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黒くて珍妙な細いやつ

 私は困っている。

 見知らぬ廊下に出てしまったことではない。王子の弟になす術もなく連れて来られた際、目を塞がれていたわけではないのでもちろん帰り道は知っている。彼の歩んだ道を寸分違わずに戻れば良いだけだ。しかし、本当にそれで良いのだろうか? せっかく立ち入ることのできなかったエリアにいるのである。招き入れたのはあちらなのであるから、私がここらを方々歩き回って見聞しても良いのではないかと思ったのだ。


 言いつけ通りに元の道に戻るか、それとも開き直ってこの見知らぬ場所を探検するか。そのどちらにしようかと考えて立ち止まり、私は困っていた。いざ歩き出してしまったら好奇心の赴くままに歩き回るに決まっているからだ。思考のために一歩も動けず、誤魔化すように後ろ足で耳をかく。


 あ〜気持ちいい〜。


 ふむ、なんとなく体がこそばゆい気がするのでその場に転がり背中をずりずり。気が済んだ私は気になる方向へとそっと足を進めて行く。わあい知らない場所はどんなところだろう。


 王子の弟の部屋からしばらく歩き、知らない場所の匂いを嗅いでいるとやがて不審な匂いを嗅ぎ取っておや? と首を傾げた。街中ではよくあることだが、同族の実に不敬なマーキングの香りがするのである。城の中ではありえないことだ。私はきちんと外でするので、これは不届な侵入者なのでは? と考え、その匂いを追ってみることにした。

 城の、それも私でさえ立ち入りを憚るエリアで不審者など大事件だ。この城の中のほとんどは私の縄張りなのだから、侵入者などあってはならない。


 やがて、ある部屋の前で私は珍妙な生き物に出会った。


 しゅっと細くて、部屋の隅や棚の後ろのような真っ黒な中に空を見上げたときに見られる金色の月のようなものが浮かんだよく分からない生き物だった。

 私のように三角の耳が生えていて、途中で折れ曲がったような短くも細い尻尾が生えているところを見るに、これも猫なのだろうかという予測はつく。しかし、城下町の猫はいつもどこか薄汚れているし、毛もごわごわと伸びっぱなしだ。こんなに胴が細くて毛艶が良くて小さい猫は見たことがなかった。


 私はそこそこ大きな体躯をしているし、こいつよりも大きな三角の耳をしているし、胴の体積よりも大きく見えるふわふわの雪のように白い毛が生えているし、こいつとは違って長くて立派な尻尾が生えている。


「お姉さん、この辺の縄張りの猫?」


 見下ろすような大きさしかないその猫らしきものを目を丸くして観察していると、そいつは馴れ馴れしくも私に尋ねてきた。

 少しばかりたどたどしい言葉だが、年齢はそう若過ぎているわけでもないだろう。一歳になっているかどうかは怪しいが、子猫というほどでもなさそうだ。私は三歳なのでこいつよりもよほど年上である。


「そうよ。君はいったいどこからやってきたの? ここが誰の縄張りなのかお分かりなのかしら」

「友達と一緒に引っ越してきたんだ! ここはとても広いね。こんなに広いおうちに住んで縄張りにしてるなんてお姉さんすごいや!」

「む、そ、そうかしら。し、仕方ないわね。少なくとも招かれて来たのなら私がなにか言うわけにもいかないでしょうし……君のご主人に会わせてくれたのなら、親切な私がこの城の案内をしてあげましょう」

「本当!? やった! こっちだよ」


 そう言って黒猫は来た道を戻って行く。少なくとも嘘ではなさそうだ。

 ご主人の話しかたを真似て淑やかに対応してみれば、この実に素直そうな黒い毛玉は嬉しそうに私に擦り寄ってきた。頭をごつんとぶつけてきてぐるぐると喉を鳴らしている。懐っこいのは結構だが、こんな風では自然を生きていけるとも思えない。ここは城の中とはいえ、庭に出れば大きな黒い鳥の目にも入るであろう。体格がそれほど大きくない彼はあいつらに危害を加えられる恐れもある。

 この城は私の縄張りだ。もし、私の縄張りの中であいつらに好き勝手されてしまったらたまったものではないだろう。

 私を慕うというのならば庇護してやるというのもやぶさかではない。ともに暮らす同居人どもは数多くいるのだから、同胞が増えるのも悪くはないように思える。

 小走りで実に嬉しそうな彼について歩き出すと、彼はぴょんぴょん躍動的に動き回りながらときおり私の横につけてくる。尻尾をピンと立てて耳を震わせ、ヒゲ先をちょんと私の顎先にくっつける。鼻を高々とあげてツンとすまして歩く私の真似をしてみせるのも面白い。

