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第12話 江戸湾海戦[後編]

楽しんでいただけたら幸いです。

「――どうやら、半分しか喰えなかった様だな」


 真里谷水軍、旗艦。


 矢倉の上に設けられた指揮所で、総大将の真里谷(まりやつ)信応(のぶまさ)は呟く。

 信応は齢三十六の、武将として脂の乗った時期にあった。

 日焼けと戦で負った向こう傷の残る顔は、火攻めから逃れた里見水軍に向けられていた。


 この火攻めには民衆から徴発した漁船やボロ船に、安房国から密輸した鯨油と藁を載せて行われた。

 皮肉なことに、信応が火船戦術を思いついたのも里見のお蔭であった。

 安房国で生産される鯨油は安くは無いが、今までには考えられないほどの量の油が一度に出回っており、船も廃船処理の手間が省けたと思えば油代ぐらいしか懐が痛まなかった。


「ですが、里見の海賊共に残っているのは矢倉も無い大型船三隻に小型船が八隻ほど。対して我が北条水軍は関船五隻に小早三十隻。負けるはずが有りませんなァ」


 どこかせせら笑うような口調で船軍者が答える。そして、この男は北条からの目付け役でもあった。

 信応には里見だけでなく、真里谷も笑われているように感じられて怒りが込み上げてきた。だが、それも仕方が無いことだとも思っていた。


 真里谷・北条水軍の本隊を見渡せば、どれもが大型で、新鋭艦だけで編成された見事な艦隊であったが、“三つ盛鱗”を掲げた軍船の方が圧倒的に多かった。

 本隊は信応のいる旗艦を含めて北条方から救援として水夫ごと借りた船が殆どであった。


 元々、真里谷水軍は関船1隻を中心とする、水軍とは名ばかりの存在であった。

 これは上に関東有数の大名である北条氏、下に近年目覚しい発展を遂げている里見氏に囲まれているためだった。かつては江戸湾の航路を維持するためにそれなりの規模の水軍が整備されたが、近年の度重なる内紛と両者からの圧力を受けて規模の割に金のかかる水軍は縮小。そして、両者にとって江戸湾は戦場であり、ここ最近の争いの激化によって更に衰退していった。対抗しようにも、水軍を整備するには資金も時間も技術も無くなっていた。

 かつての繁栄の残滓、領地沿岸を警備するための最低限の艦隊。それが真里谷水軍であった。


(……真里谷も落ちたものだ。この戦で里見に勝っても体のいい北条の家臣か。だが、家は残せる)


 信応自身、水軍の扱いに長けているわけでもなかった。

 だが、真里谷氏が北条に使い潰される未来を避け、血筋を守るには直系が活躍するしかなかった。真里谷氏の直系は信隆の弟である信応の他に、他に信隆の嫡男、真里谷信政しかいない。

 信政は若年なうえ、椎津城主で動けない。だから信応が水軍の総大将として出てきたのだった。

 それに、約束もあった。


「信応様、これからどうしますか?」船軍者は分りきったことを聞いてきた。

「無論、突撃だ。それと火矢を用意せい。帆を焼き落とすのだ」

「御意」


 先の事は後だ。まずは、この戦に勝つ。勝たなければならない。

 信応は決意を新たにし、命を下した。


「全艦、里見水軍へ突撃せよ!」



 油断していた。

 甘く見ていた。

 少し考えれば分かったことだ。

 真里谷氏は北条へ救援を求めていたのだ。水軍が強化されていてもおかしくなかったのだ。


 義頼は後悔していた。もっと平射砲を搭載した艦を連れてくれば良かったと、無理やりにでも第二艦隊を指揮下に組み込むべきだったと。


 だが、もう遅かった。

 こちらが油断した結果、第二艦隊は文字通りの全滅。

 後方にいた小早は数隻残っているが、火攻めの恐怖で今海戦では使い物にはならないだろう。


 その現状を突きつけられ、また強く音が鳴るほど歯をかみしめる。ブツリ、と音がして、口の中に鉄の味が広がる。少し切れたか。どうでも良い。いや良くないな、総大将はどんな時でも落ち着いていなければ士気に関わる。


