第14話 小休止[前編]
楽しんでいただけたら幸いです。
今回は短めです。
時は、少し遡る。
武蔵国、江戸。
風魔忍軍が頭領、風魔小太郎はこの地を訪れていた。
里見との戦で出陣し、帰還した兵の様子と戦の詳しい内容を確かめるためであった。
「こちらです」
そう呼びかけたのは何処にでもいるような、僧体の男であった。この地域の忍びを纏める組頭である。
風魔小太郎自身も、行商人といった風体であった。
「案内しろ」
その言葉を受け、組頭は小太郎を案内する。そして、すぐ近くの治療所に入る。治療所といっても、戦から帰還した兵を収容するために急きょ建てられたもので、柱と屋根、壁として麻布を張っただけの簡素な造りであった。
その治療所の中は、むせ返るような悪臭と苦悶する兵らで埋め尽くされていた。兵らの体臭と流れる血と脂、そして膿が混じり合った臭いだ。並の人間なら、臭いだけで失神することだろう。
そして、治療所の中を蠢く兵らの姿が映る。忍びたちはその中で懸命に治療を行っていた。
この兵たちは重傷を負いながらも、運良く逃げ切れた者たちだ。大半は百姓らによる落ち武者狩りか、道中で力尽きて死んでいる。
風魔はこの時代では最新的な治療方法を行っていた。止血し、傷口を綺麗な水で洗い流す。そして布や糸、針で傷口を縫合。真新しい布を巻きつけていた。
この治療で多くの者は治った。だが、病気になった者も少なくない。
全身を振るわせ、引き攣りを起こしていた。立ち上がることも出来ず、ただ呻き声を上げて地面を転がるか、身体を弓なりにしならせる。縫い合わせた傷口からは血を噴き出し、布をどす黒く染めていた。
ガス壊疽、破傷風と呼ばれる、致死率は五割を超える感染症だった。
「……ここにいる者は?」
配下の忍びは静かに首を横に振る。もう助かりません、苦しませない方が良いでしょう。悔しさ交じりにそう答えた。
「そう、か。準備しろ」
命を受け、治療に当たっていた忍びたちが動き出す。その手には抜き身の短刀が握られていた。
風魔の役割として、敵地の情報収集のほかに、幅広い知識を生かした兵の治療、そして兵を楽にさせるという仕事があった。
苦悶の表情を浮かべる兵に近づき、胸に短刀を突き刺す。
兵はビクリ、と震え、硬直していた筋肉が緩む。兵の顔は軽く笑っていた。顔の筋肉が緩んだせいなのか、長い苦しみから解放されていくからなのか、分からない。知ってもしょうがない。
兵の最終的な治療は直ぐに終えると、小太郎たちは治療所の外に出た。
「亡骸はいつも通りに」
小太郎は短く指示を出した。いつも通り、つまりは病気が蔓延しないよう火葬し、小さな墓を作るのだ。
「はっ」
治療に当たっていた忍びたちは答え、静かに動きだした。
残ったのは小太郎と、組頭だけとなった。
「報告を」
「はっ。治療後、残ったのは十名を切ります」
「そう、か。やはり少ないな……」
「多くは既に虫の息でした。むしろ、これだけ生き残れたかと……」
既に、付近に配置していた忍により、小田原では敗戦と壊滅の報告を受け取っていた。
その報告に、初めは誰もが絶句した。従来の戦では考えられない程の損害であったのだ。
北条は真里谷氏からの要請を受け、既に上総国にいた兵二千と、新しく編成された江戸水軍を送り出した。
送り出した兵の多くは、生きて戻ってこなかった。
間宮景頼らが率いる二千の兵のうち、武蔵国まで帰還できたのは間宮景頼を含めて僅か六百ほど。それ以外は戦場や人狩りにあって死ぬか、撤退中の混乱で散り散りになってしまった。
水軍は文字通りの全滅。全滅である。現在、帰還した者はいない。
「理由は?」
「北条軍が先手で、軍勢を指揮する者から優先的に討ち取られたためだと考えられます」
「ふむ、頭から撃つ……。合理的だな。だが、それだけではあるまい」
「はい。陸海共に里見軍は新兵器を投入しました。大量の鉄砲、鉄砲を大型化した大筒と呼ばれる、弓矢よりも遠くから鉄の塊を撃ちだす兵器、そして焙烙玉と呼ばれる代物を用いておりました。これは紙製、もしくは鉄製の壺の中に火薬を詰めた物でして、西の水軍が用いるものと酷似しております。そして、どれもが我々が知っている物よりも性能が良いです」
風魔は両方の軍勢に忍びを潜り込ませていた。今までは職人街や武器の保管庫は警備が厳しく、近づけなかったが、戦となれば違う。流れの足軽として簡単に潜り込むことが出来た。その結果、詳しい内容を知ることが出来たのだ。
「……盗み出せるか?」
北条氏康より命を受け、また風魔として、今までの汚名返上のために何としても里見の兵器が、特に鉄砲が欲しい。
