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混雑は敵です

 上野あおい、16歳。今や声優オタクはもちろん、アニメオタクたちの中で知らない者は居ないのではないかというくらいに人気上昇中の新人声優である。本業の声優業に始まり、最近は音楽活動も行っている。…と声優雑誌に書かれていたりする我が妹は、本業の声優の裏で探偵をやっているという親も知らない事実を俺は知ってしまった。

 別に、それを使って妹をどうこうしようとかというのではない。妹のほうが立場は上だしな。ただ、これから先、副業をしていると何かと大変なのではないかと心配になる。しかも、探偵なんて、かなーり面倒な仕事じゃねえか。…なんて他人の心配している場合じゃない。提出期限があと5日に迫った進路調査票は、いまだに空白のままだった。

 「散歩するか」

 だんだんモヤモヤが溜まってきたので、家の外にでた。

 自転車で近所の図書館に向かった。この静かな空間はなかなか心地がいい。

 「うっ…」

 図書館の入口には進路関係の本が特集として置いてあった。ここに来るのは失敗だったか…まぁいい。俺は雑誌のコーナーへ入り、アニメ雑誌を手に取る。この図書館はなぜかオタクカルチャー系の書籍が豊富な品揃えで、最近はライトノベルコーナーも出来ているくらいだ。雑誌のページを進めていくと、やはり妹の顔があった。新作の主演が決まっているらしく、インタビューが掲載されている。……あいつはすごいな。俺と違ってやりたいことがしっかりと定まっていて、しかも、成功している。本当に俺と血がつながっているんだろうか。

 その後、ほかの雑誌や小説をいくらか手に取り、気がつくと空がオレンジになっていたので、また自転車を漕いで家路を急いだ。玄関の扉を開けると、靴の数が3つ、あった。珍しい。オヤジと家で顔を合わせることはほとんど無い上、この時間に妹が居るのもまたそうそう無いのである。

 「ただいまー」

 「おう、お帰り」

 オヤジは食卓にいて、夕飯が出来上がるのを待っているようだ。

 「もうご飯よ」

 「へーい」

 なんて適当に返答して俺は席に着く。続いて、妹が自分の部屋から出てきて、おふくろからおかずを渡され、それをテーブルの真ん中においてから席に着く。

 「はいお待たせ」

 最後におふくろが席に着き、上野家の食卓は久しぶりに満席となった。

 「「「「いただきます」」」」

 小さい頃から変わらない上野家の約束「ご飯を食べるときは、みんなでいただきます」、最近はほとんどおふくろと二人だけ、たまに三人で言うこともあったが、四人そろってはいつ以来だろう。妹も、なんだかいつもより嬉しそうな表情をしている。家族で飛び交うさまざまな話は、ディナーのいいBGMとなった。しばらくすると、話題が俺に向けられ、おふくろが、

 「ねぇ、明宏、あなた、進路とかまだ決まってないの?」

 「…!な、何でそれを????」

 「いや、だって、机の上に真っ白の進路調査票が置いてあったから」

 「その前に、俺の部屋入ったのかよ!!!」

 「そりゃあ、入るわよ。たまには掃除もしなきゃ、カラダに悪いわよ」

 「いや…一応掃除はちゃんとしてるし、あまり入ってこないで欲しいというか…」

 「大丈夫。ベッドの下までは掃除してないから」

 「だれもそんな心配はしてねぇよ!つか、ベッドの下に何があると思ってんだ!」

 ほら、今のおふくろの一言で妹の視線が痛いんですけど。

 「やだぁ、お母さんにそんなこと言わせる気?」

 「何言わせようとしてるんだ、ダメだぞ」

 両親二人とも陽気な性格なので、俺達二人はよくからかわれていた。実の両親に。それ機にをツッコむ事が定番になり、学校でもツッコミ担当になってしまった。

 「とにかく、今度から掃除するときは一声かけてくれ」

 「わかりましたぁ」

 本当にわかってるのか?

