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王子の弟とかいう真面目なやつ


 今日も城の中を見回るようにひたひたと歩いていく。

 随分と昔は我がご主人とともにひっそりとした石の塔暮らしであったから、爪を引っ込めてもかちゃかちゃと猫にあるまじき足音をさせていたが、今ではそんなことが起こることはない。城の中ではちょうど良い爪研ぎスポットがないから外に出る必要があるが、我がご主人のはからいで私はいつでもどこでも好きな場所を出たり入ったりできるので、もう爪が痒くて転げまわる必要はないのだ。

 

 彼女とともに眠ってからか、少しばかり感傷的になった私はひとつひとつ城の中の猫の入れる隙間を確認していく。城の人間たちは王子と我がご主人が交流を開始してから、よくよく言い聞かせられているので私を見ても嫌な顔ひとつしない。ただ、私を見るとくしゃみばかりするものたちは勤務地が変更されてしまったようだった。追いかけると逃げるので良き遊び相手だったのだが、体ばかりが大きいのにひっくり返るほど私を恐れるのが妙に猫の本能をくすぐるので、大きな獲物を倒したときのような満足感があったのだが、とても残念だ。どうやら私のふわふわとした可憐な毛やまつげがその者の体に良くないらしいと噂に聞いた。人間とはなんとも難儀な生き物である。己よりも小さきものに道具で対抗しているというのに、それ以前の問題でこうして戦う前から倒れてしまうこともあるのだから。

 

「なおん」

「あら、スノーボールさま。ここに入りたいの?」

 

 使用人の中には油断しているのか、私に対して丁寧な言葉が抜けてしまうものもいる。そういうとき、私は座り込んでそのものの前に腰を落ち着け、こんこんと説教をしてやるのだが、こういうやつに限ってなんだか妙な勘違いをして私を抱こうと手を伸ばしてくるのだ。説教をされている身で気安く触ろうだなどと、なんと無礼な。叱られている理由すら分からないのか、私が伸ばされた手を払っても口元を緩めて嬉しそうにするのである。手加減をしてやっているというのに笑っているとはよほど気をおかしくしていると見える。とうとう爪で引っ掻いてみても口元が弧を描いているのは変わらない。こういった輩はそうそう変わるものでもないので、今では説教を少しばかりしてからすぐに退散するようにしている。まったく、懲りないものばかりだ。

 

 私がしゃあしゃあと怒りの声をあげても恐怖に怯えることがない。この背の高いのっぽの人間とかいう生き物以外であるならば、私の怒りの声を受け止めて申し訳なさそうにするか、怯えて立ち去るというのに、人間というのはなんと鈍感な生き物なのだろうか。

 長い付き合いである我がご主人でさえ、私の言い分をときおり取り違えてしまうのも納得する鈍感さだ。種族特性のようなものなら仕方がない。高貴な身分なのであるならば、そのよう仕方のない部分は寛容に、寛大に許してやるべきである。だから、私の要求に応えて扉を開けた使用人に一言礼を告げて扉の隙間にするりと入り込む。

 

 こうしてどこでも行き来する私ではあるが、特にあてがあって歩き回っているわけでもない。私の縄張りは広大であるが故に、城の中も日々見回る場所を変えて街に繰り出していくのだ。眠りにつく時間も考えると、一日に見回りができる範囲が限られている。

 街には私の代わりに治安を見回るものたちがたくさんいるので、必ず通るのは城下のすぐ近くのみである。城の中でさえ区分けして見て回っているから普通の猫よりはよほど忙しいだろう。城の中も手分けをして見回るものがいれば良いのだが、鳥はうずうずとして狩りに出てしまうので協力しようがないし、ネズミは人間に「あれこそが治安を脅かすものである!」とよくよく頼まれているので論外だ。あれらは私よりもよほど細い道を知っているので、食糧庫を荒らすことさえなければ協力できないこともないのだが、どうにも話が通じない。人間に毛嫌いされてもいるし、うろちょろと歩き回る姿にうずうずを感じてしまうので話をすることすら落ち着いてすることはできないだろう。