 年のわりに幼い性質なのだろうか。いつもなら、まとわりついてくる他のオスの存在など煩わしく思うのだが、今は不思議と悪い気がしない。恐らく、私の中で彼は庇護対象だとすでに考えているからかもしれない。


 ちゃかちゃかと爪を立てて歩く彼に「静かに歩きなさいな」と注意をして、私の手先を見せる。整えられた私の爪はしかし、ぱちんと切られたままではなく猫らしく鋭く獲物を狩りとることのできる武器である。地面に対して音が鳴らないのは、きちんとしまっているからだ。猫の手足の先は爪がしまえるようにできているのだから、音を立てて歩くなどというはしたないことはするべきではない。

 たまにご主人によって手足をマッサージされるとぎゅっと押し出されて爪が出てくるさまをじっと眺めて遊ばれることもあるが、本来ならしまっておくべきものだ。音を立てて歩いては狩りのひとつもできないであろう。この私が庇護するのであるならば、狩りを教えないということはありえない。今からでも城の猫らしく振る舞ってもらわねばなるまい。


「お姉さんはずっとここに住んでるの?」

「ええ、小さな頃からずっと」

「おれはちょっと前から! リリアとリリアのお姉さんと一緒に引っ越してきたんだよ」

「リリアというのはあなたのご主人?」

「うん、大事なお友達だよ」


 雑談ついでに話を聞いていると、知らぬ名前が出た。しかし、知らぬ名前のはずだが、その名前の響きには少しばかり覚えがある。リリア……リリア、ふむ。なぜだろうか。


「リリアのお姉さんというのは?」

「ミリアっていう人だよ!」


 思い浮かんだのは、癇癪を起こしてばかりの女の顔だ。ご主人に冤罪を被せて、ニールを奪ったと思い込んでいる。しかし全ての行動が空回りしている哀れな女。


 あいつか。あいつの妹とやらがこいつのご主人であるらしい。胸中に一気に不安が押し寄せてきたが、まさかあのような女が何人も何人もいるわけがないであろう。自身にそう言い聞かせる。

 そも、この黒い毛玉のご主人がそのような粗暴な女だったのなら、こいつの性格も、もっと悪辣で性質の悪いものになっているはずだ。そうでないのだから、きっと姉とは性格が似ていないのであろう。そうであってほしいものである。

 意外だったのは、あのミリアとかいう聖女が妹と猫を連れて城にいるという事実のほうであった。あのわがままな女のことだ。自身が愛される立場を脅かされぬよう、姉妹を蹴落として素知らぬふりで一人だけ城に召し上げられるよう立ち回りそうなものであるが、そうはしなかったらしい。

 鳥の雛は兄弟を蹴落として親を独り占めしようとするようだが、そこまで原始的な欲に溺れているわけではないのであろうか? 同じ青い翼を生まれ持った我がご主人も私をそうだろうが、そこはひょろ長生物特有の情が適応されているのかもしれない。


「そうだわ、ねえ、黒い毛玉さん。あなたの名前は?」

「おれ? おれはノワール。よろしくね、えっと……白猫のお姉さん!」

「私はスノーボール。よろしく、ノワール。さあ早く、あなたのご主人のところへご案内してちょうだい」

「スノーボールさん……スノーさんでいい?」

「そう呼ぶならスノウがいいわね」

「スノー?」

「スノウ。スノウよ」

「スノー……う!」

「ス、ノ、ウ」

「スノ、ウ!」

「そう、お上手ね」

「スノウお姉さん!」

「そうそう、それでいいのよ」


 見た目のわりにいささか性根が幼すぎやしないだろうか? と疑問に思ったが、そういうこともまあ、あるのだろう。周囲の同胞についてはあまりよく知らない。知っているのは城下町の粗野な猫たちや、私をしつこく誘惑せしめようとしていたあの茶色の縞猫のような賢ぶって目の前で失敗をする残念な者たちばかりである。噂によれば街の三毛に言い寄った(さば)色の縞猫がバルコニー越しに対面した際、窓硝子に激突して恥をかいたとか、教師をしている人間の家の猫が家人の隙をついて興味を持った餅を食おうとしたところ、歯から抜けなくなって後ろ足で踊り回ったとか、そんな話ばかりを耳にする。


 どこのオスも情けないったらありやしない。それに比べれば、そんなオスに話しかけられたり言い寄られたりするよりも、純粋さの塊のようなこの黒猫のほうがよほど不快感が少なく済むというものだ。

 幼さが気になってしまうのは、私がいっとう賢く聡明で美しい猫であるからそう思ってしまうだけなのだろう。


 そういえば、頭の出来が違うせいであまり同胞と話すのは得意ではないのだが、このノワールに次々話しかけられるのはそれほど不愉快ではない。むしろ気分が良く、楽しく感じられる。なぜだろうか? 珍しい黒い毛玉の生き物に私の中の好奇心と呼ばれるものが少しばかり刺激されているのかもしれない。

 私に気に入られようとする野心を感じるものや、変に気を遣ってくる同性の猫からは尊敬の意や畏れのようなものを感じるが、同時に私も同胞の前では完璧な振る舞いをするお城の猫でなければならない。変に気を遣っているのは私も同様で、それが少しばかり億劫であったのだろうか? 


