第5話 死んだらどこにいくの?
「チクショウ!!!」
左手に痛みがはしった。
前に実家へ帰ったとき、父ともめた事を後悔した。それと同時に、明日謝ろうと思っていたのにその機会を奪われた事に、犯人への憎しみ、運命のちっぽけさを感じた。
そっと後から同僚の片山裕輔が俺の肩を叩いた。何も言わない片山は気を使っているのだと分かった。父親を亡くした俺にかける言葉が見つからないのだ。
全く関係のない同僚まで悲しませるのは嫌だった。
壁を殴った手で涙を拭い、無理やり笑顔を作った。
「ありがとう・・・裕輔。」
そんな気味悪い俺の顔を裕輔は急に俺を抱きしめた。
「俺に今のお前の本当の気持ちは分かってやれない。ただ父親を亡くして悲しいとしか分からない。でも、親父が警察官だという点で俺はお前と同じだから、親父を思ってきたお前の気持ちは物凄く分かる。」
だんだん裕輔の声が震えている事に気づいた。
「泣け・・・今思いっきり泣け。男が人前で号泣しちゃ駄目だ。でも今なら俺で隠れている。だから・・・」
今までせき止めていたダムが一気に崩壊した。もう誰にも止められなかった。こんなに泣くのは初めてだ。
今まで作り上げて来た父との思い出が一気に頭でよみがえる。だがその中で最も鮮明だったのは父さんとの喧嘩だった。悲しくてたまらなかった。
父さんと最後にやり取りしたのがメールだ。もしあの時電話で直接言ってれば、最期に父さんと会話できた。自分で謝る機会を先延ばししていた。
『明日は必ず訪れるものではない』高校卒業時に担任から言われた言葉が今になって分かった。父が存在する明日はもう来ない。
「誠司・・・病室は入れるらしいぞ。」
裕輔に言われ、目を開けるとさっきとは隣の病室の前で医師が目で合図した。いつの間にか移されたらしい。
「お前喧嘩していたんだろ?謝って来いよ。」
「でももう・・・」
「遅くなんかねぇよ。お前の親父はきっとどこかで聞いている。仲直りして、天国に行く親父を見送ってやれよ。さぁ。」
俺は裕輔に背中を押されるまま病室へ入った。
白いベッドに白い布団、その中に父が居た。上を向いたまま眠りについている。窓から差し込む光は、まるで父さんを天国に導いているようだった。
「父さん・・・」
自然と足が動いた。
「父さん・・・」
俺は布団に埋もれた手を外に出し、ゆっくりと握った。
父さんの温かい手はそこにはもうなかった。死という静かさ、寂しさ、悲しさいろんなものが伝わってくる。
それを受け止め、俺は口を開けた。
「父さん・・・ごめん・・・俺が悪かった。」
男は人前で涙を流してはいけない。ましてや父さんの前では。必死に堪えた。
「明日直接謝ろうと思っていたんだけど・・・もうちょっといてくれても・・・」
目の前の父さんがだんだんゆがみ始めた。
「なぁ・・・どうしてなんだよ?・・・なんでもういっちゃうんだよ!!・・・なぁ?」
涙はこぼれどうしようもない思いを父さんにぶつけていた。
「やめろ、誠司!」
後から裕輔が俺の体をつかんだが、俺は振り払った。
「父さん!!死ぬなよ!!目を開けてくれよ、父さん!!!」
だんだん父さんとの距離が離れていく。後から引っ張る手を振り払おうとしても払えない。
「父さん!!行くな、父さん!!!行かないでくれぇええええええええ!!!」
父さんの姿はゆっくりと閉ざされていった。
「とぉおおおさぁあああああああああん!!!」
ぼくはラウンジの窓際のソファーに、泣きながら飛びこんだ。
『誠司兄ちゃんなんか嫌いだ!』
父さんが約束を破るわけがない。いっつも言っていた。約束をやぶる奴は最悪だって。だから今までぼくも守ってきたし、父さんも守ってきた。
父さんが約束をやぶるはずがない。でも病室でベッドに横たわっていたのは確かに父さんだった。きっとこれは夢なんだ。夢に決まっている。ぼくは自分に言い聞かせた。
「なぁ?父さん、聞いてんのかよ!?!?・・・放せ、コラァ!!」
振り返ると、廊下で1人のおまわりさんに引っ張られている誠司兄ちゃんがいた。ぼくに背中を向けながらこっちに向っている。
「父さん、誠とキャッチボールするって約束したんだろ!?約束を破る奴は人間として最低だって言ったやつはどこのどいつだよ!!!目を開けろよ!!!」
誠司兄ちゃんはさっき確かに無理だって言った。キャッチボールはあきらめろって俺を怒鳴った。
言ったのに誠司兄ちゃんは必死にお父さんの目を覚まそうとしている。ぼくの願いをかなえようと必死にさけんでいる。あばれている。
ぼくはあばれる誠司兄ちゃんの所へ走った。
そして大きな誠司兄ちゃんの体に飛びついた。
「誠・・・ごめんな。兄ちゃん頑張って父さんの目を覚まそうとしているんだけど・・・覚まさないんだ・・・ごめんな。」
一気に感情がこみあがった。涙は止まらなかった。
「にぃいいいいちゃぁん!!!!!!いやだよぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ごめんな・・・誠・・・」
誠司兄ちゃんはぼくを思いっきり抱きしめてくれた。温かい。まるでお父さんに抱きしめられているように、温かい。
「誠・・・父さんに逢いに行こう。」
ぼくは頷いた。
止まらない涙を何回もぬぐっていると、さっき兄ちゃんを引っ張っていたおまわりさんが青いハンカチを貸してくれた。
それで涙をふき取った。廊下の角を曲がると、人がある病室の前で集まっていた。そこが父さんの病室だ。
白髪のおっさんがいっぱい居た。その人たちに頭を下げながら兄ちゃんは前を進んだ。
「誠・・・父さんだ。」
病室にあるベッドに寝ていた。いつものお父さんの寝顔とぜんぜんかわらない。生きているんじゃないかと思ったぼくはお父さんにかけ寄った。
「お父さん?」
いつもならどんなに小さい声で言ってもすぐ起きてくれるのに、起きなかった。
横に誠司兄ちゃんがきた。
「誠・・・現実を受け止めるんだ。お父さんは死んだんだ。」
「でも・・・お父さんは家に帰ってくるんでしょ?起きないけどこれからは家にいるんでしょ?」
「帰ってこない。お父さんはこれから天国に行くんだ。」
「天国ってどこにあるの?」
「空の上さ。ずっとずっと高いところにある。だから生きている人はいけないんだ。さぁ、お父さんにさよならしよう。」
顔を見上げると誠司兄ちゃんは泣いていた。ぼくはお父さんの顔を見た。
「お父さん・・・じゃあね・・・」