 ただ、寝ている間に近くで噂話をしているのを盗み聞いてみるのは良いことである。あれらが話しているときは私の知らない情報を持ち出すこともあるので、好奇心を働かせてあいつらの噂を確かめてまわるのも良い娯楽になるからだ。

 私は入り込んだ一室のよく見えるところで丸くなる。使用人たちは私が部屋にいないかどうかを見てから扉を閉めるので、不自然に部屋の空いている扉があってもうっかり閉めることはないのだ。よって閉じ込められることもないから安心してひと眠りすることができる。

 

 そうこうしていると、すぐ近くからこそこそと小さな囁き声が聞こえてきた。

 

「高いところの一室で騎士団長とかいうオスがちまこいメスとなにやら興じてるみたいだよ」

「あんまり人が使わないからわたしたちがよく通る部屋ね!」

「あのメスはちまこいのによく繁殖に貢献しているね。なんであんな小さいのがモテるんだろう?」

「しかし、たまに繁殖の場所を間違えていることもあるよ。あんまり頭が良くないのかな」

「それはオスのほうがバカなのよ! 人間なんだからわたしたちよりもよっぽど大きいのにちまっこいなんて変な話!」

「やっぱ大きいメスのほうがいいよ。たくさん産んでくれるし、何度も繁殖できるから。ちょっときみ、あとでぼくとどう?」

「あらやだ! ぜひぜひ」

「でも人間って一回に一匹か二匹しか産めないらしいよ」

「へえ、不便だな。じゃあどうして人間どもはあんなにいっぱいいるんだろう?」

「猫でもあいつらはバリバリ食えないからじゃないか? ぼくらはほら……あいつが恐ろしいハンターだし!」

「こどもがやられても数がいるから大丈夫だものね」

「しぃ、気づかれちゃうわ!」

「大丈夫だよ、今あいつは寝てるから」

 

 こんな具合に近くの壁からこそこそと噂話がするのを盗み聞くのが、これまたおもしろいのだ。寝ているふりをしているだけで存在には気づいているので、あいつらが怖いものみたさに壁から出てきたときにはいつでも転がせるようにしてある。強者に対して正しく怯えるのが生存する方法として最も良いだろうに、愚かなネズミは肝試し感覚で寝ている私のまわりをうろちょろすることがある。不潔だから食べることはないし、あまり手を出したいものではないが、おちょくられたままというのも良くないことである。弱きものに舐められているのは城のものとして耐え難いことだ。私がいると分かっていて出てくるほうが悪いのだ。肝試しなんて愚かな行為はするものではない。

 壁の中を走り回る卑しいやつらではあるが、こうして知らない話を聞くのは有益である。私がくあっとあくびをして体を伸ばすと、ネズミどもは慌てて壁の中で走り回り、遠くに去っていく。ドタバタと混乱する足音は私を正しく恐れているそれで、これに関してはとても愉快に感じる。壁越しなのだから私が手を出せないと知っていてもなお、恐ろしさに身慄いして逃げ出したのだ。これほど気分の良いものはない。

 

 そうして隙間の空いた扉を通り抜け、上の階へと目的地を定めて見回っていく。さて、さっきのちまこいメスとやらは恐らく聖女とかいうやつであろう。あのミリアとかいう少女はどうにも無節操だ。人間は一途にツガイを得る生き物らしいが、あのメスは王子に愛を囁いているというのに他のオスにもうつつを抜かしているらしい。まあ、王子は我がご主人のツガイなので他に目移りしているならそれはそれで良いのだが。

 

 私は、声のする廊下に誰もいないことに首を傾げる。いつもならどこでも使用人の一人くらいはいるというのに、今日は見当たらないようだ。これでは扉を開けるものがいない。

 仕方がないので、私はひと息に跳躍をして下に動かして開ける類のドアノブに足を引っ掛けて押し開く。

 

「きゃあぁぁぁ!!」

「だっ、誰だ!?」

 

 途端に甲高い悲鳴があがって、男が太い威嚇の声を浴びせてくる。

 

