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第15話 小休止[後編]

ようやく投稿です。楽しんでいただけたら幸いです。

 義堯と信応が面会している一方、義頼は。


「ふぇっくしゅ!」

「おや、風邪ですかい?」

「いや、大丈夫だ。誰か噂でもしているんだろ」


 義頼は鼻をぐずらせて隣にいた水兵にそう答えながらも、手は動かすのを止めない。


「風邪ですと!若」 

「大丈夫だから。じいも仕事しろ。今日中に終わらないぞ」

「……むう」


 源一郎は不満げな表情を浮かべていたが、やがてため息をついて石を片手に持ち直し、作業を再開した。

 

 この日、義頼達は館山の造船所で、水夫達と混じって船の掃除をしていた。

 史実で考えれば年末には北条が襲来する可能性がある。そうでなくても内房の水軍が一時的にとはいえ、動かせなくなったのだ。軍勢は来なくても周辺の海賊が勝手に来て略奪していく。

 いまさら弱小海賊が数艘で来たところで数は少ない。残存する軍船だけでも返り討ちできるだろう。が、出たというだけで交易路は不安定となり、経済は打撃を受けるのだ。

 

 早急に睨みを利かせられるだけの船団を再編する必要がある。なので一日でも早く損傷艦はさっさと修理し、失った軍船の補充を行わなければならない。そのため造船所では猫の手も借りたいほど忙しいので水軍から訓練、もとい漁に出た兵以外は全員駆り出されていた。


 今、義頼達が掃除している関船も金谷城一帯を守る水軍に配備されることになる。船台の上に乗せられた関船は特徴的な矢倉は取り払われ、楯板をはめ込む骨組みだけが残っている。

 この関船は元は館山一帯の水軍の旗艦として使用されていたが、千鳥型や図南丸型が普及したために港に繋がれている事が多くなっていた。そのまま腐らすには惜しいので売却することになった。旗艦だっただけあって船体は中々大きく、また従来の和船なので運用と修理もしやすいので再び金谷城で旗艦になるのが決まっていた。


 本来なら掃除は義頼がやる仕事ではないのだが、城にいてもここ最近倍増した縁談や仕官の話を聞かされるだけなのだ。義頼には何故、今頃になってこの手の話が増えたのか分からなかったが、妙な事を考える人間もいるので、いい加減うんざりしていた。この掃除も気分転換も兼ねていた。


「やはり腰にきますな、船の掃除は」


 源一郎がしかめ面で言う。見れば周りの水兵達も時折腰を反ったり、叩いたりして痛みを和らげていた。


 船を修理するには船は船台に引き上げ、そして損傷箇所を確認するために全体を綺麗に掃除しなければならないのだが、この船の掃除というのはかなりの重労働である。

 

 甲板には砂と水をまき、それを板状の石でゴリゴリと磨いていく。特に大変なのが船底である。船は海にずっと浮かべているとフジツボや貝類、海草やスライムなど付着物が付いてしまう。これらは金属ヘラで削ぎ落とし、甲板と同じく石でゴリゴリと磨いていく。

 

 これが終わったら船の検査を行い、痛んでいる部分は張り替える。そして「焚船」と呼ばれる、船を陸上げして船底を焚き火の煙で燻し、熱で乾燥させる。最後に木が腐らないよう柿渋を何度も塗り重ねて乾かし、帆布で磨き上げてようやく終わる。

