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第17話 金谷城防衛戦

ようやく投稿です。楽しんでもらえれば幸いです。

 天文二十二(1553)年六月 金谷城


 この時代、内房沿岸の各地には、幾つものの海城が存在している。

 主な拠点だけを挙げてみても、元真里谷氏の拠点であり、木曾左馬介が守る椎津城(しいつじょう)。里見義舜が城主の佐貫城(さぬきじょう)。堅城と呼ばれ、内房正木氏が治める造海城(つくろうみじょう)。正木兄弟の末弟、正木弘季が入った金谷城(かなやじょう)。海賊大将と呼ばれる安西氏の本拠点である勝山城(かつやまじょう)。岡本安泰の父、通輔が治める岡本城(おかもとじょう)。そして義頼のいる館山城(たてやまじょう)がある。

 

 これら海城は共通して、交通の要所にあった。海に突き出た山の上に置かれ、また左右の展望がよく、直下に船溜まりや港を擁していた。

 この船溜まりというのは船をとめるだけであり、商船が停泊できるような設備が整ってはいなかった。そのため港と呼べる常設の設備があったのは、内房の海城では造海城、勝山城、館山城のみである。


 これは海城の周りが浅瀬と岩礁が多いのも理由のひとつだが、里見水軍の主力だった小型船なら船溜まりで十分だったこと。対北条の前線基地として考えるならば中大型船の侵入を防げるので、少数で防衛しやすいためであった。


 そういった事情もあり、館山湾の開発が進んだ今でも館山以北では海賊行為が盛んで港が無いため、認可された小型商船以外は全く寄り付かない。特に里見と密接な関係にあった相模三浦氏が北条氏によって滅ぼされてからは、里見の海賊達は小船四、五艘で三浦半島へ行っては略奪を行い、帰ってくるのを日常的に繰り返していた。

 時折、北条水軍が仕返しに房総半島へ来ることもあるが、数は多くなく軍船も小さいため逆に返り討ちにしてしまう事が殆どであった。


 しかし。


 今日、金谷城から対岸の、霞がかった三浦半島浦賀から現れた艦隊は整然とし、堂々たるものだった。中型の軍船は白い木綿の帆を、他は茶色い(むしろ)の帆を膨らませて隊形を組んでやってきた。

 それぞれの軍船にはためくのは、“三つ盛鱗”と“三浦三つ引両”、そして“三つ引両”。

 

「海賊だ! 海賊が来たぞォ!」


 物見櫓に立っていた兵は絶叫し、すぐさま半鐘を叩き鳴らす。何事かと民衆は海を眺めてみれば、今まででは信じられないような大艦隊であった。その光景に襲撃に慣れている民衆ですら驚愕して慌てふためき、急いで女子供と家財を近くの野山へ避難させ始めた。警邏していた兵も訓練通りに避難誘導を行い、残る男衆は倉庫から船槍や薙鎌、尺藤の弓といった武器を取り出して戦の準備を始める。

 

「来ましたか」


 海賊襲来の報告を受けた時忠は、金谷城の櫓からその艦隊を眺め回した。

 “三つ盛鱗”と“三浦三つ引両”は旧三浦氏の水軍を母体とする浦賀城の水軍だ。この浦賀城は三崎城の支城であり、造海城や金谷城、勝山城と相対する海城であった。その間の海峡はほんの十数kmしかなく、日常的に略奪をしたり、されたりと小競り合いをしているため錬度も高い。

 

 そして“三つ引両”、これは内房正木氏の水軍である。恐らく三浦半島にある内房正木氏の領地に駐留させていた艦隊だろう。


「中型艦がひい、ふう、みい、……、七隻。小型艦は多数と。一年半前の江戸湾海戦と同規模でしょうかね?」

「はい。およそ五十隻はいるかと。幾らか新造船も投入してきています」


 真新しい白木の船が混じっているのを見て、金谷城主、正木弘季は答えた。肌はやや色白であるが、体格や顔付きは時忠とよく似ていた。

 二人とも水軍の者であることを示す黒色の軍服と具足、同色の筒袖羽織を身に纏っていた。羽織の背中には“三つ引両”があり、袖口と縁には黄色い笹線がついている。

 

