狩りの流儀
時間軸はどこでも
ピチチチと鳥が鳴く。
草の種やら虫やらをつついてはチョンチョンと移動して、また地面をつつきはじめる鳥の群れ。
餌が豊富な肥沃な地というものはほとんど決まっている。一度美味い思いをした鳥どもは基本的に同じ地に降り立って餌を取るものである。
ベテランな猫の朝は早い。
私は背を低くして、腰を落として這いずるように少しずつ、少しずつ前へと進む。城の庭師が優秀であるが故にこの体躯を隠す草むらは少ないが、ほんの少しの低木や生垣などは存在している。その近くに留まってのんきに食事をしている鳥どもを見つめて息を潜めるのだ。
特に、城から少し離れた馬車を管理している厩舎周りは絶好の狩りスポットである。なぜなら、あの大きな四つ足の生き物に人間たちがやっている餌のおこぼれを鳥どもが狙ってやってくるからだ。
たとえ危険があろうと、必ず餌にありつける場というものは野生で生きるものにとっては貴重なのであろう。同居人を得てなに不自由ない生活を送る私には到底理解できぬことだが。
草むらを出る手前で一度止まり、ふりふりと尾をふる。音を立てずに足踏みをして走り出す準備をする。それから、群れの様子を観察してから油断をしている鳥の群れの手前の一羽に目をつけて睨む。
そして弾かれたように後肢あとあしを蹴り出し、その一羽を目掛けて一歩、二歩、爪を伸ばす。瞬間気がついた鳥が飛び立とうとする前にその尻に爪を引っ掛ける。飛び立とうとしていた鳥は体勢を崩し、地に落ちる。
そこで一気に牙を剥き、首に噛み付いた。
狩りというものは一瞬で完璧に行わなければならない。
気づかれてもならぬし、勝負に出る瞬間を見誤ってもいけない。転ぶなどもっての他であるし、狙う獲物に迷いがあってはならない。物陰に隠れて、あるいは樹上で狙いを定めて一直線に飛ぶように駆け抜け、爪先をちょいを引っ掛けるだけでいい。我らの爪はかぎ爪状になっている故に、獲物の足や尻に少しばかり引っ掛けるだけでその体勢を容易に崩すことができるのだ。
鳥ならば空へ飛び立つのを阻止すれば良い。獣ならば後肢を片方でも引っ掛けることができればバランスを失って転ぶ。その瞬間に狩りの成功と失敗が決まるのである。
獲物の首を噛むことができればほとんど狩りは成功だ。
しかし、上手く噛むことができぬのであれば、爪を引っ掛けたまま噛み直す必要がある。暴れる獲物の頸動脈を噛み切るのはいくら熟練したハンターであっても困難である。故に我らは噛み切ることや失血による死を与えるのではなく、首元を強く噛んで圧迫し、窒息によって獲物が絶命する瞬間を待つのだ。無理に噛み切りにいくよりも確実で顎が疲れない、楽な方法である。
噂によれば我々猫よりもずっと大きい同族も似たような狩りをするのだという。
獲物がぴくりとも動かなくなれば牙を離す。
そして私はゆっくりと顎の疲れをとってから、再び鳥を咥えて城下町を目指すため弊を乗り越え、駆けていく。
城のものたちは私のこの施しを受けても感謝することがない。腹立たしい話である。よって、私は城下町で食うに苦労している猫たちにこの獲物を分けてやることにしたのだ。
こうしてたまに私が獲物を分けてやり、そして街に潜む黒いもやもやを魔法で追い払い、狩りを子猫たちに教えてやる。そうすることで縄張りの中の同胞たちの生活もまわっているのである。
飛ぶ鳥を落とすのは楽しい遊びだ。しかし獲物を無闇に捨て置くようなことはしない。放置して鴉などに奪われるのも癪に障ることであるし、どうせなら我が同胞たちの腹を満たしてやりたい。
獲物を狩ったのであれば最後までその命を役立てよう。
それが私なりの狩りの流儀なのである。




