に美味いものを頂いた礼に、我らの歴史を教えましょう」
風魔が北条家に付き従うようになったのは、伊豆で起きた騒乱が始まりであった。
延徳三(1491)年、伊豆は堀越公方、足利政知の嫡男、茶々丸によって乱れていた。
元々、政知は茶々丸は余りにも素行の悪さに廃嫡し、もう一人の息子、潤童子に家督を譲ると決め、茶々丸を牢に入れていた。だが延徳三年に政知が病死すると茶々丸は牢を破り、継母である円満院(後の第十一代将軍、足利義澄の母でもある)と潤童子を殺害して公方の座に就いてしまったのだ。また重臣の外山豊前守や秋山蔵人らまで殺害している。
公方というのは、将軍の名代である。茶々丸の振る舞いは当然、関東の豪族に示しが付かず、あちこちで争乱が起きるようになった。茶々丸もニ代目堀越公方として軍を送り出したが、収拾がつかなかった。
明応二(1493)年、将軍の駿河国今川氏親の家臣であった興国寺城主、伊勢盛時、後の北条早雲が伊豆国へ侵攻する。この時、伊豆国の豪族は出払っていたが、民衆は重税と度重なる徴兵、更には流行病が蔓延して疲弊していた。山の民も例外ではなかった。むしろ不満の捌け口として迫害を受けていた。
早雲は内応した伊豆の豪族を従えて伊豆討入りを行い、韮山城(現在の伊豆の国市)を新たな居城とした際、この惨状を目撃した。そこで兵の乱暴狼藉を厳重に禁止し、病人を看護しただけでなく、煩瑣で重い税制を廃して「四公六民」の租税を定めた。
これはただの善意だけでなく、合理的な判断もある。
早雲の出自は備中伊勢家、室町幕府の政所執事を世襲する伊勢家の分家筋になる。名門ではあるが関東には基盤が無い。減税等で民心を獲得する必要があった。そして、その狙い通りに民衆の支持を受けるようになった。
そんな時、早雲はある噂を耳にした。
足柄山の麓にある風間谷には、妖がいる。
天狗、鬼と様々だったが、これに興味を持った早雲は風間谷へ向かった。そして山深い隠れ里で妖と呼ばれる彼らに出会い、その能力に驚嘆した。
風間谷の住む山の民は山岳に住むため非常に健脚で、手先が器用。また大陸から渡って来た人々を受け入れために、騎馬技術や漢方学といった知識も豊富に持っていた。人が生活するには厳しい環境下で生活をしているためか、独特の掟と代々受け継げられる歴史があり、血の論理を神聖なものと捉えていた。人柄も高潔そのもので考え方も合理的であった。
彼らの能力を見た早雲は、すぐに協力を求めた。伊豆討入りで堀越御所を襲撃したが既に逃亡しており、茶々丸は伊豆国南部で在地領主の支持を受けていた。また韮山城の背後にある相模国小田原を治める山内上杉家は、今川・伊勢氏と甲斐国守護である武田宗家で起きていた内訌で対立しており、茶々丸と手を組んで背後から挟撃される恐れがあった。
山内上杉家の動きの監視、また抑えとして土地勘があり、能力の高い山の民は必要だったのだ。
当初、山の民は早雲の申し出を拒否した。
彼らの先祖はまつろわぬ民、先祖が朝廷や武家に迫害され土地を追われた者である。当然、幕府の命を受けて動いている早雲を良く思っていなかった。今まで来た武家も皆、山の民を迫害してきたからだ。
だが、早雲は諦めなかった。何度も手土産を持って訪ねては礼節を持って接し、語り合い、流行病にかかった山の民を治療していった。山の民も同胞を治療してくれた恩もあり、気さくな人柄と柔軟な考え方を持つ早雲に共感を持っていた。だが、「協力したら直ぐに迫害するんじゃないか」と完全に信用することが出来なかった。
「ならば、山の民を迫害しないという証のため、私は出家しよう」
それを知った早雲は剃髪し、名も盛時から宗瑞と改めた。出家するとはすなわち、現世で築き上げた財産や地位を捨てる事を意味していた。
これに驚いた山の民も早雲を認めるようになり、そして幾つかの条件の下、協力するようになった。