(――そうだ、後悔はあとだ。今は早く決めることが有る)


 現在、第一艦隊は北上している。このまま行けば敵の本隊にぶつかる。

 取り舵をすれば、順風に乗って浦賀水道まで行くことができる。


 撤退か? 態勢を立て直し、仕切り直す。

 ――駄目だ、追撃戦でやられる。仕切り直すにも、真里谷の目的は北条から更に援軍を引き出すための時間稼ぎだ。三崎城と浦賀城の軍船が増派されたら、こちらの減耗した戦力では数が増えたら対抗できない。

 それに内房の土豪らのいた第二艦隊が壊滅したため、守るべき艦隊が無い。こちらの水軍拠点が奪われるかもしれない。


 ならば、やる事はひとつ。ここで撃滅する。


「安泰、取り舵だ。このままでは挟撃される」


 安泰は何も答えず、こちらを見やる。

 義頼は話を続けた。


「そうなる前に、こちらから攻撃する必要がある」

「先にアレを片付けるので?」

「そうだ」


 アレ――真里谷・北条水軍では何と呼ぶか分らないが、敵本隊と区別するために先遣艦隊と呼ぶことにする――を先に片付けるべきと判断した。


「敵本隊はまだ遠く、交戦するまで時間は掛かる。ならば少数の艦隊から叩くのは基本だろう?」


 そのためにはまず、立て直しを図らなければならない。

 義頼はゆっくりとした動きで後尾甲板の最前に出た。気付いた水夫たちがこちらを不安げな表情で見ていた。

 義頼は一人ずつ船員たちを確かめるよう、ゆっくりと見渡し、終わると声を張り上げた。


「諸君らに告げる! この戦、勝ったぞ!」


 義頼の声に、水夫らは呆気に取られた表情を浮かべた。義頼は口元を歪ませ、不敵な笑みを浮かべてみせた。

  

