7. キャンディーをひとつ
白いシャツとサスペンダー付きのパンツ、そしてジャケット。一つにまとめた青い髪をハンチング帽にきっちりとしまい込むと、ティナーシェが「よしっ」と鏡の前で頷いている。
「何その格好。仮装か?」
町中によく居る男性のような格好をしたティナーシェに、マルスは首を傾げた。
「仮装じゃなくて男装しているの! 昨日お給料を貰ったから、ちょっと街にお出かけしたくて」
給金を貰って街に出かけるまでは分かる。
だが、男装することと何の繋がりがあるんだ?
今度は反対側に首を傾げたマルスに、ティナーシェは「いいから!」と言って、カバンに財布を入れた。
「……マルスって平服を着ても何だか目立つわね」
ティナーシェに言わた通り、マルスは今日は聖騎士の制服ではなく普段着を着ている。
「俺、男前だからな」
「それ自分で言うの?」
顔の造形については両親のお墨付き。
マルスが生まれたときに母親が『完璧過ぎて、我が息子ながら惚れちゃうわ〜』と言ったことで、夫婦喧嘩に発展したくらいだ。
「こほんっ、それじゃあ出発しましょう」
ティナーシェの後について聖堂の門をくぐり抜け、やって来たのは『薬房』。
店は結構大きく立派な佇まい。薬房の中には品質の怪しいところもままあるが、ここは真っ当な薬を置いていそうだ。
軒先からは干された薬草やカエル、蛇なんかがぶら下がり、独特の匂いを放っている。
「お前何処か身体の具合でも悪いのか?」
聖力を体内に宿す聖女は、まず病気になどかからないのだが。
聖堂で働く者も聖力を使って癒してもらえるハズなので、こちらにも必要はないはずだ。
「私用じゃないわ。あっ! おじい様、ごきげんよう」
「おー、君か。そろそろ来る頃だと思って用意しておいたぞい」
店の奥からしわくちゃの爺さんが出てきた。
薬草の匂いが染み付いた服を着て、白いあごひげをたくわえている。彼はティナーシェをひと目見ると、棚から薬の入っている袋が詰まった箱を取り出してテーブルにのせた。
「こっちの箱に入っているのがそうじゃ。他には何か用意するかい?」
「えーと、そうですね。街では最近熱の出る方が多いみたいなので、熱冷ましの薬をもう少し下さい」
「あいよ。ちょっと待っていておくれ」
ティナーシェは箱に入っている薬を一つ一つ確認した後、追加の薬を注文した。
「いつも一緒に来ているオヤジさんは、今日は一緒じゃないのかい?」
「あ、はい。用心棒を引退して、今はこちらの方に引き継いでもらいました」
「ふぅん、そうかね。随分な色男だ。用心棒に襲われないようにせにゃならんね。ふぁっ、ふぁっ、ふぁっ」
「おっ、襲われるだなんて。僕は男ですよ」
「あーぁ、そうじゃった、そうじゃった」
まるでそういう設定だった、とでも言うように爺さんは頷いて同意している。
「これが追加の熱冷ましじゃ。追加の分の薬代は要らん」
「いえ、そんな訳には。毎回申し訳ないです」
「いやいや、儂もそう先は長くない。このくらいの善行はしてアルテア様のご機嫌を取っておかないと。天への門を開いてくださらんじゃろう」
もう一度爺さんは愉快そうに笑うと、ティナーシェから代金を受け取りこちらに薬を渡してきた。
「お若い用心棒殿、彼のことを頼みましたぞ」
「あ? ああ」
まだ買い物があると言うティナーシェに付き、薬房を後にしてやって来たのはお菓子屋。
店の扉を開けると甘ったるい焼き菓子の香りが漂っている。
「薬の次はお菓子か?」
大量の薬が入った麻袋を手に、マルスは鼻をスンスンとさせながら店内を見回した。
「おば様、ごきげんよう」
「あらあら、いらっしゃい。いつものキャンディでいいかしら?」
「はい、お願いします」
「どうぞ。はい、貴方。これねぇ」
お菓子屋の店員は既に麻袋を抱えるマルスに、追加でキャンディの入った袋を押し付けてきた。
「こっちは割れちゃったクッキーやら、焼き菓子の切れっ端よ。良かったら持っていっておくれ」
「良いんですか?」
「もちろんだよ。こんな形の悪いのじゃあ、アルテア様の祭壇に供えられないからね。あんたに持っていってもらった方が良いのさ」
「ありがとうございます」
「前にいた爺さんじゃ大荷物を持たせるのは忍びなかったけど、若い男なら気兼ねなく使えて良いわね。ほら、持ってやんなよ」
店員の女性は薬とキャンディで既に手のふさがっているマルスに、今度は焼き菓子の入った袋まで押し付けてきた。
「こいつの手、空いてるだろ」
「やだねぇ、若いのに」
女性はマルスの耳に近寄ると「女の子に持たせるって言うのかい?」と、小声で話しかけてきた。
やっぱり女って、気付いてるのか。
ティナーシェ自身は男を装いたいらしいが、全くなっていない。大体「何とか様ごきげんよう」と挨拶している時点で、一般人でも男でもないことは明らかだ。
先程の爺さんもこの女性も、ティナーシェが女だと分かっているが男として接してあげているようだ。
両手が塞がっていると、いざって時に護衛しにくいんだよなぁ。
これだから素人は、と内心で舌打ちしつつ荷物を受けとると、女性はにこにことして肩を叩いてきた。
「また来てね」
2つの買い物を終えたティナーシェは迷うことなく、路地をどんどんと進んでいく。
「おい。そろそろ何しに行くのか教えてくれてもいいだろ」