 一ヶ所でも手を抜くと劣化が早く進むため、船の掃除は非常に手間暇がかかる作業なのだ。


「じい、もう年なんだから無茶するなよ」

「じいはまだまだ若いですぞ!」

「分かった分かった。ただ無理はするなよ」義頼はそう言い、外板の掃除をしている安泰へ顔を向ける。「そっちはどうだ?」

「いや大変です。貝がへばりついていて中々落ちません」


 安泰は首に巻いた手拭いで汗を拭いながら言う。うんざりした口調だった。

 余り力を入れてやると外板が削れてしまうし、かといって力を入れなければ根が残ってしまう。単調な作業を気を張り詰めたまま延々とやるので、精神的にくるものがあった。


「この船は半年前に徹底的にやった筈なんですがねぇ……」

「ふうん、どれ」


 義頼は腰に差していた木槌を取り出すと、安泰の元へ出向く。そしてフジツボや貝類を削り落としたばかりの外板を軽く叩いていく。その感触に片眉を僅かに上げる。


「ああ、これは駄目だ」一通り確かめた義頼は言う。「ここは全部張替えだ。フナクイムシに喰われて中がスカスカになっている」


 現代において船の嫌われ者といえば、フジツボである。

 フジツボは船底や舵にフジツボ・セメントと呼ばれる接着剤を分泌して固着する。そのため船の抵抗が大きくなり、速力や燃費が悪化してしまう。

 フジツボはこの時代でも嫌われる存在だが、それよりも一番の大敵と言える存在がいる。 

 

 それはフナクイムシである。

 「ムシ」といっても、フナクイムシ科の二枚貝だ。外見は細長いミミズに1センチ程の小さな二枚貝がくっついているような姿だ。ただ成長すると全長1m前後にもなる。

 

 このフナクイムシの貝殻の前半部はヤスリ状で、これを動かして船底外板に穴を掘り、そして体内の器官に共生するバクテリアの酵素によって木のセルロースを消化してしまうのだ。

 これを放っておくと板材がスポンジ状になり、そして航海中に何らかの負荷がかかって突然沈没する船が多かった。

 対処しようにも、この時代にはフナクイムシに有効な塗料が無かったため定期的に船底を磨き、焚船をするしかない。この作業は日本では漁民の縁起かつぎとしても行われたが、面倒な仕事であるのに変わりはなかった。


「張替え、ですか」安泰は驚いた表情で言った。そして外板をまじまじと見つめる。「私には全く分かりませんね」

「外から見ても分かりづらいさ。フナクイムシが穴を空けてもフジツボがセメントで周りを固めるからな。だけど叩くと何か妙な感触がするから、それで判断するんだよ」


 義頼がそう言うと、安泰や源一郎は素直に感心した。試しに義頼から木槌を借りて叩いてみたが、何がどう違うのか、全く分からなかった。

 ともかく、これは親方に言わないとな、と義頼は呟くと、近くの水兵に親方を呼んで来るよう命令する。少しして、親方は小走りに駆けて来た。


「なんですかい?」

「外板が喰われている」


 この一言で親方は察した。露骨に顔を歪めて舌打ちをすると関船に近づき、船の状態を確かめていく。

 

「若様の見立ては?」一通り確かめたところで、親方が言った。

「ここの外板は張替え。他の外板はそこまで痛んでは無いから、あとはいつも通り」

「ふむ、ワシと同じですな」ボリボリと頭を掻きながら、親方は言った。「とりあえず、若様達は休憩して下され。朝からずっと働き詰めでしたでしょう。見たところ、殆ど掃除も終わっているようですし、後はどうにかします」

「……それは有難いが、大丈夫か?」


 連日、船大工達は朝から晩までずっと働き詰めている。手伝いに来た水兵達よりも疲労しているはず、と義頼は思っていたが、それを見透かしたのか、親方はにやりと笑った。


「なあに、これ位平気ですぞ。これがワシらの仕事ですからな。さあさあ、若様達は今は休んでください。またこき使わせてもらいますからな」

「……有難う。では休ませて貰うよ」


 義頼は素直に礼を言うと、直ぐに水兵達に休憩を知らせた。そのまま邪魔にならないよう、造船所の隅へと動く。掃除という重労働で疲れきった水兵達は、そのまま地面に崩れこむように転がりこんだ。

 義頼もそうしたかったが、見栄があった。立ちっぱなしで源一郎が差し出した温めの麦茶を飲みながら、先程まで作業していた関船を見やる。


「やはり船底に銅板張るべきか?」

 