「奴らはたかだか三十隻! 我ら第一艦隊は一隻たりとも損害を受けず残っている。この艦は最高の艦だ。最高の水兵がいる。船を一撃で沈める平射砲もある。勝ち戦だ!」


 ぐるりと見渡す。安泰に目で合図をする。


「しかし、一人でも欠ければ動かせられない」義頼は尋ねる。「諸君らは、勝ち戦なのに味方を見捨てて逃げてしまうのか?!」

「否! ここにいる者の全員が誇り高き水兵達です!」

「勝ち戦から逃げる臆病者はいないかぁ!?」

「いないぞォ!」


 舳先からの声。よし、水夫たちも乗ってきた。


「私は知っている! 誇り高き諸君らのもっとも大事なものは、名誉であることを!」そのまま軍帽を持った腕を振り上げる。「そうだ、という者は、足を踏み鳴らせ!」


 ドンドンドン、と一斉に甲板を叩く。


「そう、名誉! 名誉だ! 勝ち戦だ! ならば勝鬨を上げよ!」

『えい、えい、オオオォォぉぉーー!!』


 水夫たちの喊声を受けた義頼は満足げな表情で頷く。


「よろしいっ! 総員、戦闘準備!」


 先程までの不安と動揺は無くなり、士気を鼓舞された船員たちは直ぐさま持ち場へと戻った。


「お見事です」


 安泰は振り向き、戻ってきた義頼に声をかけた。それは義頼の手腕に感嘆するような声だったが、当の義頼は先程とは打って変わり、頬に手をあてて、目が死んでいた。


「こっちは恥ずかしくて死にそうだがな……」


 前世の、若いころの黒歴史で史実の人物の演説を覚えておいて良かったと、そう考える日が来るとは思わなかった。

 ただ、慣れないものはするもんじゃない。顔が異常に熱い。鏡で見れば恥ずかしさで顔が赤く染まっていることだろう。更に酷い黒歴史を思い出されていく。


 全て忘れるように手のひらで顔を強く押し、大きく息を吐き出して頭を切り替える。


「時間が無い。安泰、平射砲はあと何発ある?」


 訊ねられた安泰は考えるそぶりを見せる。

 第一図南丸には火薬保管庫が無いため、六発分ずつ、内側に銅板の張った木箱に保管されていた。それが二十箱載せられていた。


「残りの平射砲用の玉薬は百十四発分になります」

「十分だ」


 椎津城へ砲撃をするためのものだが、この状況では残す余裕も無い。


「この海戦で全て使い切る。出し惜しみは無しだ」

「はっ」


 安泰は納得した表情で答える。自分もそう考えていたし、大事に抱えて負けたらどうしようもないからだ。


「信号係、各艦に伝達。『里見ハ、各員ガソノ義務ヲ尽クスコトヲ期待スル』」

「ホレイショ・ネルソン提督ですな」

「うん。だが戦死する気はないぞ」

「当然です。させませんよ」

 

 義頼は気恥ずかしさから覚えて、誤魔化すために頭を掻きながら笑いを零した。軍帽を被り直し、そして信号旗がせわしなく揚がり、降ろされていく様子を見る。

 最後の信号旗が揚がった直後、各艦から喊声と了承の伝文が送られてきた。これで準備は出来た。


「さて、戦だ。やろうか」

「はい。戦をしましょう」

 