 時忠は一旦見るのを止め、室内に戻った。机には金谷城とその周辺が書かれた地図が広げられている。腰に佩いた太刀と脇差がすれてカチャカチャと音が鳴らしながら、地図の上に駒を置いていく。

 

「あとは造海城にいる艦隊ですが、来ますかね?」

「来ますよ。連中も好機と考えるでしょうし」


 しかし厄介だな、と時忠は小さく零した。

 五十隻といえば、質はともかく数だけならば内房に存在する水軍の六割近くになる。そして造海城には関船三隻を中核とする艦隊があった。これらを合わせれば七十隻近くになるだろう。

 とはいえ、最悪の想定――合わせて百隻以上になると見積もっていた――よりはマシだった。

 時忠はひとまず安心すると同時に、疑念が沸いた。


「しかし、思ったより北条水軍が少ないですね」


 そう、敵の数が少ないのだ。しかも艦隊の半分近くは前衛にいる“三つ引両”を掲げた船であった。

 浦賀城のすぐ側は湾になっており、そこは造船所と船の係留地になっている。そのため大量の軍船が存在するのだが、大半の船は動かしていないようだ。


(三崎城の水軍も動いていない。北条も未だ消耗から回復していないのか、これで十分と判断したのか……)


 どうにも中途半端だ、と時忠は思った。

 浦賀城と金谷城は近いだけあって、互いの船の動きが良く分かる。金谷城は防御力を上げる為に改築を行い、また義頼や時忠らの働きによってある程度は水軍が回復しているのも知られている。

 なのに北条水軍はその殆どを動かしていない。金谷城攻めは誘導で、他の場所に攻めるとも考えられるが、それもない。

 

「……ともかく、戦の準備をしましょうか」深く溜息をつき、時忠は言った。

「伝令兵、館山に腕木通信を。『北条襲来。救援求ム』。予定通り戦闘準備に入ってください」

「ハッ」


 館山にいる義頼らの水軍は既に出撃準備は出来ている。あと半刻(一時間)もすれば戦が始まるだろうが、その少し後ぐらいには水軍は到着するはずだ。

 それまで金谷水軍は出撃させず、ひたすら水際で迎撃し持久戦を行う。それが今回の作戦であった。


「さて、あと少しで戦が始まります。弘季は」

「私が陣頭に立ちます。兄上はここで指揮をお願いいたします」


 時忠の言葉を遮り、弘季が言った。戦意に溢れた顔だった。

 時忠は何か言おうとしたが、諦めた。こうなっては兄と同じく、無理やりにでも戦場に立つのが分かっていたからだ。


「……無茶はしないように。私からはそれだけです」

「はい、では私も準備に行きます」


 弘季は満面の笑みで一礼し、足早に退室した。

 部屋の中、一人になった時忠は溜息をついた。戦では先頭に立ち、味方を鼓舞し、その武勇を示すのが本当の戦国武将なのだろう。ただ、自分には今後も分からないだろうな、と時忠は内心ごちた。