その生産、及び保管を行っているのは、久留里、佐貫、勝浦、そして館山である。
「……館山ならば、人員と時間が有れば可能です」
暫く思案した後、組頭は答える。
どの場所も幾度となく風魔が侵入し、撃退された場所であった。
これは久留里、佐貫、勝浦は対北条の前線基地であり、久留里が里見の本拠地で、佐貫は嫡男である義舜、勝浦は時忠の領地である。純粋に警備の数が多く、子飼いの商人による情報網が形成されていた。
よく訓練された兵の巡回に加え、大店の問屋から行商人までの商人の繋がりで様々な情報を集め出して提供される。わざと情報を流して罠を張られるのもしょっちゅうだ。強行すれば兵に、潜伏しようにも商人らによって炙り出されてしまうのが今の里見の領国だった。
館山は開発途中で人の出入りが多いため、まだ隙はあるが、それでも他国に比べれば動きづらい。
また銭と物の流れが活発化し、各地の国人衆にも利益を分け与えている。風魔が各地の不満を持つ輩に接触し、煽り立ててもその家臣や近隣の国人衆に露見し、事を起こす前に捕まってしまうのだ。これほど動きにくい国は無いと風魔は考えていた。
「今回は失敗できん。己が出る。お前の組は全て上総国へ向かえ」
「攪乱ですな」
盗み出した者が逃げ切れるように、また更なる情報の収集である。
「そうだ」小太郎は答えた。
「内房の、確か正木だったか。身代は大きく今ならば不満を持つ奴等も多い。接触し、内乱を煽るのだ」
「はっ、承知しました……」
そう言い残し、組頭は小太郎の前から消え失せた。
小太郎も動き出す。
単身向かうは安房国、館山である。
◆
天文二十一(1552)年四月 安房国 館山城
この日、義堯は居城の久留里城から離れ、僅かな近習のみを連れて館山城に来ていた。
身に纏う小素襖は派手さは無いが、上等な生地と仕立ての良さから義堯の貫禄を更に増しているようだった。
何故、義堯が館山城に来ているのか。
「具合はどうだ?信応」
それは、先の海戦で、義頼によって捕縛された真里谷信応に会うためであった。
「お陰様で。随分と良いですな」
寝台から半身を起こした状態で信応が言う。丁度、翁による診察が終わったところのようだ。信応は不自然なほど血の気が失せて白い顔をしていたが、ふてぶてしい笑みを浮かべられるだけの体力は戻っているようだ。
「おんや、殿。お見舞いですかな?」
「そんなところだ、信応の具合は?」
翁は、この方は凄いですよ、と何処か呆れた口調で言った。
あの戦の後、直ぐに足の手術が行われた。手術といっても、千切れ飛んでぐちゃぐちゃになっていた部分を小刀で筋肉と筋を切り裂き、のこぎりで骨を切断。そして太い血管は縛った後は傷口にヨーチンを塗っただけの、相当荒っぽく雑な方法であった。
信応には少しでも痛みを和らげるために焼酎を飲ませて酔わせていたとはいえ、激痛が走るはずの手術に気絶どころか呻き声ひとつ上げなかったのだ。また出血多量で助かる見込みも低かったのだが、脅威の回復力と食欲をみせて現在では容態も安定しているという。
「まだ暫くは安静ですが、この分だと予定より早く復帰することが出来ますな」
「それは重畳」義堯が言った。「職人達に義足を作らせておこう」
「ワシはまた、歩けるようになるのか?」信じられないような声音で、信応は言う。
「それは貴方の根気と、訓練次第ですな。ともかく、今は安静にして下さい」
ではお大事に。そう言い置いて翁は退出していった。
その姿に義堯は苦笑した。翁は義堯が幼少時から里見家に居る医者なのだが、その頃から全く変わっていない。
相変わらず我が道を行く爺さんだ、と義堯は内心呟きながら寝台の横にあった椅子に座る。
「との事だ。暫くはゆっくりするといい」
「……甥は、信政様はどうなりました?」
「今は久留里にいる。貴様の妻子もだ。領地は取り上げたが、食うに困らない程度の禄は残す」
「そう、ですか……」信応は居住まいを正し、深く頭を下げた。「寛大な処置に、深く感謝申し上げます」
この時代、敗北した側の将兵の末路は悲惨である。
敗走すれば農民らによる落ち武者狩りが待っており、女性がいれば身分の貴賎を問わず強姦され、身包みを全て奪われ裸のまま放置されるか、商品として下女や遊女として売られることもあった。
本来なら、信政ら真里谷一族はそういう目にあってもおかしくは無かった。
それに待ったをかけたのは義頼だった。ここで叩いても上総が更に荒廃し、そして生き残った親族が跡を継いで家臣と共に反乱を起こすだけだと。それなら椎津城に篭る真里谷一族を帰属させたほうが今後のためにも良い。