 静かな声に、安泰も敬意を示しつつ応じた。そして直ぐさま武将としての顔に戻り、号令をかけた。


「第一艦隊、回頭。敵先遣隊を叩く!」


 第一艦隊は取り舵を行い、船首を風下に落とし、順風に乗る。

 敵先遣隊は、火攻めの位置からさほど離れていなかった。


「左舷艦砲、砲撃準備」


 こちらが接近しているのに気づいた敵先遣隊は先程と変わらず密集陣形を保ったまま突進してきた。大音声を上げており、その士気の高さが伺えた。


「左舷艦砲、照準合わせ!」


 号令を受け、砲手たちは猛訓練で身体に染み込ませた動作を行う。

 玉薬と砲弾を込め、砲身はほぼ水平、照準は砲手の感覚。三人がかりで砲尾の位置を固定するために楔を噛ませ、砲の横から棒を差し込み、砲車ごと動かして微調整を行う。


「砲撃準備完了! いつでも行けますぜ!!」

「よおし、撃ち方始めェ!」


 三門の艦砲は、先と変わらない頼もしい轟音をあげた。衝撃が足元を揺らし、辺りには砲煙が漂う。

 砲弾は関船、小早に命中。バチチッ、と木がへし折れる音と共に船体と矢倉に穴を空け、木片が舞い上がる。敵艦隊から悲鳴が上がった。


「命中! 命中!」

「おっしゃあっ!」

「ざまぁみやがれ!」


 更に千鳥型からも大筒による攻撃が始まった。連続して鉄の塊を喰らった衝撃で関船が半ばから真っ二つに折れ曲がり、沈んでいく姿に水夫たちから歓声が上がった。


「次弾装填、急げよ!」


 義頼の号令を受けて、発射の衝撃で後退した艦砲に砲手たちが群がる。

 先遣隊の残りは小早のみ。旗艦であった関船が沈み、少なくない数の砲弾を受けたせいか小早の動きが鈍くなる。


「装填よぉし、照準よし!」

「撃て!」


 砲手の叫びに義頼は反射的に答えた。

 再び轟音と衝撃。小早に命中。楯板ごと敵兵を肉片に変えていく。用意していた火矢が油に引火したのか、一隻の小早が松明のように燃え上がる。


「もう一度だ。砲撃よぉい!」


 先程より近づく。既に砲撃による轟音と爆発で兵が怯えていた。小早は火矢攻撃もせず、沈んだ船が邪魔になり動けなくなっている。


「撃てェ!」


 再び第一艦隊が斉射する。

 連続斉射をしたため、後尾甲板まで艦砲から溢れ出た砲煙で一時的に視界が白く染まる。先程までより強い、むせ返るような硝煙の匂いが鼻をついた。

 視界があけると、かろうじて浮いている船は二、三隻のみで、動いている人間はいなくなっていた。


「砲撃中止っ!」安泰が号令をかけ、静かに告げた。「敵先遣艦隊の全滅を確認」

「確認した。安泰、北上だ。このまま本隊を叩くぞ」

「はっ、――信号っ![第一艦隊、集合。コレヨリ本隊ヲ叩ク]」


 信号旗が掲げられ、見事な艦隊運動で海面を大きく旋回しながら第一図南丸を先頭に縦一列に並び、北上を始める。

 義頼は誰に聞かせるわけでも無く、ポツリと呟く。


「さあて、本番と行こうか」



「ほぉ、持ち直したか」


 残存の里見水軍がこちらの火攻めに参加した艦隊を壊滅し、その光景を見ていた信応は感嘆した声色で呟いた。

 火という、分かりやすく怖い存在を見せつけ、艦隊を焼き払ったというのに、北上してくる艦隊から肌がひりつくような、その高い戦意が伝わってくるのだ。


「ふぅむ、となると少々まずいか」


 士気は高く、特にあの大型船には高性能な大筒を積んでいる様だ。帆船だというのに風上にも走れ、他にも新兵器を積んでいるとの情報もある。

 壊走してくれればやりやすかったが、そう上手くはいかないようだ。


「ふん、これこそ戦よの。実に良い」


 信応はその顔面に笑いを張りつけ、実に楽しそうな声で言う。

 確かに、里見の砲撃は危険だ。これまでの海戦が大きく変わるほどに。

 だが、やりようはある。それを見せてやろうではないか――!


「艦隊を横列に分散させよ。中心に関船、その前衛と脇に小早を並べろ」

「信応様、艦隊の衝突力が落ちますぞ?」

「構わん。あの砲撃で纏めて沈められるよりマシだ」

「……はっ」


 船軍者は不満顔だったが、信応の言葉に了承し、号令をかける。

 

「さて、これをどう対処する?」


 信応は銅鑼(どら)が鳴り響き、艦隊が陣形を変更していくのを見ながら呟いた。


「ちっ、奴ら対応が早い」


 義頼は敵本隊の動きに舌打ちをする。

 現在、敵本隊との距離は離れている。先遣隊を全滅させた砲撃と手榴弾の効果を見るや、敵本隊は密集陣形を組むのを止め、中心に関船を置き、三日月状に横二列に分散を始めた。


「並列の三日月陣ですな」

「しかも小早と関船の上には火矢を用意している。この大将は随分と度胸があるな」


 火矢というのは、危険な戦術である。

 取り扱いを誤れば自身の船を燃やす危険があるため、容易には出来ない戦術なのだ。射手は関船だと四、五名、小早だと二、三名が限界だろうが、それでも数を揃えられると厄介だ。


 また分散すれば各個撃破される可能性があるが、この場合だと火矢の当たる距離――揺れ動く船上で重い火矢を使うとなると最大射程で五十間(90メートル)程度か――まで接近すれば良い。


 強引に白兵戦に持ち込ませるため、出来るだけ通せんぼするように横一列に並べば後ろへ回り込めない。

 なにせこちらは接近すれば帆が焼き落とされ、速力が低下してしまうのだ。玉薬に引火して爆沈、というのも避けたい。


「安泰、何か良い方法はないか?」

「……一定距離を保ったまま艦砲による長距離砲撃の猛打、後に白兵戦。これしかありませんな」

「それしかないか……」


 分散された以上、砲撃の効果も命中率も下がる。海面を叩いて転覆、もしくは火矢を消す、とはならないだろう。ならば、弾薬が切れるまで砲撃で出血を強い、その後、銃撃と焙烙玉で更に消耗させ、白兵戦で片付けるしかない。だが、こちらの損害は酷いことになる。

 せめて、一度に大量の砲弾が撃てればやりようがある――。


「うん? 待てよ……」

「どうかしましたか?」


 気になった安泰が声をかけるが答えず、何かブツブツと言いながら俯いていく。

 暫くして、顔を上げた義頼は邪悪な笑みを浮かべていた。この顔にドン引きする安泰。


「安泰、耳を貸してくれ」


 義頼はその表情と一致するような声色で安泰を手招きをする。

 最初は嫌そうな顔をしていた安泰だったが、命令には逆らえず、義頼に近づく。そして、義頼の話を聞くにつれて感染したのか、終わるころには安泰も凶悪な笑みを浮かべた。


「……なるほど、その手がありましたな」


 お互いにニタリ、と嗤い合う。


「そうと決まれば安泰、準備を始めてくれ」

「はい、その次の信号はどうしますか?」


 決まっているだろう?


