第1話 戦国時代へ
仕切り直しで投稿となります。
少しでも楽しんでもらえれば幸いです。
里見氏 <さとみ-し>
里見氏は、日本の武家。本姓は源氏(河内源氏)。家紋は二つ引両。新田義重の子、義俊を祖とする氏族であり、新田氏の庶流となる。一族から房総半島を渡り、戦国時代には安房里見家が出た。
――**より一部抜粋。
◆
天文十八(1549)年五月 安房国 岡本城
「さて、どうしてこんなところにいるのだろうか?」
少年は座敷の中央にひかれた布団から起き上がり、そう呟いた。
変声期も迎えていない、高い声だ。肌着に包まれた身体は小さく、手足も貧弱である。ひとまず、少年は姿勢を変えようとするが、ズキリ、とした頭の痛みに思わず顔を顰める。それにずっと寝ていたのか、節々が酷く痛い。
ただ、その痛みが今の状況が夢でないことを分からせる。
身体中からくる痛みに舌打ちしながらも、少年は自分の身体を一通り見て、首を傾げる。首が痛いが、そのまま左右を見渡す。
周りを見ても、何と言うか、薄暗い田舎の民家か古い旅館のような造りの部屋だ。板の間だろう。年季の入った艶のある梁と板が綺麗だった。部屋の外からは高速道路の近くにいるようなごぉーっと音が鳴り響いていた。痛みを堪えて布団から立ち上がり、障子を開けてみる。外は曇天の空と海が広がり、生暖かい風と共に磯臭い匂いがした。
一体どういう事なのだろうか?住んでいた場所はジャングルのようにビルが立ち並ぶ灰色の街であって、こんな良く言えば彩色豊かな景色、まあ鄙びた田舎では無いはず。
訳が分らない。
「はて?俺は誰だろうか?」
記憶を手繰っても、何故か自分の名前を覚えていない。
確かに「記憶」の中には、自分の両親や親族、自分のしていた仕事、仕事の上司、部下、友人など、人の名前は出てくるのだか、自分の名前が思い出せない。何故だ?
「そうか……、これが転生というのかッ!」
いやこの場合、憑依というのか?
何故か自分の名前は分らないが、他の事は全てしっかりと覚えている。
そんな事よりも。
転生、憑依である。
小説や漫画にはよくある、異世界に転生や過去の日本に逆行するなど浪漫のある話である。
ハーレムも剣と魔法の世界も興味はないが、己には一つだけやりたいことがあるのだ。
現代の日本では間違いなく出来ないことだ。
そのためにも自分の記憶を必死に辿ると、二つの記憶があった。此処が何処なのか、自分が何者なのかを知った。
そして、愕然とした。
「なんで、なんでなんだ……」
今の名前は、この身体の名前は五郎。まだ齢六ツである。
家系は新田氏の支流である里見氏。父は里見義堯。安房里見家の当主。兄は義舜。他にも兄はいるが、あまり記憶には無いようだ。
此処は安房国、岡本城。その一室。今年起きた大地震で頭を強く打ち、昏睡状態になる。
安房里見氏の家臣、岡本通輔の居城である。
つまり。
中世日本、戦国時代である。
「なんで戦国なんだっ!なんで明治じゃねぇんだよっ!!」
―――戦艦が設計できねえじゃねぇかっっ?!