早雲は山の民に「平穏」と「人として対等に扱う」を約束し、山の民は「知識」と「情報」を対価に提供した。
これが風魔忍軍の始まりであった。
早雲の政策と風魔の知識もあって、北条は大きくなっていった。後に早雲から出身の「風間谷」と、かつて蝦夷の最前線で有能な者が任官する「出羽守」から「風間出羽守」という名を貰い、山の民はそこから「風魔」と名乗るようになった。時には己の名声が落ちても、風魔が諸国の諜報をさせやすくするために「盲人は皆殺しにする」という狂言まで使い、国外へ逃げ出した盲人に風魔を紛れ込ませることもした。
そして早雲の死後も、風魔は北条を支え、北条は早雲が取り決めた方針を守り、合議制によって政策や方針を決めていくことで勢力を拡大していった。
だが、風魔にとって良い事ばかりでも無かった。
大きくなるということは、それだけ人が多くなること。そして、合議制は複数の人によって構成され、上から下までその意見を取り入れていく。
早雲の死後、風魔の扱いは変わった。
この時代、身分階級が厳しく制定された江戸時代のように強烈なまでの差別意識は無かった――戦国大名が賤民の子を小姓として寵愛したり、武士が賤民の女性を嫁に娶ったという実例がある事から伺える――が、風魔は早雲から特別扱いされていた。また諜報と謀略を行い、ゲリラ戦を主体とした風魔は敵を徹底的に嬲り、そして皆殺しにするため、その行動を含めて嫌う人間は上から下まで多かったのだ。
そして風魔は定住せず、山で狩猟と採取に生きていたため、土地や金銭といった明確な財産を持たない。また使用する言葉と文字がやや違っていた。伝えられている歴史が違った。大陸から渡って来た人々を受け入れていたため、風貌が違うこともあった。怨敵である里見と全く同じ戦法を使っているのも、理由のひとつであった。
だから恐れられ、妬まれ、存在を否定された。
切欠は小さな諍いから始まった。風魔と同業の、忍び働きする別の山の民と諍いが起きたのだ。
このとき、北条家には風魔だけでなく、広くなった領土を維持するため新たに別の忍を雇うようになっていた。当然ながら同業者同士、競い合う立場にある。
どちらが原因かははっきりとしていない。しかし、同業者は山の民だが一般的な忍びの扱いを受けており、特別扱いを受ける風魔を妬んでいた。
そして風魔は先祖を、血で繋がった一族をとても大事にする。同胞が侮辱されるのは我慢ならず、諍いは悪化してしまう。
北条は直ぐに仲裁し、これを収めた。ただし、直後に失敗した。偉大なる早雲の取り決めた政策――家臣との会合を行い、また民の声を聴いて決定を下す。
風魔は北条の領国に住む民である。他の民と同じように義務を果たしてもらう。
つまり、税を納めるために米を作る。指定する品を作る。割り当てられた労役を行う。軍役につく。
そして北条からの好意として、米作りに必要な指揮者や種籾、農具が送り込まれてきた。
これに風魔は驚愕する。早雲様との契約では「情報」と「知識」の対価に「平穏」な生活を約束してくれた。何故、我らの生活を乱すようなことをするのだ、と。
彼らは早雲と出会ってからも、今までと殆ど変わらぬ生活を送っていた。なのに、狩りを行い森の恵みに感謝する素朴な生活から、一気に近代化を叩き込まれてしまったのだ。
風魔達は急激な生活の変化と強要に耐えられず、長老衆を筆頭に強い反発が起きる。
そして諍いの火種はまだ燻っていた。風魔を下に見る一派はまだ若い家臣や新参の家臣だけでなく、重臣を含めて多くいたのだ。
「風魔が会合の決定に反抗する」
目障りな風魔を叩く絶好の機会に、彼らは喜んで立ち回った。
強まる圧力に風魔の反発する。早雲様の時は認めてくれた。何故、今まで通りでは駄目なのか!
強情な姿に北条も反発する。こうすれば豊かになれる。もっと生活が良くなる。何故分からんのだ!
