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精霊公女とかいう寂しいやつ

 石の塔に帰ってきた私は、眠っている我がご主人の枕元に潜り込んで丸くなった。こうして眠っている彼女を見るたびに思い出す。私がまだ小さな頃、出会った彼女はいつもこうして死んだように静かに眠っていたから。


 子猫だった私はか弱く、今のように美しい毛並みもなくくすんでおり、狩りなど到底できず、母も兄弟もそばにはいなかった。なぜ母がいなかったのかは分からない。

 甲高く鳴きながら自分と同じくらいの小動物を襲う真っ黒な翼とかぎ爪から隠れて逃げ回り、偶然迷い込んだのもこの石の塔だった。

 今でこそ彼女は私を大切に愛しているし、可愛らしい笑顔を見せてくれるが、この頃の彼女はそうでなかった。いつも石の塔の中で読書をしていて、少しも笑わない。私が居着いて彼女の残した食事に手をつけていても完全に無視をしていた。

 彼女の背中から漏れる青い鳥の羽根に私がじゃれついていても気にしない。生かされているだけで、ただそこに生きている。そんな子だった。


 王子や聖女が言っていたように、確かに彼女は飼い鳥のような扱いを受けていたのだと思う。城に住んでいるけれど、城の住民ではない他人のような生活。私のように、ただそこに居着いているだけの小鳥のように。

 小鳥と子猫同士で寝食をともにした。


 いつも石の塔の窓辺で空を眺めたり、読書をしたり、そんな彼女の足元に擦り寄って眠ったり、一緒に窓辺に登って空を眺めたり、拒否されることがないと知って膝に乗ったり、顔の横で丸くなったりして眠った。

 そのうち、窓辺から落ちないように手を柵代わりにしてくれたり、そっと壊れ物を扱うように毛を梳いたりされるようになった。代わる代わるやってくる侍女の中には私を嫌うものもいたけれど、彼女達が私を追い出そうとしても彼女は「そのままでいいわ、放っておきなさい」と言って居着くことに許可を出した。私を追い出そうとひどい扱いをした侍女は二度と石の塔に立ち入ることはなく、そして私はおだやかな時間を彼女のそばで過ごして大きく成長することになったのだ。


 物静かで、樹木のようにそこにただ生きていた彼女のそばに私は在った。

 白く長い毛並みが季節の変わり目で抜け落ちてしまっても、私が泥だらけになって帰ってきても、彼女は汚い私を嫌な顔をせずに黙って世話して、そして私は彼女が食事に手をつけないでいると席につくように促した。大変であったろう。ただの人間ならば、他者の世話をするなど嫌うことだろう。

 排泄コントロールだけはしっかりして石の塔の外でしていたとはいえ、本来世話をされる側の人間が世話をするのは慣れぬことであったろう。

 それでも彼女は私とともに過ごした。


 ある雪の日、私が深く積もった雪の中石の塔に帰ってくると、彼女は寒さからか少し鼻の頭を赤くしながらくすりと笑って私を迎え入れた。


「まるで雪玉みたいね。そうだ、あなた。呼ぶのに不自由していたの。どうせなら名前をつけましょう。雪まみれで可愛いから、スノーボールなんてどう?」


 名もない猫だった私は、このときはじめてスノーボールとなったのである。

 飼い鳥なのにろくな世話をされない彼女が凍えないよう、私は冬の間はずっと彼女の胸元に抱かれていた。一人と一匹でいれば寂しくも、寒くもなかった。

 彼女のささやかな火の魔法さえあれば身を寄せ合ってあたたかくなれた。


 彼女は相変わらず外を眺め、本を読み、静かな樹木のような生きかたを好んでいたが、そこに私がするりと入り込んで少しだけ生活に変化が生まれた。

 彼女の翼は日に日に大きくなるばかりだったが、私が居着いてからはその速度が緩やかになり、そして笑うようになったのである。


 そんな彼女に最も大きな変化が訪れたのは、ニール……王子と出会ったことだ。


 突然石の塔の外の庭で散策することが許された。

 彼女は、石の塔の中で階段を行き来していたとはいえそれほど体力があるわけではない。元は空を飛び回る小鳥のように動きたかったのだろう。好奇心の赴くままに歩いていた彼女は足を挫いてしまって草原に座って困り果てていた。私も彼女を背負ってやったり、首元を噛んで連れ歩いたりできるわけではない。どうしようと困っていたときに、彼女の散歩を許可したという王子が現れた。