 分からないが、ただ自然に懐っこい仕草をする彼には癒しを感じる。

 もしやニール王子が私に癒しを求めてきているのと同じような理由であろうか。我がご主人も、偉い人と食事をしたり、令嬢としての教育を受けたり、人と会う際はとても疲れてしまうと言っていた。私と一人と一匹でいる際には自然体でいることができて気が楽だとも。


 ならば、私も自然体でいていいものなのか。


「ノワール、少しばかりお前に身を寄せてもいいかい? 城の者たちは私とくっつくと『癒される』などと言って心を安らげさせるらしい。同じ猫であるなら、私がお前にくっついてもお互いに同じ効果があるのか試してみたい」


 試しにご主人の真似をせずに話しかけてみると、近くを歩いていた黒い毛玉のノワールが振り返って目を丸くした。私が考え事をしている間に案内役だからと少しばかり先行していたのだ。

 その驚くさまを見て、私は即座に言葉を心中と同じように崩したことを後悔した。しかし、彼は星の浮かぶようなキラキラとした瞳で私を見つめ、ぴょんと喜んで飛び込んでくる。私のほうがその判断の速さに驚いて尻尾を膨らませてしまったくらいだ。


「なんだかスノウ、話しかたがかっこいい!」

「そうだろうか」


 体をすりすりと擦り付けて接近しても、首をぐりぐり押し付けられても、尾を巻きつかれてもあまり気にならない。むしろ心持ちが柔らかくふわふわとした気分になるようだ。ふむ、確かに猫との接触は癒し効果があるらしい。人間だけでなく、どうやら同胞同士でも効果があるというのは大発見ではないだろうか? 今度街でも多少は実験してみるべきだろうか。いやしかし、高貴な猫でもないものに体の接触を許してしまうと、以前より増して馴れ馴れしく私を侮ってくる猫が出てくるかもしれない。

 はじめは同性の猫同士で少しばかり試してみることにしよう。

 密着して隣を歩くノワールを受け止めながら、歩く速度が半分になりつつ彼の案内通りに進む。

 やがて、見覚えのないエリアの中でもなんとなく空気が綺麗だと感じる一帯に入ったのに気がついた。


「あ、ここだよ。ここがリリアの部屋! 隣がお姉さんのミリアの部屋になってる」

「そうか、ここが……」


 なんと、姉妹は部屋を分けられているらしい。

 しかし聖女ミリアの性格を知っているならば納得するしかないことだ。むしろ妹を連れて城に住んでいる時点で大変驚いたものだが、そこで同じ部屋にも住んでいたらもっと驚いてひっくり返ってしまうところだっただろう。姉妹だからといってあの狭量な女が一緒に住むことを許可するわけがなかったのである。

 私と我がご主人は姉妹のようにともに部屋を使っているが、それができるのは気心知れた仲のもの同士だけである。


「リリアー! 開けて〜開けて〜帰ったよ〜!」


 扉の前でお行儀良くおすわりをしたノワールがなおなおと主張していると、その扉が内側に開いていく。顔を出したのは真っ白な可愛らしい服に身を包まれた眠そうな瞳の少女だった。


「おかえりなさい、ノワール。あら、おともだち?」


 そして私の存在に気がつくと、目を丸くして緩く微笑んだ。

 儚げな印象のある女で、目を三角にして怒る姉のミリアとは大違いの性格をしているようだ。ミリアが自力で動き出す毒々しい色の薔薇であるなら、彼女は我がご主人、シアンが遠くの国から送られてきた絵葉書で見たような……薄いピンク色の樹木の花のように淡く、繊細な美しさを感じる。

 彼女の言葉に返事をしたノワールが尻尾を立ててぷるぷると震わせ、中に入る。そして私の目の前でゆっくりと尾を振って振り返った。早く入ってこいと言っているのであろう。


「お邪魔させてもらう」


 ノワールの前では言葉を飾らなくとも良い。

 人間にはもとより私の言葉はあまり通じないし、自然体だった。

 なので、私もいつものように偉そうにツンと澄ました顔で部屋にするりと入り込む。


「どうぞいらっしゃい。スノーボール様、ですよね」

「みゃあう」


 私が部屋へ入ると、緩く微笑んでリリアがゆっくりと扉を閉めた。

好きな性癖発表ドラゴン

「高飛車なやつが純粋な好意に弱い」

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