聖女の妹とかいう大人しいやつ
「ようこそおいでくださいました」
「ましたー」
聖女の妹……リリアが私に話しかけてきて、ノワールがあとに続く。
眠そうな瞳の少女だ。先ほどまで眠っていたのかもしれない。どこかぼんやりとしているようでいて、かなり意識ははっきりしているみたいだ。私の目の前で膝をついて拳を差し出してくる。
どことなく先ほど会った王子の弟、キールに雰囲気が似ているような気もする。しかし、差し出された拳をふんふんと嗅いでみたが、匂いはミリアとそっくりだ。ニールに似ているキールと同じで、顔もミリアと似ているし、なんとも不思議な心地のする女である。
同じパーツで構成されているというのに、なぜこうも纏う雰囲気というか、空気のようなものが違うのだろうか? ミリアも口を閉じて穏やかな表情をすればこれと近い雰囲気になることはできそうだが、あの女はいかんせん気性の荒さが強い。あまり賢くもなさそうであるので、噂に聞いたことのある冒険者とやらのほうが向いていそうなのだが、彼女は望んで城暮らしをしに来ている。城暮らしに向いているのはむしろこのリリアのほうだと言わざるを得ない。それくらい二人は雰囲気が真逆であった。
「お姉様が精霊公女様のご迷惑になっているようです。本当にごめんなさい……わたしもあの人を止められないの」
リリアは無遠慮に手を伸ばして私を撫でようとはしないようだった。私が満足いくまで匂いを確認し、座ってその場で毛繕いをはじめてもなにもせず見ているだけだ。しかし、私が目を向けると慌てて目を逸らす。敵意がないことをこれ以上ないというほど示してくる態度には悪い気がしない。
膝をついてじっとしている彼女の足に頭をこつんと触れ、体を接触したままになるように寝そべる。
「あ、いいないいな。おれも!」
その隣にノワールが同じように寝そべる。尻尾が触れ合い、少しばかり絡められるがあまり気にならない。ふむ、やはりリラックスできる。決して静かな環境というわけではないが、それがかえって良いのかもしれない。
感極まったように変な声をあげているリリアがその場で動けなくなっているが、構いやしなかった。私はここで寝る。今なら心地よく眠れそうだからだ。
なぜだかリリアのそばは特別空気が綺麗な気がする。木漏れ日の中、あたたかくて優しい風が吹いているような居心地の良さは、我がご主人とともに眠る際の心地良さとも匹敵し得るものだ。いいお昼寝スポットを見つけたかもしれぬ。今度からはここにも来よう。どうやらノワールは彼の縄張りと言えるここに私が来ることに異論はないようであるから。
「わたしも、お姉様を止めて差し上げたかった。このままではお姉様もみじめな思いをしてしまう。けれど、わたしの声はお姉様には届きません。きっと、取り返しのつかないときがくるまで……だからせめて、お願いをしておきたいのです。スノーボール様」
私が耳をぱたりと動かして尾を彼女の膝につけたからか、私が話を聞いていると判断してリリアの声が降ってくる。
「スノーボール様のお話はお世話をしてくださる皆様から伺っています。鳥を狩るのが得意だと。だから、わたしの話をどうか覚えていてください。いつか、青い小鳥は見つけることがあっても見逃してほしいのです」
それは我がご主人……シアンやミリアについている青い羽と似たような翼を持つ鳥を、ということであろうか?
「うなぁん」
まあ、良いだろう。私は広い心を持っている。たとえ初対面の少女のお願いであっても覚えていてやろうではないか。狩りを禁止されるわけではないし、それくらいならば聞いてやってもいいだろう。もし、狩りの禁止を言い渡されていたらそのときは破っていたであろうが、居心地の良い昼寝場所を提供してくれるものの頼みならば仕方がない。
「ありがとうございます。きっと、いつか見つかるその青い鳥はわたしの大切なひと、でしょうから」
寂しそうな声色が降ってくる。
優しい霧雨のような、ずっと浴びているとじっとりと濡れて最終的に入浴に連れて行かれてしまいそうな、積もれば積もるほど心身に行き渡っていくような不思議な声色だ。
しかし、窓辺で雨の音を聞きながらうつらうつらと眠るときのように今はただ、心地よいものだ。
いつか来るであろう青い鳥との出会いまで、忘れぬようにしなければならない。彼女の大切なものだというなら、翼がもがれて地面に落ちていくことにならないようにしてやらねば。
しかし、そうして願い事をしてくるということは、やはりミリアは鳥人間なのであろうか? 我がご主人よりも大きな翼をしていたから、そもそも種族として人間ではないのかもしれない。それならば、鳥が襲われると私が魔物に街の同胞を襲われて怒り狂うのと同じ気持ちになるのであろうか。
私も、街に入り込んだ、なんだかぷよぷよした軟体の生物に同胞が襲われたときは威嚇して倒してやったものである。同胞が他者に襲われて死ぬ光景というのは上位種にとってはあまり見たいものではないのだろう。まあ、だからといって、他の鳥で狩りをするのをやめるつもりなど毛頭ないが。
「あなたは無意識なのでしょうが、光の魔法を使いこなすスノーボール様は猫たちの女神様のような存在です。わたしも見回りをして魔物を倒していますが、お姉様は働いておられないので……お手数をおかけしていると思います。スノーボール様、どうかこれからも健やかにお過ごしください。そしていつまでも心優しいスノーボール様であられますように」
祈るような声が聞こえて、我が心身に染み入るようなふわふわとした心地がする。それでもやはり、悪い気はしなかった。敬われて悪い気のするものなど! いないだろうが。
すうすうと先に眠りについたノワールの顔を舐めて毛繕いをしてやると、むにゃむにゃと言いながらくすぐったそうに笑っている。なんだかその光景をずっと見ていたくて、ぺろぺろ、ぺろぺろと毛を舐めて梳かしてやっていると、だんだんと視界が暗くなってくる。
「あら、舌を出したまま……お可愛らしい」
そして、私はそのままリリアの嬉しそうな声を聞きながら眠りにつくのだった。