無辜の青い鳥たちに捧ぐ・前
あの日の夜会から幾日も過ぎていった。
憔悴していたニール曰く、シアンがニールからの真実の愛を信じて疑わない故に青い鳥の呪縛が解かれ、人の姿のまま幸福を呼び寄せる真の精霊公女となったそうである。彼にとってもシアンがこれからも生きていくのは喜ばしいことであるはずだが、四六時中くっつかれては心を休める時間は無に等しく、嬉しさと執着への恐怖で挟まれ、潰されてしまいそうだと言葉をこぼしていた。
好きな人であることは間違いないが、やはり我がご主人の異常なまでの執着には獲物として狙い定められたような、背筋に霜が降りるような心地がするのであろう。
誰かを恐れるということは、その誰かに己の命を握られることと同義であろう。やはりニールというやつは、野生の世界では到底生きてはいけぬ性分をしている。幸いなのは、我がご主人は彼を番として見ていて、獲物として見ているわけではないということであろう。
さて、そんな幸福な日々を過ごしている我がご主人はというと、一時的にこの国で一番偉い人間に呼び出されていた。
「ねえ、聞いてよスノーボールちゃん」
珍しく疲労したように自室へと帰ってきたシアンは私を抱き上げ、うなじのあたりにぐりぐりと顔を押し付けたと思うと弱々しい声を出した。いつものうてんきでほんわりと雲の上から下界を眺める仙人が如く周囲をあまり気にしないご主人には、本当に珍しいことである。
私は麗しく賢い、良い同居猫であるので弱った彼女の手をてしてしと舐めて毛繕いをしてやる。これでほんの少しでも心が安らぐと良いのだが。
「国王様がね、悪い夢を見るんですって。数十羽もいる傷だらけの青い鳥に恨みごとを言われながら啄まれていく夢。わたくしになにか関係があるのではないかとおっしゃられていたわ。わたくしをお疑いになられているのは、なにも言われなくても分かってしまったわ」
てしてしと彼女の手を舐めていると、抱きしめていた力が緩み、私はその隙に体勢を変えた。背後から抱き上げられている状態であったが、向き合う形に変えて彼女の顔に鼻を近づけたのだ。ぺろりと舐めると粉っぽい味がして顔を顰める。しかし、粉で飾りつけるのは毛を持たぬ人間の精一杯の武装であると知っているから、構わず擦り寄った。まあ、今度は顔ではなく、首の辺りではあるが。さすがの私も健康に響きそうなものを吸い込み続けるほど愚かではない。
「だからね、わたくしに解決してほしいって。悪夢をどうにかしてほしいっておっしゃられたの。でも、わたくしは特別な解決法なんて分からないわ。王様は青い鳥になったミリアちゃんのことも知っているから、いつまでも解決できなかったら……ミリアちゃんのせいにして、あなたの獲物にでもすればいいって言うかもしれない。でも、それは嫌なの。ねえ、スノーボールちゃん……わたくし、どうすればいいと思う?」
なるほど、偉い人とやらは青い鳥に狩られる夢を見るとのことだったが、それを我がご主人や元聖女のミリアのせいにして害をなすかもしれないということに、不安を持っているらしい。
あれから、ニールやリリアの話をよくよく聞いてみていたが、青い鳥は歴代で何十もいるらしい。鳥になれば、本来の鳥よりは長いといえど、寿命は極端に短くなるそうだ。故に、数百年もの間繁栄を続けてきたこの国にはそれだけ多くの青い鳥による献身があったといえよう。青い鳥となるまでに十数年もの歳月をかけるとはいえ、青い鳥になってしまえば多大な利益をもたらす。絶望の中に鳥になった人間は、最後になにを思うだろう。
王の悪夢にその答えがおるのではないかと私は考えた。恐らく王はその報いとも言える悪夢を我がご主人やミリアのせいにしているようであるが。
つまり、なにもしなければ我がご主人やミリアが罪人として、その命を狩り取られてしまう恐れがあるということだ。そんなこと、あってはならない。
ふむ、我がご主人が困っているのならば助言をしてやるのもまた、賢い私のお役目である。
「なあん」
私は彼女を宥めるように舐めてから、その腕の中から抜け出して見上げてドレスの裾を柔らかく咥えた。
こちらにおいでなさい、悩みがあるというのなら。
ニールもいるし、第二王子のキールもいる。ミリアは鳥になっているが、その妹のリリアもいる。もちろん私もずうっとそばにいる。
我がご主人はもう一人きりではない。だから、相談をしに行こう。
「お部屋を出たいの? あら、違うの? わたくしも一緒に? 分かったわ。ちょっと待ってちょうだいね……うふふ、スノーボールちゃんと一緒にお散歩するのは久しぶりだわ!」
部屋の扉を開けたあと、待機していたシアンの裾を引っ張る。
もう彼女の居住区は石の塔ではないから、リリアの部屋までもわりとすぐだ。
そう、リリアに会いに行こう。
現、聖女となった彼女とならば一人では思いもよらぬ解決策が浮かぶかもしれない。
それに、ノワールにも会いに行きたいと思っていたところであったから。