 まあ、これは後で考えるか。時忠は深呼吸して、気持ちを入れ替える。そして、部屋の外に待機していた近習を呼びよせて、全体の指揮に入った。



 金谷城周辺は岩礁と崖が多く、上陸するには金谷港の浜辺しかない。

 その浜辺にはいま、竹で組んだ柵と、土嚢を積んだ防壁で造られた波線状の陣地があった。

 対する北条・内房正木氏の艦隊は造海城の水軍が合流し、関船十隻、小早六十隻にまで膨れ上がっていた。


「押し潰せッ! 敵は少数、あの貧相な陣地を突破して、時忠と弘季の首を取ってまいれ!」


 先手を任された元金谷城主、正木(まさき)時治(ときはる)の号令の元、浜辺に造られた陣地を突破しようとする。

 まず彼らは北条氏から買い取った大筒で砲撃を始めた。数は多くないが、次々と砲弾が陣地へと命中し、柵の一部が吹き飛んだときには喝采が起きた。

 そして、軍船が浜辺に直接乗り上げ、赤裸の海賊たちが勢い良く飛び出してきた。


「かかれェ、かかれェ!」 


 海賊たちが蛮声を上げ、打刀や長柄を持って一気に距離をつめてくる! 


「ギリギリまで引き付けろッ! まだ撃つなよ!」


 陣地に向けて砲弾や矢が飛んでくる中、弘季は目立つように立ち続ける。兵たちもいつでも射撃できるよう鉄砲を構えたままだった。

 防壁にいる誰もがヒューンと音を立てて鉛玉が飛んでこようが、足元に矢が突き刺さろうが眼前の敵を見据えたまま、身動ぎもせずにいた。


 まだ、まだ、まだ、……、……今ッ!


「撃てェ!!」


 直後、轟音と共に目の前が火花と白煙に染まった。

 引き付けられ、更に身を隠すものが全く無かったために一度の斉射で多くの海賊が倒れ伏した。運良く生き残った敵兵は余りの衝撃に呆然とするか腰砕けに座り込み、すかさず降り注いだ矢で射抜かれてそのまま動かなくなった。


 内房正木氏側もただ黙ってやられない。即座に浜辺につけた軍船を楯にし、大筒と鉄砲、弓で応戦し、粘り続ける。

 そして、お互いに銃撃をしたために潮風でも流しきれない白煙がもうもうと立ちこめ、見通しが悪くなってきた。内房正木氏側は陣地からの銃撃が弱まった頃合を見て、再び海賊たちは白煙の中を蛮声と共に駆け始めた。それを見た弓兵が銃兵の装填を援護するべく射掛けるも、倒れる者は少ない。

 そして遂に、一部の兵が正木兵の篭る防壁へと取り付いた。

 

「おっしゃ、取り付いたぞ!」


 取り付いた兵を迎えたのは、船槍や薙鎌などによる攻撃であった。

 突かれ、掻き切られて次々と倒れ伏す内房正木兵。そのまま混戦状態と移り、善戦しているが、銃撃と数の差で押し潰されていく。

  

「くぅ、北条に援護を要請せいッ!」

 

 時治にも、此方が劣勢なのは即座に理解した。すぐさま後ろにいる北条へ手旗信号を送ろうとした直後、爆音が響いた。そして時治の乗る関船周辺に水柱が立ち上がった。金谷城の砲台に設置した、三斤平射砲による攻撃であった。

 さらに――、


「お頭、拙い!館山の水軍が来やがったッ!?」


 南からやってくるのは、大型帆船と小型帆船からなる艦隊。単陣形を維持し、先頭を走る帆船の(マスト)には“二つ引両”の旗。 


 里見義頼が率いる里見水軍であった。

 

「何とか間に合ったかな」


 金谷城の浜辺は遠くから見て分かるほど、赤黒く染まっていた。“三つ引両”は関船から砲撃で兵の援護をしていたが上陸した兵は前進できず、劣勢であった。

 

「あちらは大丈夫なようですな」安泰が言った。

「そうだな」

 

 さてどうするか。敵は金谷城からやや離れた沖にいる無傷の北条水軍と、損耗した内房正木氏の艦隊。

 このとき、義頼が率いる里見水軍は以下のように編制されていた。


 第一艦隊       総大将 里見義頼

 ・第一図南丸(旗艦)  船長 岡本安泰

 ・第二図南丸      船長 安西又助

 ・第三図南丸      船長 真田七左衛門

 ・第四図南丸      船長 秋元民部


 第二艦隊

 ・千鳥型砲艇     十二隻

 

