羽と祈り
「なるほど……魔法陣ですか」
受け取った黒い布を窓辺の光にかざす。
黒地に黒の刺繍。光に透かしてやっと浮かび上がる、幾重にも重ねられた魔法陣の集合体。
人の理から外れたその意匠に、レティシアの口元がわずかに緩む。
「魔法については詳しくねーが、暗殺目的にしては過剰すぎる……魔王でも殺すつもりか?」
無精髭の店主が肩をすくめる。だが、レティシアは黙って布を畳み、そっと背を向けた。
「なんだ、もう行くのか嬢ちゃん?」
「ええ。欲しかったものは、もう手に入りましたから」
振り返り、微笑を浮かべて店主に応じると、レティシアは剣に手をかけて出口へと向かう。
「待ちな、嬢ちゃん。あんたが何をしようと関係ねぇが……その剣は変えた方がいい」
入り口の扉に手をかけたレティシアが足を止め、ゆっくり振り返る。
「……その剣、王国のものじゃねぇな」
真剣な眼差しで腰元を見つめる店主。その視線に応えるように、彼女は左右の剣のうち左の一本をためらいなく抜いた。
湾曲した刀身が、鏡のように彼女の顔を映し出す。
「こちらの剣ですか?……刀身も見ずによく分かりましたね」
「なぁに、形を見りゃ一発だ」
レティシアは剣をカウンターに置き、店主がそれを確かめる様子を静かに見守る。
「山賊刀か……随分と粗末な作りだ。どこで手に入れた?」
「ふふ、貰い物ですよ」
どこか懐かしげな瞳で、レティシアは刀身を見つめる。
「……そうか。すまん、悪く言い過ぎた。だが、一鍛冶師として正直に言わせてもらう。こいつじゃ、あんたにはついてこれねぇよ」
「そうですかね?」
首を傾げ、店内の剣をぐるりと見渡す。確かに上質な剣が並んでいるが、差はそこまであるようには思えない。
「嬢ちゃん、本当に王国の騎士か? 武器ひとつで勝敗はいくらでも変わる。戦場を知ってるなら、それぐらい――」
「ふふ、どうでしょう? 私は、武器よりも“誰が使うか”の方が重要だと思いますけど」
「……それも確かに一理ある。だが、武器で埋まる差もあるだろう? 良い剣を使うに越したことはねぇよ」
呆れ笑いを浮かべながら、店主は彼女の山賊刀を脇に退け、棚の奥から剣を三本選んでカウンターに並べた。
「嬢ちゃんの体格ならこのあたりが合うはずだ。本当なら、いちから鍛えてやりてぇが……あいにく今は鍛冶場が使えなくてな」
「ふふ、ありがとうございます」
レティシアは三本の剣を手に取り、順に構えてみる。
重さも形も異なるそれらの中で、ひときわ自然に手に馴染む一本があった。
「……これが一番しっくりきますね」
軽く振り、その直剣を見つめる。
飾り気のない、しかし凛とした鞘には、青い羽の紋章が刻まれていた。
「これにします」
「試し切りはいいのか?」
「ええ、使えれば、どれでも構いませんから」
「そうかよ……」
レティシアはため息をつく店主に代金を渡し、剣を腰に下げた。
「興味ねぇかもしれんが、その剣の名は《カササギ》。俺が作った中でも最高傑作の一つだ。質は保証する」
「カササギ、ですね。覚えておきます」
柄にそっと触れ、目を閉じる。
羽ばたきながら空を舞う鳥の姿が、まぶたの裏に浮かぶ。
風を切る音が、遠くからかすかに聞こえた気がした。
「こっちはどうする? 買い取ってもいいぜ」
「いえ。まだ、使えますから」
退けられていた山賊刀を手に取り、レティシアは静かに店を後にする。
「……日が昇ってきましたね。そろそろ戻らないと、ロザネラさんに怒られてしまいます」
朝の光に新しい剣をかざす。
まっすぐな刃が、青い瞳を細く、鋭く映し出していた。
反射するほど磨かれた床に、ピンクの瞳が映る。
疲れた表情と目の下の隈に、ロザネラは小さくため息をついた。
ステンドグラス越しに差し込む光、開かれた扉から吹き込む冷たい風。
どこか神聖な空気に包まれながら、彼女はゆっくりと顔を上げる。
「…………」
膝を折り、黙々と祈りを捧げる大男。
その姿に、かつて身を置いていた教会の情景が否応なくよみがえる。
「……エリカ」
呟いた名が風に乗り、大男の耳に届いたのか、彼は祈りを止めて立ち上がる。
「……汝」
重々しい声が、礼拝堂に響いた。
「深淵に通ずるものだな」
杖が床を打つ音とともに、教会の扉が音を立てて閉ざされた。