第8話 本気で怒ってくれた父さん
まだ桜が咲きみだれる春だが、時刻は正午を回り、太陽が頭上から俺を強く照らしつける。世間では地球温暖化がどうだとか、こうだとか言っているけど、これはその影響なのか?俺は商店街を抜け、突然始まる田園の間のあぜ道を歩いていた。車の轍が遠くまで続いている。まるでこれからの俺の人生のようだ。でもいつか途切れるか、途中で落とし穴にはまる日が来る。実際、父さんが後者だった。
そんなことを考えていると、突然高くのびた稲の中から、麦わら帽子をかぶった老人が出てきた。
「おう、誠じゃないか!」
「村松のじいちゃん!!久しぶり!!」
村松のじいちゃんは俺の家の近所に住んでいて、農業をしている元気なじいちゃんだ。
ぱっと見て、60は過ぎている。
「もう中学生か・・・。早いなぁ。ついこないだまで、この辺で田んぼを荒らすお騒がせやろうだったのによぉ。」
「それは俺が幼稚園に通っていた頃の話でしょう。勘弁してくださいよ。」
俺が4,5歳の頃、誠司にいちゃんともう水が入れられた田んぼに入り、遊んでいた。あの足が埋まる感触がたまらない。そのたんびに、村松さんや、この辺の田んぼの持ち主、両親に怒られた。この辺では田んぼ荒らしの誠々司と呼ばれた。誠々司というのは俺の『誠』という字と、にいちゃんの『誠司』をつなげただけの呼び名だ。
「もう4年経つんだなぁ。・・・お前今、幼稚園通っていた時って言ったけど、小学校は言ってからも荒らしていたやないか!」
「そうでした・・・・すいません。」
「あの頃はよくお前の父ちゃんがわしの家に謝りにきとったなぁ。懐かしいなぁ。」
本当に懐かしかった。
父さんが死ぬ日の前日も学校が終わってからこの田んぼに入っていた。それが見つかった時の父さんは一番怖かった。
その頃はもう稲が俺の腹の辺まで稲が伸びていた。それでも入った俺に不運が襲ってしまった。足が埋まってしまい、抜こうとしたら仰向きに倒れ、たまたまあった大きな石に頭をぶつけてしまった。その時は田んぼに水が入っていて、俺の顔を覆い、おぼれている状態だった。そこをたまたま通りかかった村松さんが発見してくれた。
俺が起きた時、俺は村松さんの家にいた。周りには村松さん夫婦、父さん、母さんがいた。
「大丈夫か!?」
一番初めにそういってくれたのは村松さんだった。俺が頷くと父さんは急に俺の胸倉を掴んで、無理やり立たせ、壁にたたきつけた。
「お前・・・自分がしたことをわかっているのか!!!!あれほど田んぼに入るなと言っただろうが!!!!」
村松さんは止めようとしたが、父さんは聞く耳を持たず、俺を殴り始めた。
そこへ外で待っていた同僚の警官が異変を察知し、止めに入ってくれた。
俺の唇は切れて出血し、顔はボコボコになっていた。
その時の父さんの顔は今でも忘れられない。涙を流していたのだ。顔は鬼のようだが、涙を流している父さんの顔を見て俺は泣いた。
「痛いか!!!痛いだろう。ここにいる全員の心は今まで、お前に何度もそうやって傷つけられてきたんだ!!!
母さんはお前が馬鹿するたびに、村松さんに何度も何度も頭下げて謝っていたのを、お前は知っているか!?!?
せっかく今まで丹精込めて育ててきた稲が、一瞬でつぶされた村松さんの気持ちがお前にわかるか!?!?
あの稲だって同じだ!!!他人の痛みを知れ!!!!」
最後に一発、俺を思いっきり殴って父さんは去っていった。その直後、俺はその場に倒れた。
気がつくと夜になっていた。目を開けると視界は暗く、窓から入ってくる月明かりが眩しかった。今自分は、布団の中で仰向けに寝ているのはわかった。しかし、いったい自分がどこで寝ているのかはわからない。家か?
とりあえず上半身を起こして、横を見たとき俺は思わず逃げぞうになった。
そこには父さんがいたのだ。制服ではなく、普段家に居る時と同じジャージ姿で、自分の腕枕で寝ていた。
父さんの存在を確認するのと同時に、俺は今、村松のじいちゃんの家に居るということがわかった。じいちゃんの麦わら帽子が壁にかかっていたのだ。
もう一度、俺は父さんに視線を戻した。さっきまでの鬼の様な顔をしていた人物とは思えないくらい、ブサイクな顔だ。父さんが息をする音が静かな部屋に響いていた。
「お父さん・・・・ごめん・・・」
他人の痛み。俺が田んぼで遊ぶことで、誰かを傷つけているとは思っていなかった。そんな自分が腹ただしかった。
目からは涙がこぼれた。その涙は父さんの頬に落ちた。その後、瞼がピクッと動いた。
「・・・ん?・・・・目覚ましたか・・・誠・・・・どうした?」
涙のせいで父さんの姿がゆがんでいた。
「お父さんごめん!!!!!」
もう何を言っているのか自分でもわからないまま父さんの胸に飛び込んだ。
俺はその後も何度も同じ言葉を繰り返した。今の自分にできることはこれくらいしか思いつかなかったからだ。
「もういい、誠。父さんもごめんな・・・。お前をこんなにボコボコにして。」
頭に何か温かい液体が落ちてきた。一回だけではない、何度も落ちてくる。
それは父さんの涙だった。
「もう二度とこんなことするなよ。」
「・・・・うん・・・・」
俺たちはその後も泣き続けた。その日は結局、村松のじいちゃんの家に泊まった。
「あの事件の前の日はすごかったなぁ。お前の顔をボコボコになぐって。でもわしは、すばらしい親父だと思った。あそこまで息子を本気でしかる親はそうそういないからなぁ。お前もあんなすばらしい親父をもてて、誇りに思えよ!」
「はい!」
俺は談笑をやめ、家へと歩き出した。