「にゃああん」

 

 ひと声かけてやれば、慌てた男が布を纏わないままに立ち、チッと舌を打つ。

 びっくりした様子のミリアは布団の中で布に埋もれている。突然のことに飛び上がるように驚いた二人の様子がおかしくて、私はそれを見ただけで満足した。尻尾をゆらゆらとしながら上機嫌で部屋から出ていく。誰にも邪魔されないと思っていたのにそれが覆された瞬間の驚きというやつは極上の娯楽である。

 

「貴様! 元から猫が城内を歩き回るなど気に入らなかったんだ。あの女の飼い猫だからって許されていたが、今やあいつは大罪人……今すぐに斬り捨ててやろうか!」

「ちょ、ちょっと……さすがに、猫ちゃんには罪はないし……私……可哀想で……」

「ミリア……しかし」

「それに、私がシアン様にいじめられてるんだもの。この子だって、なにされてるかだなんて分からないわ!」

 

 なにやら揉めだした二人のやりとりを眺ていると、服を羽織った聖女がふらふらとした足取りでやってきて私を抱き上げる。そうしてぽよんとした感触と少しの汗の匂いに私がペッと舌を出してうんざりした顔をしていると、さっと扉の外でおろす。

 

「……あんたには最後に鳥になったあいつを食べてもらわなきゃ困るのよ。変なところで死んだりしたら許さないんだからね。いい?」

 

 こっそりと囁いてくる彼女の手からおろされて、扉が目の前で閉まる。

 そして室内からは「鍵を閉めていなかったのですか?」と男に詰め寄る怒声が漏れてきた。彼女は気性の荒い面を必死に押し隠しているはずだが、それでも我慢ならなかったらしい。

 

 ぽつんと廊下に取り残された私は、しばらくその場にいたがまたも誰かに抱き上げられて地面から遠ざかる。

 気配もなく私を抱き上げた者を見上げれば、それはあの王子の弟だった。

 

「あまり危ない橋を渡ってはいけないよ」

 

 落ち着く静かな声である。抑揚があまりないので聞く者によっては不気味に感じるであろう声。しかし、どうしてか私はこの落ち着いた声を好ましく思っている。我がご主人も静かで落ち着いている雰囲気の声だからだろうか? 

 

 そのまま大人しく抱き上げられていると、彼はその場から静かに離れる。そしてまだ来たことのないエリアにやってきた。さすがの私でも来たことのない、というよりは来ることの許されないエリアは存在する。この城の一番上にあたる人物やその付近の人物たちの私室である。

 我がご主人は私の飼い主であるので当たり前に私が私室に入り込むことができるが、さすがにその辺りの部屋にだけは入ったことがない。そもそも、王子が我がご主人に与えた私室も王族のエリアとは別であったことだし。妙に緊張しながら足を縮めていると、王子は私室と思わしき場所へ入っていく。

 はっ、このままでは連れ込まれて外に出られなくなってしまうのでは!? などと思いはしたが、彼は私を離さない。

 

 諦めて私室におろされると、すぐ近くから「カア!」とあの忌々しい真っ黒な鳥の声がするではないか! 思わず飛び上がって部屋の隅に移動してから辺りを見回す。すると、窓辺にあの鳥が佇んで私を見下すように見ているのに気がついた。

 

「こら、あまり驚かせないでやってくれ」

「カア」

 

 どうやらあの鳥は彼とともに暮らす同居者のようである。

 王子の弟の……名はなんと言ったか、そうだ。キール? キールとやらが黒い鳥に近づいてなにかをその口元にやり、それを咥えて飲み込んだ鳥は窓の外へ羽ばたいて離れていく。

 窓を閉めてこちらを向いた彼がしゃがみ込み、私に手を差し伸べてくるが私は動かない。

 

「驚かせてごめんよ。もうあの子はいないから落ち着いて……」

 

 あんな鳥、私の敵ではない。今は少しばかり驚いただけである。怖がっているわけではない。本来なら狩られるのは私ではなく鳥のほうなのだからな。

 

 剣呑な顔をした私に困った顔をしたキールはなにやら棚を漁り出したかと思うと、私の前にごとんとなにか固いものを置いて離れた。

 彼が十分離れたのを見てから私はそのなにかをくまなく調査する。匂いは……かなり良い。舌触りも良さそうだ。よだれが止まらない。少しばかり端のほうをかじってみると、なっ、なんと美味なことか! 

