第10話 北上開始
ようやく投稿です。楽しんでいただけたら幸いです。
※注意
今回は戦の話のため、グロテスクなシーンがあります。人によっては気分が悪くなります。苦手な方はご遠慮ください。
上総国中西部を治める真里谷氏は、上総武田氏の分家である。
この上総武田氏は甲斐武田氏の第十三代当主、武田信満の子・武田信長が当時の古河公方によって上総国の支配を認められて同国を支配したことから始まる。その後、嫡流は庁南城に、分家は真里谷城に本拠を構えた。
武田と名乗ることが多いが、時として嫡流は地名から取って庁南氏と名乗り、分家は真里谷氏と名乗るようになった。
真里谷氏は戦国時代前半には当主の真里谷恕鑑が北条早雲の支援を受けて原氏と争い、また古河公方、足利政氏の子・義明が家督争いの末に出奔するとこれを迎え入れて「小弓公方」と名乗らせ、自らは「房総管領」を名乗り勢力を拡大。その後も恕鑑は智勇を発揮して扇谷上杉家の要請を受けた際には北条氏綱と敵対し、また安房里見氏の里見義豊と同盟を結ぶことで後北条氏との抗争を優位に進めていった。
その結果、真里谷氏は上総国西部から中部一帯を領有し、勢力圏に武蔵国と鎌倉を持つことになり、宗家の庁南氏を超える大勢力となって隆盛を誇るようになった。
だが、その繁栄も長く続かなかった。
まず、里見氏の天文の内訌では里見義豊を支援したが、義堯が下克上を果たしたために失敗。また小弓公方となった義明は傀儡の立場から脱却しようと専横を振るうようになり、恕鑑自身も義明を次第に疎ましくなった。恕鑑が北条方へ気脈を通じるようになると、両者は対立するようになる。
さらに恕鑑には庶出ながら一人息子であった信隆を後継者に指名していたが、正室から次男・信応が生まれたのだ。これを切欠に「嫡出の信応を後継者とすべき」とする一派と、「一度信隆を後継者と決めた以上は変えるべきではない」とする一派に家臣団は分裂してしまったのだ。
恕鑑が隠居すると信隆は後を継いだが、義明は猛反対し信応を擁立。また信応の後見には恕鑑の弟・全方が就いて真理谷城に拠をおいた。信隆は椎津城に逃れて北条氏綱の支援を受けるようになり、互いに争うようになった。
この家中の争いは次第に信隆を擁する古河公方・北条氏と、信応を擁する小弓公方・里見氏の抗争へと変化し、天文六(1537)年には義明が信隆方へと攻撃。信隆は降伏し、北条氏を頼って武蔵国の金沢に逃れ去った。これが第一次国府台合戦の一因ともされる。
そして天文七(1538)年、第一次国府台合戦が起きる。
この合戦により、義明は戦死。勢いに乗った北条勢に真里谷城を押さえられ、信応は降伏。信隆が再び当主に返り咲くことことになった。
しかし家中の纏まりは無く、また天文十二(1543)年には笹子城事件(真里谷一族間の下剋上。信隆によって鎮圧される)が起きるなど、かつての繁栄を取り戻せることは出来なかった。
これらの相次ぐ内紛と戦、そして北条氏、里見氏からの露骨な圧力によって衰退しており、さらに当主であった信隆が昨年の八月に病死し、嫡子の信政に代替わりしたばかりであった。
だが、里見義堯が二千の軍勢を連れて北進という報告を受けても真里谷氏側は強気の姿勢を崩さずにいた。
真里谷氏は衰退したとはいえ、それでも上総国西部を有する大名である。去年より里見氏が戦の準備をしているのは分かっていたため、対抗するために大規模な兵の動員を行い、さらに北条方へ軍勢の派遣を含む大規模な支援を要請していたのだ。