 「で、明宏、進路について固まってないのか?」

 オヤジが問いかける。

 「…まぁな」

 「だいたいは決まってるんだろ」

 「まぁ、大学には行かないつもりだけど…」

 「そうか、お前は大学に行く気は無いのか」

 普通の家庭ならここで「どうして大学に行かないんだ」とか「大学に行け」とか言われるんだろうけど、両親はそんなことを言う人じゃないって事ぐらい、知っている。

 「ああ、高校出たら、働くつもりではいるけどな」

 「じゃあ下積みはしておいたほうがいいよな?母さんもそう思うだろ」

 「そうね」

 両親はなんだかニヤニヤしている。こういうときは、大抵いい話ではない。

 「何だよ、何か当てがあるのかよ」

 「あたりまえだ。俺を誰だと思っている」

 「オヤジ…だろ?」

 「違ーう。俺の仕事は」

 「芸能事務所の、社長…って何させる気だよ!」

 「マネージャー。お前の妹の」

 ブッ、妹は飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになった。

 「ちょっ、お父さん!!何言ってるの!?」

 「お前の兄の進路についてのアドバイスだ

 それ、アドバイスじゃなくて進路そのものだろ…

 「確かに、今は専属マネージャーは居ないけど…こいつがマネージャーなのはイヤ!!」

 「そんなこと言うな。実の兄なんだから。当の本人は、どうだ」

 「どうだって言われてもな…だいたい、仮にその仕事の下積みを始めたとして、いつからやるんだ?」

 「まぁ、早くて明後日からだな」

 「早ッ!!だいたい、俺は学校がある。あいつの学校は芸能活動をやっている人間のためにある学校みたいなヤツだけど、俺は公立高校なんだぞ?」

 「あー、それなら心配は無いだろ。あおいとおんなじ学校に編入させるから」

 「マジかよ!?」

 「うん、マジ」

 おいおい、俺の進路が戦車が通っても壊れそうに無いくらい固まってきてるぞ…

 結局、夕食時においてこの話はうやむやになってしまった。しかし、本気でそう考えているかと聞いたときのオヤジの顔がいつに無く真剣だったのを覚えている。

 「マネージャー、か…」

 飯を食い終わったあとも、頭から離れない。確かに、興味がないとは言い切れないが、いきなりやれといわれても、何をすればいいのか。そう思い、インターネットを使いマネージャー業務について調べてみたが、あまりいい職業とはいえないようだ。改めてソファーに座り一人考えていると、風呂上りのオヤジが、冷蔵庫からビールを取り出し、俺の横に座る。

 「どうだ、お前も飲むか」

 「未成年飲酒を自ら勧める親がどこに居るんだよ」

 オヤジは、ワッハッハ、と笑い、プシュ、と缶を開け、ごくっ、ごくっ、と、喉をビールが通過していく音をさせ、プハァ、と息を吐く。

 「どうだ?」

 「え?」

 「さっきの話だよ」

 「ああ、マネージャーがどうのこうのってか。どうだっていわれてもな…」

 「お前の進路が決まってないんだったらちょうどいいんじゃないか」

 「まぁ、そうだけど…」

 「仮に進路が決まっていても、マネージャーに誘うつもりだったけどな」

 「そこまでして俺をマネージャーにしたい理由はなんだよ?」

 「まあなんだ、親バカ、とでも言っておこうか」

 「は?」

 「あおいのことが人一倍心配なんだよ、社長としても、親父としても」

 「それで身内を近くに置こうって事か」

 「そう」

 「急に言われて、『ハイ、やります』なんて言える仕事じゃないからな…もう少し待っててくれないか?」

 「ああ、いつでもいいよ」

 「そうか、じゃあ、風呂入ってくる」

 そういって、その場を立った時、

 「まぁ、出来るだけ早目がいいんだけどな」

 ハハッ、とオヤジは笑っていた。


 風呂から上がり、自分の部屋に入り、ベッドに横になる。いろいろ考えていたら、いつの間にか眠りに就いてしまった。


 「ん…」

 時計を確認すると、いつもより早く起きてしまったようだ。まぁいい。俺は制服に着替えて自分の部屋を出ると、リビングに行く。目的地に着くと、テーブルの上にはすでに朝食が用意されていた。

 「いたただきます」

 そう言って、味噌汁を一口飲む。いい塩梅である。もちろんこれを作っているのはおふくろなので、長いこと味噌汁を作ってきているのだから、当然のウマさなんだろうけど、いつ食べてもいいものだった。

 そうして、身支度を終え、玄関を出て、エレベーターで1階まで下がり、自転車を漕ぐ。駅前の駐輪場に自転車を止め、駅の改札まで歩く。定期券を改札機にタッチし、ホームへ降りると、いいタイミングで列車が来る。これがいつもの俺の朝であった。きっと、高校を卒業するまで変わらない朝。

 学校に着くと、ボーっとしているのが日常だが、今日はそうは行かなかった。なぜなら、調査票がいまだ白紙のままだからだ。でも、第一希望は決まっているので、とりあえず、就職と書いた。具体的に書くようにとは言われたものの、まだあの話は決めてないので、就職としか書けない。