余りにも悲痛な叫び声に、何事かと様子を見に来ていた家人たちが集まってきた。そこで見たのは、自分の大声が頭の怪我に響いたうえに、勢い余って壁に蹴りつけた足を痛めて悶絶する五郎の姿だった。家人たちは「若が目覚めたっ!」「待て!若が頭の怪我で苦しんでいる!」「医者、医者を連れて来い!」と大騒ぎとなった。
◆
その後、色々あったが医者の問診が終わり、再び一人となった五郎(仮)。
どうもこの身体の記憶によると、五郎はあまり活発な子では無く、常にボゥとしているような人物であったようだ。以前とは違う、落ち着きが無く、先程の叫び声を上げた様子も駆けつけた医者に「怪我から回復し、やや混乱しているようですが、悪夢を見ていたのでしょう」として念のため様子を見ることとなった。
「何故だ、何故なんだ……。嘘だと言ってよ……」
(何で明治じゃねえんだよ、戦艦の設計が……、巡洋艦が……、駆逐艦が……)
布団の上に座り、俯き顔でブツブツと文句を垂らす五郎。
(せめて幕末の日本にしてくれよ……。くそ、そしたら薩摩型や、河内型戦艦を使えるように設計出来たのに……。近代日本に転生したかった……)
近代日本だったら、夢を叶えられたと思うと酷く悔しい。
現在の五郎の前世とでも言うのだろうか、その中身は造船設計技術者だった。昔から船の、とりわけ軍艦の設計をしたいと願っていた。
特に戦艦である。あれを造りたいのだ。
戦艦とは近代艦船において一時代を築いた、その当時では核兵器のような存在であった。国力を表す存在であり、シンボルである。そのため戦局だけでなく、国の外交や政略といった政治すら左右する存在だった。
そして、あの重厚な船体、長大で高威力の主砲、舷側に配置された副砲塔群、高い艦橋を持つ姿は国によって特色が違い、現代の艦船には無い、自国の理論を追求した独特の美しさがあった。ただし、アメリカ艦は除く。どれも無難to無難という感じがして嫌いだ。イギリス艦のような思いっきりの良さが無い。
戦艦のコンセプトはシンプルだ。より大きく、強く、堅く。
長大で大口径の主砲が爆炎を零し、衝撃で海面が抉れて艦は滑る。砲弾は轟音と共に飛び出し、敵艦を穿つ。
実に素晴らしい。
しかし、現代において戦艦は廃れた艦種だ。大砲の限界、射程の長い航空機の発達、電子機器・ミサイルの登場によるものだった。
それでも、「いかにも強く、大きく、堅く」を突き詰めて、一隻の艦が国を表していたのだ。強い憧れと共に、戦艦の設計に関わりたい、そう考えた。
だからこそ、近代の日本へ転生をしてみたいと思うようになった。そこで存分に軍艦の設計をしたかった。
自分の設計した戦艦が砲撃し、巡洋艦が縦横無尽に動き、駆逐艦が敵船に肉薄し、輸送船は物資を輸送し、海防艦が航路を守る。
空母は、まあ、あまり興味ない。どうも好きになれないのだ。
ただ、それだけなのに。
「なんで戦国時代なんだよ~、海防艦すら造れねえじゃねえか……」
そもそも、鉄製船殻を持った船が出るのは19世紀初頭であり、それまでは部分的に鉄を使用(竜骨や装甲など)した鉄骨木皮、もしくは木骨木皮の船だった。
鉄製船殻が出たのも石炭の使用、蒸気機関、新たな製鉄法の発見により安価な鉄が製造できたこと、また木造船の限界によるものだった。
この時代では木造帆船、西洋ではガレオン船が最新鋭艦として登場する頃である。そのためガレオン船は大西洋ぐらいでしか運用されておらず、地中海ではガレアスと呼ばれる三檣の帆を持つ大型ガレー船が、それ以外ではキャラック(ナオ)と呼ばれるずんぐりした帆船が主流であった。ガレオン船は主に軍艦として用いられたため、日本の南蛮貿易に来るのはキャラックが多かった。
また、この時期の帆船は現代と比べれば大きくはない。