上総国は信隆の時代より北条方の城砦や守将を置かれるなど半ば北条の領国化しており、また同国の安定化のために少なくない額の支援をしていた。
仮に、真里谷氏が負けて上総国が里見氏に抑えられれば今までの支援が全て無駄になってしまう。
北条氏康はそれを避けるために大量の資金に武器と兵糧、そして上総国の守将である間宮景頼、浦田助五郎らの軍勢を派遣した。
次々と送られてくる物資により真里谷氏は補給を気にせずに済み、真里谷氏は兵六千、北条方は兵二千の計八千の兵を揃える事ができた。この東関東では大軍であり、また信隆と対立関係にあったはずの信応が里見側に反旗を翻し、信応派が軍勢を連れて参陣するなど再び家中が纏まりつつあって士気も高い。
――来るなら来てみろ。
――準備は万全。四倍以上もの差がある兵力で、こちらは守勢なのだ。まず負けることは無い。
だが、その目論見は大きく外れることになる。
真里谷・北条方の予想を超えて里見軍の動きがあまりにも速かったのだ。
里見軍は小糸川を超え、そのまま上総笹子城を強襲した。戦が始まって僅か半日で城主の武田信清らは討ち取られ、周辺地域を次々と制圧していった。
この結果に慌てた真里谷氏は急ぎ信政が城主を務める椎津城に佐是城城主の武田国信、真里谷家臣団である真里谷四郎次郎らが手勢を連れて椎津城に入城。
また、支城である久保田城では城主の真里谷信常と上総国にいる北条方の守将、間宮景頼、浦田助五郎らの六千の軍勢で小櫃川にて里見軍を迎え撃つべく布陣。対岸に現れた里見軍も、小櫃川からやや離れた所に陣を置く。
お互いが布陣し、睨み合いが続いていた。
◆
天文二十一(1552)年二月上旬 小櫃川 真里谷・北条軍 本陣
「今こそ決戦のときッ! 直ぐに全軍突撃するべきです!!」
「その通りです! 里見なんぞ物の数ではありません!!」
(馬鹿か、こいつらは)
威勢の良い言葉を吐き散らす北条の守将たちを、信常は冷ややかな眼差しで見ていた。
(前もそう威勢の良いこと言って、里見に攻め立てられて逃げ出した癖にな……。こいつらはもう忘れているのか?)
北条方の守将である間宮はかつて佐貫城主であったが、里見義舜が率いる軍勢に攻め立てられ、僅かな手勢を連れて逃げ出したのだ。この時、追撃を受けていた間宮を助けたのが信常であった。
信常が率いた軍勢は数こそ上まっていたが、烈火の如く進撃してくる義舜の軍勢に苦戦した。
途中で館山に北条軍が襲来したため義舜らを含む主力は撤退したが、もしあと少し情報が遅ければ己の軍勢は瓦解していただろう。そこまで追い込まれていたのだ。
己も間宮も、運が良かったに過ぎないのだと、信常は考えていた。
間宮はそれを見ていたはず。なのに何故、それがわからないのか。
「……現在、我が方の軍勢は六千。対する里見の軍勢は物見の報告によれば当初と変わらず二千ほど。数は圧倒しているが、奴らは精鋭で、大量の鉄砲を持ち込んでいるという。侮ることは出来ん」
真里谷・北条軍は最前線から間宮の指揮する先手、その後ろに浦田の二陣、そして三陣、本陣、後詰と並ぶ重厚な備となっている。
対する里見軍は中央に“二つ引両”と義堯の旗印である「仁義礼智信忠孝悌」の八字が、周りを“三つ引両”、“土岐桔梗”、“三つ板屋貝”が囲んでおり、更にこちらに比べて貧弱に見える。しかし、里見軍は誰もが戦上手で知られており、近年では小競り合いや田舎国人共の反乱程度とはいえ里見軍は全て撃退、鎮圧しており、戦慣れした兵が多い。