 王子は彼女に手を差し伸ばし、足を挫いていることに気がつくと彼女を抱いて手当のできる場所に連れていった。王子も王子でそこまで力が強くないのか、彼女を抱えるのに苦心していたのには苦笑いをこぼすよりほかなかったが、その一生懸命さに我がご主人が心より嬉しそうに笑っていたことをよく覚えている。


 そこからだ。

 物静かでおとなしくて、生かされているから生きているだけであった我がご主人が、明確に生きる意味を得たのは。

 もちろん私が生きる意味になっていなかったわけではない。私自身の存在そのものも彼女の中ではかなり大きかっただろうと、私は自負している。しかし、王子に構われるようになったご主人はより『自分』というものを持ったように思う。

 最初は戸惑っていたものの、石の塔にやってくる王子に誘われては散歩に出て、そして石の塔の中で私に彼とのエピソードを笑って聞かせた。誰かに話したくてしょうがない、といった風に彼女が笑うのはあまりなかったから、正直なところ私は大いなる嫉妬に駆られて彼を一方的に嫌っていたこともある。

 彼女が遠慮していても、王子は止まらなかった。会うたび会うたびに褒め言葉を雨のように浴びせて、彼女を大切だと主張した。石の塔から城の中へと部屋が移動したのも、王子の言葉があったからだ。


 王子は言った。

 君の未来を夢で見て知っている。君は絶望の中で鳥に変わって死んでしまうんだ。その夢で君のことを知った。哀れに思ったのは間違いない。けれど、僕が君を大切に想って、恋をしたのに夢は関係ない。僕の想いを疑わないでほしい。僕は君が好きだ、愛している。僕は、君に幸せになってほしい。あんな風に、寂しく一人きりで死んでほしくない。


 彼の言葉に我がご主人がどう思ったかなんて、今の彼女を見れば一目瞭然だろう。彼女は彼を信じた。彼の愛を。

 樹木のようにただそこに生きていたご主人は、彼の手によって一人の人間になったのだ。


 そうしてご主人は彼を盲目的に信じ込んだ。なにがあっても。そしてなんでも彼のことを知りたがった。使い魔を利用して彼がどう生活しているのか、どんなことを言っているのか、なんでもだ。はじめは彼にプレゼントを渡したいから、どんなものが好きか知るために始めたことだったはずだ。控えめな彼女の愛はどんどん大きくなり、そしてついには彼の心を押し潰して彼は逃げ出した。しかし、彼女はあの日の彼の言葉をずっと信じている。だから、王子の心が自分から逃げ出してしまっていることなど、知らないのだ。なにを聞いたとしても信じないのだ。


 そして、私はそれで良いと思っている。

 はじめに彼女をこうしたのは彼なのだから。

 私ではここまでしてやれることはできなかった。ここまで変えることはできなかった。だから、私はあのオスにはツガイとして責任を取ってもらわねば困る。


「ん……スノーボール、ちゃん。帰ってきてたの?」


 おはよう、ご主人。

 寝起きで半分しか空いていない目の付近を少しばかり舐めてやると、彼女はくすぐったそうに笑って起き上がった。

 そして私がそこにいることを確かめるように胸に抱いて立ち上がる。

 食事は昔のように届けられることになっている。特殊な呼び鈴を鳴らせば彼女の分と、私の分の食事が魔法陣に転送されてきて、私達は並んでご飯を食べるのだ。


 私のお気に入りの魚をひときれ彼女がこちらに寄越してくる。侍女達には叱られる行為だ。人間と猫ではどうやら味付けが違うらしく、確かに彼女に手配されたものを私がはぐはぐと食べると味が濃い。しかし、見ているものなど誰もいないと私はそれに遠慮なく食いつく。