 非常に厄介なフジツボやフナクイムシだが、被害を無くす方法はある。船底に銅板を張ればいいのだ。

 銅は酸化すると緑青と呼ばれる青錆が生じる。この緑青から亜酸化銅が海水に溶け出し、これが海洋生物に対し毒性を持つためフジツボやフナクイムシの付着が妨げるわけである。

 

「水軍の保有する艦全てとなると、難しいでしょう」

「銅自体、この国では不足気味ですからなあ」


 安泰の言葉に源一郎は同意する。

 銅は潮風に晒されても腐食せず静電気を蓄えないため、水軍では青銅砲や金具、玉薬の保管箱に食器など、船の到る所に使われている金属であった。

 里見家では荒銅で輸入し、国内で精練する際に含まれている金銀を搾り出して差益を得ているため、購入資金に問題は無い。ただ銅を一度に輸入出来る量に限度があり、また精銅は生産されたら直ぐに使用されてしまうため供給が全く追いついていない状況であった。


「輸入量を増やすことは?」義頼は訊ねた。

「時忠さんに聞きましたが、現状では船が足りない上にこれ以上輸入量を増やすと足元見られて採算が合わないそうです」

「やはりそうか……。もどかしいな。対策も技術もあるのに、原料が無くて足踏みするというのは。せめて中型艦からは張れる様にしたいが」


 分かっていたこととはいえ、やはり自前の鉱山が無いのはきつい。武蔵国を領有できれば鉱山も手に入るが、現状では北条を攻めても領有は出来ない。戦で勝っても、領地を里見家に帰属させられるだけの人員や資金がないのだ。となると、現状を維持しつつ、銅を少しずつ備蓄していくしかない。


「そういえば」周りの水兵らには聞こえぬよう、安泰は小さく言う。「火攻め対策ですが、どうされますか?」

「正直に言って、火攻めは木造船である以上どうしようもない。艦砲を無くせば危険率も下がるが、爆沈を恐れて折角の攻撃力を落とす訳にもいかない。玉薬の管理を徹底して、敵艦を近づけさせないよう一方的に叩くしかない」


 義頼はそう答えつつ、麦茶を飲む。


 江戸湾海戦と名付けられた先の海戦では、里見水軍の将らに大きな衝撃を与えた。

 彼らの知る海戦とは弓矢を射掛け、それから接舷して斬り合う、また敵船を陸に座礁させるというものだった。これに加え、海民の多い里見水軍は素潜りで敵船に穴を開けたり、敵兵と組んで海に引きずり込んで溺死させるといった戦術で多大な戦果を上げていた。


 なのに、格下と見ていた真里谷水軍は最近になって出回るようになった鯨油を用いて火攻めを行い、大胆な用兵で内房正木氏らの艦隊を壊滅に追い込んだ。その真里谷水軍を、新兵器である火縄銃と大砲による一斉射撃で文字通り全滅させた義頼の里見水軍。


 今までの経験や戦術とは全く違う、新しい要素をふんだんに取り入れた江戸湾海戦は、従来の戦を根本から変えるものだったのだ。転生者らが進めていた軍事改革に懐疑的だった土豪らの一部は考えを改め、直ぐに館山に人員を派遣して新しい水軍を学び始めるようになったが、急激な海戦の変化に追いつけず、意固地になって認めない、もしくは右往左往する者も多い。


 ここにいる面々は、過去に囚われず柔軟な発想が出来る者だった。突拍子も無く行動する義頼や他の転生者達も大なり小なり色々とやっているので、既に慣れてしまったとも言える。


「……ふんむ、なら軍船に鉄を張るというのは?」源一郎が言う。「鉄なら銅より手に入りやすいですし、全面に張れば矢を弾いて燃える事も無いのでは?」

「鉄張りか……。恐らく難しいだろうな。錆びないように塗料を塗らないといけないし、船が重くなりすぎる」


 義頼は渋い顔で答えた。

 