そして信常は鉄砲を実際に見たことがあった。北条方から手に入れたという鉄砲はたった一丁で、それも玉薬というもの自体が高いこともあってほんの数発のみの実射だった。
音と閃光は大きく、具足を貫く威力は確かに脅威と言えたが、隙は大きく非常に高価だ。信常は真里谷では使えないと判断した。
だが里見家が大量に鉄砲を配備したのなら話は違う。近年の勢力拡大と未知の技を持った彼らを考えるならば、鉄砲を揃えたのは見栄ではなく、運用できるだけの体制が整えられたと考えるべきだ。量の玉薬を手に入れたと考えた方がいい。
そして今の状況。戦慣れした軍勢に、当たれば死をもたらす大量の鉄砲。対する此方は纏まりが無く、ただ数が多いだけ。
この状況で戦うなど、信常には悪夢としか思えなかった。
だが、目の前に居る馬鹿はそんな事はわからないらしい。
「虚仮威しの鉄砲なぞ、遅るるに足りずッ! 我が槍にて一手馳走しましょうぞッ!!」
「おおッ、そうですとも!勇猛果敢な我らが軍勢を見れば、海賊の軍勢などたちまち瓦解する筈です!!」
「……ふん、気合でどうにかなったら苦労しないわ」
信常はそう小さく零す。幸い、雄弁を振るう二人の耳には届いていないようだ。
ただ、真里谷側にもこの二人に追従する者が少なからずいる。里見軍を侮る若手、鉄砲を下に見る者らだ。そういった者達は声には出さないものの、隠し切れない不満が表情に出ていた。
(……限界だな、これ以上は士気に関わる)
信常はため息ついて、周りに聞こえるよう声を上げる。
「では、これより攻撃を始めましょう。間宮殿と浦田殿の軍勢はそのまま先手を務めていただく。それと我こそは、と思う者は前線に立つが良い。ワシは前線の者が存分に戦えるよう、後方から支援しよう」
「おお、おおッ! 任されよ!!」
「我らの武勇を海賊共に見せ付けてやりましょう!」
景頼らは口々に気炎を吐き、そして戦の準備をするべく陣幕から退出していく。
「……いいのか? 奴らを先手にして」残っていた老年の武将が言う。
「構わん。これ以上何を言っても無駄だ。それに当初の戦略も崩れてしまっている」
上総国は安房国と同じく起伏に富んだ地形が多いため、軍勢を動かせられる場所が限られている。
そのため信政の居城、椎津城を基点に支城である久保田城、そして小櫃川を超えて上総笹子城を中心とする幾つものの城砦、そして小糸川に防衛線を張る予定だった。小糸川での野戦に敗れても、要害である上総笹子城で持久戦を行い、久保田城からの救援を待つ。上総笹子城が落ちても、今度は久保田城で持久戦を行うという徹底的に消耗させる戦術だった。
消極的とも取れる戦術だが、最も損害が出にくい戦術である。また、今までの事からしてゲリラ戦に長けた里見軍を相手にしながら安房国まで攻めるのは不可能である。
「……やはり、何かがおかしい」
「里見のことか」
ああ、と信常は頷く。一つの懸念があった。
当時の上総笹子城には千の兵が詰めていた。数では劣っていたが、防御に徹する守備側で、一月は戦えるだけの物資があった。
とはいえ、勢いに任せて攻撃を続ければ確かに城は落とせるかもしれない。
だが、上総国内でも有数の規模を誇る要害をたった半日で、それも、全くの損害も疲労も無しに落とせるようなやわな城ではないのだ。
「笹子城から逃げ延びた兵はどうだ? なにか分かるのではないか?」
「聞き出そうとしたが、あれでは駄目だ。すっかり怯えきっとって話が通じん」