「おいしい?」

「うなん、なっ、なっ」

「ふふ、おいしいのね」


 私よりもゆっくりと食事を摂った彼女は皿を転送魔法陣に置いてまた鈴で起動する。そうしたら一人と一匹の時間だ。

 城住まいになってから、彼女は王子と一緒になるために様々なことを勉強していた。結果的に私とともにいる時間は少なくなり、不満がないこともなかったが、それで彼女が幸せでいるのならば良かったのだ。だが、それはそれとして、こうしてあの冬の日のようにのんびりと無限の時間を過ごすように、ただ一人と一匹でともにいる時間が訪れたのは喜ばしい。


 食事をしてから顔を洗った私は、テーブルの上に乗って丸くなる。近くに座って本を開いた彼女も優しく笑ってうつらうつらとする私の背を撫ぜる。願わくばこの時間が続いてほしかった。


 しかし、そううまくもいかないものだ。

 転送魔法陣が眩しく光ったかと思えば、そこには手紙のようなものが送られてきていた。我がご主人はそれを素早く受け取って開き、中の言葉を読んでいる。そして別の紙を用意すると、さらさらと迷いなくなにかを書き込んでそれを魔法陣に乗せた。光が満ちて手紙が送られ、そうして私を見つめる。


「お客さんが来るらしいわ」


 彼女の反応からするに、王子ではないらしい。

 王子が相手ならばもっと喜ぶからだ。なら、私が寝ていても良いだろう。目をつむり、襲いくる眠気の波に身を任せていく。


 私が次に気がついたのは扉の開く音がしたからだ。

 顔をあげると、石の塔の扉を開いたご主人が誰かを招き入れている。侍女らしきものもついていることから城の関係者であろう。よく見れば、来訪者の人間は子どもだ。王子とよく似た顔立ちをしているが、あいつよりもよほど賢そうに見える聡明な目をしている。


「兄が申し訳ありませんでした」

「いいえ、いいのよ。だって仕方ないですもの。私の冤罪を晴らすために、あのかたはミリアちゃんを見張ってくれているのでしょう?」

「それは……」


 どうやらニール王子の弟であったらしい。

 王子の所業をさすがに看過できなかったと見える。謝罪をした彼に、我がご主人は実に的外れなことを言った。ニール王子の心が離れているのは真実であるのに、我がご主人はそれを知らず都合良く解釈しているので、それをそのまま弟に話して困惑されているのだ。まさかそんな勘違いをしているとは思っていなかったのだろう。王子の弟はしばらく沈黙し、しかしほとんど違和感を抱かせない笑みを浮かべて「お見通しでしたか」と笑った。もちろん、あれは我がご主人を傷つけないための嘘であろうことは明白だ。しかし、彼女はそんなことにちっとも気づかず、のんきに彼をお茶に誘っている。


「精霊公女様、お気持ちは嬉しいのですがご遠慮させていただきたいのです。突然ご訪問させていただいたのはぼくのほうですが」

「第二王子殿下もお忙しいのね。分かりましたわ、ごきげんよう」

「ええ、また遊びに来ますね」

「いつでもいらしてください」


 兄とは違い、とても真面目そうな弟で良かったと言えた。

 侍女付きの来訪者であれど、我がご主人の完全な味方であれるのは私だけなのである。同居人の安全を守るのは強き猫として当然のことである。


 和やかに別れた王子を見送ってから、私はくあっとあくびをひとつして再び目を閉じた。


好きな性癖発表ドラゴン

「愛に飢えてる子がちょっと大事にされて強烈な恋をして依存しちゃうやつ」

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