 先の江戸湾海戦では、大砲は凄まじい威力を発揮したが、それでも移乗攻撃、特に千鳥型で多く発生した。その際には従来と同じく白兵戦をするしかなく、近距離での火力が足りないと判明した。

 そこで図南丸型、千鳥型共に、船尾の手摺りに大筒を転用した旋回砲(スィーベルガン)が設置されることになった。砲戦時には通常弾を、近接戦闘では散弾を撃ち出せばより効果的だろう。


 内房正木氏の艦隊は既に関船5隻、小早十二、三隻程度にまで減っている。今の第二艦隊ならば十分に対応できる

 義頼はそう考え、安泰に命令を下そうとすると見張り兵が叫んだ。


「北条水軍、撤退します!」

 

 見れば、五隻の関船からなる艦隊が陣形を保ちつつ向きを反転していた。既に浦賀城へ後退を始めている。時折、こちらに牽制するためか軽い砲声を響かせていた。


「こちらを見て直ぐに撤退か……」


 苦々しい表情で義頼は言った。流石に錬度が高い。こちらの海賊のようにバラバラに動くのではなく、見事な操船で陣形を保っていた。

 

 安泰が目線だけをこちらに向けた。

 義頼は軽く首を横に振り、全艦で残る内房正木氏の艦隊に攻撃するよう答えた。


 本来なら、今後のためにも少しでも北条水軍の数は減らしておきたい。だが、此処は幅がたった十数キロしかない狭い海峡なのだ。今から追跡したらすぐ目の前は北条領。流石にこの戦力で北条領の沿岸で戦うのは分が悪い。艦隊が反転して攻撃、また沿岸部からの攻撃や、小船での接舷攻撃を受けかねない。それで将兵が討ち死にして、帆船を奪われましたでは全てが無駄になってしまう。


(クソッ。奴らめ、此方が消耗して有利になるまで決戦しないつもりだな……)


 北条が実践しているのはいわゆる、艦隊保全主義である。


 これは出来るかぎり艦隊決戦を回避し、自軍の海上勢力を温存する。海戦となっても敵艦隊を阻止できる程度に止め、また直ぐに撤退できるように行動するのだ。

 現状では、海ならば里見がはっきり言って強い。総数こそ少ないが、頑丈な艦と強力な大砲を載せている。これにより遠距離から一方的に攻撃ができるようになった。

 そして北条水軍の敵は里見だけでなく、駿河の今川水軍もいるのだ。史実では天文二十三(1554)年に武田・北条・今川による三国同盟を結ぶが、北条水軍が壊滅し弱まれば今川、特に武田は遠慮無く襲いかかるだろう。北条も、弱肉強食の時代に同盟が有るから水軍を置かなくても大丈夫という馬鹿な考えはしない。


 だが、現状では、である。

 国力でみれば圧倒的に北条が上だ。その国力に任せて軍船と兵を増やし、里見水軍に対抗するため北条水軍も大砲、大筒を載せるだろう。もちろん、大国・大軍であるがゆえに、高価な大筒と貴重な火薬を配備する負担は重く、唯でさえ金を喰う存在である水軍が更に何倍以上の金を喰っていく存在になるだろう。

