第9話 戦の前に
ようやく投稿です。楽しんでもらえれば幸いです。
天文二十(1551)年十二月 安房国 久留里城
年末。
今年もあと僅かとなり、里見義堯の居城、久留里城には〝会合〟に参加する面々が集まっていた。
が、いつもと様子が違っていた。
「あ~、幸せ……」
どてらを着こんだ五郎はゆるゆるにたるんだ顔で、未来での冬の必需品、掘り炬燵に頬擦りしていた。その言葉通り、実に幸せそうな表情であった。
この時代の建築技術では断熱効果などは高くは無く、また「家は夏を旨とすべし」とされているため風通しが良いため冬は非常に寒い。暖を取るには火鉢か、服を重ね着して隙間風を凌がなければいけない。
そして何より温暖化とは無縁の時代である。比較的温暖な気候の房総半島でさえ、冬は吹雪くほど非常に寒いのだ。
その点、掘り炬燵は良い。
足元は暖かく、姿勢も楽。綿製のどてらを着こめば背中も寒くない。正に至福。
天板にはお茶請けとして干柿や生姜飴、そしてお約束のように蜜柑が乗っかっていた。といっても、現代で良く食べられる温州みかんでも、江戸時代に流行した紀州みかんでもない。
常陸国、筑波山近くで取れる福来みかんである。
大きさは直径で一寸(3センチ)ほどと小さく、酸味が強く種の多い蜜柑であるが非常に香りが良い。現代でも筑波山周辺で作られる七味唐辛子の原料として、この福来みかんの皮が使われていたりする。
「これじゃない感が半端なくありますが……」
「まあ良いのでは? お茶請けにもなります」
「みかんには変わりませんし、美味いのは正義」
「しかし妙な光景だな、これは」
いつものメンバーがそう言っているのを聞きながら、五郎は福来みかんを一つ手に摘む。
本当に小さい蜜柑だ。皮は少しだぶついていて剥き易く、きりっとした香りが辺りに広がる。口に果肉を入れればまず強い酸味を感じるが、その中にちゃんと甘みもあるすっきりとした味だ。
この蜜柑が手に入るようになったのも、交易路が整備されつつある証拠だった。また従来よりも遥かに高速かつ荒波にも強い弁才船の登場で、こういった他国の生鮮食品も手に入るようになったのだ。
「ふへへ、いいわー極楽だわー……」
初めて“会合’に参加した時は重苦しい雰囲気と緊張感もあってカチカチに固まっていたが、今では慣れたものでのんべんだらりとしていた。
「流石にだれすぎだ、五郎」
「まあ良いでは有りませんか、義舜様。暖かいうえ、甘味やお茶もあればゆったりできますから」
苦笑いしながら時茂が言う。この場には事情を知っている者しかおらず、また義堯も気にした様子も無いので強く言う必要も無いだろう。
「殿も気に入ったようですね」
「うむ。これは良いものだな」
義堯も暖かい炬燵を気に入ったようで、いつもより穏やかな表情を浮かべていた。
本日の〝会合〟には正月間近という事もあって久々に全員が参加していた。
皆お揃いのどてらを着て炬燵で暖まっており、それぞれ茶を飲んだり、菓子を食べたりとのんびりしており、傍から見れば田舎町の集会所のようだった。
「儂も少しゆっくりとしたいところだが、早く始めるとするか。五郎、報告を」
「わかりました」
寒いから出たくない、と内心思いつつも自身の今後も含まれるため、五郎は真面目な顔になり炬燵から出て立ち上がる。身体から熱が引いていくのを感じながらも報告を始めた。
「えー、まず館山の開発ですが、予定していた湾港設備の建設はほぼ終了しました。丁字型の桟橋が四つ、造船所が第一から第五まで完成しています。現在、建造しているのは[図南丸型]が三隻、[千鳥型砲艇]が二隻です。千鳥型は完成したものから順次就役させています」
「ふむ、現在の就役数と防衛状況は?」
「まず、図南丸型が九隻、千鳥型は十八隻になります」
今年に入り、里見水軍は一気に船の数を増やしていた。
今までも地道に農業や工業の改革を進めて収量を増やし、常陸との貿易によって収入を得ていたが、改革や軍備を整えるための支出も多いため財政状況はカツカツなのだ。