 鉄板を張った船、すなわち鉄甲船である。当然、装甲分の重量が増す。例えば、厚さ3ミリの鉄板を張り付けるとしたら、1メートル四方で重量は23.4キロになる。主力船である全長16メートル、水面からの高さ2.5メートル、船幅3メートルほどの関船に全面に施した場合、装甲の重量は2,000キロを超えることになる。これでは重心が極端に高くなり、復元性の悪化と重量で殆ど動けないだろう。

 

 鉄甲船に限らず、世界中の国で防御力を上げようと船に金属製の装甲を持たせようとした。だが、上記のように重量により帆走では碌に動けない、現状では船を沈める火力が不足しているため、余り必要が無い。なによりコストの問題で殆ど使用されなかった。近代になって装甲艦が登場したのも、帆走や艪走に代わる蒸気機関が登場したからだ。


 それに鉄甲船はその防御力と重さから狭い海域での防衛戦闘には使えるが、例えば遭遇戦など、広い海域でぶつかり合えばまず勝てない。まともに相手にしなければ良いからだ。鉄甲船に出会った敵は逃げれば良いし、その間に敵地を攻めるということも出来る。こちらの艦砲ならば十分な打撃を与えられるし、また艪に魚網を投げつければ動けないため、海面にでも油を大量に流してそのまま蒸し焼きにしてしまえばいい。

 そこまで話すと、安泰と源一郎は引き攣った表情を浮かべていた。


「エグいですね」安泰が言う。

「そうか? これぐらいは普通だろ」義頼は答えた。「結論として言えば、部分的に装甲をつけることは可能だが、現状では船の快速さという利点を潰しかねない。それに従来の、和船の構造では船体が自重で破断しかねない。これが一番の問題だ。鉄甲船専用に設計した和洋折衷船か、西洋式じゃないと船体強度が保てない」


 事実、「フロイス日本史」において、豊臣秀吉は朝鮮出兵の際に「全面に鉄の装甲を持った船」を建造させたが、重量により船体に亀裂があったという。

 義頼はいつ沈むか分らない船を建造するのも、使いたくも無かった。


「一応、考えてはいるんだけどね。ただ今は軍船の改修に甲・乙型の建造で手がかかるし、千鳥型も数を揃えるために忙しいからな」


 義頼は一息つくと、近寄ってきた水兵が朝比奈様、と小さく言った。源一郎は義頼の許可を取ってから暫く小声で話し、源一郎が軽く頷くと水兵は一旦下がった。


「何だった?」

「若様、客人です」源一郎が言う。「正木左近太夫様(時忠)がお見えになられました」

「左近太夫殿が? 分かった、直ぐに会おう」


 義頼は直ぐに身だしなみを整え、安泰と源一郎を連れて入り口まで向かう。そこには時忠と配下の真田七左衛門がいた。二人とも金谷城の防備を固めるために人員と物資を運んでいるはずだった。

 お互いに型通りの挨拶をした後、義頼は訊ねた。


「どうしたんです。金谷城に行っているんじゃ?」

「その帰りです。金谷城に水軍の配置は終わりました。後は、お願いがあるのですが……」

「なんですか?」

「館山の水軍から大砲の扱いに慣れた者を派遣してくれませんか?」

「ふうん?」義頼は怪訝な表情を浮かべたが、直ぐに理解した。「実戦を知る者を、ですか?」


 はい、と時忠は笑みを浮かべて頷く。義頼は目線で安泰に訊ねる。


「実戦を知り、教官として働ける者は何人かおりますが」

「では、その者らを暫く派遣してくれ。期限は、そうだな、半年で良いだろう。問題はあるか?」

「いえ、ありません」

「有難うございます。正直、助かります」


 時忠の指揮する勝浦水軍は戦もするが、交易と兵站の管理の方が多い。外房を拠点にしているため、最前線である内房と比べれば実戦の経験はあまり多くないのだ。とはいえ、全員が安泰の訓練を受けており、また外海で長距離航海をしているため錬度は高い。

