騎士と聖女
「早く、早く〜」
「待って、待ってよー!」
陽だまりの中、子供たちの声が孤児院の廊下に響く。
先をいく花のようなピンクの髪の女の子。
その後を追って、廊下を駆けていく。
「ふふ、早くしないと置いてっちゃうよ〜」
女の子は軽やかな足取りでどこまでも続く廊下を光のほうへ走っていく。
「はぁ……はぁ……」
止まることなく走り続ける女の子、いつしか自然と距離も離れ声も届かなくなってしまった。
はるか先、光の前で女の子がこちらを振り返る。
「だ、ダメ!」
妙な胸騒ぎがして思わず叫ぶ。
暗い廊下にこだまする声が切り裂くようなノイズになって跳ね返る。
「っ!?」
頭が焼けるように痛い……。
立てず崩れる体と霞む視界、壊れていく孤児院の中で最後に見たのは光に踏み込む女の子の後ろ姿だった。
「……酷い顔ね」
ガタガタと揺れるバスの中。
窓ガラスが、暗いピンクの瞳と濃い隈を浮かべたシスターの顔を映し出す。
時計の針を見ると時刻は19時、既に日は沈み外の景色は暗闇に沈んでいる。
何か懐かしいものを見た気もするが……思い出せるのは焼けるような痛みだけだ。
「大丈夫ですか?」
声のした方へ振り返る。
茶色の髪に青い瞳、首を傾げた騎士の少女が心配するような言葉と笑みを浮かべこちらを見つめている。
「……問題ないわ」
どこか考えの読めない少女から視線を逸らし窓の外へと視線を戻す。
明かりすらない暗い山道、いつ終わるかもわからない繰り返される退屈な景色にため息をつく。
「そうですか? 声をかけても起きないほど深く眠ってるのは初めて見ましたけど」
「…………」
見透かすような目と微笑みが暗い窓越しに見つめてくる。
確かに少女の言う通り、ここまで深く眠ったのは随分久しぶりのことだ。
……休息の暇なんてものはない、何よりあの声が立ち止まることを許さない。
疲れて気絶でもしてたのか、もしくは……。
「……っ!」
思考をノイズが塗りつぶす。
焼けるような痛み、渦巻く声の嵐。
やはりそう簡単に消えるなんて都合の良いことはないのだろう。
「……本当に大丈夫ですか?」
「はぁ……はぁ……問題ないわ」
痛む頭を抑えながら小さなガラスの髪留めを震える手で握りしめ目を閉じる。
ガラス特有の冷たさと微かに感じる温かな魔力が少しずつノイズを遠ざける。
一時凌ぎに過ぎないが、今はそれで十分だ。
落ち着き再び目を開ける。
「……!?」
目の前にいるはずのない人物が窓の中からこちらを覗く。
狭間になびく灰の髪、異界を映す銀の瞳。
それは神話に語られる、七罪の魔女がうち1人。
「ふふ! なかなか良い反応ね」
「……境界の魔女」
「ふふ……相変わらず神出鬼没な方ですね」
窓の中に映る魔女は、揶揄うような笑みを浮かべていた。
「……何の用?」
「あら〜? あなたが私を呼んだんじゃない?」
ニヤニヤとコチラを見つめる魔女を睨む。
ただの少女のように見えるが、中身は紛れもない怪物だ。
「怖気付いたのかしら? 別に降りたって構わないわよ?」
「……ふん、今更止まる気はないわ」
「……ならよかった、帰りのバスを用意しないで済むわ」
ニヤリと笑みを浮かべた後、魔女の姿が跡形もなく消える。
「そろそろ仕事の時間よ、気を引き締めて行くことね」
残響で揺れる窓の外に淡い光が見えてくる。
どうやら目的地に着いたようだ。
「……あれが……魔女の遺物が眠る場所」
「ふふ、綺麗ですね」
立てかけてあった杖を確かめるように握りしめる。
まだ微かに手が震えているが止め方は知っている。
「ご乗車ありがとうございました、次は終点、祈咲村、祈咲村」
深く息を吸い、残る迷いごとゆっくりと吐き出す。
完全にバスが止まる頃、手の震えは消えていた。
「……行くわよ、レティシア」
「ええ、ロザネラさん」
楽しげに笑う騎士を連れシスターは村へと降り立った。