 「お、書いてるね」

 そう言って、俺に声をかけてきたのは、この間、飼い犬がどうのこうのとか騒いでたくせに、結局なんて事が無かった品川であった。

 「よう」

 「ん、おはよ。結局、就職か」

 「まあな」

 「どっか当てはあるのかい?」

 「まあ…な」

 俺は品川に昨日あったことを話した。

 「ふうん、おいしい話だと思うんだけどな」

 「まぁ、そうだけどさ…なんつーか、自信がないというか、それに、マネージャーってすごい大変そうだし」

 「始めから自信がある人なんてそうそう居ないよ」

 「そりゃそうか」

 そんな感じで朝のホームルームの時間になり、調査票を提出し、授業、昼休み、授業と生活をこなし、今日の学校生活が終わるところだった。帰りのホームルームを終え、挨拶をして、品川と帰ろうとすると、

 「おい、上野、ちょっと来い」

 やっぱりか…おそらく、朝の調査票の事だろう。こうなることは分かっていた。

 「悪い。待っててくれるか」

 「もちろん」

 品川に一言侘びを入れ、職員室へと向かう。担任の机のところで、話は始まった。

 「まぁ、呼び出された想像はだいたいつくだろう。これだ」

 そう言って、一枚の紙―進路調査票を俺に見せてきた。

 「はぁ…」

 「いや、はあ、じゃなくてな、クラスでお前一人だけ就職志望なんだが、厳しいぞ?」

 「分かってます」

 「だったら、大学に―」

 「大学は行く気がありません」

 「そうか…何か就職先に当てがあるのか?」

 「いや、まだ無いですけど…」

 俺はマネージャー業の誘いがあることについては隠しておくことにした。

 「そうか…まあまだあと一年ちょいとある。よく考えな」

 そう言われ、帰宅の指示が出たので、品川と下校を始める。

 

 品川はなぜ先生に呼ばれたのかを聞かなかった。たぶん、想像はついているのだろう。いつもと何ら変わりない世間話で盛り上がり、駅に到着すると、「じゃあ、また明日」とお互いに言って別れると、また一人電車に乗る。やっぱり、大学進学したほうがいいのかな…先生にあんなことを言ってしまったものの、まだしっかりと就職しようとは思っていない。しっかり進路が決まったら、オヤジに答えが出せるんだろう。いまはまだ、無理だ。


 「ただいまー」

 家に帰ると、玄関には靴が2足あった。サイズからして、妹だ。珍しい。この時間、いつもは仕事で居ないはずなのに。

 「おかえりなさい」

 おふくろに弁当箱を提出し、自分の部屋に戻り。制服から部屋着に着替える。なんとなくテレビつけて、再放送のドラマを見ていると、ガチャっ、誰かが部屋の扉を開けたようだ。

 「…ちょっと、いい?」

 「ああ」

 部屋に入ってきたのは妹だった。

 「あのさ…探偵のお仕事のほうで相談があるんだけど」

 「ん?別に構わないが、なんで俺に?」

 「だって、やるんでしょ?」

 「何を?」

 「私のマネージャー」

 「ああ…その話か。まだ決めてないよ」

 「…やらないの?」

 なんだろう、今の言葉、少し残念そうな口調だったような気が…

 「いや、まあ、まだどんな仕事だろうとかぜんぜんわかんなくてな」

 「そう…まあいいや。で、探偵さんのご相談なんだけど」

 「ん」

 「ちょっと依頼が来たんだけどね…何も使わずに私の背中をびしょびしょにしてみて」

 「!?いやいやいや!!意味がわかんねーよ!!」

 「いや、だから、私の背中を…」

 「そこに行く経緯を教えろよ!」

 「ああ、そっか。おととい、事務所に調査依頼があったの」

 「で?」

 「その人は、女性なんだけど…いつも電車に乗っているといつの間にか背中がびしょびしょになってるらしいの。これはきっと難事件だわ」

 「ふうん、それでさっきの件か」

 「そう。女性に誰か恨みでも持っている人がいるのか、はたまた、ストーカーでも居るのか、心当たりはあるのかと聞いてみたんだけど、特に無いって。だから、痴漢行為かもしれないんだけど…どう?なんか分かりそう?」