 今のうちに実戦での扱い方を知っておき、少しでも錬度を高めておきたいのだろう。


「となると、これから実元さんの所へ?」義頼が言う。

「はい。金谷城に備え付ける大砲を幾らか融通して貰えないか、交渉しますが」

「なら、一緒に行きませんか? 今なら職人街の造兵廠に居る筈です」

「それは有難いです。是非、ご一緒させて下さい」


 義頼は小さく頷き、残っていた麦茶を飲み干す。休憩は終わりだ。手をパン、と叩き、声をあげた。


「じい、水兵達の指揮を頼む。安泰は付いて来てくれ」

「真田、貴方は船の管理をお願いします」


 はい、と二人は敬礼し、直ぐに仕事に取り掛かった。

 義頼らは僅かな護衛のみを連れて、造船所の側に待機していた舟でそのまま職人街まで向かう。館山の街は広く、また物資が運びやすいよう水路を張り巡らせている。街には人力車や駕籠もあるが、渡し船はがたつかないし、速さも大差ない。料金も高くは無いので、義頼はのんびりとできる渡し舟の方が好きだった。

 

 職人街は造船所からさほど離れていないので、少し景色を眺めていただけで到着した。

 出入り口を守る門番に入構証を見せ、奥にある最も大きい建物へ向かう。すれ違う職人たちは忙しそうに動き回っており、造船所とはまた違った熱気とやかましい音をたてていた。

 自然と、大声になる。


「実元さんはいますか?」

 

 声に気付いた職人が、少々お待ちください、と言って奥の方へ走っていく。

 暫くして、分厚い前掛けを着けた実元が小走りにやってきた。


「皆さん、どうかしましたか?」

「少々、相談したいことが……」

「はあ、分かりました。とりあえず、立ち話もなんなので此方に」


 と、屋敷の奥へ案内する。

 

 案内された部屋は、実元が館山に来たときに使う私室だった。

 義頼は初めて来た。護衛らには待機するように言いつけ、部屋の前にいた実元の近習に腰の刀を預けてから入る。

 

 中を見た瞬間、思わず呻いた。

 酷く雑多な、そして妙な刺激臭のする部屋だった。

 薄暗い部屋の隅には試作品らしい鉄砲や弩が乱雑に捨て置かれ、紙の束が積まれている。実験器具らしい何だか良く分からない液体の入った硝子瓶に、鉛製の箱。机はこぼれた墨でまだら模様になっており、その上には金茶碗(マグカップ)と喰いかけの握り飯が置いてあった。


 何だこれ、と義頼が言うと、すぐさま実元の近習が申し訳ありませんと謝ってきた。そして、私どもには何が何だか分からない物が多いうえに、掃除しても直ぐにこのようになってしまうのです、と正直に答えた。


「……実元さん、片付けぐらいしましょうよ」呆れた表情で安泰が言う。

「いやあ、どうも気が付くと散らかっていまして」


 どうも、実元は身の回りの事は大雑把らしい。実元が笑いながら机の上にあったものを適当にどかしていくのを近習の一人がすかさず手助けする。てきぱきと机を拭き、真新しい座布団を置いていく。

 転生者たちが座ると、違う近習が盆に4人分の菓子と飲み物を持ってやってきた。

 どこか懐かしい香りの、黒々とした温かい液体が入っていた。


「どうぞ、団栗(ドングリ)の焼き菓子と団栗茶(ドングリコーヒー)です」

「へえ、団栗ですか」


 義頼は初めて飲んだが、味は豆茶だ。独特の渋みがあるが香ばしく、後味はさっぱりしていて意外に美味かった。

 焼き菓子はクッキーのようで、記憶にある現代のものと比べて甘さは感じられないが、カリッとした食感と素朴な味が良い。


「へえ、思ったよりも美味いですね」

「そうでしょそうでしょ。珈鼓草たんぽぽに比べると苦味はありませんが、これはこれで悪くないので」


 嬉しそうに実元が言う。

 どうしても前世の珈琲が飲みたくて再現したものだが、味は似ていなかった。ただお茶として飲めば悪くなく、手間はかかるが材料の入手はしやすいためそれなりに作られるようになっていた。