世界一周を成し遂げたイギリスのフランシス・ドレークの乗艦「ゴールデン・ハインド号」は全長36.5メートル、排水量305トンほど。アルマダの海戦において、スペインの無敵艦隊旗艦であったガレオン船「サン・マルティン号」は全長49.5メートル、排水量1,000トン。日本の伊達政宗がスペイン人の協力の元に建造したガレオン船「サン・ファン・バウティスタ号」は全長55メートル、排水量500トンであった。
大きくとも全長60メートル前後であり、鉄製船殻はおろか、鋳鉄製の竜骨すら影も形も無い。
機材も、技術も、人員もいないこの時代では最先端技術の塊である戦艦など、ましてや鋼板すら製造は出来ないのだ。
「いや待て、前向きにだ。ボジティブに考えろ」
戦国時代の技術では近代の「戦艦」は造れない。これは確かだ。
――ならば、強引にも技術を発展させて、数世紀の間は最強の、自分の思う戦国時代最高の「戦艦」を建造するしかない。
「これだ……」
自分が生きている間――五十年と考えて――に建造可能な最高の軍艦を考える。
まず機関。
これが決まらないと何もできん。蒸気タービン、レシプロ機関……、まあ無理だな。研究すれば初期の蒸気機関は出来るかもしれないが、大きさと重量が問題。あと船を動かすには馬力が足りない。となると、帆走、よくて装甲艦「扶桑」の様な機帆船だろう。
ふむ、となると帆船になるが……。「帆走戦艦」……、良いかもしれん。
勿論、満足できる蒸気機関があるならそちらを使う。
船体。
当然、鉄製船殻だろう。最初は木骨木皮、鉄骨木皮と上げていくか。鋳鉄製の竜骨と船殻にする。装甲は錬鉄製となる。当然だが電気溶接など出来ないのでリベット打ち。知識はあるが、現代では廃れた技術の為、研究が必要。ブロック工法も使えば工期の短縮は可能。
そして、凌波性に優れたクリッパー型艦首が望ましい。帆船だと日本丸や海王丸あたりか。エスメラルダも良いな。塗料はこの時代でも製造可能だ。
艦砲。
火力と発射速度を考えると後装式ライフル砲が望ましい。帆船だと中心線上には配置しにくいため砲郭式にする。中心線上に大口径の主砲が欲しいが……。
砲身は鉄。材質の問題(ニッケル、クロムなどが抽出できない)からあまり大きくは出来ない。
機材が揃えば、アームストロング砲だと何とかいけるか?勿論、砲弾は銅帯弾とし、尾栓は改良する。それで大分良くなるはず。駐座複退機は、難しいか?バネと作動油で考えてみよう。
一先ずは欧州の商人から大砲を購入。それを基に前装式の青銅製滑空砲、そして四斤山砲といったライフル砲に発展させていく。
帆。
丈夫で軽い布が良い。麻か木綿になる。麻ならばこの国でも栽培している。木綿もあった方が良いか。ただ、帆布にする織り方は知らないため、ここら辺は農民や職人たちに頑張ってもらうしかない。上手くいけば重要な資金源にもなる。
此処までで必要な機材。
旋盤。
輸入した方が早い。この時代なら確か、時計の製造で発展しているから全く使えない、とはならないはず。まずは足踏み式から始める。工具は鋼製。
動力ハンマー。
最初は水車動力で。水車はこの時期に……、ああ、古くからあるようだな。構造も現代と変わらないようだから、これを改良していく。燃料と精度の高い部品加工の確保ができてから蒸気ハンマーの試作を始める。
織機、紡績機。
足踏み式織機と手動ミュール紡績機を作る。ただし構造は知らない。
溶鉱炉。
この時代の鉄は砂鉄で行うたたら製鉄が主体。需要を満たすために、明などから輸入した鉄もあったらしい。房総半島は砂鉄鉱床はあるが、近代製鉄には不向き。また鉄鉱石が採れないので、高炉はいらない。平炉が良いか。造り方? 知らない。
蒸気機関。
これが一番難しい。鋳鉄で単純な物を最初に作ってみる。蒸気機関の構造は色々と応用が出来るので、研究するべき。部品は鋳鋼か、鋼材を削りだして造るしかないか。
圧延機。
実用性はともかく、小型の物ならば人力で可能。レオナルド・ダ・ヴィンチも確か作っていた。本格的な圧延機は蒸気機関が出来てから。鋼製のロールを使う。
旋盤。
雄螺子や雌螺子といった金属部品の加工に必要。足踏み式のものなら、造れるか?
