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心に満ちていたもの  作者: 天猫紅楼
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前編

花織カオリ、俺、また今週も透析しないといけないんだ」

 葛城勇太カツラギ ユウタは、いつものように切り出した。

 痛むのか、頬を歪めながら右手で腰を押さえている。 当時の私は『透析』の意味もよく分からなくて、ただ、勇太が腎臓を悪くしていて、何日かに一度『透析』が必要だということを、一生懸命説明されたのを鵜呑みにしていた。




 私はただ、あの人が怖かっただけ……

 いや、私は人付き合いが苦手。 そのこともあって、失えば大きな悲しみと淋しさに襲われる事を、直観的に分かっていたのかもしれない。

 だから言い直す。

 私はただ、あの人を失うのが怖かっただけ…………




 勇太は一歳上の二十三歳。

 合コンで知り合い、やがて彼の方から告白されて付き合うことになった。 勇太は

「俺の明るくて面白い性格が、大人しめの花織の性格と合うんだ」

と、嬉しそうに話した。

 実際、彼はいつも私を笑わせてくれた。

 まだ若い私たちは、毎晩のように出掛け遊んだ。

 カラオケ、ボーリング、バッティングセンター、ゲームセンター、ドライブ。 当時流行っていた夜景を見に行ったこともある。 

 とにかく、毎日会っても退屈しなかった。 多少睡眠時間が削られようとも、何もツラいことは無かったし、むしろその気だるい朝でさえ、楽しく思えたものだ。

 だから、私は彼のことを好きなのだろうと信じていた。

 たまに連絡が遅くなると子供の様に拗ねたり、注文した料理が遅くて店員にキレたりして、そのたびに胃が締め付けられる思いをしながらも、私にとっては許せる範囲だった。 サプライズでプレゼントをくれたり、天然なのかわざとなのか分からないほどの微妙なボケをかましてくることで、私の中ではそれがすべてになっていたし、逆に良い思い出でもあった。

 それほど、私は彼に対して信用もしていたし、一緒にいたいと思っていた。



 だけど、私の家族はあまりいい顔をしなかった。

 確かに一人娘の彼氏など、最初から歓迎されない事は分かっていたが……。 彼もその事は十分理解していたようで、あくまでも普通に接してくれていた。

 まったく愛想のない家族を相手に、彼もよくまぁ笑顔で話しかけていられたものだと、逆に感心するほどだった。

「そりゃ、大事な娘に変な虫がつくのは、どこの親だって心配になるよ。 俺なら大丈夫。 こうやって、俺は敵じゃないってことを少しずつでも分かってもらえるように、頑張るから。 心配しないで」

と、にこりと微笑む彼は、どこか頼もしく思えた。

 そんな彼だったから、私も彼の事を信じてもいいかも知れないと思えるのだった。

 彼が自分の病気のことを告白したのは、付き合って一ヵ月ほど過ぎた頃だった。



 高校を卒業と同時に免許を取った私に、就職祝いとして親が買ってくれた黒い軽自動車。 助手席に座っていた私は、運転席の勇太の、どことなく差し迫った空気を感じていた。 タバコを口に、いつもより格段に口数が少ない彼に少し緊張している私。 車内には、私たちが好きなバンドの曲が不釣り合いに流れていた。

 やがて夜景のよく見える高台に車を停めると、勇太はやっと口を開いた。


「花織、俺、ずっと隠してた事があるんだ。 ずっと言わなきゃいけないって思っていたんだけど、なかなか言えなくて……」


 勇太が歯切れの悪い話し方をするので、私はそれなりの覚悟を考えた。 初めて見る、思い詰めた表情。 今日三本目のタバコに火を点けた。

「大丈夫だよ、話してみて」

 私はあえて優しい声で言い、笑顔を見せ、少しでも勇太を気楽にさせてあげたかった。 彼はそんな私を見て、ふっと息をつき、意を決したように話しはじめた。

「俺の家が、昔居酒屋をしてたのは、前に話したよな?」

「うん」



 勇太は、小さな居酒屋を営む両親のもとに生まれた。

 住宅街に埋もれるようにある小さな居酒屋だったので、客は常連の近所の人が多かった。 気心の知れた常連客たちは、酒が入ると気が大きくなり、手伝いをする勇太に小遣いを渡すことも少なくなかったという。 そのため、勇太もその小遣い欲しさに、進んで接客をしていたという。 もともと人と話す事が好きだったので、特に苦ではなかった。

 今は店を畳み、両親は違う仕事をしている。 そして、タケシという二つ離れた弟がいるが、中学を卒業した辺りからお互いの楽しみを見つけたため、同じ屋根の下に住んでいるにも関わらず、最近は会話もおろか、姿を見ることも少ないらしい。 話せば話さないわけではないが、ほぼ絶縁状態で自由に暮らしている。

 そこまでは聞いて知っていたが、どうやらその続きがあったようだ。


「馴染みの客ばかりだったから、酒が進むと俺にも飲ませようとしてさ。 俺も興味あったから、父ちゃんたちに怒られながらもチビチビ飲ませて貰うようになったんだ。 おちょこ一杯がコップ一杯になって、瓶を空けるようになって、未成年で大酒飲みだ」

 笑ってみせた勇太につられて私も頬が緩んだが、ふと心に引っ掛かる事が浮かんだ。


「あれ? でも勇太、お酒呑まないよね?」


 私の前では、絶対にアルコールの類は飲んだことがないのだ。

「酒に弱いから」

とか

「運転手だから」

とか言っていたのですっかり信じ込んでいたのだが、今の彼の話では状況が違っている気がした。 勇太はタバコをもみ消すと、大きく白い息を吐いた。


「その時の酒が原因でさ、腎臓がいかれたんだ」


 途端、私の胃がキリッと締め付けられた。 思っているより重い話になりそうな予感がした。

 それと同時に思ったのは、なにより、それを受けとめなくてはならないということだった。 もはや、拒絶する気持ちなど微塵も考え付かなかった私。


「もう、治らないの?」

 普通に考えれば、そんな質問は失礼だったかもしれない。 だけど勇太は、あっけなく普通に返してきた。

「治らないらしい。 でも病院にはいかなきゃならない。 『透析』しなきゃならないんだ」


「とうせき?」


 初めて聞いた単語だった。 私の家族は皆健康で、あまり病気や治療のことには詳しくなかったからだ。

 きょとんとしている私に、勇太は、一日中ベッドで横になって治療するのだと簡単に説明してくれた。

 とにかく大変な事なんだろうと、なんとなく理解した。 私が特に反応も見せず、拒否する様子もなかったので、彼は逆に心配そうに尋ねてきた。


「俺がそんなだから、花織が別れるって言うなら、そうする……だけど、その覚悟があって、今の話をした事は、分かってほしいんだ」


 静かに語る勇太の瞳は、夜景の光が溶け込んでいるようにキラキラと輝いていた。

 私は小さく微笑んでみせた。

「それも含めて、勇太なんでしょ? だったら、別れなくてもいいじゃん」

 すると勇太は、カクンとうつむいてしまった。

「どうしたの?」

と触れた彼の肩が、小さく震えていた。 時折しゃくりあげる彼の頭を、私は黙って優しく撫で続けた。 遠く広がる夜景は、静かに瞬いて私たちを包んでいるようだった。

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