 安泰や時忠も味に気に入ったのか、顔をほころばせながら暫く茶と焼き菓子を楽しんだ。


「それで」一息ついた所で、実元が言う。「私に何か御用でしょうか?」

「私の方は、造船に使う釘と索具の部品ですね」

「金谷城に置く火器、特に大砲を幾らか融通して欲しいです」

「水軍は、玉薬と砲弾の補給を……」

「はいはい、どれも直ぐに用意しますよ」


 苦笑しながら実元は紙に必要な物を全て書き、待機していた近習を呼び出した。近習にこの紙を軍需倉庫の主任に見せて、必要な物は全て揃えるように、と言いつける。

 

「これで大丈夫なはずです。倉庫の主任はケチですが、此方の要望は無視しませんからね」


 有難うございます、と代表して義頼が礼を言った。義頼達が兵器の開発を担う実元に直接言ったのも、確実に物資を手に入れるためだった。

 水軍のトップ達が補給順序を守らずに横槍を入れる、というのは好ましくないが、内房の防衛体制は直ぐにでも完成させなければいけないのだ。

 ただ、無理を言っているのは事実なので、後で実元さんに何か差し入れか褒賞でも出さないと、と義頼は考えていた。


「しかし、随分と忙しそうですね」


 職人街は造船所と同じく、普段から喧騒が絶えない。だが、ここまで慌しく動き回るのを見たのは初めてかもしれない。


「戦の後ですからね。消費した物資の補給も有りますし……。それと実は、兵器の問題点が結構出てきまして。それの改良で悩んでいます……」


 先の戦では様々な兵器が投入された。それらは量産する前に試験を行っていたが、実戦で本当に役に立つかどうかを確かめる意味もあったからだ。


「使ってみた感想として、まず共通して火縄の管理が面倒。鉄砲と焙烙玉はまあ悪くありませんが、平射砲は重くて動かしづらい。軽臼砲はどうにも命中率が悪くて弾薬を馬鹿食いする。抱え大筒は口径が大きいほど個人で扱うには反動と重量がきつい。狭間筒は長射程ですが、装填に時間がかかり取り回しが悪過ぎました」


 火縄銃で最も面倒なのが、火縄の扱いであった。

 火縄は木綿の縄と硝石を一緒に煮込んで作られるのだが、保管するときに湿気が多いとカビが生えてしまう。また使うときは常に火縄を燃やし続けなければならないので、装填して発射態勢のままずっと待機というのが出来ない。火縄の焼ける臭いで位置がばれてしまう。火縄を使い切ると、戦場での補充が難しいのだ。


 そして平射砲も軽臼砲も、轟音と当たった時の威力は申し分ない。ただ製造費も高くて玉薬を馬鹿食いするので、現状の硝石の生産量と脆弱な兵站では賄いきれない。特に軽臼砲は命中率が悪すぎて今の里見家には扱いきれない。暫くは生産は抑え、海岸砲台や重要拠点の備砲として配備。また負けられない戦の時のみに使用されることになった。

 大筒は比較的扱いやすく威力のある三十匁筒に統一。費用も大砲に比べれば安く済むため、優先的に生産していくことになる。

 

「狭間筒に関しては、ちょっと待ってくださいね……」実元はそう言って、部屋の隅に置かれていた細長い箱を持ってきた。「火縄銃の改良と合わせて、こういう方向にもって行くことになりました」