しかし、夏より始まった捕鯨によって里見家の財政は改善されつつあった。特に成功すれば、一度の航海で高額な造船費用を賄えるのが大きい。まだ始めたばかりと言うことで三ヶ月程度の操業だったが、それでも三十頭近い鯨を捕獲できた。出回る数が増えたため鯨の値段も下がりつつあるが、それでも非常に高額で取引されている。
「防衛状況ですが、館山湾周辺は大房岬、洲崎の両台場と館山城に三斤平射砲が配備されてからは三浦水軍は岡本城より南に近づくことはしません。一度、襲来してきた軍船を千鳥型と共に叩いたのが効いているようです」
「ああ、確かいつもより軍船の数が多かったらしいな」
水軍からの報告書で義堯は知っていたが、他の面々にも詳しく説明するため安泰が答える。
「はい。襲来した三浦水軍は小早が十隻ほどの船団でした。そこで大房岬台場の射程圏まで誘い込み、台場からの砲撃を浴びせ、後退したところで千鳥型で追撃しました。こちらの損害はありません。三浦水軍は拿捕したのを含め七隻沈めました」
「うむ。これで三浦も暫くは大人しいだろう。中途半端な数では撃退され、人員の補充をするにも手間がかかるからな」
全員、時には水軍を率いることがあるため、水軍の編成と指揮の難しさを良く知っていた。
陸と違い、ただ武器を持たせて戦えと言って戦えるものではなく、兵を乗せる船と風と海流の動き、味方と敵の動きを見て指揮する者と、船を動かす水夫がいなければならない。
特に熟練の水夫は金銀よりも貴重な存在だ。船は金があればまた直ぐに造れるが、人は最低でも十数年はかかる。
「あい分かった。五郎、他に何かあるか?」
「はい、二つほど」五郎が言う。
「ご存知の通り、捕鯨は夏に操業しますがどうしても台風――野分ですね――に遭遇します。ですのでこの時期を避けるか、対策と知識を蓄えなければいけません。外海に出ている最中に嵐に遭遇して沈没でもしたら目も当てられません」
五郎たちが参加した捕鯨船団も嵐に遭遇して三隻とも損傷し、その後に送られた捕鯨船団も何度か嵐に遭っている。幸いなことに遭難船は出ていないが、死傷者は出ているため、出来るだけ貴重な人員を減らしたくはなかった。
「確かにそうだが、捕鯨期間が短くなるな」
「でしたら、日帰り出来る近場で操業するというのは? また底引き網で漁をさせれば置物にはなりません」
「それならば低くとも安定した利益は出せるか」
義堯も代案に納得する。
ある程度の利益が見込めるならば、沈没の危険がある時期に捕鯨にこだわる必要もなく、弁才船の大きさは安宅船並みであり軍船にも使えるのだ。沈没でもしたら損失が大きいのは分かっていた。
「次に、現在、図南丸型などを建造していますが、造船所が開き次第、完全な西洋式帆船を建造しようと考えております」
設計はこちらです、と五郎は面々に見えるよう天板に二枚の設計図を広げる。
要目は以下の通りである。
[甲型海防艦]
・主要目
全長:十八間(32.7メートル) 船幅:四間(7.2メートル) 深さ:三間(5.5メートル)
主兵装:三斤平射砲十二門(片舷六門)
・備考
二本檣のトップスル・スクーナー。木骨木皮の西洋式帆船。木綿製の帆布、艦底に銅板、銅製の金具を使用。
[乙型海防艦]
・主要目
全長:十二間三尺(22.7メートル) 船幅:三間二尺(6.1メートル) 深さ:八尺五寸(2.6メートル)
主兵装:三斤平射砲八門(片舷四門)
・備考
二本檣のトップスル・スクーナー。木骨木皮の西洋式帆船。木綿製の帆布、艦底に銅板、銅製の金具を使用。
「ほぉ……、遂に軍船を建造するのか」
「はい。船匠の数も技術も揃い、捕鯨によって資金に余裕が出来ましたので直ぐに建造に取り掛かりたいと考えています」
「なんというか、今までの船とは違いますね」
甲型と乙型は大きさに違いはあるが、共通して船体が細長く、大きく反り返った船首と船尾、高く伸びる檣を持つ。艤装は前檣の上部のみに横帆、他は縦帆となっている。近代の帆船に近い船型であった。