他、機械油、バネ、製図用のペン、定規、紙など。
そして、これを実行するだけの多数の熟練工と金銭と時間。
……ざっと思い付く限り上げてみたが。
「ほぼ無理じゃねぇか……」
この時代には無い、百年以上は先に行く技術を再現するのは相当難しい。
時間と資金と研究が必要だ。
まだ関東の雄である北条氏や尾張の織田家とか、加賀百万石の前田家とか、金持ちの大名に生まれたかった。
(五郎は知らないが、実際には武家のしきたりや兵力の維持、部下の給料などで大抵の大名の財政は常に火の車だった。むしろ大きいだけあってしがらみが多く、余裕は無いのだ)。
しかしまあ、現状をどうにかしないといかんな、と五郎は内心ごちた。
現在、五郎がいる安房里見家。記憶によれば、現在は安房国と上総国南部を領有しており、十万貫ほど。石高換算(一反、つまり一石を五百文とし、一貫(千文)を二石とする)だと凡そ二十万石ほど。戦国時代では中堅といった勢力である。
対する北条氏。伊豆国、相模国、武蔵国を領有。影響圏として下総国、残った上総国。しめて五十万貫。石高換算で凡そ百万石ほど。
……つまるところ、そこまで回すほど金が無い。
「よくまあ、これで北条と敵対できたなあ……」
単純に考えて、領地が広ければ、石高が多ければ多いほど兵の動員数は多く出来る。戦国時代を詳しく知らないが、北条は名前だけは知っている。有名な大名だ。
「五郎」自身の知識によれば、北条氏は敵対していた大名が多く、また里見氏の領地である安房・上総は山だらけで攻めにくいうえに水軍の規模が割と大きく、東国でも精強らしい。
「まあとにかく、手っ取り早く金を稼がないといかんな」
最初はなるべくお手軽で、効果の高いことをしなければならない。
農業は専門外だが、中身の生まれ育ちは海辺であり、仕事の事もあって海や船に関する事なら良く知っている。特に造船は得意だ。水軍が精強と言うならば、更に強化して領土を増やすことも出来るかもしれない。
幾つか頭の中で案を思い浮かべ、利点と欠点を探す。暫くしてズキリ、と頭が痛んだ。
そういや、まだ怪我人だったな、と五郎は思い出した。そう考えると一気に今日の疲れが出てきたような、身体に倦怠感が襲ってきた。
「寝るか……」
これからは頑張らなければ。そう、己が最高とする戦艦を造るためにも。
そう決意して、彼は次第に眠りに落ちていった。
◆
翌朝。
「ぜえ、ぜっ、貧ッ、弱ッ、すぎッ、る、だろ、このッ、身体……」
五郎は部屋の中、ぐったりと仰向けになり、荒い息をついていた。
五郎はまだ怪我人であり、怪我した場所が場所だ。暫くは安静で部屋から出ることは禁じられていた。五郎は医者の診察を受けたあと、現代に比べれば質素で薄味な、それでもこの時代では上等な朝食も終わり、暇になっていた。で、この時代に現代のような娯楽が有る訳もなく、齢6ツではやる事もなく。部屋の中をうろついたりしたのだが、長いこと寝込んでいた所為なのか、少し歩くだけでも軽く息が切れる。節々も固い。
これでは拙い、と太郎は考えて、ひとまずは体力をつけようと筋トレとストレッチを始めたのだが。
腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット。無理、殆ど出来ない。
握力。箸より重たいものは持てません。
柔軟。全くありません。
これは酷い。
「これじゃ、造船どころか、製図も厳しいぞ……」
五郎は現当主の息子である。当然、いつかは戦場に立たなければならない。また、艦を設計するのも、建造するのも体力がいる。特に最初は船大工達に一から教える必要があり、現場に立たなければならない。
これでは不安だ。
「少しずつ、やっていくか……、はあ……」
そう結論づけて、起き上がると部屋の外からバタバタと音がする。
「若、今よろしいですかな?」
部屋の外からはっきりとした、重みのある声がかけられる。
五郎は汗を袖で拭い、1回、2回と深呼吸して息を整える。居住まいを正すと、どうぞ、と答えた。
静かに入室してきたのは、里見の武士であることを表すような潮焼けした肌を持つ、好々爺然とした風貌の男。