 

「かつおぶし、どうかな?」

 

 ふむ、全て私に献上するなど随分と殊勝な心がけである。献上されたものであれば仕方あるまい。全てありがたくいただくことにしよう。

 

「にゃむ、にゃぐ、ぁぐ、ぁぐ」

 

 夢中になってかじりついた。

 

「んむ、みっ」

「おいしかったかい?」

 

 口周りをぺろりと舐めてから私を見下ろしていたキールを見つめる。なにやら薄く微笑んでいたようだが、なにが面白かったのであろうか? 他者の食事風景を見ていてもなにもないだろうに。

 

 ……もしや、先程のかつおぶしとやらは私だけのものではなく、こいつの分も含まれていたのだろうか? それならばこんな風に私を見つめているのも納得だ。あれほどうまいものなのだから、私にひとりじめされてしまっては口惜しいことだろう。しかし、はじめに自分の分を分けておかなかったほうが悪いのである。羨ましそうに見られても腹に入れたものは戻してはやらないなあ。

 

 それよりも、あんなにうまいものを持っていたのだ。それを私に見せたということはねだられる覚悟もできているのだろうな? 

 私は彼に近づくと爪を立てずに足元をちょいちょいと叩いて声をあげる。

 

「んなあ、んなあ〜、んなあ〜お」

「わ、えと、なにかな? ああ……もっと欲しいのかい? でも、味が濃いものだからこれ以上はだめだと思うよ」

 

 そんなのは人間の都合である。

 もっと寄越すが良い。

 

「みゃ〜う、なあ〜お、うるるる〜ん」

「困ったな……」

 

 私が爪を立てぬうちに観念するが良いぞキールよ。

 

「うな〜〜〜う!」

 

 私に背を向けようとした彼に向かって私は大きくしなやかに跳躍した。

 バリバリバリ! と彼の毛皮の代わりになっている部分に爪が引っかかって大きな音になる。

 

「っあーーーー!?」

 

 クールぶった彼の瞳がまんまるくなって大声で喚きだす。

 待て、無理矢理離そうとすれば爪が痛いじゃないかやめろ! 落ち着け! これだから人間というやつは。おとなしそうにしていたと思ったら急に乱暴になるんだからいけない。

 

「ど、どうしよう……」

 

 どことなく顔色が悪くなった彼の瞳が揺れる。

 かなりしょんぼりとした様子で、クールぶった真面目くんの面影はとうに失せていた。人間の年齢ではまだこいつは子供なのだから、ずっとそうしていれば良いのである。

 

 かつおぶしをもっと寄越していればこうはならなかったのだから、次からはちゃんと私の要求に応えるように! そう声をかけて私は扉に向かって大きく跳躍する。ここの扉も引っ掛けて開けることのできる扉であったから、そのまますたこらとこの場から逃げ出すことにしたのだ。決して悪いことなどしていないが、なにかの行き違いがあって我がご主人に叱られてしまうことになってしまってはたまらない。決して私は悪くないのだが。

 

「す、スノーボール! あまりいたずらをしてはいけないよ! 僕だけじゃなくてお城の人たちみんなにだ! 迷惑になることをしたら叱られてしまうんだからね!」

 

 はて、私はいたずらなどしただろうか? 

 まあ、度を過ぎたことをしてはならないという忠告であろう。ありがたく頂戴しておくことにすると返事をして、私は外に出る。

 

「兄様に相談させていただくしかないか……」

 

 静かに呟く声を背に、私は足音なくたったかたったかと走って見覚えのある廊下まで駆け抜けるのであった。

 

 

好きな性癖発表ドラゴン

「クールな少年がふとしたときに見せる年相応な反応」

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