 紐を解き、箱の蓋を開けて中から新品らしい鉄砲を義頼達に見せた。

 それは里見方で使用される火縄銃よりも、短い銃身を持った鉄砲だった。引き金は二つある二段式で、銃身側面のからくりには火縄では無く、代わりに薄く先の尖った石が付けられていた。


「これは燧発式(フリントロック)? いや、まさか、歯輪式(ホイールロック)?」

「ふっふっふっ、それだけじゃありませんよ。銃口を覗いてみてください」


 言われるがまま、義頼は銃口を覗いてみる。思わず目を見開いた。腔内には五つの施条(ライフリング)が刻まれていたのだ。

 他の面々も覗き込み、そして驚くのを見て実元は得意げに笑った。


歯輪式施条銃ホイールロック・ライフル。点火方式は違いますが、まあ幕末に使われたヤーゲル銃もどきですね」


 歯輪式とは、ばねで鋼製の歯輪(ホイール)を回転させ、これに撃鉄に付けた黄鉄鉱を打ちつけることで火花を起こし点火する方式である。

 後に登場する燧発式(フリントロック)に比べて機構が複雑で高価なことから廃れてしまう方式だが、燧発式に使う硬く尖った火打石が確保できていないため、比較的材料が手に入りやすいこの鉄砲を作ったのだ。

 また腔内の施条により短銃身ながら百五十間(約270m)の射程を持ち、狭間筒よりも重量が半分以下になっている。


「よく作れましたね。これ」


 時忠が感嘆した声で言うが、実元は「作れただけです」と首を振った。


「えらく手間と金はかかりますし、これ一丁だけですよ。まともに完成したのは。火打ちに使う黄鉄鉱は東北からの輸入品で、からくりに使う部品の製造には混じり気の無い良質の鋼が要ります。施条も熟練工が一条づつ(やすり)で刻むので量産性は最悪です」

 

 火縄式以外の方式が日本で流行らなかった理由は色々とあるが、実元は実際に作ってみて必要な部品の生産に難があったからでは、と考えていた。


 近代になるまで、日本で行われる製鉄は砂鉄を使うたたら吹きが中心で、特に関東の砂鉄にはチタンが多く含まれていた。そして、たたら吹きと鎚で叩いて精練してもチタンは残ってしまう。

 刀槍は身を厚く、そして折れないように粘りのある武器を作る分には全く問題なかったのだが、結果として不純物が少なく硬い鋼は少なかった。むしろ硬いと折れてしまうため、鎧を着込んで斬り合うこの時代では余り好まれなかったという説もある。


 事実、幕末には輸入されたゲーベル銃を基に国内でも施条銃を生産したのだが、昔ながらの製鉄法と手製一品(オーダーメイド)だったため、鉄質が柔らかく部品のばらつきが大きかったという。使用すればねじが緩みやすく、ばねも弱い。撃鉄や当たり金が直ぐに変形して使えなくなるという問題点があった。


 この鉄質の柔らかさを改善するには良質の鋼を使うしかない。鋼を作るには高品位の鉄鉱石を使うか、鉄鉱石を近代の平炉や転炉などで精錬したものが良い。ただどちらも現状では無理なので、たたら吹きの後に出来たケラを選別し、最も不純物の少ない鋼、いわゆる玉鋼を使用することでどうにかなったのだと言う。


「それに作ったのは良いんですが、微妙に使いづらいですね」

「え、そうなのですか?」

「はい。まあ確かに射程は上がりましたが、玉薬の所為で煤と煙が多いですからね。射程を活かした狙撃も難しいですね。あとは筒内は汚れて詰まるし、連発もできません。従来の火縄銃と比べて製造に手間と金がかかるし故障しやすい。セット・トリガー、この二つの引き金の事ですね。これをつけて軽減させていますが、強いばねを使うため照準がぶれやすい。椎実(ミニエー)弾も造りましたが、現状の品質と価格に見合うのかと考えると、ちょっと」