朝比奈源一郎。
五郎の教育係であった。
「じいか。おはよう」笑みを浮かべて、太郎は言う。
「……若、本当に意識が回復なされて……、じいは、じいは嬉しく……」
そう言いながら、源一郎はおいおいと嬉し涙を流して平伏する。五郎は頭を打って昏睡状態にあり、医者の見立てでは意識が回復するか、不明だったのだ。もう目が覚めないかもしれない、とも言われていたのだ。
だが、五郎は奇跡的に回復し、己に笑みを浮かべて声をかけてくれたのだ。こんなに嬉しいことは無い。
「――心配かけた。もう大丈夫だ」
源一郎の姿を見て、五郎は声をかける。その声音には申し訳なさが含まれていた。罪悪感だった。源一郎の言う五郎はもう、別人になってしまった。中身は変わってしまった、とは言えるはずも無い。
「いえッ!若の責任では、じいがしかりと御身をお守りすれば――」
源一郎はその言葉の意味を完全に誤解していた。五郎の言葉に感極まって、また泣き始めた。源一郎は次こそは必ずお守りする、と心の中で新たに決意する。
暫くして、源一郎が落ち着いたところで五郎は訊ねる。
「それで、だ。じい、物は相談なんだが」
「は、なんでしょうか」
源一郎は答える。顔は涙の痕でぐしゃぐしゃで目を赤く腫らしていたが、表情は真剣そのものだった。
「船を見ることは出来ないか?」
「船、でございますか」
「そうだ。出来れば軍船が良いな」
五郎がそう言うと、怪訝な表情を浮かべていた源一郎もみるみるうちに喜色を浮かべる。
「そうでございますか!いや、若もついに将としての自覚が出てきたのですな!」
「まあ、うん、そんなところだ」少しだけ引き攣った笑みを浮かべて答える。「で、見に行くことは出来ないか?」
五郎の言葉に、源一郎は眉根を寄せた険しい表情になる。
「ふうむ、そうですな。医者からは安静にするよう言われておりますので、外に行くことはまだ出来ませぬ」
「やはり、駄目か?」五郎が言う。
「駄目ですな。若は怪我が治っておりません。万が一の事もありうるので」
源一郎の言葉に仕方ないな、と五郎は答えるも、表情は落胆していた。この時代にはあまり詳しくは無い。また、和船は五郎のいた時代では廃れていた。どの程度の船なのか、興味があったのだ。
「――ならば、この部屋で見れば良いでしょう」その表情を見た源一郎が、少しだけ笑みを浮かべて言う。
「この岡本城は水軍衆の拠点ですので、そうですな、丁度この部屋からも海が見れますぞ。この時間ならば水軍が調練しているはずです」
源一郎は立ち上がり、海側の障子を開け放つ。若、少々遠いですが、軍船がいますぞ、と言い五郎にその軍船を指差した。
足早に近付き、その光景を見る。そして驚いた。
「あれは……?」
昨日とは違い、良く晴れた空。海は青く輝いている。
源一郎の言うとおり、五郎のいる部屋からも軍船が良く見えた。
海上にいたのは、真っ白な帆を膨らませて走る数隻の帆船だった。
「帆船、か?」
「おお、そうですぞ。最近、水軍で考案されたそうで。なんでも麻と木綿の帆で、風上、つまり逆風でも走れるという素晴らしい船ですぞ」
どこか嬉しそうに話す源一郎の言葉を聞きながら、五郎は唖然とした。
有り得ない、そう言いかけて慌てて口を噤んだ。
唯の帆船ならば、まだ分かる。だが、木綿は江戸時代に入って全国に広まり、この時期はまだ木綿の栽培は一部地域でしか行っておらず、房総半島ではまだ普及していなかったはず。また帆は筵や竹で編んだものが基本であった。そう記憶している。
何より、艤装がおかしい。
木綿製の縦帆と三角帆を持った一檣の小型帆船と二檣スクーナー。前者は小早と呼ばれる小型和船を改装したのだろう。マストの位置が艦首寄りにあるから、帆走スループだと思われる。そして、二檣スクーナー。これも恐らく関船、中型和船を改装したのだろう。
帆船は艤装によって分類されるが、スクーナーはこの時期では存在しないはずの艤装であった。初めて世に出たのは十六世紀から十七世紀にかけてのオランダとも、十七世紀にアメリカとも言われている。実に百年以上先に考案された艤装なのだ。
どういうことだ、これは?
