そこにいたのは、あいつだった。
上野あおい、16歳。今や声優オタクはもちろん、アニメオタクたちの中で知らない者は居ないのではないかというくらいに人気上昇中の新人声優である。本業の声優業に始まり、最近は音楽活動も行っている。…と声優雑誌に書かれていたりする我が妹の人気っぷりは、アニメ素人(?)の俺でもひしひしと伝わってきてる。まぁ、今月に入ってから見るアニメの本数が増えたしな。アニメに興味はなくても、妹の応援くらいはしてやる。といっても、妹がアフレコしたアニメを見るだけの簡単なお仕事だけどな。当の本人は、それを嫌がってるっぽいけど。実際昨日も怒られたし。
「昨日のアレ見ました?」
「見ました見ましたた。あおいちゃん可愛いいですなぁ~」
「一生かけて応援しますからね!!」
なんてアニオタ達が騒いでるのを横目に、はぁ、ため息を一つつく。あいつらはその兄貴が近くに居ることを知らないんだろうな。しかしため息の原因はそれではない。提出期限が迫った進路調査票に目をやる。まだ高二で青春真っ只中なのに、進路なんていわれてもな。言葉通り、第一希望から第三希望まで、いまだに空白のままだった。
「おはよ。明宏」
「ん、ああ、おはよ」
声をかけてきたのはクラスメイトの品川だった。品川は中学からの付き合いで、悪友である。
「まだ書いてないの、それ」
「わかんねぇよ。何になりたいとかさ」
「そっか」
「そういうお前は?」
「書いたよ」
といって自分の調査票をピラッと見せてきた。
「第一希望、大学進学、ねぇ・・・」
「みんなこんなもんでしょ」
「俺は大学行く気無いからなぁ」
「働くの?厳しいよ?」
「だよなぁ」
このご時世、高卒で就職なんて厳しいことがわかってる。家業を継ぐ、とかでもいいんだけど、あいにく継げるような家業ではない。
「それはそうとさ」
品川が急に真剣な表情になる。
「ちょっと相談があるんだけど」
「ん?ああ、俺でいいなら」
「うん・・・実はさ・・・」
品川の声が小さくなる。
「僕、どうやら事件に巻き込まれちゃったみたいなんだ」
「はぁ?」
「いや、本当なんだってば」
「まぁ、いいや。で、何があったんだよ」
「飼い犬が居なくなっちゃったんだ」
「は?」
俺は目を丸くする。
「だから、飼っている犬が居なくなったの!」
「いや、それただの家出じゃ・・・」
「いやいや、これは事件だよ」
「あっそ。で、俺はどうすりゃいいんだ」
「だから、今日、そういうのに特化した探偵事務所へ行こうと思うんだ!!」
「あーはいはい、付き合えばいいのね」
品川はいつも物事を大きく言う性格であるので、端から本当に事件に巻き込まれたとは思ってない。そして、何かしらで俺を巻き込むので、こんなことはいつもの事だ。
午後のSHRが終わり、俺と品川は鞄を持って下駄箱へと向かう。二人とも帰宅部なので、下校は早い。というか下校に青春をかけている、と言っても過言ではない。寂しいな、俺。
「で、探偵事務所はどこにあるんだ?」
俺は品川に問いかける。
「えーとね、新宿」
「新宿って、まぁ電車で一本だけどさ…」
「いいじゃないの、どうせ暇なんだから」
「うっ…お前には言われたくない…」
「そう?僕は結構忙しいけどなぁ」
「どこがだよ。忙しいんだったら今俺と新宿になんか行ってないだろ」
「だから、飼い犬を探すのに忙しい」
「…そうかい」
コイツはいっつもこんな感じだ。だからこそ、コイツと居ると楽しい。
学校の最寄駅から電車に乗ること10分、新宿駅に到着した。うおー、久しぶりだな、新宿。