笹子城から僅かな数の兵が落ち延びていたが、ただただ身体を震わして小さく蹲っているか、こちらの呼びかけに反応せず無気力に空を眺めているなど、とても話が聞ける状況ではなかった。
「また、我々には思いつかないようなモノを持ち込んだのか……」
「恐らく、な。もう奴らが何を考えているのか、ワシには分からんよ……」
今まで散々里見に振り回された事を思い出し、二人は疲れたようにため息をついた。
里見軍は北上して笹子城を奇襲し、占領したかと思えば、今はただ睨み合いだけで済ませている。勢いのままやって来るだろうと考えていただけに、やや拍子抜けである。
それに時間を稼げば北条から更に増援が出され、此方が有利となる。何年もの間、北条と戦い続けた義堯がそんな事も分らない筈がない。
だからこそ、義堯が、里見軍が何を狙っているかが分からない。
「もしかしたら、連中は動けないのかもしれん」
「どういうことだ?」
「どうやって城を落としたのかは分からんが、あの里見でもそう使うことができないのでは? 使えるならば対陣して直ぐに行うはずだ。となれば、数に劣る連中がするのは奇襲。恐らく夜戦だろう。ここの川は浅い。一気に駆けてくるかもしれん」
この言葉に信常は納得したかのように頷いた。
「ふうむ、成程な。確かに有り得る。となると、ここで間宮の言う通り総攻撃した方が良いか。数は多いのだ。間断無く攻め続ければ損害は多くとも勝てる。いや、勝たねばならぬ」
信常は立ち上がり、一呼吸置いて号令を下す。
「陣太鼓を鳴らせ!」
ドン、ドン、と腹に重く響く音と共に真里谷・北条の軍勢が喊声を上げる。
そして、信常は大音声で命じた。
「全軍、攻撃開始ッ!」
◆
里見軍、先手。
「なんとまあ、随分と張り切っているもんだ」
対岸から太鼓の音が響く中。
脚立の上に立った安西実元は、蛮声を上げ、こちらに向かってくる敵の軍勢を見て呆れたように呟いた。
先鋒は“三つ鱗”。馬印からして間宮景頼の軍勢だろう。
「あの、実元様。危ないので脚立の上に立たれない方が……」
「ん?ああ、直ぐ降りる」
家臣の言葉にあっさりと頷いた実元は脚立から降りて、砲陣作成を終えて待機している砲兵達を眺めた。砲の研究、開発と実元の家臣として長い付き合いになる者はともかく、その多くは迫って来る大軍を見て怯えた表情を浮かべていた。
まあ無理もないか、と実元は内心ごちた。
実元が指揮する砲兵部隊は三斤平射砲十二門からなる。今回が初の戦役で、新兵器であるが故に運用方法が確立していないこと、砲兵達は訓練不足ではある。
何より新兵はみな若いのだ。元服したばかりで、中には火薬運搬係として僅か十二歳になったばかりの者も含まれていた。
というのも、“砲兵”という新しく出来たばかりの兵種に大抵の大人は「武功は立てられるのか?」「必要な存在なのか?」と懐疑的な視線を持っており、また一度決まったら他の兵種には移れない――育成に時間がかかるのと、技術流失を防ぐため――ことから躊躇させていたのだ。
指揮官である実元自身がまだ二十代前半と若いのも理由のひとつであった。
「傾注!」実元が大音声を上げる。
「さあて、皆の者。敵の軍勢が前進を始めた。このままだと渡河し、壮絶な乱戦が起きるだろう」
乱戦、と聞いた新兵達はぶるりと身体を震わせていた。
この時代の戦はまず、投石、矢をかけた後、長槍を持った足軽たちによる叩き合いが始まる。たかが投石と侮ること無かれ。一斉に拳大の石が投げ込まれてくるのだ。当たり所が悪ければ昏倒し、最悪死に至る。手ごろで効果のある兵器といえた。
