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9. 浄化の任務再び②

 翌日。立ち込める瘴気に顔を曇らせながら、聖女と聖騎士達は任務に取り掛かった。

 聖堂を出発する前の報告では、瘴気はそう酷くはないとの事だったが急激に事態が悪化してきたらしい。

 住民たちの話によれば、この数日で湧き出てくる魔物の数が急増し瘴気も酷くなったそうだ。避難が間に合わず魔物に襲われた人や、瘴気の毒にあてられた者達の救助もあるので、なかなか浄化が進まない。


 まるで、私が聖力に目覚めた時みたいだわ……。


 ティナーシェの暮らしていた領地が瘴気に見舞われた時も、ちょうどこんな感じだった。僅かな亀裂だからとうかうかしていると、あっという間に魔物に喰われ、毒気に侵されてしまう。


 これはもしかしたら、長期戦になるかも。

 

 瘴気が濃さを増していくにつれ、聖騎士達の動きが鈍くなっている。一日二日じゃ終わらなさそうだ。

 そんな中、やはりこの男だけはピンピンしている。


 ここへ来る前に、魔力を使うと魔法使い認定をされて魔塔の管轄になるとマルスに説明すると、「知っている」と返された。だから魔力を隠しているのだと。意外とちゃんと考えていたことに驚くと、また馬鹿呼ばわりされたのはいつもの事。

  

 祝福を与えた訳でもない普通の剣で、湧き出てくる魔物をバッサバッサと斬り倒している。普通の武器ではなかなか攻撃が効かないはずなのに、どうなっているのか。

 中にはマルスを知っている魔物もいるらしく、そそくさと地獄へと戻っていく姿を見た時には、思わず笑ってしまった。


「おい、お前。俺の番に手を出したら、どうなるか分かってるんだろうな? お前の鱗を一枚一枚丁寧に剥がした後、その肌に塩でマッサージしてやるよ」


 返り血で真っ赤に染ったマルスに翼を捕まれているドラゴン。ガタガタと震えて失禁してしまっている。なんだか可哀想になってきた。

 魔物の中でも最強クラスと言われるドラゴンですらこの有様だ。頭のいい魔物ほど、マルスの不興を買いたくないのか大人しく退散していく。


 ブチブチブチッ――。

 そのまま力づくで翼をもぎ取られたドラゴンは、悲鳴を上げてのたうち回る。


 ちょっと、ちょっと、可哀想で見てられないよぉ。


 怖さのあまり、聖力を上手く使えない。その後も続く不気味で不愉快な音に、耳を塞ぎたくなる。


 ――やっぱりマルスって悪魔なんだ。


 改めて思った。

 ティナーシェの前に現れたマルスは、最初にライオントカゲを微塵にして首を絞めてきた時以外は、割とヘラヘラとしたお調子者だった。だから昔神官に教えられた通りの、残虐な生き物なのだろうかと疑っていたくらいだ。


『俺、すげぇ短気だから。そこのとこ宜しく』


 いずれ自分がああなる日が近いのかもしれない。

 血飛沫をあげながら逃げ回るドラゴンを見たティナーシェの頭は、完全にショートした。

 

 殺さなければ殺される。

 でも、マルスを相手にしたってきっと勝てない……。


 ドラゴンの足元にとぷんっと沼のようなぬかるみが現れた。あのぬかるみは魔物が現れたり消えたりする、地獄とこちらとの空間の歪み。

 その中へとズブズブと体を沈ませていくドラゴン。

 その様子を見ているマルスの背中を、ティナーシェは唐突に後ろからドンッと押した。


「はっ……?!」


 ティナーシェを襲った強烈な恐怖心は、正常な思考と判断力を奪っていた。すなわち、成功確率が限りなくゼロに近い作戦を実行に移したのだ。


 地獄にマルスが戻ったその瞬間に、聖力を使って裂け目を塞ぎ、全速力で逃げる。何もかもを捨てて、海の向こうの遠い国へでも……。


 あまりに無謀過ぎるこの作戦は、やはり呆気なく失敗に終わった。

 突然背中を押されたマルスは一瞬体勢を崩したものの、すぐにすくっと背筋を立てた。


 ――あぁ。私、死んだ。


「……」

「……」


 無言というのは、酷い言葉を浴びせられるよりも余程辛いということを、ティナーシェはこの時初めて知った。

 マルスから漂ってくる冷たい空気。

 この時間に耐えきれなくなったティナーシェは、自ら口を開いた。


「マルス……あの……」

「……俺の事、そんなに嫌いなのか」


 好きになる要素、顔以外ないじゃない。

 などとは口が裂けても言えない。

 ティナーシェの方を振り返ったマルスを見てしまった後なら、なおさらに。


 ――またそんな顔するの?


