第二話 静止した世界の中で
僕は麻璃亜と一緒にがらがらに空いたバスに乗る。料金を払い、一番後ろの座席の右端に腰を下ろす。すると、当然のように麻璃亜が僕の隣に座った。女性への免疫が少ない僕は、顔を赤く染め、緊張と羞恥心で麻璃亜を直視する事が出来なかった。仕方がないので窓の外を見る。
すると、すかさず麻璃亜が話しかけてくる。
「ねぇ、聖夜くんは今日、どこに行くの?」
「えっと、ちょっと先の図書室に。そろそろ宿題やんなきゃって思ってさ」
火照った顔を隠すためにそっぽを向いたまま答えた僕に、麻璃亜はたちまち不機嫌オーラを発する。 僕は麻璃亜を見ていなかったが、なんとなくそう感じた。
「聖夜くん。何で窓の外見て話してるの? 窓の向こうにあたしはいないよ?」
予感的中。案の定、麻璃亜の声は不機嫌そうだ。
「えと、それは、その……」
僕が答えあぐねていると、麻璃亜は悲しそうな声で聞いてくる。
「もしかして、初対面なのに馴れ馴れしく話しかけてくるから、面倒臭いやつだって、思われちゃったのかな……。聖夜くん、あたしのこと、嫌な子だって、嫌いになった……?」
麻璃亜のその言葉に、僕は思わず麻璃亜の方を向いて言った。
「そんなことないよ! そんなこと全然思ってない! こんな可愛い子のことを、嫌いになるわけない!」
「え……?」
麻璃亜の白い肌が赤く染まるのが分かる。その表情を見て、僕はようやく自分が言ったことの重大さに気づく。
「あ、いや! えと、ご、ごめん。変なこと言って」
僕が慌ててそう言うと、麻璃亜は顔を赤らめて嬉しそうに笑った。その笑顔に僕の温度はさらに上昇する。
「ありがとう。……嬉しい」
麻璃亜はそう言って、満面の笑みを浮かべる。
まだ麻璃亜と出逢って二十分も経っていないのに、僕は麻璃亜の笑顔が好きになっていた。
「聖夜くん、顔赤いよ?耳まで真っ赤」
麻璃亜にからかわれていることに気づいた僕は慌てて否定する。
「ち、違うって! これは、その、そう! 暑いから! 暑いからだよ!?」
「あはは! 聖夜くん、可愛い」
ここまで言われては、男として黙っておけない。僕は羞恥心を無理やりねじ伏せ、反撃を開始する。
「・・・・・・麻璃亜の方が、か、可愛いよ」
ささやかな、反撃。言ってる途中で恥ずかしくなったが、何とか言い切った。僕は、麻璃亜の反応を伺う。
「・・・・・・か、可愛いだなんて、そんな・・・・・・」
麻璃亜は、首元まで真っ赤に染めて、俯きながらそう呟いていた。僕はてっきり、笑われるかと思っていたから、麻璃亜のこの反応は新鮮だった。もうすこし、からかってみたくなる。
「あれ? 麻璃亜、顔が赤いよ?首まで真っ赤だ」
ぼくがにやにやしながらそう言うと、麻璃亜は慌てて顔を上げて否定する。
「ち、違うの!これはその、えっと、そう! 暑いだけなんだから!」
麻璃亜は目に涙を溜めながら、今にも泣き出しそうな顔でうったえた。僕はさすがにやりすぎたかな?と思い、フォローを入れる。
「あはは、ごめんごめん。あんまり麻璃亜が可愛いから、つい・・・・・・、あ」
フォローのつもりが、思いっきり本音を吐いてしまった。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
お互い顔を真っ赤に染めて、黙りこくってしまった。僕は変な空気を変えるために、話題を変える。
「あ、あのさ! え、えと、麻璃亜は、どこに行くつもりなの?」
麻璃亜も僕の真意を分かってくれたようで、答えてくれた。
「あ、言ってなかったっけ? えっとね、図書館の二つ先のバス停の近くに、隣町の大きなデパートがあるって聞いたから、お買い物。」
「そうなんだ。じゃあ、そろそろお別れだね。今度会うのは、学校かな?」
僕がそう言うと、麻璃亜はなぜか寂しげな表情で俯いてしまった。僕が声をかけようとしたとき、麻璃亜は顔を上げて口を開いた。
「聖夜くんは、ケータイ持ってる?もしよかったら、ケータイ番号とアドレス、交換しよ?」
上目遣いでそう聞かれる。鼻血が出そうになるのを何とか堪えた。
「え? べ、別にかまわないけど、なんで?」
僕は動揺していた。こんな美少女とアドレスを交換できるとは夢にも思っていなかったからだ。
「だって、聖夜くんはあたしがこの街に来てから最初の友達だもん」
「も、もう友達?」
「嫌?」
「ぜ、全然! すごく嬉しい!」
「ありがと。あたしも嬉しい」
またも本音を吐いてしまった。麻璃亜の前では、嘘をつけない気がする。
お互いの番号とアドレスを紙に書き、交換する。それを終えたところで、車内アナウンスが僕の目的地を告げる。
「じゃあ、僕はこれで。それじゃ、また今度、麻璃亜」
「うん、聖夜くん、また今度。またお話しようね」
そういいながら手を振って僕はバスを降りる。後部座席を見ると、まだ麻璃亜が手を振っている。バスが見えなくなるまで手を振り続けていたら、周囲の人からの視線が冷たいことに気づいた。僕は急いで目的地を目指す。
目的の図書館は、バス停から二分ほど歩いた場所にある。隣町に面していて、そこそこの大きさと設備が整っている。夏休みには涼みに来たり勉強したりなど、よく利用する施設だ。
自動ドアをくぐり、中へ入る。とたんに冷気が僕の火照った体を冷やしていく。
「あぁ~、涼しい・・・・・・」