縦帆は少人数での運用が可能で風上への切り上がり能力が高く小回りが利き、更に広大な帆面積を持つため速力も高い帆船となっていた。
「甲型は現状で最高の性能を持つ艦として、乙型は量産性を求めたのでこういう設計になったんですよ。まあ、乙型でも従来の軍船より高性能な筈です」
「しかし、これは高くつきますよ? もう少し簡素な設計にするか、どちらかに絞った方が数は揃えやすいと思いますが」
時忠の言うとおり、甲型も乙型も五郎の趣味全開で、かなり凝った設計になっていた。
流線形の船体は堅く、粘りと耐久性に優れた樫と楢をふんだんに使い、甲板には檜が、檣には松が使用される。木綿製の帆布を使い、艦体は渋墨塗で黒く、艦首と艦尾には彫刻が施され、艦底には腐食対策に銅板を張っている。ここに高価な大砲をいくつも載せるのだ。
建造には非常に手間と時間がかかる上に、甲型に至っては試算で図南丸型の三、四倍以上の建造費がかかる事になっている。
これには時忠だけでなく、義舜や実元らもあまり良い顔をしていなかった。
「これでも抑えた方ですよ。設計通りの防御力が発揮できれば我々の大砲の集中砲火でも喰らわない限り沈みません。ちゃんと手入れすれば二十年は使えますので、余裕の有るうちに大型艦を少しでも造っておきたいんです」
五郎たち水軍の考えでは、現状で高性能な大型艦を造り、これを長く使うことで新規の建造費を浮かせようとしていた。また新造艦の戦力化には時間がかかるうえ、あまり船体を小さくすると兵を多く乗せられず、艦砲など武装の更新の際に弊害が出てしまう。
「現状の建造計画では甲型と乙型は旗艦用で、あまり多く建造しません。しかし、千鳥型や既存の軍船と組ませればより強固な防衛線が張れます」
「水軍としては、この海防艦は有難い存在です。北条水軍も大型軍船の数を増やしております。安宅と殴りあえる艦があれば海戦では早々負けることはないでしょう」
五郎は折れず海防艦の利点を上げ、更に安泰も援護射撃を行う。
反対していた面々も内房の防衛の事を出されると、流石に口をつぐむしかなかった。北条水軍が房総半島に上陸すれば、簡単に裏切る土豪たちが出てくる。そうなると義舜の佐貫城や五郎のいる館山城だけでなく、ここ、久留里城まで攻め込まれる可能性が高かった。
「ふうむ……」
一連の報告を聞いた義堯は軽く目を瞑り、考えを纏める。
(北条の軍船を寄せ付けない大型の軍船か……。欲しいな。利点は多い。銭が掛かるのが難点だが、その所為で兵を無駄に死なす訳にもいかない……)
現在の浦賀水道・江戸湾一帯はかなり荒れていた。
以前から略奪や散発的な戦闘は起きていたが、今では毎日のように軍船同士がぶつかり、血が流れている。里見水軍は今は千鳥型の活躍もあって損害は少ないが、安宅や関船を多く持つ北条水軍を軽視できなかった。
(そのうち伊豆水軍をこちらにまわして来るかもしれん……、そうなると面倒だ……。ふん、確か内房の海賊も何人か、館山の発展を見てこちらにすり寄ってきていたな。この軍船を見せつけて反乱の意志を無くさせるのも良いか)
そこまで考えて、義堯は内心で苦笑した。かつては武具を揃え、漁船を徴発して纏めるのも苦労していた。なのに、今では安宅よりも巨大な戦船を造るかどうかと、こんな贅沢な悩みを持てるまでになったと思ったからだ。
「……良いだろう。五郎、その軍船の建造を許可する」
「有難うございます」
義堯としても、現状で里見家の利益となる行動をする五郎を評価していた。
まだ元服していないが、画期的な船の設計に捕鯨と功績は十分にある。そうすると当主にしようと担ぎ出す輩も出てくるのだが、本人は「面倒」と公言して当主になる気が無い。また少数の家臣しかいないため、派閥としては小さく、結果として分裂することも無い。
この先はどうなるか分らないが、今のままなら安心できる、そう考えていた。
「うむ。では実元、兵器に関しての報告を」
「はっ」
報告を終えた五郎と入れ替わり、実元が立ち上がる。