互いに培ってきた常識が違うのだ。かみ合わないのは当然のことで、諍いは誰にも止められなくなった。
早雲の場合、風魔の考えを学んでおり、その上でゆっくりと取り込もうとした。時間と共に人は変わっていく。そして風魔も表舞台と繋がった以上、その流れを受け入れざるを得なくなる。
その先に一緒に米を作る時代が来ると考えていたが、その前に彼の寿命が来てしまった。
早雲は生前、息子達に風魔を大事にするようにと言い聞かせていたが、息子達はその言葉通り善意で物事を進めた。その結果が、この状況である。北条は言う事を聞かない風魔を忌み嫌うように扱うようになる。
当然その間、風魔は何もしなかった訳ではない。このままだと再び迫害を受けるのを分かっていた。風魔は言われた通りの事を行い、そして目に見えるような功績を立てようとした。そうすれば昔の様に戻れると考えていた。
だが駄目だった。反発する者たちは多く、今までやった事が無い米作りは失敗の連続で、収量は少なかった。労役はキツく、今までの問題から他の百姓との喧嘩が絶えない。慣れない物事と絶えない中傷に苛立ちばかりが積もる。
戦でより過激になった風魔の行為に全員が顔を顰め、風魔を忌み嫌うようになった。「人」として扱われなくなったのだ。
元の扱いに戻った、と言えばそれまでだが、早雲の頃、対等に人として扱ってくれることを知った風魔には耐え難いものだった。
風魔も代替わりが進み、変化を受け入れたが、同時に変わってしまった北条に嘆いた。対価が払われなくなれば北条に協力しなければ良いのだが、そうすると今までのような「平穏」な暮らしはできなくなる。叛意があると見做され、直ぐに殲滅されるだろう。逃げ出しても、風魔たち山の民を受け入れるような場所はないのだ。北条に付き従うしか方法は無かった。
「確かに、我らは北条に嫌われている。そして早雲様との契約は切れている。だが里見が北条のようにならないとは言いきれまい」
そう言い切る小太郎には拭い切れない不信感があった。今まで武家は山の民を迫害してきた。北条も変わってしまい、裏切られた。
「それは確かにな。私が出来るのは五十年後の未来でも繁栄しているような基盤を作ること。未来はそのときの世代が決めることであり、後世で迫害が無いとは言い切れない」
「なんとも率直ですな」小太郎は平坦な声で答えた。
「素直に言った方が話が早いからな。それに、その時には我々はこの世にいない」
義頼は一息つき、冷めた茶で口を湿らした。
「だが、里見に移住してくれれば風魔には五十年間の「平穏」と「居場所」を与える。これは必ずだ。既に父上にも相談して場所は押さえている。あとは望む人がいれば役職も手配しよう」
この通り、印判状にも書き記している、と義頼は小太郎に手渡した。
印判状には要約すると「我らに移住すれば、迫害はしないことを誓う。また風魔には里見家家臣として平穏と領地を与える。望めば仕事と役職も与える」と書かれており、当主である里見義堯の他、連名で里見にいる城持ちの大名による花押が書かれていたのだ。
里見及びその家臣の名を持って誓約する、そういう意味を持たせた印判状であった。
これには小太郎も身体が震えた。風魔としての経験から義頼が嘘を言っているようには見えない。それに、わざわざ誓約として城持ちの家臣に花押を書かせたりはしない。つまり事実だと言うこと。
もう一押しいるな、と小太郎の雰囲気を見て義頼は口を開いた。
「さて、風魔よ」
「里見に協力してくれるなら、もれなく「夢」も見れるぞ」
「夢、ですか」小太郎は震える声で思わず聞き返す。
「そうだ。俺はね、夢があるんだ」義頼は目を輝かせ、先程とはうってかわった弾んだ声で言う。
「まずは天下だ。我ら里見の夢だ。平穏な生活を手に入れるために天下が欲しい」
天下が欲しい、これは義頼だけの夢ではない。
義舜はかつて自身が体験した悲惨な戦争を回避するために、時忠は己の才覚を存分に使ってみたいがために、安泰はこの世で出来た自分の家族を守るために、実元は物作りに専念して、歴史に名を残すために。
