ショートショート:「死をエンタメに」
僕の名前は夏田宗助。アラフォーの精神科医だ。とは言っても、僕はただの精神科医ではない。都心に「明治メンタルクリニック」というメンタルクリニックを構える経営者だし、何と言っても登録者数60万人を超えるチャンネルを運営している、日本一の精神科医YouTuberでもある。
五年ほど前に、「メンタルドクターN」という名前のチャンネルを立ち上げたことが、僕の人生を大きく飛躍させるきっかけになった。それまで、場末のメンタルクリニックでどうしようもない精神疾患の患者たちを相手にしていただけの人生に、大きな転機が訪れた。YouTubeは良い動画を上げれば、視聴数やチャンネル登録者増といった形でわかりやすいフィードバックが得られるし、僕に対して肯定的なコメントも、数多く寄せられている。実際の診察で患者から感謝の念を述べられることなどほとんどなかったから、最近は親愛なる視聴者の温かいコメントのおかげで僕は生かされているのだとさえ、感じるようになってきている。チャンネル登録者数が十万を超えたあたりから、本の出版の話や、有名人とのコラボの話も舞い込んでくるようになり、僕は臨床をやりつつも、インフルエンサー業を生きがいのように感じてもいる。
さて今日は、ちょっとした事件が起こったせいで、僕のクリニックは重苦しい雰囲気に覆われている。僕は数年前から障害者雇用として、クリニックの事務スタッフとして発達障害の男性を雇ってきたのだが(隆二という名前である)、彼の元配偶者(多恵という)が、自殺をしてしまったのである。彼女は重度のうつ病を抱えていたのだ。
多恵とは僕も面識があり、彼女もYouTuberでもあったので、僕のYouTubeの視聴者たちからも、馴染みのある存在だった。隆二と多恵が離婚してしまった理由には触れないが、隆二は離婚した後も彼女との関係は良好で、まめに連絡を取り合っていたようだったから、ショックは大きいようだった。
心理士をはじめ、クリニックの他のスタッフたちは、涙を浮かべて俯いたままの隆二に、声をかけることさえできずにいた。重苦しい雰囲気の中、どうにか午前中の外来をこなした僕は、昼休みにYouTubeを撮ろう、と隆二に持ち掛けた。多恵の死を視聴者たちに報告するためである。
隆二は表情を変えずに、「今はとてもそんな気持ちにはなれません。」とだけ答えた。クリニックの他のスタッフたちの中には、顔色を変えて、「さすがにそれは・・・」と僕が多恵の死をYouTubeで扱うことを止めようとする者もいたが、僕の頭の中では色々な計算が高速回転していた。そのときの思考回路は、以下のようなものである。
「精神疾患と死は、隣り合わせの関係にある。視聴者にも馴染みのあった多恵の死を扱うことで、自身も精神疾患を抱えている多くの視聴者たちは、他人事ではない死という問題に向き合うことができ、彼らへの教育的な意義があることだろう。さらに、動画にすることで彼女の死という事件を風化させないという、資料的な価値もある。同情を上手く引けば視聴数も伸びるだろうし、スパチャも大量に得られるかもしれない。」
さすがに隆二が落ち込んでいる前であからさまに態度には出さなかったものの、内心では最近視聴数が伸び悩んでいたYouTubeにテコ入れする格好の材料を得たことに、僕は興奮していた。もちろん、多恵に同情する気持ちもないわけではなかったが・・・。
結局その昼休みに、僕は一部のスタッフの反対を押し切って、動画の撮影をした。反対していたスタッフたちにも一応は配慮して、動画の中では「自殺」という言葉を用いず、多恵は「病死」した、と話した。だが、動画の概要欄の文章には「自殺」と明記しておいた。やはりそうしないと、視聴者たちへの教育的な意義がない。そこだけは譲れなかった。
僕はその動画の中で、僕が感じていた彼女の死に対する無念、さらに交流があった中で何もしてやれなかったという強烈な無力感について話した後、視聴者たちに滅多に見せなかった涙と嗚咽を見せ、
「すみません、これ以上は話せません。」
と言って、自分でカメラを切った。隆二もカメラの外から見つめていた中で、僕はしばらく涙を止めることができなかった。内心では、「スタッフの奥さんの死にこれだけ同情している、人情に厚い上司としての自分」に酔いしれていたし、動画としてこれ以上ない出来栄えの作品を作り上げられたことに、心の底から満足していた。
案の定、この動画への反響は大きかった。視聴回数も伸びたし、スパチャもかなりの額が集まった。同情的なコメントも多く寄せられたが、中には「患者の死を気安く扱うな」と僕を批判する内容のものもあり、スタッフが強く言ってきたこともあって、数日後に動画を非公開にした。だが、この動画によって得られた収益だけを考えれば、大成功だった。
患者の自死という重苦しいテーマでさえも、上品質なYouTube動画というエンタメに昇華させてしまえた自分の才能に、僕は我ながら、惚れ惚れとした。
ところで、精神科医を長く続けていると、患者の死に向き合う機会は決して少なくない。だから、僕はかねがねポリフォニーのように訴えかけてくるかつての患者たちの魂に突き動かされている感覚を覚えることがあったのだが、多恵の魂もそこに加えられたと考えると、彼女も浮かばれるだろうと思っている。