「――若、どうなさいました?」
「ん、ああ、すまない。見たことも無い船だから驚いてな」
「そうですか。いや、じいも最初見たときは驚きましたぞ。ここ近年はめまぐるしい発展で、色々と変わりましたからな」
源一郎の言った一言に、五郎は妙な引っかかりを覚えた。色々と変わった、とは?
「じい、少し聞きたいことがある」
五郎はその変わったこと、最近の国内の様子を訊ねる。話を聞くうちに、五郎のそれは確信に変わった。
源一郎の説明によれば、ここ十年ほどの間で安房国は大きく発展した。房総半島という、三方を海に囲まれた地形を利用し、北条の攻撃を凌ぎつつ、漁業・交易関連に力を入れているようだ。
その内容を簡単に纏めると、次のようになる。
・新たに開墾した土地は三年間税を取らないとする、食料の大幅増産。圃場を整備し、稗、粟、小麦、蕎麦などの雑穀を育てて飢餓対策とする。
・鹿の肥育(野生の鹿を捕らえて、牧場で育てること)。鹿革だけでなく、肉は美味く、また角、蹄肉、脂、内臓、血などは漢方薬となり、捨てる場所が無い動物である。そのため新たな重要産業になりつつある。
・麻、木綿の生産。農民たちに栽培、製造をさせている。特に麻は古くからの特産品で腕の良い職人が多く、上総国産の麻布はかつて古代朝廷への献上品でもあったほど。現在のはそれを復活させ、品質も良い。木綿はまだ栽培を始めたばかりで数が少ないが、丈夫で暖かいことから高級品として広まりつつある。
・漁法の改良。帆船を使った刺し網漁に定置網漁。そして地曳網漁を行う。特に鰯の水揚げが多い。干鰯と呼ばれる軽くて効果の高い肥料、また塩漬けにすれば食料にもなるから利益を上げているようだ。
・職人の育成、誘致。特に鍛冶師、鋳造師を多く集めている。主要拠点の城下町に鍛冶町を建設し、そこで農具や武具を製造している。
・新たな農具の開発、武器の開発・改良。集めた鍛冶師には大量の刀槍に具足を量産させている。また円匙、鶴嘴、馬鍬、千歯扱ぎなどの鉄製農具から、唐箕、大八車なども量産されている。特に真似されやすい物は同盟国に高く売りつけたようだ。
・軍船の改良。これは一部の関船や小早に縦帆を張り、現在は偵察や領海警備に使用。従来の船よりも速く、風上にも切り上がれるため、評判は上々。
・商人の税を低くし、積極的な商人保護策を開始。また勝浦湾を東北との貿易拠点として整備した。同盟関係にある佐竹氏だけでなく、北条とも交易を行い、鹿革や木綿、木材、干し魚、鮑、海鼠、鱶鰭といった俵物三品を売り、米、鉄、荒銅を輸入している。
・検地の実施。国内の生産量を詳しく調べることで、税収を安定させると共に家臣らの負担を明確にし、統制をしやすくする。
「――このように、里見家は大きく発展しており、国力は倍以上になりました。これも殿、つまり若の父君が重臣の声を良く聞き、民が平穏に暮らせるよう尽力しているためです」
「そうか……」
やっぱりおかしい。
五郎は頭の中で先の内容を纏めながら内心ごちた。
現代人の感覚からすれば、源一郎の言う内容は驚愕の一言である。そして、各地でその政策が同時進行で行われていることから、他に自分と同じような境遇の者が複数人、それも里見家内の上位にいるかもしれない。
正直、こんなのが何人もいるとは信じられないが、あまりにも派手な動きだ。鹿の肥育や農具の開発はともかく、検地に商人の保護となると大名である里見義堯の許可がいる。
となると、義堯に近い人物か、本人か。
「……そういえば、父上とは最近会っていなかったな」
ふと、そんな事を呟く。「五郎」の記憶によれば、あまり父である義堯にも、兄にも会ったことが無いようだ。
「殿も若が倒れたと聞いて、大変心配なさっていました」源一郎が言う。
「ですが、殿の居城は北条との最前線で、里見家の当主ですからな。忙しいのですよ」
嫌われているわけではないようだ、五郎はそう考えた。確かに、義堯の居城である久留里城は最前線であり、たびたび北条側の襲撃が起きていた。