 絶対に怒っていると思ったのに。

 マルスの瞳から涙が出ていないのが不思議なくらい、悲しげな顔をしていた。

 胸がズキズキと痛む。


「嫌い……というか、その……」


 怖いのよぉぉ!!

 マルスがこんな反則的な反応をしなかったら、そう文句を言ってやるところなのに、どうしたらいいのか分からなくなってしまった。


「もういいや」

「えっ?! どこ行くの?」

「散歩」


 マルスはぶっきらぼうに言うとピョンピョンと民家の屋根の上を跳び、あっという間に姿が見えなくなってしまった。


 

 ◇◆◇


 

「なんだよ、これ」


 クソっ! と近くにいた魔物の頭を握りつぶしたマルスは、その死骸を岩へと思いっきり投げ飛ばした。


 いつもなら大抵の苛立ちは、こうして誰かを痛めつけ、悲鳴をあげる姿を見ることで落ち着いてくるはずなのだが、今回は違った。

 いくら周りにいるものを傷つけて殺しても、ささくれ立った心は一向に落ち着いてはくれない。


「あー、全部あいつのせいだ」


 そう。全部、番という存在のせい。


 元来悪魔は攻撃的で、他者の苦痛に快楽すら覚えるような残虐な性格をしている。共感性に乏しく、あるのはただ自分の欲望のみ。

 あえてそうやって創られた存在。それが悪魔だ。

 地獄で生前の罪を償わせた上で、神は地上へその魂を送り返す。悪魔はその為のお仕置役というわけだ。いちいち魂を痛めつける度に共感していては、己の心が持たない。だから快感を覚えるようにされている。


 ただそれも、番を見つけるまで。


 番のいない悪魔は常に渇いている。求めているのに見つからない。その渇きは苛立ちに、苛立ちは残虐性へ、そしてその矛先は地獄へと堕ちてきた魂へ。


 (ティナーシェ)を見つけたマルスは、この永遠のように長い渇望からやっと逃れられると思った。

 だからあの時よく考えもせず、目の前から去ろうとしたティナーシェの首に、ほとんど反射的に噛み付いていた。

 人間に『番』という制度は存在しないことが、これ程までにやっかいだとは。人間など、脅すか誘惑すれば簡単に言うことを聞くと思っていたのだが……。

 少なくとも、悪魔の召喚儀式で呼び出してきた人間や、地獄へ堕ちてきた魂はそうだった。

 純粋なあの性格ならばすぐに黒く染まると思っていたのに、脅しも誘惑も全く効かない。


 中途半端な契りを交わしてしまったせいで、マルスの心にはあれ以来、これまでに感じたことの無い感情が湧くようになっていた。

 自分が拒絶されていると知った時、怒り以外の感情を覚えるとは思ってもみなかった。

 ティナーシェが前世で何か悪いことでもしたんじゃないかと言っていた時もそうだ。


 心臓が握りつぶされるように苦しくなる感覚。


 そして、氷のように冷えた心に温かい光が灯るような感覚も。

 ティナーシェがジーノのプレゼントを真剣に選ぶ姿を見て、他人の為に何故そんなに一生懸命になるのか馬鹿なヤツだと思ったが、同時に胸の辺りがほんのりと温かくなった。

 これが愛おしいという感情なのか。


 互いの首筋を噛み合い、真の番になっていればこんなに戸惑うことなどなかったはずなのに……。

 マルスの心は大きな渇望を抱えたまま、新たな感情だけが生まれてくる。もはや拷問だ。


 ティナーシェには暗に『長く待てない』と言ったが、実際のところ、マルスがティナーシェに手をかけることなど万に一つもない。

 ティナーシェに噛み付いてしまったマルスには、他の誰かがティナーシェの代わりになることなど有り得ないのだから。

 だから今もこうしてティナーシェを影から追いかけて、見守っている。自分が側を離れている間に魔物に襲われでもしないか気が気でない。


「ほんと。どーすりゃいいんだよ」


 悪魔には脅しと誘惑以外に、人の心を動かす術は持っていない。

 自分を受け入れて貰えない辛さと焦りに、マルスは髪の毛を掻きむしった。

 

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