「さてと…新宿西口駅の前って書いてあったけどなぁ、どこだろ」
「それは家電量販店だろ」
「いやいや、本当に書いてあるよ。ほら」
といって品川はスマホで探偵事務所のホームページを見せてくれた。確かに、新宿西口駅の前と書いてある。
「これさ、『新宿駅西口、駅の前』じゃなくて『新宿西口駅、駅の前』のことなんじゃないの?」
「え?あ、本当だ。『都営大江戸線、新宿西口駅前』って書いてある」
「おい・・・まぁ新宿西口ならこのガードをくぐればすぐ着くから、行くぞ」
それから俺達は、品川のスマホのナビゲーションアプリを使って(最初からそうすればよかったのか)、なんとか無事に探偵事務所の前に到着した。こんな裏路地にひっそりとたたずむ探偵事務所なんて、信用できるのか正直不安だが、入ってみないには始まらないな。
「じゃあ入るか」
「うん」
そう言うと、階段を一段一段確実に上がる。そして事務所の入口の前まで来た。ドアの横には、「御用の方はインターホンを押してください」との文字。
「押せよ」
「えっ、僕が?」
「当たり前だろ。依頼主なんだから」
しぶしぶインターホンを押す品川。返ってきたのは、女性の声だった。
「はい」
「あのー、品川と申しますけどー」
「…ああ!ペット捜索の品川さんですね!どうぞ、中に入ってください!」
そういわれたので、俺達はドアを開けて部屋に入る。割と普通のオフィスだった。ただ気になるのは、俺達以外に人が居ない。
「ああ、どうぞ、座ってくださいー」
給湯室らしき部屋からさっきインターホンから聞こえてきた声がしたので、言われたとおりに座る。顔はまだ見えないが、声からして、ずいぶん若いようだ。
「ねぇねぇ、美人かな、探偵さん」
品川はこんなことを言っている。だいたいそこに居る人が探偵だとは限らないだろ。助手かもしれないし。
「お待たせしました―」
そういって出てきたのは、レディーススーツに身を纏った―俺より背の低い―妹だった。
「「なッ!?」」
二人で同時におんなじ反応をしたため、品川が少し不思議に思っているようだが、そんなことはどうでもいい。なんで妹がこんな所に!?
妹は軽く焦っているようだ。
「す、すいません、少しいいですか?お茶、飲んでてください」
妹はそういうと俺にアイコンタクトを取ってきた。『外に出ろ』ってか。まあいい。
「ちょっと待ってろ、品川」
「…わかった」
そういうと俺と妹は事務所の外に出る。
「ちょっと!なんでアンタがここに居るの!?」
「それはこっちのセリフだ」
ぐぬぬ…と少し悔しそうな顔をする妹。
「後でゆっくり話すから、とりあえず、私達が兄弟だってばれないようにして」
「…ああ」
何で?なんて聞くほど俺は馬鹿じゃない。馬鹿だけど。俺達が血のつながっていることがあいつが知ったら、いろいろ面倒くさくなることは目に見えてる。
「お待たせしましたっ」
そういって探偵さん(妹)は品川のところへ戻っていく。俺は品川の横で妹の仕事っぷりを拝見するか。
「で、ご依頼は、飼い犬の捜索でしたよね?写真とか持ってきました?」
「はい…なんか事件に巻き込まれてるんじゃないかと…」
「ないですね」
即答かよ!
「そうですか…あはは…」
ほら、品川苦笑いしちゃってるじゃん!
「そうですねー、ご自宅はどちらでしたっけ?」
「都内です」
「いや…もっと詳しく言ってくれないと、探せませんよ…」
品川も何緊張してんだ!というかお前俺の妹会ったことあるのに何で気づかないんだよ!