 しかし、時間をかければ里見水軍以上の艦隊にすることも可能なのだ。 


 仮に、こちらが艦をかき集めて三浦半島に投入すれば勝てるだろうが、損害は大きなものになる。そうなれば制海権は維持できず、房総半島の防衛もままならなくなる。


 つまり、北条水軍はその国力に見合った艦隊を増強しつつ、使わなくても相手に負担を強いつつ、有利な時に好きな場所へ戦力を投入できる。

 対するこちらは、いつ北条水軍が襲来してもいいよう、多くの兵船を張り付かせなければならない。


「こちらから仕掛けたとはいえ、先の事を考えると嫌になるな。道標はあっても足元が真っ暗だ」

「とりあえずは、目先の事を考えましょう。どうせ直前になってみなければその時の状況なんぞわかりやしません」


 すぐそこに敵は来ていますよ、と安泰が忠告する。義頼は小さく謝罪してから敵艦隊を見やった。

 現在の敵艦隊との距離はまだ離れている。風上に関船が五隻に、小早が十二、三隻ほど。密集しながらこちらに向きを変えた。

 第一艦隊は第一図南丸を先頭に単縦陣、第二艦隊は四隻ごとに単横陣を組み、前進していた。


「信号係、金谷城に伝達。[コレヨリ戦闘ニ入ル]」


 義頼が言う。暫くして、時忠のいる金谷城から返信が届いた。長文だった。


「金谷城から返信![了解。思イッキリ ヤッテ下サイ]以上です!」


 義頼と安泰は思わず苦笑した。見れば甲板にいる水兵たちも笑っていた。


「何と言うか、一応は時忠さんの同族なんだけどなぁ。遠慮が無い」

「時忠さんは相当、嫌味や嫌がらせを受けていたそうです。あの人、商売を邪魔されると激怒されますから、怨みもあるのでしょう」

「だからかね? まあ、此方も時忠さんの期待に応えるとしよう」


 そう言っている間に右舷にある三つの砲金色の砲身が押し出される。同時に、まだ若い水夫が叫んだ。


「報告![砲撃準備ヨシ]でェす!」

「[第二図南丸]より信号ッ![第二・第三・第四、砲撃準備ヨシ]です!」

「[千鳥型]全隻、[砲撃準備完了]とのことです!」

「よろしい」


 次々と来る知らせに、義頼は努めて明るい声で答えた。良い笑顔だった。そして、大音声(だいおんじょう)を張り上げた。


「全艦、砲撃用意! 各艦は照準を開始せよ!」


 号令と共に旗が掲げられる。砲撃開始の信号旗であった。

 第一艦隊は曲がり、船の横っ腹を敵水軍へ見せる。そして、四隻の艦は片舷合わせて十二門の艦砲を、遮二無二突っ込んでくる艦隊に合わせた。


「撃てェい!」


 一斉砲撃が始まった。先の海戦と変わらぬ頼もしい轟音と衝撃が艦を揺さぶる。辺りに白い砲煙が漂う。強い硝煙の臭いが鼻をついた。

 そして時治の乗る関船周辺に、幾つものの水柱が立ち上がった。


「怯むなァ、突っ込めッ!」

 

 時治の鼓舞に水夫達は奮い立ち、太鼓を激しく叩き鳴らし、あらん限りの喊声を上げて船の速力を上げていく。


「突っ込めェ、突っ込めッ!」


「勇ましいな」そんな光景を見ながら、義頼は静かに言った。「次発装填」


 即座に砲兵たちが動く。砲内を掃除し、玉薬と砲弾を装填する。火門に針を刺し、火薬を積めて砲車を前に押し出した。


「装填よおし! 照準よしッ!」

「撃て!」


 再び轟音と衝撃。弾着。今度は二隻の関船に命中したようだ。目に見えて敵船の速力が落ちていき、傾斜し始めていた。これで二隻脱落。残りは関船三隻と小早十三隻。

 

「突っ込めェ、突っ込めッ!」


「[雲雀(ひばり)]より信号![砲撃ヲ開始スル]」


 単横陣で敵艦隊の側面に回り込んだ第二艦隊が、砲撃を始めた。図南丸型に載せている三斤平射砲と比べて威力は低いが、数は多い。

 敵艦隊は側面から千鳥型の猛射を受ける。木片が飛び散り、悲鳴が上がった。砲手から声が上がる。

 

