海辺から見る朝焼け
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午前七時過ぎというのは、夏場ではすでに起き出している時間帯である。部屋の中のベッドの上にいて、鳴り続けるアラームを止めてから、真っ先にキッチンへと歩き出す。ここは海辺の街で、外に出ると、綺麗な朝焼けが見えるのだ。
恋人の麻里とは同じ部屋で同棲していた。海辺にある土産物屋でバイトしているボクにとって彼女は話の聞き手だったのだし、実際高校卒業後、ずっと一緒に生活している。互いに二十代半ばでそう若くはない。だけど、いつも夜帰ってきたら、麻里は料理を作って待ってくれていた。
「祐太、一日お疲れ様」
「ああ、ありがとう。……君も疲れただろ?」
「うん、まあね。でも大丈夫よ。あたしもずっと昼間暇してるから。たまに海見てる」
「そう……」
上手く言葉が出なかったのだが、彼女が冷えた缶ビールを差し出し、お互い夕食を取る時、軽く飲んでいた。普段ずっと通勤に自転車を使っていて漕ぎ慣れている。麻里が訊いてきた。
「祐太、お店にどんな人来るの?」
「どんな人って……普通に海水浴終えたカップルとかが来るよ」
「あたしも一度、あなたと行ってみたいの。あの海に」
「いつも見てるんだろ?」
「いや。やっぱし朝焼けなんかいいかも?この季節は特にね」
「そう?……じゃあ、今度連れてってやるよ。俺、火曜が店の定休日で、その日は休めるからさ」
「ありがとう」
彼女がそう言って笑顔を見せる。普段のサマードレスから、Tシャツと短パンというラフな格好に着替えていた。そしてキッチンで作ったシーフードカレーを皿に盛り、持ってきたのである。
「美味そうだな」
「ええ。この季節はやっぱカレーでしょ」
「まあね。……夏バテにはいいかも」
そう言い、スプーンを入れる。そして食べ始めた。麻里はいつもカレーにスパイスを入れたりするのだが、基本的に中辛だ。辛すぎるものは食べない。
その夜、一緒に入浴して髪や体を洗い合った後、同じ部屋で眠る。彼女は必ずBGM代わりにラジオを付けるのだ。特にFM放送はよく聴いているようである。本当ならあまり寝る前に雑音を聞きたくはないのだが、仕方ない。否応なしに耳に入ってくるからだ。
そしてその週の火曜の午前五時過ぎに麻里が先に起き出し、眠っていたボクを起こした。キッチンで気付けのコーヒーをアイスで二杯淹れ、待っていたのである。
「今から朝焼け見に行こうよ」
「ああ。……まだ眠いけどな」
多少眠気が差していたのだが、麻里がスマホまで持っているので、きっとカメラで水平線から出てくる太陽を撮るつもりなのだろう。外出準備をして部屋を出、一番海が綺麗に見える場所まで歩いていく。彼女と手を繋ぎながら……。
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お互いTシャツに短パン姿だった。外出と言っても、ほんの小一時間いるだけだ。ラフな格好で十分だった。
「麻里」
「どうしたの?」
「今ちょうど午前六時だから、もう太陽出てると思うよ。夏場だから少し日の出が早いかも?」
「そう。タイミング逃しちゃったわね。でも一応撮っておこうっと」
麻里がそう言ってスマホのカメラで朝の太陽を撮り続ける。その様子をずっと見ていた。彼女は二十代半ばとは思えないぐらい、若作りしている。履いている短パンも、ギリギリのところまで足を露出させていた。それがよく似合うので、またボクを虜にする。
麻里とは高校時代からずっと付き合っているから、もう足かけ九年になる。同じ校舎で三年間を共に過ごした。卒業と同時にボクの方は今の店に就職し、私生活でも彼女と同棲し始めたのである。
「祐太」
「何?」
「キスして。今誰も見てないから」
「いいの?人来ちゃったら――」
瞬間、麻里がボクの口を自分のそれで塞いだ。そして口付ける。多少違和感はあった。何せいくら同棲している彼女とのキスでも、いきなりされると抵抗があるからだ。そのまま、砂浜に寝転がり抱き合った。腕同士を絡め合わせ、麻里の付けているデオドラントの匂いを嗅ぎ取る。
「いい匂いするね」
「でしょ?これ、結構高いデオドラントなの。夏場は汗のにおい誤魔化すのに使ってるのよ」
「君も結構お洒落してるんだね?二十代半ばでも」
「うん。あたしも今の年齢より十歳ぐらいは若いつもりでいるわ」
そう言って、はにかんでみせる。白い歯が綺麗に並んでいた。彼女とは九年間ずっと一緒だから、何も言わなくてもツーカーで通る。これから先、ずっと一緒にいることになるから、尚更大切にしていた。
「それにしてもお日様って、朝はこんなに綺麗なのね」
ふっと麻里が腕を離し、また水平線の彼方から完全に昇った太陽を見つめる。そして深呼吸し、ゆっくりと海の方に目を転じた。彼女と一緒に海の彼方を見続ける。寄せては引く波が、海という名の大自然の象徴だと思えた。同時に太陽光が熱くなってくる。徐々に。
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その日は午前九時前まで海辺にいて、ゆっくりし続けた。普段は土産物屋の店員で、品物を管理するのが仕事だから、何かと退屈している。それに店も繁忙期は夏季だけだから、普段から店長にずっといろいろ言われ続けることはない。
「麻里」
「何?」
「今から朝飯食おうよ。腹減っちゃってるし」
「分かった。部屋に戻って作るから、しばらく待ってて」
「ああ」
頷き、立ち上がって一緒に歩き出した。確かにこの夏は燃えるように暑い。だけど夏が暑いのは自然現象だ。そう思って毎日生き続けている。海辺のこの街で。夏になると、海開きなどで人口が多くなるのは十分分かっていたのだけれど……。
手を繋ぎ、並ぶと、絶えず彼女の体からはデオドラントの香りが漂ってくる。この匂いに慣れてしまいそうだ。海から吹きつけてくる南風に乗る形で、麻里の体が発する香りが拡散している。辺り一帯は気温が上がってきた。時が経つのと同時に。
部屋に戻り、扇風機を回しながら、さっき見た海をもう一度部屋から見つめる。別に変わらない。彼女のスマホにもさっきの海の画像が撮られ、記録されている。ひと夏の思い出に、と思えばそれでよかった。多分麻里は撮った写真をパソコンとデジタルフォトフレームに入れ、保存するだろうから……。
今日太陽を見たことは、思い出として残る。写真と言う形で。もちろん互いに撮っていた映像も残り続けるだろう。何よりも美しい記録として……。
(了)