元々、五郎も久留里城にいたが、北条側の国人衆による攻撃が来ると考えられたため、岡本城に避難していた。その際に地震に遭い、頭を打って昏倒してしまった。
「そうだな。怪我が治ったら父上に会いに行こう」
「殿も喜ぶでしょう」
若、失礼します。源一郎様、少々よろしいですか、と家人が言う。源一郎は五郎に断りを入れてから襖まで近づく。どうしたのじゃ、と小声で会話をする。
二言三言の会話をやりとりをし、終わったのか家人は直ぐに下がった。
「じい、どうしたのだ?」少し気になった五郎は訊ねた。
「は、実は城主の岡本通輔様がお目見えになるとのことでして……」
お会いになられますか、と源一郎は訊ねた。
「ん、そうか。直ぐ通してくれ。じいは何か飲み物を」
「ははっ」
やはり武家としての自覚をしてきたのか。源一郎は内心喜びながら一礼し、直ぐさま動きだした。
暫くして。
「若様、お久しぶりにございます。岡本通輔であります」
見事な挨拶をしてきたのは、小柄ながらがっしりとした体格を持ち、水軍の長だけあって赤黒く潮焼けした、塩っ気のある武人だった。
座敷には通輔と五郎しかおらず、源一郎も白湯を置いて退出していた。
「お久しぶりでございます。今回は通輔殿には手厚い治療をして頂き、感謝の念に堪えませぬ」
そういって深く頭を下げ、挨拶を返す五郎に通輔は内心驚いていた。
家人から「若様は変わられた」と聞いていたが、あのボゥとした少年が大人と変わりない、しっかりと挨拶するようになるとは……。
「お気になさらず。私どもは当然のことをしたまでで、寧ろ若様に怪我をさせた我々が責められる立場でございます」
「通輔殿、頭を打ったのは地震の所為であり、また私めの不注意にございます。頭の怪我も大事にはならず、快方に向かっております。気にする必要はありません」
(なんと、自らの責任だと言うのか。これは本当に……)
一度は昏睡状態となり、死ぬかも知れなかったというのに己の責任だと言って誰も責めはしないという。これは中々言えることではない。
五郎はただ単に、記憶だと頭を打ったのは勝手に外へ出歩いたためであり、ただ心配をかけたのが申し訳ないと感じていたためだった。
そんな事は知らず、通輔は軽く息を吐き、呟いた。
「……本当に変わられましたな」
「そうですか?私には解りませんが……。変わったというならば、夢のせいでしょう」
「夢、ですか」
「ええ。私が違う場所で大人になり、煙を吐く鉄製の船を設計、建造するというものでしたが」
「ほほう、確かに変わった夢ですな……」
「何とも不思議な夢でしたよ」
未来での事実を交えた話は通輔には新鮮に感じられたのか、よく食い付いてきた。
その後もたわいのない話をしているうちに、五郎は何気なく呟く。
「船と言えば以前、変わった帆を張った船を見ましたが、あれは?」
「実は、私の息子である安泰が考えたものでして。縦帆と言いまして、風上にも走れますので重宝しております」
「へえ、風上に走れるとは素晴らしいですな」
「ええ。現在は一部の小早と関船に取り付けただけですが、将来的には南蛮式の船を作ると張り切っております」
(成程ね。安泰殿が怪しい、か……)
誰が縦帆船を考え付いたのか、これこそが五郎の知りたい事だった。しかも南蛮式の船を作るとなると、唯の思い付きではなさそうだ。
偶然、と言うこともあるが、これは直接聞いてみた方が早いだろう。
その後も話を続けようとしたが、近習がやってきて通輔に取り次いだ。どうやら仕舞の時間らしい。
「申し訳ありませぬが、私はこれから仕事へと戻らなければなりませぬ」
「いえ、此方こそ長々と引き留めてしまい、申し訳ありません」
「ハハハ、私も久々に楽しい会話ができたのでお気になさらず」
そういって立ち上がり、退出しようとする通輔に「一つ、お願いがございます」と五郎は引き留める。