「ああ、すいません。中野です」
「中野ですか!私も中野に住んでるんですよ!!」
「へぇ!そうなんですか!どこら辺ですか?」
「それは個人情報ですよ~」
なんなんだ、この会話。
「ねぇ、明宏、聞いた?中野に住んでるんだって」
「ああ、知ってるに決まってんだろ」
「えっ?知り合いなの?」
やばっ。妹は「何言ってんだこの野郎」みたいな顔してこっち見てる。
「ああ、だって今聞いたからな、あはははは…」
「そっか。で、どうですか。見つかりそうですか」
「はい。きっと見つけて見せますよ」
「そうですか~。ありがとうございます!!」
自信満々に見つかる宣言をした妹と品川の他愛ない会話が続いていると、品川のスマホが震えだした。
「あ、お母さんからメールだ」
何気なくスマホのロックを解除して、メールフォルダを開き、メールを確認している。が、メールを読み進めていくうちに、品川の顔つきが変わって行くのがわかる。
「おい、どうした、品川」
品川はしばらく動かなかった。
「おーい、大丈夫か。品川」
「…これ」
そのまま俺にスマホの画面を見せてくる。映っているのは、母親からのメールだった。
『あ、言い忘れてたんだけど、昨日の夕方からペロは、入院検査に行ってマースm9(^д^)』
と書いてあった。ちなみに、ペロというのは品川んちの犬の名前だ。お母さん、そういうことはもう少し早く言おうよ…しかも最後なんでプギャー…
「えーと、どうしました?」
探偵さん(妹)は不思議そうに聞いてくる。
「あの、犬の捜索はいいです…」
「へ?」
「ウチの犬、入院してるだけでした」
「それじゃ、どうも」
品川は、お辞儀をして階段を下りていった。俺は品川に、まだ用事があるので、先に帰ってくれと伝えた。幸いにも、今回は特別に無料で済ましてくれるとのことで、本当に良かったな。
「さてと…じゃ、今日はもう帰ろっかなー」
妹(探偵さん)は背伸びをしながら帰り支度を始めている。
「帰ろっかなー、じゃないだろ」
「あれ?まだいたの?」
「当たり前だ」
「…何よ」
少し不満そうにこちらを見つめる妹。
「なんでお前はこんなところに居るんだ?」
「別に、兄ちゃんに関係ないじゃん」
「さっき、後でゆっくり話すって言ったよな。おふくろにも『二人とも遅れる』ってメールしちまったから、ゆっくり話を聞く時間はあるぜ」
「わかったわよ」
妹はシャツの第一ボタンをはずすと、さっきまで品川が座ってたところにどすっ、と座る。俺は、逆にさっきまで探偵さんが座ってた席に座る。
「私ってさ、声優やってるから、普段いろんな人と会うんだよね。で、ずいぶん前に、探偵さんとお話をする機会があって、そこで、本来のここの事務所を経営してる探偵さんにお会いしたの」
「じゃあなんだ、ここはお前の事務所じゃないのか」
確かに、事務所の入り口には「大塚探偵事務所」と書いてあった。
「そう。私は大塚さんからしばらく代理を頼まれているだけ」
「その、大塚さん、ってのは、今どこに居るんだ」
「さあ?外国に行くようなことは言ってたけど、どことは聞いてないから」
「大塚さんはいつ帰ってくるんだ?」
「うーん、わかんないんだよね」
「じゃあお前はいつ帰ってくるかわからない大塚さんが帰ってくるまで代理を続けるのか?」
「だって、大塚さんに頼まれたし…」
「だいたい、声優業はどうするんだよ」
「ちゃんと声優のお仕事もやってる。今日だって、スタジオから直でここに来たもん」
「まあこれ以上言うのはお小言みたいになるからいいとして、大塚さんはなんだ、その、男なのか?」
そういうと、妹は、ぷっ、と吹き出した。
「そんなわけないじゃん、女性だよ。変な男が寄ってくると思って、心配した?」
「バーカ、違うよ」
「嘘だー、本当は心配なくせにー」
確かに、女性で良かった、とホッとしている。
「で、このことはオヤジとおふくろは知ってるのか」
「…たぶん知らないと、思う」
あちゃー、ばれたらどうするんだよ。そう言いかけた時、
「たぶん、ばれないと思う」
「たぶん…か。まぁいい。俺はお前にどうこう言う権利はないと思うしな。好きにしたらいい。大塚さんが帰るまで、がんばれよ。声優探偵」
「うんっ」
そう、妹は、声優であり、探偵である。