「だが、心配することは無い。乱戦は起きない。我々砲兵が起こさせない。我々の仕事は奴らが攻撃してくる前に砲撃し、敵を壊乱させることである。我々が先駆けし、多くの味方を守る。これには諸君らの勇気ある行動にかかっている!」
戦で一番に攻撃する栄誉と、味方を守るという言葉に新兵だけでなく家臣らも顔を紅潮させ、満面の笑みを浮かべていた。既に怯えた表情を浮かべるものはいなかった。
「では、全砲、砲撃準備!訓練通りに行こうかァ!!」
号令を受けた砲兵たちは、直ぐさま準備に取り掛かった。
砲内をブラシの付いた掃除棒で異物を掻き出し、油を塗った紙袋に入った玉薬を砲口から袋ごと入れ、鋳鉄製の砲弾を奥までしっかりと押し込む。
砲尾の火門と呼ばれる細い孔が砲口内の火薬位置に繋がっており、長い針で火薬袋に孔を明け、火の通りを良くした後に、粉末状の玉薬を火門に入れる。
各砲の前に出た砲員が真っ直ぐに紅白に色分けされた測量棒を立て、敵軍に大体のあたりをつけて仰角を合わせていく。
後は、火縄で点火させるだけだ。
「敵軍前衛、川に入りますッ!」
「ようし」
観測手の言葉に実元は満面の笑みで答え、大きく息を吸って、号令を吐き出した。
「平射砲、撃ち方始めッ!」
点火。
実元の号令よりも大きな轟音と共に十二門の平射砲が火を噴き、砲弾が真里谷・北条軍に向かって行った。
真里谷・北条軍 三陣
「……なんだァ、ありゃ?」
里見側から轟音が鳴り響いたと同時に、ヒューンと大気を切り裂く様な、鏑矢のような音と共に黒い何かが真里谷・北条の軍勢に着弾。近くの兵を吹き飛ばし、辺りに土ぼこりが舞い上がった。
「うひィ!な、なんだッ!?」
「空から何かが降ってくるぞ!?」
再び轟音。急角度で落ちた砲弾は地面に叩きつけられ、そのまま飛び跳ねて近くにいた兵をなぎ倒していく。
「ひいッ!?」
「う、うえッ!?」
「こっ、こっちに来た!?」
三陣で起きた混乱は、すぐさま先手の間宮へと伝えられた。
「なんだと、攻撃!? この距離でか!?」
突如響いた轟音は里見による攻撃と知らされた間宮は苛立った声で怒鳴る。
「は、はいっ!」
「くうっ、おのれ海賊共めが……」
里見による戦場の作法も無い、賤しい攻撃に間宮は怒り狂いながらも、すぐさま頭を切り替える。幸い、こちらには損害は無い。ならば突撃して、その攻撃を黙らせるしかない。
「このまま突撃だ! 一番槍の者には褒賞を出すぞ! 里見を黙らし、味方を助けるのだ!!」
間宮の号令に兵らは意気軒昂な叫びを上げ、我先にと前に走り出す。
間宮は海賊共の攻撃がこちらにきたら、と考えたが、全くそのような気配は無い。ただ黒い塊が頭上を越えていく。
「走れ走れ!進めば攻撃されないぞ!」
前に出れば攻撃されない。先手にいた全員がそう考えた。渡河中も予想していた投石や矢といった攻撃は全く受けず、前衛を走っていた兵が里見軍の備に接触しようとしていた。
「よし、一番槍は……」
だが真里谷・北条軍の兵たちを迎えたのは横隊を組み、射撃態勢となった銃兵たちからの予期せぬ弾幕であった。
必中距離から浴びせられる、火縄銃による一斉射撃。猛烈な鉛玉の雨によって真里谷・北条軍の兵達は血飛沫を挙げ、体を穴だらけにされて、次々に力尽きていく。
運良く生き延びた兵も、続けて擲弾兵と軽臼砲から撃ち出された焙烙玉が炸裂。空中や地面の上で爆発し、破片と詰め込まれていた鉛玉が四方八方に飛び散り、同じように斃れ伏した。
