EP 3-1 黒岩編
9月になったとはいえまだ陽射しは、ジリジリと人を焼き尽くすような痛みを与えてくる。
「うわぁ海だー」
野枝が桐生の日傘に入り道路を挟んだ海を眺めていた。
どうしてこうも太陽の日差しを反射させるのだろうか。
「楓歩くぞ」
目的地は海ではない。目的地の事故現場が近づくにつれ、それは見えてきた。
「あそこか」
野枝は1人で喋り続けるが、3人とも楽しい場所ではないことは知っていた。
一ノ瀬が事故に巻き込まれた場所は由比ヶ浜の海が見える見晴らしのいい道路だった。
「本当にこんなところで事故が」
しかし供えられた花や食べ物がここで事故があったことを物語っていた。
黒岩は来る途中に買ってきた花を添えた。
しばらく3人でそのまま手をあわせる。
「それじゃあ帰ろっか」
「えっせっかくだしさ砂浜の方に行ってみようぜ」
野枝の提案に桐生の方を見ると、桐生もこちらを見ていた。
「……ちょっとだけだぞ」
野枝は信号を渡ると砂浜から波が寄せるか寄せないかのギリギリのところまで走って行った。
「野枝は元気だな」
「そうでもないさ。あぁすることで気を紛らわしているだけさ。クラスメイトの奴らもみんな受け入れられないけれど受験も迫っててきっと一旦どこかにその気持ちを閉まってるんじゃないか」
「そうか」
「おーい早くこっちこいよ」
波打ち際で遊んでいた野枝が桐生と黒岩に手を振っていた。
数日前に一ノ瀬もここにきていたのか。
もし誰かと来ていたとすれば、どうして海の色は青く見えるのかとか、反射について語っていたのだろうか。そんなことをふと思った。
時間は止まることなく流れ続けた。
クラスの雰囲気は文化祭の準備やら模試の結果やらで一ノ瀬の死を中和していた。
誰も過去にとどまることなく、未来に向けて動き出していた。
黒岩は文化祭にでさえ、昨年や一昨年の一ノ瀬の姿を思い出しては手を止めてしまっていた。
昼休み。早々にお昼ご飯をお腹に詰め込むと、図書室へと向かった。
「黒岩ちょっといいか」
聞き馴染みのある声が、背後から聞こえた。振り返ると担任が手に数冊の本を持ってこちらに近づいてきた。
「どうかしました」
「これ返しておいてくれないか。一ノ瀬が借りていた本らしい」
「わかりました」
先生から本を受け取る1冊は哲学書でもう1冊は少しボロボロの将棋の本だった。
図書室で返却の処理をしようとしたが、将棋の本は読み込んでくれなかった。確認してみると図書室の管理番号やバーコードがなかった。
使い古されたその本をパラパラとめくる。すると裏表紙に”ひかげ ひろと”と大きくひらがなで大きく名前が書かれていた。
帰りのホームルームが終わると担任を捕まえて将棋の本は誰かから借りたもの、もしくは一ノ瀬の本だと伝えた。
「困ったなぁ」
先生はとりあえず預かっておくと言って他の荷物とまとめて持っていった。
その日の夜。
夕飯を食べ終えると、一ノ瀬が借りていたのは生きることに焦点を当てた内容のようだ。
一ノ瀬にとっての”生きる”ということはどういうことだったのだろう。黒岩は「生きる理由を持っているものは、どのような苦難にも立ち向かうことができる」とニーチェの格言を引用した言葉を見つめ、黒岩は生きる理由って何だろうと考え始めた。
季節は10月に差し掛かろうとしていた。クラスメイトの中にはすでに推薦で合格した人もいるが、1月のセンター試験を受験する人が圧倒的に多かった。
黒岩はまだ大学で何を学びたいのか、その答えを出せずにいた。1年生の時に一ノ瀬と出会い、本を読み、勉学もそこそこ頑張ってきたつもりだ。文理の選択も幅が広いからと物理専攻にしたが、大学では何を学ぶか。このまま物理を続けるか、情報学部に行けば仕事も困らないだろうか。そんな打算的な考えが浮かぶ。
「おっ黒岩ちょっといいか」
担任に呼び止められる。
「何かありましたか」
担任は辺りをキョロキョロすると、使われていない教室へ案内した。
「最近勉強できているか」
自分の進路についての話だったのか。何を聞かれるのだろうと少し身構える。
「……いえ、あまり」
「まぁそうだよな」
この前の試験の結果が下がったので声をかけているのだろうか。
「何に悩んでるんだ」
これを聞かれて「はい。あります」と言って担任に打ち明ける生徒がいるのだろうか。
「あっすまん。この聞き方だと答えづらいな。そうだな最近よく眠れてるか」
なんて答えようかと悩んでいるその間で、担任は寝れていないことを悟ったようで頷き続けて質問した。
「そうかじゃあ、食事はきちんと摂ってるか」
「それははい」
「そうかそうか。それは良かった。受験に向けての勉強の進め方で悩んでることとか、ここ教えてほしいみたい要望は何かあるか」
「えーっと」
何を聞きたいのだろうと考えていると担任は続けた。
「ほら、この学校進学校だろ。だからさ学校の方針で学年の下位20%向けに、そういうプログラムがあるんだわ。それのお誘いだ」
「はぁ……でも僕下位20%じゃないと思いますけど」
僕は一ノ瀬に憧れている人間なのだ。1年の後半で成績を落としてしまって2年に進級する際に一ノ瀬とクラスと離れてしまったが、それが嫌でまた3年に上がる時には上位に30位以内に入れたはずだ。いや、夏休み明けの試験がひどかったのは間違いないが、それでも下位20%には入らないはずだ。
「えーっとそうなんだが、この前の試験成績悪かっただろ。それに黒岩は毎回違う学校と学部を選んでる。それが気になってな。方向性が決まらないと勉強も観に入らないんじゃないかと思ってな。まぁ俺じゃ相談に乗れないし、そのプログラムだとそういうのも相談に乗ってくれるみたいだからさ」
「はぁ……そうですか。でもうちお金ないですし」
「あ、そこは大丈夫大丈夫。お金かからないから。ただやりたいかだけ教えてくれないか。うちのクラスだとお前ともう1人くらいしか心配なやついないが、受験まで残り数ヶ月なのに成績下がるとより不安になるだろ」
「先生その前に先生に聞きたいことあるんですけど良いですか」
「んどうぞ」
こちらをチラリと見てから、紙に何か記載した。
「先生って将来の夢とかありました」
プログラムについての質問だと思っていたのか、少し意外そうにこちらを見上げた。
「んーまぁ先生になるとは思ってなかったな」
「なにかきっかけとかあったんですか」
担任は「いや、気付いてたら先生になってたって感じだなぁ。まぁ夢がって人も多いと思うが、なんとなく、受かったからその仕事をしてるって人も多いと思う。そこはなぁ難しいところだな」
生きる意味を見つけた人間は、苦難に立ち向かえるが、生きる意味のない人は、生きる意味を探すために進んでもいいのか。