だから椎津城に降伏勧告をするべきではないか、そう言ったのだ。
これには義舜ら転生者組も賛同した。軍の規律を保ちたいという考えもあったが、兵は連戦で疲労しており、物資もかなり消費していたのでこれ以上の戦闘は控えたかったのだ。それに小規模とはいえ、内乱を起こされると非常に面倒なのだ。
義堯も熟考した後、椎津城に使者を出し、降伏勧告をすることに決めた。
既に里見の勝利は揺るがないものになっており、無駄な消耗をしないで済むならそれに越したことはないのだ。
そして降伏した真里谷一族は人質を差し出させたが、約束通り身柄は保証され、概ね平穏に過ごしていた。
「生き残ったのは、信隆派の面々が殆どか……。実に良い。素晴らしいことだ」
生き残った一族を聞き、心底嬉しそうな声で信応は言う。その事に、義堯は怪訝な表情を浮かべた。何故自分の派閥が無くなって嬉しがるのか、その理由が分からなかった。
「ふん、ワシについた連中はな、目先の事しか見えない馬鹿共よ。……そしてワシも奴らも、今までの全て台無しにしてしまった」
困惑していた義堯に、信応は詳しい事情を語り始めた。怒りと、後悔の念が入り混じった口調だった。
「ワシと兄上はな、兄弟仲は悪くなかったのだよ」
むしろ兄弟であっても争う戦国の世では珍しいほど、二人は仲が良かった。
これは父、恕鑑のお陰でもあった。
恕鑑は卓越した外交手腕を見せ、上総だけでなく鎌倉、武蔵までも勢力圏に置くなど真里谷氏を最盛期に導いた人物であった。
そのため正室から信応が生まれた際、直ぐに一族で内乱が起きると予想した。この頃には小弓公方の足利義明とは対立関係にあり、弟の全方ら一族の動きも怪しくなっていたからだ。
内乱を防ぐため恕鑑は義明と家臣らを監視しつつ、信応が幼少の頃から信隆に会わせるようにした。そして二人に自ら教育しつつ、何度も「兄弟で争うことが無いように」と言いつけていたのだ。
結果、家臣らが二人に吹き込むことはあったが、二人は恕鑑の言いつけを守り続けた。
そして庶子と嫡子という違いはあれど、年の離れた兄弟として信隆は信応を連れてよく遊ぶようになった。時々、二人でこっそりと街に出ることもよくやった。場末の煮飯屋で飲み食いしては父に怒られ、父を巻き込んで色街に行き、三人で楽しんで帰ったら待っていた母達に怒られるということもあった。
信応が元服した後も仲の良さは変わらず、時々二人で会い、一緒に酒を飲みながら会話を楽しんでいた。
「あの頃は本当に楽しかった。ワシはこのまま兄を支え、一族を、上総を発展させていくのだと考えていた」
信応は現状に満足していた。家臣らは五月蝿いが、既に信隆は家督を継いで上総を問題無く治めていた。それに兄と争ってもただ一族に混乱を生むだけで、衰退するしかないと分かっていたからだった。
しかし、恕鑑が亡くなると状況が一変する。今まで義明と家臣達を抑えていた人物が、居なくなってしまったのだ。
直ぐに小弓公方の義明と真里谷全方らが「信応様を当主にするため」と大義名分を掲げると多くの家臣が信応派につき、当主だった信隆派を攻撃したことで内乱が勃発したのだ。信応も必死に抑えようとしたが、公方という権威と、今まで抑え付けられていた鬱憤を晴らすように暴走する一族を止めることは出来なかった。
こうなってしまった以上、どちらかが勝利し、直ぐに内乱を治め無ければいけない。そして信隆派は北条を頼ると、信応派も対抗して里見を頼ってしまったため、更に泥沼化してしまった。
その結果が今の状況であった。長い戦によって荒廃し、有力な家臣は戦死。その間に北条と里見は上総へ勢力を伸ばし始めた。
そして予想した通りに真里谷一族は衰退。恕鑑の作り上げた勢力圏は、僅か十数年で酷く小さくなってしまった。
「……だから、今回の戦で我らを裏切り、真里谷に戻ったのか?」
義堯が訊ねると、信応は小さく頷いた。弱々しい笑みを浮かべ、血の気の無い白い顔が更に青白くなっていた。
「兄上がな、死の間際に書状をひとつ送ってきたのだ。『信政を、一族をどうか頼む』とな。兄上の最後の願いぐらいは、ワシは叶えたかった……」
話を聞いた義堯は、思わずため息を吐いた。
信応の話は世間で流布されている事とは全く違う内容だが、事実なのだろう。
そして、これから里見家でも起こり得る内容だった。
義舜と義頼はお互い転生者ということもあってか、兄弟仲は悪くない。
だが、自分が死んだらどうなる?全く同じことが起きるのではないか?