夢を叶えるには、平穏な生活がいる。だから天下が欲しい。
「俺個人の夢はね、戦乱が終わった時代に俺が設計し、建造した最大、最高の艦でもって世界を回ることだ」
「世界を……」
「そうだ。知っているか? この日本という国が、世界で見れば辺境にあるちっぽけな島でしかないということを。だが、そんな島国でも世界最高の艦は建造できる。世界に思い知らせたらさぞ痛快だろうよ!」
義頼の夢は、己が思う最高の戦艦を造ることである。ただ問題があった。
近代において、戦艦の建造は国家事業であった。莫大な予算、人員、資材、時間を湯水の如く使ってようやく完成するものだった。
だからこそ、日本の全てを戦艦建造に回すために天下が欲しいのだ。今の里見だけでは戦艦の建造にはモノが足りない。また、この時期の日本は金、銀の輸出で栄えており、世界一の金持ち国家とも言われている。潤沢な資金を元に研究、人員の育成、資材購入を行えば、必ず近代日本にも負けない戦艦を造れるはずだ。そして、建造した戦艦は世界に知らしめる為だけに、世界一周をしたいのだ。
ただ艦を造りたいために天下を取り、ただ自分が造った艦を自慢したいだけに世界を回る。
壮大だが、なんとも子供じみた夢であった。
「そういうものだろう? 武将の野心なんぞ。私の父上も、北条も地域で一番になりたいから戦をしている。それがちょっと大きくなった程度だよ」
「本当に、壮大な夢ですな」
「今は「夢」でしかないがな。だが、必ず「現実」にしてみせるさ」
力強く断言する。前世では夢で終わったが、今世では必ず叶えてみせる。
「この「夢」を「現実」にするには、風魔、あなた方の協力がいる。里見に協力してほしい」
そう言って、義頼は深く頭を下げた。
小太郎はその姿を見て、僅かに思案した。
(この方はたらしだ。だが不思議と悪い気はしない……)
思えばこの会談中、義頼は常に「人」として礼節をもって接してくれた。今の風魔には貴重なものである。五十年後、我ら一族はどうなっているか分からない。だが、その間は「人」として生きていける。その頃には色々と変わっているだろう。
(平穏は今すぐにでも欲しい。里見に来ればその平穏な生活が貰え、望めば天下と世界を見る夢、か。……その夢を、己はこの方の直ぐ傍で見てみたいと思っている)
人生には一度、大きな選択肢があるという。それが、今なのかもしれない。小太郎は決心する。
「我らの望みは「平穏」と「居場所」。我らの望みを、本当に叶えていただけると?」
「勿論だ」義頼は即答する。
「必ず守る。なんとしてでもだ。この里見義頼の名をかけて誓おう」
小太郎は目を瞑り、「――分かりました」と言うとゆっくりと目を開き、居住まいを正す。その顔は晴れ晴れとしていた。
「我ら風魔、この時をもって里見義頼様の配下として忠誠を誓いまする」
「……え、俺に、しかも配下?」
「そうでございまする。今後とも、よろしくお願い申し上げます」
彼らは暫く見つめ合ったあと、どちらともなく笑いあった。
片方はしてやったり、という表情を浮かべ愉快そうに、片方は引き攣った笑みを浮かべていたが。
――後に、天文二十二(1553)年九月。
北条家の忍びであり、家臣である風間出羽守が里見の調略により、一族郎党全てを引き連れて、安房国へ移住した。
その際、北条方にも感知されるが風魔は「お礼参り」と称して返り討ちにする。それだけでなく、里見方から盗み出した鉄砲や焙烙玉といった兵器、農業・漁業分野の資料をあらかた回収。義頼に返上することになった。
風魔の戦果を聞いた義頼は再び引き攣った笑みを浮かべ、北条方に同情しつつも「絶対に敵に回さないようにしよう、うん」と呟いたそうな。
この出来事は里見家の歴史書にも書かれており、そこには「ここに風間出羽守を調略す。我ら里見は風魔忍軍を持つことになった。我らの夢と彼らの望みを実現すべく、一層の努力をせんとここに誓う」と記されていた。
風魔という名前が歴史に明確に刻まれた時でもあった。
誤字・脱字が有りましたら、報告をお願いします。