三陣と同じく、まったく未知の攻撃に晒された真里谷・北条軍の先手は混乱に陥っていた。
「くそォ、落ち着けっ! 落ち着くのッ――」
直後、がなり声を上げていた侍大将が胸にぽっかりと穴を開け、呆然とした表情のまま崩れ落ちた。
「は、えっ、何が……」
直ぐ側にいた近習らが慌てて主人を起こそうと動き、そして彼らもまた同じく身体が千切れ飛び、後を追うことになった。
「……命中。兜首を獲りました」
「素晴らしい。見事だ」
狭間筒を構えた狙撃兵の言葉に義舜は満足げに頷く。中央前衛を任されていた義舜の備は兵数こそ少ないものの、その代わり銃兵と抱え大筒、軽臼砲が大量に配備されていた。そのため数の差なぞもろともせず、近づく者から次々と粉砕していった。
「少々、玉薬がもったいない気もしますな」近習がそうこぼす。
「そう言うな。正面から殴り合って無駄に兵を死なすよりマシだ」
「確かにそうですな。ただ、この混乱ぶりを見ると無駄使いに思えまして……」
「まあ、気持ちは分かる」
既に真里谷・北条軍の先手・二陣は統制が取れていなかった。
砲撃と銃撃が行われるたびに怒号と悲鳴が上がり、馬は轟音に慌てふためき、上に乗る武者を振るい落として逃げ回っていた。優先的に指揮官を潰したため、誰もが状況を把握できず混乱している。武具を投げ捨てて逃げ出す兵までいた。彼らからすれば戦での食料と小遣い稼ぎを目当てに来ているのだから、こんな所で訳も分からず死にたくはないのだ。
「ともかく、これで敵軍は烏合の衆だ。一気に叩き潰すぞ」幾多の戦場で甘さがそぎ落とされた、静かな声だった。「銃兵、漸進射撃始め」
左右を任されている正木時茂、土岐為頼の備と共に、横隊を組んだ銃兵が構える。
「撃てェ!」
太鼓の音が一つ。
間髪いれず銃声が轟き、真里谷・北条兵はバタバタと斃れていく。撃った銃兵がその場で装填を始め、後列の銃兵が前に出て構える。
「撃てェ!」
先程よりも多い数の兵が斃れ伏す。真里谷・北条兵はゆっくりと近づいてくる轟音と恐怖で身を縮こませていた。太鼓の音が鳴る。
「撃てェ!」
恐怖で我慢出来なくなった真里谷・北条兵が一人武器を捨てて逃げ出すと、誰もが釣られたように逃げ出し始めた。真後ろに逃げ出した兵は実元ら砲兵部隊の攻撃でなぎ倒されるか、混乱中の三陣にぶつかるなどして余計に混乱することとなった。
その様子を見ながら里見軍は小櫃川の渡河地点まで到達。
ここに橋は無いが、川は浅く人が立つことができた。また里見家は伝統的に軽装の兵が多く、駆け足で突っ切ることが可能だ。
「突撃用意」義舜が言う。
「ハッ! 総員、突撃準備ッ!!」
命令が復唱されていく。銃兵は後ろへ下がり、代わりに長槍兵と雑兵が長槍や刀を構える。
突撃喇叭が高らかに鳴り響く。
突撃、突撃! と、里見軍の兵達が喇叭と砲声に負けじと雄叫びを上げる。義舜は颯爽と馬上の人になるや、腰から太刀を引き抜く。その動きには無駄はなかった。
「目標、敵軍本陣ッ!狙うのは大将首だ! 総員っ、突撃にィ移れェー!!」
義舜は両足で腹を蹴るや、愛馬は大きく嘶いななき、駆け出した。その脇を家臣達が、蛮声を張り上げた兵達が続く。
突進してくる軍勢に真里谷・北条軍はますます混乱した。立ち向かおうとしても味方に押されて身動きできないまま槍に突かれて、逃げ出そうにも後ろから刀で斬り倒されていく。
「聞けぇ! 俺は里見義舜。腕に覚えのある者はかかってこい!!」