 元々、義舜から『射程と命中率の向上と、管理の面倒な火縄をどうにかして欲しい』と言われ、それを改善するするためにこの鉄砲は作られた。


 当初は構造が単純な燧発式(フリントロック)を造ろうとしたが、質の良い火打石が見つからなかったため歯輪式(ホイールロック)となった。

 椎実(ミニエー)弾は現代の弾丸と似た形をしており、銃の口径よりやや小さく出来ている。弾丸の底は中空になっており、発射の際に火薬の圧力を受けると裾が広がり、施条に食い込んで発射されるという仕組みになっている。

 その形状から従来よりも弾丸は重く、また装填が楽になり、しかも隙間無く火薬の圧力をしっかりと受け止めるので威力と射程の増大に成功している。 


 だが、ただでさえ高価な鉄砲が更に高くなってしまった。量産するには鉄も鉛も玉薬も、何もかもが足りていない。また弾丸もそれっぽい形になるよう造っただけで、量産できる体制にはなっていない。


 施条銃は熟練工がヤスリを使い、溝を一つ一つ手作業で掘って生産している。これだと品質にばらつきが出てしまい、しかも数日かけて一挺出来れば上等だった。

 実元も生産性と費用を少しでも下げるために足踏み式の旋盤などを開発して使っていたが、それでも高い。銃身は規格化した心棒を使うことで口径を揃えているものの、微妙なズレが出てしまう。このズレに合わせるために一本一本ヤスリを用意するのは現実的ではないし、また現代のような質の良い工具鋼が無い。今の技術力では、手掘りの方が精度が高いのだ。


 また現行の戦術では近距離での斉射が主体であり、そもそも火縄銃の数が足りていないのだ。もっと言えば、刀槍や具足といった武具ですら充足していない。今は高性能銃を1丁よりも、火縄銃10丁の方がありがたい。

 しかも火縄銃よりも故障率と不発率が高く、照準のブレと発射のラグがあって命中率が悪いという点も問題だった。


「そういう訳で、従来の武具と火縄銃が揃うまではこのまま。施条銃の研究は進めますが、年産で数十といったところでしょう。量産できる技術があればいいのですが……」

「まあ、しょうがないですね。こちらも協力しますよ」

「できれば水軍に施条銃を造ってくれませんか? 狙撃に使えますので……」

「えーと、その、少し待っていただけば。やっと取っ掛かりができた程度で、第一陣は陸軍に納入する約束となっておりますので…」


 安泰の言葉に実元が申し訳なさそうに言う。

 いえ、水軍は後でも大丈夫なので無理をしないで下さい、と安泰が言い直す。

 

 安泰としては敵船の船長を狙撃できれば便利という程度で、従来の火縄銃でもやりくり出来る。それに無理をして実元が倒れたら元も子もない。何より、実元は義舜の家臣だ。陸軍優先になるのは仕方がないことだった。


 その後、再現が可能な技術について話し合い、茶と菓子が無くなった所でこの日はお開きとなった。


「ご馳走様」そう言って、義頼は立ち上がった。

「いい時間ですので、今日はお開きにしましょう。そろそろ戻らないと、首を長くしたじいに怒られる」

 

 最後の言葉は冗談である。義頼が早く戻れば、だが。みな微笑を浮かべた。

 ではまた、と言って、義頼と安泰は再び造船所へ、時忠は船で勝浦に、実元は兵器の生産に戻った。

 

 それからも、訓練と政務を行い、時々みなで茶を飲み、現状の報告をしながら迎撃するための軍備を整えていく。


 そして翌年。

 天文二十二(1553)年六月、上総国にて、親北条方の国人衆による反乱が起きる。


 後に「房州の逆乱」と呼ばれる内乱が幕を開けた。


誤字・脱字が有りましたら報告をお願いします。


※2016/1/16 文章の追加を行いました。

※2016/2/4 文章の削除と修正、追加を行いました。

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