「信号、[全艦突撃準備、砲戦ノ後、敵艦隊ニ肉薄スル]だ」



 里見水軍が仕掛けてきた。

 三隻の大型船のみが突出し、砲撃を始めたのだ。

 砲声と共に砲弾が飛来し、関船を囲むように水柱を上げた。直撃はしなかったものの、狙われている、と水夫たちから動揺が走った。


「うろたえるな! この距離で敵の砲撃はそう当たるものではない!」


 再び砲声。同じく直撃は無く、水柱が立ち上がった。


「太鼓を鳴らせっ! 速力を上げるのだ!」


 水夫たちは太鼓の音と共に艪を漕ぎ、全速力で突進を始めた。

 三度目の砲声。今度は一隻の小早が被弾し、船がへし折れて転覆。散乱した残骸に僅かな生存者がしがみついていたが、構っている暇はなかった。生存者ごと残骸を押しのけて進む。

 里見水軍の三隻は大きく旋回し、再び砲撃をしてきた。小早二隻が被弾し、沈没に追いやられる。

 だが、止まらない。誰にも止められない。


「なに、これは……」


 信応は目を疑った。

 なんと、里見水軍は4隻の小型船を前衛に、横列を組み、こちらに直進してきたのだ!

 旋回した三隻の大型船は最後列に入り、そのまま北上していた。


(横列同士でぶつかるだと……、何を考えている?)


 正面からぶつかれば、百回やれば百回とも数が多いほうが勝つ。

 これは古代から変わらないことだ。先程までの戦いぶりから、それが分からないはずが無いだろう。あるいは、砲撃でこちらの士気を落とすつもりだったのか?だが、突進する艦隊はもう止められない。


 もしくは――、


「自棄になったか……?」

「ふん。飛んで火に入るなんとやらですな。全艦、包囲をしろ!」


 信応の疑問をよそに、船軍者は号令をかけ、里見水軍を包囲するために風下に大きく広げ、距離を縮めていく。

 あの帆船は普通の船より風上に走れるが、流石に真正面から風を受けては走れない。そして予想される転回先には軍船を多く配置し、突破できないようにしていた。


「敵船、射程に入りました!」

「火矢、放てェ!」


 船軍者の号令と共に火矢が放たれた。

 最前列にいた敵船は直ぐさま火矢を射掛けられ、炎上していく。


「敵艦、突撃してきます!」


 帆を燃やしながらも四隻の小型帆船が突撃してきた。

 船上に動く影はない――、


「いかんっ! 全艦、退避せよ!」

「何故です! あと少しで里見水軍を――」


 船軍者が食って掛かるが、信応は強引に遮った。


「あやつら、ワシらの火攻めをそのままやり返す気だ!」


 直後、真里谷・北条水軍に今までに無い轟音と衝撃が襲いかかった。



「成功だな」


 敵本隊から立ち上がる黒煙を見て、義頼は静かに爆沈させた千鳥型四隻に黙祷を捧げた。

 義頼が思いついたのは火船戦術を、敵本隊にそっくりそのままやり返すことだった。

 四隻の千鳥型から船員を図南丸や他の小早に移乗させ、代わりに玉薬や焙烙玉などが入った木箱を載せて、横列に突っ込ませたのだ。

 火はあちらが勝手につけてくれるので、用意しなくて良かった。


「見事に吹き飛びましたな」


 安泰の言うとおり、前衛中央にいた小早が吹き飛び、辺りは船の残骸や死体が浮いていた。それだけでなく、爆発による衝撃と、発生した大量の木片と鉄片によって周りの敵兵を殺傷していた。

 和船特有の軽さと喫水の浅さから衝撃に耐え切れず、転覆した小早もいた。


「全員、準備は良いか!?」


 檣には、砲手と銃兵を除く全員が操帆員として加わっていた。


「敵は混乱中だ!一気に片付けるぞ!」

『オゥ!』

「よろしい、面舵!」


 右へ転舵。第一、第二図南丸が切り上がり角度一杯まで変針する。残りの千鳥型はそのまま直進し、未だ混乱が続く本隊へ攻撃を仕掛けつつ突入した。

 これまでに無く接近したため、気づいた敵兵が散発的に矢を射掛けるが、火矢は最初だけで、矢数も少なかった。大半は舷側か、楯板に当たって弾かれるが、幾つかが帆や甲板に突き刺さる。