「まず火縄銃、そして平射砲、臼砲の生産は順調であり、前線で使用する分は確保できました。また、弾薬の確保も出来ています」
「うむ。大筒については聞いているが、火縄銃の性能と訓練の状況は?」
「銃兵の射撃訓練の結果を見ますと、有効射程は三十間(約54.5メートル)ほど。これ以上となりますと鎧を貫通しにくく、著しく命中率が落ちてしまいます。狙撃用に開発した狭間筒ならば倍以上の射程を持ちます」
「ほおー、そこまでいくか」
銃兵の使う火縄銃は全長四尺三寸(130センチ)、口径三匁の標準的な大きさである。
違いは曲銃床と負い革を持っており、見た目だけならゲーベル銃に良く似ていた。曲銃床は肩付けにより射撃姿勢が安定し、また負い革は銃を背負ったり、射撃の際に腕と銃を固定するために用いられる。
この時代の鎧を装着したまま使える短床型で頬付け、つまり弓を番えるように銃床を頬に付ける方式ではないため、銃兵が今の鎧を着れないという問題があったが、そこは鎧を改修して対応すれば良い。それよりも鉛玉と玉薬が高いため、命中率の方が大事だった。
狭間筒は全長五尺(150センチ)もの長さを持つ火縄銃で、通常の物より口径も大きく、重量も倍以上あった。重く、固定しなければ反動が大きく取り回しの利かない銃であるが、その分射程が長い。
本来は船上や城の防衛用に使うための銃であるが、義舜と実元はこれを狙撃銃として使えないかと試作していた。
「銃兵は優先的に訓練させたので、かなりの錬度になるはずです。ただ、大砲は操作要員と移動させるための馬は確保できましたが、砲術のノウハウも無く、何より弾薬を馬鹿食いするので訓練不足が否めません」
「それは仕方無いだろう。こういうのは実戦で少しずつ形にしていくしかない」
「大砲は弾薬を馬鹿食いしますが、何より砲身が高すぎます。銅では無く、鉄でどうにかなりませんか?」
「鉄で製造した方が安いですが、鋳鉄だと試射中に砲身が断裂するなどまだ信頼性に問題があります。耐久性を上げようとすれば青銅砲より重くなりますし、流石にいつ暴発するか分らない大砲を使わせるわけにはいきません」
青銅砲は鋳造で製造も比較的楽だが、コストが高い。
海外では青銅砲が出る以前は鉄製の大砲は存在していたが、板状の錬鉄を溶接し、箍輪をはめ込んで筒状にする事で造られていた。密閉が十分ではなく強度的にも難があり、鋳造は高品質で均一な鉄を製造できる技術が無かった。
実元は火縄銃と同じ製法で大筒の生産も行っていたが、技術的に口径の大きさに限界があり、製造に時間がかかるなど問題が多かった。
「製鉄関係を強化すると聞いているが、そこはどうだ?」
義舜に製鉄関係を聞かれた実元は憂鬱そうな顔になる。
「……炉の建造、特に耐火煉瓦の製造に手間取っています。珪砂を混ぜたり、炉の内壁に粘土を厚く貼って対処していますが、一、二回操業したら総点検、という具合でして採算が合いません。生産された鉄の品質を安定させるには予算も人も足りません」
安房国は自国で採れる砂鉄だけでは賄えないため鉄を輸入に頼っており、屑鉄や銑鉄の形で入ってくる。
そこで実元は銑鉄から一度に多くの錬鉄を製造できるよう精錬炉と、鋳鉄用の溶解炉を建造しようとしていた。何度も連続で使えて品質を保てる炉を建造すれば、生産効率や製造コストが大きく改善されるからだ。
従来のたたら製鉄では一度に生産できる量が少なく、鉄を取り出す際に炉を壊すため製造に手間と時間がかかってしまう。何より、品質が安定しなかった。
だが、一番重要な耐火煉瓦が中々製造できずにいた。
現代では耐火煉瓦は砕いた耐火煉瓦を使用して製造される。
じゃあ大本はどうやって作るのか、というと、現代ではジルコニア、アルミニウム、マグネシア、ドロマイトなどを使用する。
そんなもん何処に有るんだよ、という話である。仮に有ったとしても、どれがどれなのか、誰にも見分けがつかない。
