猫の脅威の黒い翼のやつ
あれから、ミリアは我がご主人付きのメイドとして雇われることとなり、彼女の妹であるリリアが代わりの聖女として仕事をすることになった。
とはいえ、大きすぎる翼は動きに支障が出やすく、ミリアの役目はもっぱらシアンの話し相手である。価値観のまるで違うだ。シアンのほうはその違いにも楽しみを見出しているようだが、ミリアはどうやら違うらしい。いつもイライラとしていて、鎮静化させられていた青い翼も日増しに大きくなっている気がした。
そしてとうとう、その日がやってきた。
シアンの目の前でミリアの翼は身長を軽々と超え、その身を一人でに包み込んでいく。助けてと叫んだ彼女の声が一瞬で途切れ、光の魔法を発動していたシアンもこの早技に間に合わなかった。翼は中央でぎゅっと閉じてだんだん縮んでいく。そして、手のひらほどのサイズまで縮んだ翼が開くと、そこにはややぎこちない動きで飛ぶ小さな青い鳥がいた。
「ミリアちゃん……そんな……」
絶望したシアンの翼も少し大きくなる。しかし、これまでほとんど成長していなかった翼だ。彼女に支障が出るほどのものではない。
ちちち、と飛ぶ青い鳥に私の中の本能がチリチリと刺激されたが、ぐっと我慢する。それから、シアンは神妙な顔をして一日中部屋に鳥を放したままなにやら悩んでいるようだった。そして、次の日の朝に決心したように窓を開ける。
「鳥さんは、きっと自由に生きたほうがいいのよね。だから、さようなら……ミリアちゃん」
涙目になったシアンが見ている中で青い鳥が外に飛び出していく。それを見て、私はすぐに部屋の外に出た。なにやら嫌な予感がしたからである。
確かに野生で生まれた鳥は自由に生きていくのであろうが、生憎とミリアは甘ったれた小娘であった。あのものが鳥になったからといって立派に外で食っていけるとは到底思えなかった。精々考えなしに大空を飛んでいるうちに黒くて嘴のあるやつに連れ攫われるのがオチであろう。
こうして私が飛び出して行ったのは、リリアとの約束があったからだ。青い鳥は殺してはならない。なぜなら、それはリリアの大切なものだから。今だからあの言葉の意味が分かる。
慌てて外に出れば、鳥は地面に降り立ち戸惑っているようだった。その真上から黒い刺客が舞い降りてくるのも見える。
私は走った。そして、全力で真っ黒な鴉に突進していった。鴉は私に怒るとこの美しい私の毛をあろうことか嘴でむしってきたのである!
怒り心頭になった私は爪を振り翳し、光の魔法を放ち、鴉を討ち取らんとする。しかしこの城に来る鳥なだけあってやつは賢く、魔法すらも避けてしまう。一方的に空から大きな鉤爪と嘴でつついてくることのできる状況はこの私ですら怪我をせずに撃退することが不可能であった。あいつはもしかしたらその辺の魔物よりも手強いかもしれぬ。それほどの強敵であった。
気がつけば付近に青い鳥はもういなくなっており、私は重い体を引きずってその行方を探し回った。リリアは我が夫の大切な人間である。あのものには私も良くしてもらっているので、約束を違えるようなことがあってはいけない。
守ってくれとは言われていないが、大切な青い鳥が死ねばリリアは嘆き悲しむであろう。ならば、私は彼女に報いてやりたかった。
木の葉の下を、石の下を、城の中を確認して庭を歩いていると、だんだんと体が重たくなっていく。そして、とうとう私は噴水の淵で足を滑らせて真っ逆様に青い水の中へと落ちた。ふらふらとした足取りしかできなかった身体では満足に水を掻いて這い上がることもできない。
体が重い。沈んでいく。
冷たい。痛い。傷口から真っ赤な血が滲んで周囲の水にとけていく。
ああ、このまま死ぬのだろうか。
でも、いいか。
私はきっと、あの日シアンに拾われなければ先ほどのような鴉にやられてとっくに死んでいたであろう。それが少し、引き伸ばされただけだ。
ノワールの顔が思い浮かぶ。
あれを置いていくことだけが心残りだった。
視界が闇に染まる。
ああ、ノワールの操る影はあたたかかったのに、今はこんなにも、冷たい。
隣でドボンとなにかが水に沈む音がする。そして誰かがなにかを叫んでいた。聞き馴染みのある少し幼いけれど、私の愛した声だ。幻聴だろうか。
会いたい。
お前に助けてほしい、ノワール。きっと、そう思っている私の見る都合の良い幻覚だ。
意識が落ちる最後まで、冷たい水の中でなにかあたたかいものが寄り添って私の毛皮を噛んでいた気がした。
※ハッピーエンドになります
12時頃に最終話更新。その後もおまけのお話を4話ほど投稿していきます。