 お返しとばかりに銃兵が撃ち返し、弓兵を排除していく。


「奴らに最高の操船を見せてやれッ!」

『応さァ!!』

上手廻し(タッキング)始め!」


 図南丸三隻は更に右に転舵し、艦首を一時的に正面から風を受けるように廻す。

 砲声と叫び声が響く中、矢継ぎ早に安泰が出す号令に操帆員達は応え、滑らかに帆の開きを操作し、艦首から流れる強い風を帆で受けとめさせる。艦が軋み、一人の水兵が背中に矢が当たった。だがそれでも歯を食いしばり、転桁索(ブレース)を引いて帆の操作を続ける。そして三隻は少しも減速することなく、急速に方向転換させた。上手廻し成功である。


「よおし、いいぞ水夫ども!」興奮した顔で安泰は叫ぶ。「左舷艦砲、撃てェ!」


 轟音と共に撃ち出された砲弾は、最右翼にいた関船の船体前部に命中。ぽっかりと空いた穴から海水が流れ込み、傾斜していく。


「そら、次だ! 撃ちまくれ!」

 

 反動で下がった砲車に兵が群がる。がなり声をあげながら舷側に並んだ銃兵に弓兵が敵兵を射る。更に焙烙玉を持った兵が括り付けた縄で思い切り振り回し、敵船へと投げ込む。敵船の中で焙烙玉が炸裂。敵兵を殺傷する。


「六点鐘です。少し風が回り始めました」


 艦が耳を圧する騒音と狂気に満ちている中、いつもと変わらない声で佐吉が言う。義頼は佐吉の報告を聞いて、一気に興奮から冷めるような感覚を味わった。同時に、硝煙で麻痺した鼻に血と人が焼ける臭いを感じて、身体の中から何かがこみ上げてきた。


「そうか」義頼は無理やりそれを身体の奥に押し込め、号令を下した。

「佐吉、針路変更だ。上手廻し(タッキング)を行ってくれ」

「ハッ」


 針路を再び北へ向け、取り舵。敵本隊側面を走る。

 その間にも手榴弾付きの銛と砲弾を小早に撃ち込み、沈没に追いやる。安泰が左舷艦砲の砲手に敵関船に照準合わせ、と号令をかけるのが聞こえ、続けて砲声が響いた。船体中央に命中。耐え切れず関船は木が折れる音と共に海中へ沈んでいく。

 銃声と轟音、喊声と悲鳴は絶え止まず、残骸と溺死者がまた増えた。

 