義舜は騎乗のまま斬り込むや、呆然と立ち竦んでいた敵兵に一撃を加える。鈍い手応えと共に、振るった太刀が敵兵の首を斬り裂く。敵兵は呆然とした表情で血が噴き出す首元を手で抑えながら倒れ伏す。隙間から飛び出た血が顔にかかった。
返り血を乱暴に拭うと再び馬首をめぐらし、駆け出して近くの敵兵を袈裟切りにする。脳天から下へ叩き割られた敵兵が白目をむいて力なく膝から崩れ落ちる。辺りには鼻をつく強い臭いがした。
「お、おりゃぁァァ!?」
鎧兜を纏った敵兵の一人が、叫びながら槍を突きだす。義舜は手綱を引いて僅かに重心を左に移す。鎧を擦る様に穂先が掠めていくのを見やり、脇で槍を挟んだ。
次の瞬間、義舜は横薙ぎに太刀を振り抜き、その首を斬り落とした。
「ひ、ひいいィィッ!?」
首が落ちて、理解した周りの敵兵たちが悲鳴と共に我先にと逃げ出していく。
どうやら、ここいらの指揮官だったらしい。
「皆の者、俺に続けぇ! 敵を一気に押しつぶすのだ!!」
兵たちは口々に喊声を上げて答える。義舜は再び駆け出し、敵本陣に向けて突撃を始めた。
周りには義舜を遮るものはいなかった。
―――半刻後。
義舜らが中央から斬り込み、敵の旗本と交戦している中、「敵将、真里谷信常は討ち取った!」という言葉が戦場に流れた。
敵兵を斬り捨てて、見れば敵の本陣からは勝鬨が上がり、“三つ引両”の旗が翻っていた。正木時茂の部隊が本陣へ突入して討ち取ったのだろう。
「……流石は“槍大膳”。これで終わりだな」
同時に、呆気ないな、と義舜は内心思った。上総笹子城でもそうだったが、もう少し粘るかと思っていた。だが野戦で、この時代での鉄砲と大砲の効果は凄まじいものだったようだ。
敵軍もその報を聞いて忠義として最後の攻勢に出るか、逃げ出していた。
前者は直ぐに討ち取られ、勝鬨が上がった。
「追撃しますか?」
やや息を切らした家臣の問いに、義舜はいや、とだけ答える。家臣の顔は戦場での興奮と返り血で真っ赤になっていた。自分も返り血で酷い状態だろう。
「これだけ叩いたのだ。十分だろう」
義舜は初めて振り返り、その惨状を見やった。
地面はどす黒い血で染まっており、脚を動かすたびにぐちゃりと粘ついた音がした。地面だけでなく、折れた旗指物も血を吸っており、折れた太刀や槍も散乱して輝きも無い黒一色だった。
いや、僅かに黒一色の中に白い物もあった。指や手足だ。他にも穴だらけになった身体が転がっていた。
共通して、どれも首は無かった。恩賞を貰うためだ。
呻き声を上げる者もいない。雑兵たちが止めを刺しているからだ。
既に鼻も頭も麻痺しているが、この場にはむせ返るような血と排泄物の臭いが漂っていることだろう。この光景を見ても、何も思い浮かばなかった。
遠く、本陣から退き鐘の音が戦場に響いた。この合図で時茂、為頼の部隊も撤収を始める。
「終いだ。戻るぞ」
感情の無い声で命令を下す。
義舜は勝鬨と鐘の音を聞きながら、家臣と共に本陣まで後退した。
―――野戦の結果、真里谷・北条軍は壊滅。
先手の間宮景頼は家臣の手により、椎津城まで撤退。浦田助五郎は消息不明。そして真里谷信常らは最後の一兵まで奮戦するも、討ち死する。
里見軍の損害は軽微であった。
誤字・脱字が有りましたら、ご報告をお願いいたします。
二ヶ月(もうすぐ三ヶ月)ぶりの投稿……。本当に申し訳ありませんでした。
次こそはもっと早く投稿します、といっても説得力の欠片もありませんが、待ってます、それでも構わない、という方はもう暫くお付き合いください。
……正直、勢いだけで描いたものを書き直すのって大変。