思わず声に出してしまうほど気持ちいい。クーラーの冷機を存分に堪能し、僕は二階を目指す。この図書館は、一階は児童向けのコーナーと一般のコーナーの二つに分かれており、二階は学生向けのコーナーと勉強スペースが置かれている。
朝早く来たから、2階の勉強スペースはまだかなり空いていた。
僕は奥の窓際の机に向かう。けれどそこには、先客がいた。
「よう、新。お前も今日はここで勉強か?」
「ん? おお、よう、ミスクリ」
そう答えたのは、僕の中学校からの友達、長谷部新だ。
「なぁ、新。そのミスクリっての、そろそろやめてくんねーかな……」
僕がじと目で言うと、新はニヤリと笑って、
「面白いから却下」
見事な即答。僕は呆れてため息をつく。
ちなみにミスクリというのは、新がつけた僕のニックネームだ(不本意だが。)。新いわく、聖夜→聖なる夜→クリスマス→メリークリスマス→サンタ→ミスター→合わせてミスクリ、なのだそうだ。
「それで、新は何をしてるんだ?」
僕がそう尋ねると、新はつまらなそうな顔で答えた。
「物理の宿題。ったくあのハゲ頭、いっちょ前に宿題なんか出しやがって……」
新はそうぼやき、短めの黒髪をいじりながら問題集との格闘を再開した。それを見て、僕も新の隣の机に腰を下ろし、物理の問題集を広げる。 しばし長考、一時間でギブアップ。
新に教えてもらうという選択肢もあったが、集中している時に邪魔をするとすごい勢いで怒り始めるので、考えを却下。
仕方がないので窓の外を眺める。そして、僕は不意に襲ってきた睡魔に負け、眠りに落ちた。
目を開けると、すでに新の姿はなかった。どうやら帰ったようだ。腕時計をみて時刻を確認する。すでに一時を回っている。
三時間近く寝てしまった……
僕は宿題をやるか迷ったが、食欲に負け図書館を後にすることにした。
自動ドアをくぐると、焼けるような日差しに気が滅入る。
適当になにか買ってたべるか。そういえば最近、この近くにファーストフード店ができたらしい。僕はそこに向かうことにする。
お昼時を過ぎていたにもかかわらず、店は込んでいた。五分ほど待って、やっと僕の番だ。制服姿のお姉さんに、ハンバーガーとポテトを注文する。三十秒ほど待って、それらを受け取り、窓際の奥の席に座る。
初めて食べるハンバーガーに、僕は少し興奮していた。大口を開けてかぶりつく。……うまい。 肉汁と大きなトマトの瑞々しさがなんともいえない美味しさをかもし出している。これ、はまっちゃいそうだな……、食べすぎには気をつけなくては。
ハンバーガーとポテトを五分でたいらげ、僕は席を立つ。自動ドアを抜け外に出ると、蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。もうすこし静かに出来ないものだろうか。そんな大声じゃ好かれるどころか引かれるぞ。などと悪態をつきながら、バス停のある大通りに向かう。
数分歩き、バス停に差し掛かったとき。
感じる、違和感。
おかしい。音がしない。圧倒的に静かだ。
僕は足を止めて、周りを見渡す。すると、信号は黄色のまま、変わる気配を見せない。横断歩道の上の人たちはそのままで止まっている。あれだけうるさかった蝉の声もピタリと止んでいる。
全てが、静止している。
怖い。知っている場所なのに、自分だけが知らない場所にいるような感覚。今まで感じたことの無い感覚に、焦りと恐怖を覚える。
焦りを抑えて、ひとつの仮定をたてる。
時が……、止まっている!?
「だとしたら、なんで僕は動けるんだ……?」
「それは、あなたが思い出さなくてはならないからよ」
凜とした、よく透き通った声。
突然後ろから聞こえた声に、僕は慌てて振り向く。
そこにいたのは、一人の女の子だった。赤みがかった、腰まである長い髪の毛で、高校生ぐらいに見える。僕は彼女を見て、少なからず安心していた。そして、恐怖を覚える。
「……君は、何か知っているのか? なんで、まわりが止まってるんだ? なぁ、なにか――――――」
「あなたは、何故ここにいるの」
僕の言葉を遮って、目の前の少女はそんなことを言う。僕は焦りと怒りで早口に言う。
「な、なぜって……、そりゃ、この町に住んでるからさ。そんなことより、何でこんなことになってるんだ!?」
彼女は、僕の返答にほんの少し目を細めて睨むように口を開く。
「…………そう、思い出せないの。思い出せないのなら、あなたはまた、大切な人を失うことになる。」
何を言っているんだ?理解が追いつかない。
「あたしがあなたに干渉できる範囲は限られている。あなたが自分で思い出すしかないの」
干渉? ますますワケが分からない。
「そろそろ時間。出来れば今度は、動いている世界の中で会いたいものね。……………最後に、もう一つ。……たった一度のチャンスを、無駄にしないで」
そう言い残し、彼女は背を向けて歩き出す。
「ちょ、まっ、---------!?」
直後、世界が揺れた。ものすごい耳鳴りとともに、徐々に世界が音を取り戻す。気がつけば、少女の姿はどこにも無かった。
「なんなんだ、今の……」
僕は、あまりのことに思わず呟きを漏らした。
もしかして、白昼夢ってやつか……? それにしたら妙にリアルだ……
何事もなかったかのように、街は活気を取り戻していた。
僕はふらつく足を動かして、バス停に向かった。