「適帆、取舵ィー!」


 これで、完全に敵本隊後ろへ回り込んだ。より取り見取り、撃ち放題だ。


「さあ、敵は既に壊乱して恐るるに足らず! 全て沈めるのだ!」


 義頼は号令を吐き出し、味方から喊声を、敵から悲鳴を浴びた。

 そして第一艦隊は砲撃を続け、死傷者を出しながら銃撃と焙烙玉を投げ込み、そして白兵戦も行って敵を減らしていった。


 最終的に敵本隊で残ったのは、旗艦らしい関船と、小早が数隻だけであった。どれも砲撃か焙烙玉で船体がボロボロになっており、ブスブスと黒煙を上げていた。

 辺りには大量の船の残骸と溺死者が浮いている中、第一図南丸は関船に接舷した。

 既に攻撃してくる敵兵はいない。銃撃と砲弾で倒れるか、海へ飛び込んだかのどちらかであった。

 この関船も徐々に傾斜をしており、沈むのも時間の問題だろう。


「くくッ、見事なものよ」


 指揮所にいたのは、既に右足は無く、全身血塗れとなった武将であった。

 その顔には紅い血と苦痛のあまり脂汗を浮かばせ、僅かに見える肌は血の気が失せて白く、瞳だけはギラギラと異様に輝いていた。


「貴方が、この艦隊の総大将か?」

「いかにも。真里谷水軍の総大将、真里谷信応である」


 そこに転がっているのはこの船の船軍者だ、と続けて言う。それは胴体が半ばから千切れ飛んでいた。


 信応、と聞いた瞬間、義頼は僅かに顔色を変えた。

 まさか、真里谷氏の中心人物が指揮しているとは思わず、あれだけ大胆な戦術を取るのだから、北条水軍の有名な誰かだと予想していたのだ。

 義頼は姿勢を正し、名乗りを返した。


「里見水軍、総大将の里見義頼だ」

「ほう」


 艦隊を打ち破ったには、あまりにも若すぎた総大将であった。

 信応は後ろにいた安泰を見やる。


「岡本安泰よ、貴様が指揮したのか?」

「……いや、船の操作と、細かい指揮だけだ」

「そうか、そうか」


 嘘では無い、そう理解した信応は驚きと戸惑い、そして酷く楽しそうな表情を浮かべた。


「く、くく、フッ、ふは、ハーハハハハッ!!」


 高く、高く、笑い声を響かせる。


「愉快、愉快だ! まさか、まさか全力で挑み、元服したての若造に負けるとは!」


 くつくつと笑いながら、信応は訊ねた。


「ひとつだけ聞きたい。最後の火攻め、あれは誰の発案か?」

「……私だ。正直、火攻めと横列で来られた時、尻に帆をかけて逃げようと思ったぐらいだ」


 義頼は答えた。諧謔味を含んだ声だった。


「ほほう、ワシの戦術も間違ってはいなかったのか」


 それは良い事を聞いた、とまた大きく笑う。


「くくっ、良い土産話が出来た。はよう首を獲り、手柄とするが良い」

「断る」

「なに?」信応は怪訝な声を上げた。「小僧、儂にこのまま野垂れ死ねと言うのか!?」

「いや、治療させてもらう。首よりも生きている方が良いのでな。それに、もう戦闘は終わった。今、敵味方関係無く救助も行っている」


 信応の挑むような声に、義頼は表情を消した顔で答えた。しかし、その声には明確な意思がこもっていた。


「……ふん、好きにしろ。勝ったのはお主等だ。敗者が言うことではない」


 首を取る気がないと分かった信応は気に入らなそうな表情を浮かべるも、直ぐに無表情となった。

 そして、第一図南丸から船医の翁と助手が三人やって来て、すぐさま簡単な消毒と止血が行われる。

 運が良ければ死なないでしょう、と翁は言い、助手と共に信応を担架に乗せる。この後、第一図南丸で手術、傷口を整えるために足の切断と縫合が行われるのだろう。

 信応は運ばれる前に一瞬だけ義頼の顔を見やり、そのまま船内へと運ばれていった。


「よろしいので?」安泰が言う。「片足が吹き飛んでいます。助かるかどうかは微妙ですが」

「助かれば結構。助からなかったら仕方あるまい」


 あの様子だったら、信応は何かすることも無いだろう。それに、首を取るよりも捕縛した方が都合が良い。敵将の確保は大手柄であるし、身柄を確保できれば真里谷側に領土や城について交渉がしやすい。信応が死んで、その跡を子か親族が相続して北条を呼び込んで再び抗戦、となったら面倒なのだ。

 

 ともかく、これで戦は終わりだ、と義頼は言い放ち、そして宣言する。


「敵将、真里谷信応は捕縛した!我々の勝利だ!皆の者、勝鬨を上げよ!」


 里見水軍から勝鬨が上がり、後に[江戸湾海戦]と呼ばれる戦いが終結した。


 [江戸湾海戦]


 里見水軍 × 真里谷・北条水軍


 結果

 ・里見水軍の勝利


 損害


 ・里見水軍

 焼失・沈没      関船三隻、小早二十八隻(第一艦隊四隻、第二艦隊二十四隻)

 戦死者・行方不明者  二百名(推定) 第二艦隊の船軍者を含む ほか重軽傷者多数


 ・真里谷・北条水軍

 沈没         関船五隻、小早六十隻(推定)うち三十隻が火船で焼失

 戦死者・行方不明者  四百名(推定) 

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