「装填よぉし!」

「撃てェ!!」


 轟音。砲弾が命中して木片が飛び散り、小早の水夫達を血煙と共にかき消した。一瞬置いて、一際大きな悲鳴が上がった。

 敵船の方、人を見て、急に背筋がゾクリとした。奥底から込み上げてくる何かがあった。


「もう直ぐだッ! 大将首はそこだ、突っ込めェェ!」


 時治が絶叫する。顔に木片が突き刺さり、血に塗れた憤怒の形相はまるで鬼の様だった。

 時治の狂気に当てられた艦隊は速力こそ落ちてはいるが、未だ戦意は高い。第一艦隊に向けて散発的に矢を射掛け、大筒をやたらめったらに撃ち込んで来る。その殆どは外れ、海面を空しく叩くだけだった。

 風向きが変わった。帆がばたつき、艦が失速する。


転桁索(ブレース)につけ!」


 すぐさま安泰が号令をかける。急がなければ動索が切れてしまう。操帆員たちが(マスト)から伸びる帆桁の両端から下がる動索に取り付く。


引け(ホールタイ)転桁索(ブレース)!」


前檣(フォアマスト)主檣(メインマスト)の横帆と縦帆が風向きに合わせて正しく帆の開きを整える。風をしっかりと捉え、速力が再び戻る。


「取り舵、少々」


 左へ動き、ようやく安定する。少し離れたか。


「逃がさん、逃がさんぞッ!」


 後ろから千鳥型の砲撃を受けながら、時治は叫ぶ。既に時治以外の軍船は第二艦隊に取り付かれ、船の上で動くのは時治と僅かな水夫だけとなっていた。それでもまだ、声を張り上げて漕ぎ続けていた。

 ゆっくりと旋回し、再び突撃を始めた。


「彼らは勇敢ですな。まだ此方に向かってこようとする」


 安泰が甘さの無い、戦場での声で言った。

 

「そうだな」義頼は軽く目を瞑り、眉を揉んだ。ゆっくりと目を開く。

「――彼らの果敢精神に敬意を表して、全力で相手しよう。砲撃用意」

「了解!」


 義頼の顔には歪んだ笑みが張り付いていた。砲撃準備完了。


「沈めろ」


 再び砲撃が始まった。砲弾は目標に向かって着弾した。そして他の関船と同じように千鳥型に接船される。


 そして、この日をもって、東国でも精強と謳われた内房正木水軍は終ることになった。



 金谷城沖で内房正木氏の水軍を壊滅させた里見水軍はそのまま一時停船。

 上陸していた兵の掃討も終わったという知らせを受け、義頼は僅かな手勢と共に上陸した。

 上陸場所には、時忠の近習が出迎えていた。

 互いに型通りの挨拶を行い、こちらへ、と案内される。周りには義頼が連れてきた護衛の他、時忠が寄越した兵が付いた。


 細長い山道を登り続け、ようやく金谷城へ着いた。

 この金谷城は、独立した屋根の上にある田舎の屋敷といった感じの城である。といっても、この時代の海城はみなこういう造りをしていた。

 時忠のいる部屋まで案内された義頼は護衛を残し、近習と共に中に入る。中は洋灯(カンテラ)が灯っており、明るかった。だが古い鯨油を燃やしているのか、獣臭さがあった。

 義頼と時忠はまったく型通りの挨拶を行う。


「此度の勝利、おめでとうございます。また義頼様の率いる水軍のご活躍により、損害を低く抑えることが出来ました」

「有難うございます。しかし、僅かな兵で金谷を守り、街に一歩も兵を浸入させなかったのは時忠殿と弘季殿の功績でしょう」


 お互い、にこやかに笑い合う。


「茶を用意します。どうぞ、お座りください」


 そう言って義頼に机と床几を進める。上座であった。時忠は義頼が座ったのを確認してから着席した。

 近習が湯気の立つ赤銅色の金茶碗(マグカップ)を持ってきた。中身は濃く出した麦茶だ。義頼は貰うと一口、熱い茶を飲む。初夏とはいえ海の上は寒い。冷えた身体がじんわりと暖かくなる。