「ふむ、何でしょうかな?」
「御子息の安泰殿が縦帆を考案したと聞きましたので、水軍の事を含めて聞きたいと思います。本来ならば私から言うべきでしょうが、どうにも、私はまた怪我をするではないのかと心配されているようで……」
「ハハハ、分りました。では安泰を今すぐ若様の所へ来るようにします」
「有難うございます」
そう言って、少し名残惜しそうに通輔は退出していった。
その後、入れ替わりに入ってきたのは二十代前半の、岡本通輔をそのまま若返らせたような男だった。
「岡本安泰と申します」
「五郎です」
さて、と五郎は居住まいを正し、安泰を見据える。
「安泰殿、単刀直入に聞きたい」五郎は軽く息を吸い込み、吐き出す。
「――貴方は、転生者ですかな?」
この言葉に安泰は驚いたように目を開き、やがて納得したのかゆっくりと話し出した。
「……そうです。やはり、若様も?」
「別人の記憶がある、と言えばそうです。以前の名前は思い出せませんがね」
「私もです。他の人も同じことを言っていました」
「他の……? つまり複数の転生者がいるのですか?」
「その通りです。と言っても、確認できているのが若様含めて5人程でして。若様はやはり目が覚めたら?」
「ええ。目を覚ましたらこの身体に移っていて、ちと混乱しましたが」
「私も十年ほど前に合戦の途中でこの身体に移りまして、良く分かりますよ」
「それは……何と言うか」
運が悪すぎる。
「はは、まあ何とかなりましたし……。ところで、若様は以前どんな仕事を?」
「前世と言いましょうか、私はある造船会社の艦船設計をしていました。タンカーやコンテナ船の基本設計から雑用まで何でもしていましたが」
安泰の質問にやや苦笑いをしながら答える。艦艇の設計に関わったこともあるが、基本は雑用であったからだ。
「ほう! そうですか。私も船に関わっていたのですよ」
「と言うと?」
「元は船乗りでして。まあ既に定年退職していて、こちらに呼ばれたのですが」
「ははあ、ではあの縦帆船もその時の知識ですか?」
見様見真似ですよ、と恥ずかしそうに言う。
「こちらの世界も悪くないですよ。素直な人が多いですし、あちらでは独身でしたが、この世界では若く美人な娘とも結婚できましたし。家族を守ると思えばやる気も出ます」
「確かに……」
戦国時代はその名の通り、自分たちが覇権を取るために戦った時代である。弱肉強食であり、負ければ国は焼かれ、一族は皆殺しにされ、全てを失ってしまう。
「そうならないためにも、頑張らなければ行きませんが……」
「若様、そろそろ夕餉の時間です」とじいが声をかけてくる。
窓から外を見れば既に日は傾き、辺りを赤く照らしていた。
「分かった。じい、少し待ってくれ」
じいがいるため、安泰は小声で話しかける。
「最後に、実は一月後に久留里城で〝会合〟があります。そこで転生者たちが集まりますので、若様も参加していただきたい」
「……大丈夫なのですか? 参加しても」
「転生者がいたら〝会合〟に連れて行くのが決まっていますので問題はありません。他の人たちには実際に会ってみた方が早いでしょう」
では話の続きはまた今度、と言い、安泰は退出していった。
(もしかしたら、思ったより良い環境か……?)
これならば思ったよりも早く、より良い戦艦が建造できるかもしれない。
五郎はその事に喜びつつ、早く船を造りたいとあれこれ夢想しながら過ごしていった。
しかしながら彼は後日、その転生者たちに驚かされることになるが、この時はまだ知らなかった。
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用語説明
・五郎 主人公。幼名は分からなかったため、適当につける。
語呂が良い名前=五郎になった。
・朝比奈源一郎 じい。主人公の教育係。架空の人物。
2015/3/24 誤字、及び一部文章の修正を行いました。