先の戦で義舜は陸で活躍し、大した損害を出さずに武功を上げた。義頼も初陣で真里谷・北条水軍を破ったが、内房正木氏の水軍が壊滅したこともあってケチがついていた。
しかし、水軍衆、特に江戸湾海戦に参加した者は違う。彼らはこぞって家臣や娘を義頼に送り込み始めていた。
今まで義頼は高性能な船を設計しており、交易や捕鯨などの産業を更に発展させていた。また参加した将兵から事情を聞いており、劣勢状況でも水軍を纏め上げ、勝利した義頼の能力は高いと判断した。
それに現状では嫡男の義舜には子はおろか室もいないため、義舜の次の後継ぎに義頼は有り得るのだ。今の内に取り込んでおこうという魂胆なのだろう。
(このままだと拙いか……。何か手を打っておかねば……、そうだな)
「どうであれ、我らを裏切ったのだ。相応の罰は与える」
「はい」信応は居住まいを正す。
「まず、信政は隠居させる。真里谷の当主には信政の嫡男、信重を就ける」
信応は何も言わず、ただ頷く。だが、続けて言われた内容には驚いた。
「貴様も隠居し、家督を息子の信高に譲れ。そして共に義頼の補佐をしてもらう」
義堯から見れば、義頼に当主になろうという気が全く無いのは分かっている。しかし、周りが担ぎ上げれば嫌とは言わないだろう。これは転生者たち全員そうだが、まだこの世に来て日が浅い義頼はズレを直しきれておらず、身内に甘い性格をしていた
今後、そういった野心を持った家臣は増えていく。それを抑えるには、今いる岡本安泰や、朝比奈源一郎だけでは難しい。あれらは有能だが、気質が善良だ。
なら、信応にもやらせよう。
あの、外交手腕と政治力だけで真里谷の全盛期を作り上げ、一時は房総管領と名乗れるだけの権力を手に入れた傑物が恕鑑なのだ。その長子であり、嫡男として直々に教育を受けていた信応なら上手くやれると判断した。
それに義堯が亡くなれば、嫡男の義舜に家臣団が引き継がれる。その中には信重も含まれる。信応も、再び真里谷一族と対立したいとは思わないだろう。
「成程な……」
義堯の言いたい事が分かった信応は思わず苦笑した。
「あやつは色々と甘い。それに家臣が殆どいないからな。貴様のような人物は必要になる」
「ワシがいるかどうかは分かりませんが、甘い、という部分には同意しますな」
なにせ死に掛けていた己の首を獲らず、助けようとした。治療後も随分と丁重に扱われるなど、常識では考えられなかった。
「義頼様は、中々ですな。勇猛さは感じられず、貫禄も無い。だが、岡本安泰や正木時忠のように目線が高く、所々でワシよりも年上に見える。何とも不思議な人物だ」
殆どワシの勘ですがな、と信応はそう言うが、義堯は内心驚いていた。
こちらの秘密、転生者達に気付いたのか。まあ、あれだけ好き勝手やれば誰かが異質さに気付くだろうが、大抵は有能だから、という言葉で済ませる。未来から過去へ転生、という話自体が狂言や妄想の類なのだが、それが実際に起きているのだ。
それに僅かなりとも気付いた信応は随分と勘が良いのだなと、素直に感心していた。
会話が途切れたのを見計らって、近習が小さく声をかける。
「殿、そろそろ……」
「分かった」義堯は頷く。「今日はこれで失礼する」
立ち上がり、そのまま退出する義堯に信応は小さく声をかけた。
「――殿、ワシらのようにはせぬようにな」
「分かっている、信応」
これ以降、真里谷一族は二度と一族間で争うことは無く、里見方として働くことになった。後に真里谷一族は数々の功績を上げ、重臣として大いに活躍することになる。
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