勿論、誰も耐火煉瓦の作り方や原料を知らないため、実元はたたら職人だけでなく瓦職人や陶器職人にも協力してもらい、煉瓦の製造を行っていた。
が、作った煉瓦は直ぐにボロボロとなってしまい、従来のたたら炉よりも採算が悪くなってしまった。
炉の構造が悪いのか、製造法が悪いのか、混ぜている成分の比率が悪いのか、それとも全部駄目なのか、実元にはさっぱり分らなかった。
一応、これらで得られた知識は従来の鍛冶に使う炉の改良にはなり、鉄の質を上げることは出来たが、まだまだ鉄製大砲の製造には程遠かった。
「耐火煉瓦さえ出来てしまえば、あとは順調に開発も進みますが……」
「ふうむ、そうか。まあ青銅砲でも十分な性能だろう。煉瓦の開発も続けてもらうが、暫くは青銅砲の開発に注力してくれ」
「はっ、畏まりました」
「外交関係はどうなりましたか?同盟を新たに結ぶとのことでしたが」
安泰の言葉に、外交を担当している為頼が答える。
「外交関係ですが、まず鯨肉は鶴谷八幡宮、佐竹氏、宇都宮氏らに贈呈したところ、大変喜ばれました。佐竹氏との同盟は維持され、特に宇都宮氏は同盟の締結に前向きだそうです」
「まあ当然だろうな。あちらは少しでも仲間が欲しい状況だからな」
為頼は塩漬けにした鯨肉を氏神である鶴谷八幡宮、同盟関係である常陸国の佐竹義昭、下野国の宇都宮広綱に贈呈していた。
佐竹氏は北関東でも有力な大名であり、史実では一度同盟を結べば裏切らない大名であった。
そして宇都宮氏は現在、内乱で滅亡寸前であった。
天文十八(1549)年に当主であった宇都宮尚綱が戦により死去。宿老であった壬生綱房が下剋上で宇都宮城を乗っ取ってしまう。この時、嫡子の広綱は幼少であり、家臣の芳賀高定に守られて真岡城にて高定の補佐を受けていた。
為頼は直接、真岡城に赴き、広綱と家臣である芳賀高定に鯨という高級品を贈呈し、国は遠くとも復帰に協力すると約束したのだ。
高定は傍から見れば滅亡間際の大名に、無関係の里見家が同盟を申し出ることに怪訝に思ったものの、里見家が提示した物資関係の支援は魅力的であり、為頼の「北条方に対抗するため」との言葉に一応の納得は見せていた。
これも史実では来年の天文二十(1551)年には父の仇である那須高資を殺害し、弘治三(1557)年には宇都宮城へ復帰し、滅亡が回避されたことを知っているためであった。
「私自身、史実での芳賀高定の活躍を聞かされましたが、どうやら本当のようです。かなり頭が切れる男でした。佐竹氏も江戸氏を従属させてからでしょうが、宇都宮氏に協力する模様です」
「そうでなければ滅亡は回避できない、ということだろう。これで北条方と対抗する大名が少しでも増えれば戦いやすくなる」
この言葉に全員が頷く。
いくら高性能な火縄銃やら大砲やらを製造しても、いつかは真似される。また北条方が多方面から同時攻撃すればこちらは圧倒的に兵数も少なく、物量に押されて負けるのが分かっていたためだった。
「上総の酒井両氏は引きこまないので?」
「奴らは我々と北条を天秤にかけている。家を残すためにな。話をすればどちらにも兵を出すだろう」
上総酒井氏は上総国北部を支配しており、東金城、土気城の二流に分かれており現在は北条方についていた。
しかし、この一帯は北条方の領国化も進んでおらず、また里見氏にも近いことから同盟関係も不安定であった。
史実でも天文二十二(1553)年には東金城城主の酒井胤治が北条方の城である庁南城を攻め、天文二十三(1554)年の久留里城の戦いには東金城城主の酒井敏房は里見氏に味方として出陣し、土気城城主の酒井玄治は北条方に属していたが、里見氏に代将を送っていた。
「今の奴らは板挟み状態だ。この状況で同盟を結んでもさほど意味が無い」
「確かにそうですな」
「ところで為頼、氏康から接触はあったか?」
急に話が変わり、義堯の言葉に事情を知らない五郎たちが困惑した顔になる。
「ええ。北条に内応しろ、そういう書状がありました。どうやら真里谷にも同様の書を送っているようですな」
「……まさか、一気に上総国を制圧するのですか?」