 その後、戦後の打ち合わせを行い、終わったところで時忠は近習も退出させる。部屋には義頼と時忠だけとなった。


「――それで時忠さん。何があった?」


 小さく、砕けた口調で義頼は話しかける。


「少々、厄介な事が。造海城のことでして」


 造海城は水軍が出払った後、義舜ら陸軍がすぐさま城攻めを行っていた。


 この造海城は現在、内房正木氏の持つ唯一の海城であり、この地域を統治するための拠点として使用されていた。標高100mほどの独立した険阻(けんそ)な岩山の上にある堅城である。港は二か所あり、城の北側、白狐川(びゃっこがわ)付近と城の南側、津浜に置かれていた。

 地域的に見ても江戸湾の入り口にあり、幕末には江戸湾防衛のために砲台が築かれるなど海の関所として重要視される位置にあった。

 地域の防衛のためにも、どうしても手に入れておきたい城なのだ。

 

 当初は残っていた城兵も抵抗していたが兵は少なく、砲撃で容赦無く撃ち込まれていく。城門が吹き飛んでからは一気に戦意旺盛な義舜の部隊に攻め込まれてしまった。

 そしてもう戦える状況でもなく、水軍が壊滅し、中心人物であった正木時治は討ち死にしたと伝えられたことにより、造海城は降伏することになった。


「陸軍からの通信によれば、保田郷の地頭だった正木与五郎らの一族が見つかっていないとのことです。こちらでも弘季が陣頭に立って指示を出しているんですが、どうもいないようでして」

「ということは、逃げている最中なのか、もしくはここに来なかった、と言うことになりますが」

「できれば前者でありたいですけどね」


 不機嫌な表情を隠さず、時忠が言う。かなり面倒な状況であった。

 前者であったならば、まだやりようがある。ずっと隠れていることは出来ない。民衆も北条寄りではあったが、それは生活が楽になる、という美味しい話があったからだ。此方が褒賞金を用意すれば積極的に見つけようとするだろう。

 問題は、既にいない、つまり北条に渡っていた場合だ。内房正木氏にも、農業、漁業改革や水軍の調練など一部の技術は伝わっており、それらを扱うことが出来る。加えて、風魔によって情報は少しずつ流失しているのだ。


「農業や漁業といった分野は完全に防げるものではありませんが、一気に差を縮められるかも知れません」

「万が一の場合は内房正木氏も知っている技術、特に農業、漁業分野は情報解放して、高く売りつけるしかないでしょう。周りの国力を上げることになりますが」

「それが良いかもしれません……」


 急に、部屋の外が騒がしくなった。


「殿、館山からの伝令です!」近習が言った。


 館山、と聞いて、義頼と時忠はお互いに顔を見合わせた。悪いことは重なる、そんな嫌な予感がした。

 入るよう時忠が言うと、時忠の兵に両脇から支えられた、疲労困憊の兵が入ってきた。荒い息を吐き、身体は汗と泥まみれになっていた。見た事のある顔だ。確かに館山にいるはずの伝令兵だった。

 促され、伝令兵は荒い息のまま、告げた。


「た、大変ですッ!館山が、館山が燃えています!」

誤字・脱字が有りましたら、報告をお願いします。


 小ネタ


・船槍……突くと引っ掛けるの両方に使える槍。刃は余りついていない。


・薙鎌……長い柄に鎌の刃がついた武器。藻外しとも。敵船の帆や綱を引き切る。


・尺藤の弓……標準的な弓である重藤の弓(全長2.2m)より小さい、全長1.8mほどの弓組足軽用の弓。1尺ごとに藤が巻きつけていることからこの名が付いた。物差し代わりにも使ったという。


・赤裸の海賊……要するにふんどし一丁の海賊。


・旋回砲……通常は船尾の手摺り上に設置される、上下左右に可動する旋回砲架を持つ小型砲。取り外して上陸艇の火砲に使うことも。


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