 「いや、それはお前の仕事だろ。というか、それって被害妄想なんじゃ…」

 「そんな事は無いッ!!」

 おお、言い切った。

 「現に彼女は困っているわ。だから、何とかしてあげないと…」

 意外と妹も他人思いのところがあるんだな、と、素直に感心する。

 「わかったよ、手伝えばいいんだろ」

 「そういうこと」


 翌日、依頼人に会えるということなので、学校が終わるとすぐ電車に乗って、例の事務所まで向かうことにした。

 事務所の入口の階段を上り、玄関を開けると、すでに探偵(妹)がいた。

 「来たのね」

 「ああ、来たけど?」

 「ま、いいわ。依頼人だけど、いきなりアンタと会うと混乱するだろうから、アンタは助手として私の後ろに立ってて。いい?」

 「…わかった」

 そうしているうちに依頼人が来たようだ。俺は置いてあったノートパソコンを開き、いかにも助手っぽい姿を見せるようにしていた。

 「お待ちしてました」

 「ええ…あの方は?」

 「あーはい、ただの助手です」

 ただのって…

 「それで…何か分かりました?」

 「そうですねぇ、背中に何も使わず水をかける方法が思いつかないんですよ」

 「はぁ…」

 「それに、そういうことをしそうな人もいないそうですし…」

 「あの…」

 「はい?」

 「やっぱり、痴漢行為なんでしょうか?」

 「水を背中にかけることで興奮するような人はそうしょっちゅう居ないとは思いますけど、ありえなくは無いですね」

 「うう…」

 「大丈夫です。絶対解決してみせます!」

 「はい!」

 その後、いろいろなことを聞くことが出来たが、どれも参考になるような話ではなかった。そもそも、痴漢行為なら探偵じゃなくて警察のお仕事だ。なんであの人はここに来たんだろう…

 「あー、疲れた。助手姿、様になってたよ」

 「そうかい」

 「で、何か分かりそう?」

 「うーん、今の会話だけじゃな…あの人は、いつも何時くらいの電車に乗ってるんだ?」

 「確か、7時半とか言ってたけど」

 「利用している路線は?」

 「小田急線」

 「小田急線か…じゃあ混雑するな…」

 「やっぱり痴漢なの!?」

 「まあ早まるなよ」

 「っていうか、電車ってそんな混むものなの?」

 「は!?」

 「いや、私いつも混雑した電車乗らないし」

 「お前、朝イチの仕事のとき、何乗るんだよ?」

 「地下鉄」

 「地下鉄って…東西線だろ?」

 「うん」

 「混雑が激しい路線に乗ってるじゃねえか!」

 「えー、でも、座ってるから良く分からないな…」

 「はぁ…まあいい、とにかく、小田急線で7時半とかになると大混雑が始まるんだよ」

 「で?やっぱり痴漢なの?」

 「どんだけ痴漢推してるんだよ。謎って事のもんじゃないけど、謎は解けたよ」

 「ホント!?聞かせて!」

 「結露だ」

 「けつろ?」

 「そう、冬とかによく窓ガラスに水滴がいっぱいつくだろ」

 「あれがどうしたの?」

 「電車の中でも同じことが起きてるんだよ。ちょうどいい、そろそろ中央線のラッシュが始まるから、電車に乗るぞ。その中で話をしてやる」

 

 そう言って、新宿駅で中央線を待つと、電車が来た。俺達はそれに乗り込むと、車内の窓ガラスはまだ曇っていない。電車のドアが閉まり、発車する。

 「よし、じゃあさっきの続きだけど、結露っつーのは、外の気温と中の気温の差によって起こるんだ」

 「んんん?」

 「おい、高校一年生、大丈夫か」

 「んー」

 妹は理解できて無いようで、ムスーッとしている。

 「まあ、電車の外の気温は寒いのに、中があったかいから窓に水滴がつき始めるんだよ」

 「そうなんだ」

 「で、今新宿から人がいっぱい乗ってきたから、室内は暖房と人の熱で、だんだんあったかくなってくる。するとホラ」

 窓ガラスを指差すと、だんだん曇り始めてきた。

 「まあ、中野につく手前になったら、謎が分かるよ」

 「???」

 妹は、まだ分かってないようだ。

 『次は~、中野~、中野です』

 中野が近づいてきたので、ドアの付近に立つ。

 「よし、じゃあお前、ドアに背中を向けてみろ」

 「え?こう?」

 「よし、じゃあ、ドアに背中をぴったりつけてみ」

 妹は一歩下がってドアに背中をつける。

 「ひゃあ!」

 と、声をだした。

 「な、何これ…背中がびしょびしょ…って、こういうことか!!」

 「ようやく分かったのか。結露によって何も使わずに背中をびしょびしょに出来た」

 「なるほど…」

 妹は、どうやら驚いているようだ。つーかこれ事件でもなんでもねぇ。もしかして、コイツ、「ダメ探偵」かもな。

 

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