意味が分かった義舜がそう訊ねると、義堯はニヤリと笑う。
「そうだ。来年の二月に北上し、上総国を制圧する」
史実通り、天文二十年六月(1551年9月)に真里谷氏当主である真里谷信隆が病死した。家督は子の真里谷信政が引き継いだが、家中は纏まっているとは言いがたい。
真里谷氏は上総武田氏といい、甲斐武田氏から分かれた家系である。この上総武田氏から庁南城に拠点を置く庁南氏、真里谷城に拠点を置く真里谷氏と分れ、かつては上総国一帯を治め、二十五万石もの大名として隆盛を誇っていたが、現在は相次ぐ内紛で既に力は無かった。
そこで、義堯は二月に北上開始し、笹子城と久保田城、そして上総国の要所である椎津城を攻撃し、制圧する。北条方の水軍が消耗している間に一気に占領し、江戸湾の制海権を確固たるものにしようと考えていた。
「しかし、連戦となると兵力が足りるのですか?」
「なに、新兵器の実戦運用をするし、念のため庁南城には東金の酒井から兵を出させる。勝算は十分にある」
「では、軍勢はどうなさいますか?」
「この場にいる者だとワシと為頼、時茂、義舜、実元だな」
「はっ」
「時忠は兵站の管理を頼む」
「はっ、お任せください」
「ふむ、それと」義堯は一旦区切り、五郎を見やる。「丁度良いか。五郎、初陣しろ」
「はい?」
思わず呆けた声を上げる五郎に全員の視線が集まった。
「父上、流石に早すぎませんか? 五郎は来年、数えで十歳ですが」
「常識で考えれば初陣には早すぎるが、五郎は既に新型船の建造やら捕鯨船に乗り込んでいるのだ。今更だろう」
それは確かに、といった表情で頷く面々。今まで常識から外れたことをやっているので、元服が早くてもさほど不自然ではないか、と思ってしまったのだ。
「それに真里谷には碌な水軍はいない。行って帰ってくる程度だろうから初陣には丁度良い」
「は、分かりました……」
「うむ、来年すぐに元服を行おう。安泰、お主は五郎の補佐を頼む」
「はい。直ぐに準備に取り掛かります」
「さて、他に何か報告はあるか?」
他の面々は静かに首を振り、義堯は議論が出尽くしたと判断した。
「無いようだな。さて、良い時間だ、飯にしよう」
義堯が“会合”の終了を宣言すると、時茂と時忠、実元、安泰の四名が退出し、暫くして、料理を持ってきた。
野菜を盛り付けた皿に、新鮮な魚の切り身、そして出汁と具の入った土鍋。座卓の上に横に平たい特製の七輪を置き、土鍋を乗せ、人数分の小鉢と箸を配り準備をしていく。
冬の定番と言えば、やっぱり鍋である。
「鍋料理は久々だな」
「こんな機会でもない限り、気軽に暖かい料理を食べられませんからね」
「普段の料理は毒見で冷め切っていますからな」
念のため、毒見役代わりに料理を持ってきた四人が食べてから、他の人たちもいそいそと食べ始めた。
「しかし、殿が食べたいと言うとは思いませんでした」
「ワシだって冷めた料理を食べたいとは思わんさ。普段は酒ぐらいしか楽しみがないしの」
そう言いながら、義堯は美味そうに大根おろしと醤油をかけた魚を食べながら話を続けた。
「しかし、未来ではこんなに美味い料理と酒を毎日食べていたのか。そこは羨ましいがな」
「飽食国家なんて言われていましたからね。働いていれば食うに困らない時代でしたね」
「個人的には牛肉や豚肉も食べたいですが……」
「そこは我慢ですよ実元さん。流石に未来の和牛や三元豚は無理ですから」
食うのに困る時代で、鰹節や醤油、味噌などの調味料を再現して良い物を食べているが、未来の味の濃い食事に慣れた面々にはまだまだ物足りない部分が多かった。
「俺としては十分に贅沢な食事だがな」
「まあ折角の鍋だ。今日ぐらい楽しもうじゃないか」
そして、久々に仕事を忘れて夜中まで鍋と酒を楽しんだ後。
天文二十一(1552)年二月、里見氏、上総国を制圧するべく北上開始。
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