「何しにって、ちょっと薬を配りに行くだけよ」
薄暗い路地裏へと入ろうとしたティナーシェ。マルスは両手が塞がっている為ティナーシェの前に立ち、その行く手を阻んだ。
「ふざけてんのか、それとも本当に馬鹿なのか? この先はヤバいって分かるだろう」
「大丈夫よ。毎月来ているもの。あっ、そうだマルス。剣は抜かないでよ。みんな怖がるから」
「怖がるからって……おいっ!!」
マルスの静止を無視してティナーシェは更に奥へと進んでいく。
「仕方ねぇな」
両手が塞がっている今、いざとなったら魔力を使えばいいかと神経を張り巡らせた。
「あっ!! 薬のお兄ちゃんだ!」
路地裏を進みスラム街へと来たティナーシェを見て、ボロを着た一人の少年が大声で周りに呼びかけ始めた。
「おーい、みんな! 薬のお兄ちゃんが来てくれたぞーー!!」
ティナーシェの周りに薄汚れ、悪臭を放つ人が群がり始めてしまった。
神経を尖らせるマルスとは正反対に、ティナーシェは穏やかに笑って挨拶を交わしている。
「みんなお待たせ。順番に渡すから並んでね。マルスは一人一つずつ、お菓子を渡してくれる?」
適当な木箱を椅子替わりに座ったティナーシェは、1人ずつ必要な薬を渡している。
「えーっと、君はこの薬ね。それから次の方は……」
「喘息の薬を頼みます」
「そうそう、喘息。はい、こちらをどうぞ。いつも通り一日三回飲んでね」
「ありがとうございます」
「妹が昨日からずっと熱を出してるんだ」
「うちも妻が寝込んでる。熱冷ましはあるかい?」
「ええ、ありますから並んで下さい。お渡ししますから」
我先にと薬を欲しがる人に声をかけながら、終始にこやかに対応しているティナーシェ。
その姿を見てマルスは、ティナーシェがなぜ男装をしたのかが分かった。
女だと薬や菓子を強奪される危険性が高まるからか、と。それに女の身では引きずり込まれて何をされるかも分からない。
「お兄ちゃん、いつも来ていたおじいさんの代わり?」
菓子を配るマルスに、十にも満たないガリガリの少年が話しかけてきた。さっき大声でみんなを呼び集めていた子だ。
「そうだ。あいつ、毎月ここへ来てこうして配ってるのか?」
「うん、そう。いつもタダでくれる。症状を伝えれば、次来る時に良さそうな薬も用意してきてくれるんだ」
「ふーん。お前らさ、あいつが女って分かってて、何で合わせてやんの?」
薬房の爺さんと菓子屋の女。ここにいる奴らにも当然バレている筈だと踏んだマルスは、少年に聞いてみた。
「うーん、なんでって言われても。聖女様ってバレちゃいけないんでしょ?」
「……。あいつが聖女だって事もって知ってんのか」
「みんな気付いてるよ。金色の目に青い髪の毛の人ってそんなにいない。それに体格的にも男って感じしないし。ペジセルノ大聖堂でしてる配給に行ったことある人なら、誰だって知ってるよ」
聖堂では偶数月に慈善活動として、貧しい民へ向けて無料配給を行っている。その時にティナーシェの姿を見たのかとマルスは納得した。
「なんで男装までしているのか知らないけど、俺達にはあの人が男か女か関係ないから。だから誰も何も言わない。それに来てくれなくなったら困るしさ」
正直に理由を述べた少年は、口の中で貰ったキャンディを転がしながら、少し先にあるごく小さな掘っ建て小屋を指さした。
「御礼はアルテア様に祈りを捧げればそれでいいんだってさ。だから誰かしらが毎日その辺に咲いている花を摘んで、そこの祭壇に飾ってる」
風が吹けば吹き飛びそうな小屋だが、周りはきちんと履き清められ雑草のひとつも生えていない。花を活ける瓶も欠けてはいるが野花が供えられ、置いてあるアルテア像も塵一つ付いていないことから、大事に手入れをされている事だけは伝わってきた。
マルスの番が何故ティナーシェなのか、今なら何となくだが分かる気がする。
まあ番制度を作った当の本人達は、「たまたま」だと笑って言いそうだが。
「マルスの方も配り終えた?」
次来る時に必要な薬を書き留めたメモをカバンにしまいながら、ティナーシェが帰りましょうと促してきた。今度また先程の薬房へ行って、メモを渡すのだそうだ。
通ってきた道を歩きがてら、マルスはティナーシェに聞いた。
「お前、毎月あそこへ行って配ってるんだってな」
「うん。聖力は誰にでも勝手には使えないし、かといって浄化の時には私、役立たずでしょ? こうする以外に方法を思いつかなくて」
「お前がよく医学書読んでるのって、この為か?」
「そう。本当ならちゃんとお医者さんに、診断と処方をしてもらった薬を渡せればいいんだけど、そうもいかないから。症状をさっきの薬房のおじい様にも伝えて、どの薬を使ったらいいのか決めているの」
仕事が終わるとティナーシェは、よく分厚い医学書を王宮の図書館で借りてきては開いていた。
『聖力を使えるくせに変な奴』『勤勉ぶって。点数稼ぎ』そんな陰口なら何度も耳にした。その度にマルスは無言の圧力をかけて黙らせてきたのだが。
「ならさ、なんで薬房の爺さんや菓子屋の女に自分は聖女だって言わないんだよ。お前の株、爆上がりじゃん」
スラム街の者たちに身分を明かさないのは分かる。身の安全の為でもあるから。
だが市民の方は聖女だと明かしてしまった方が、何かと得だ。民からの評価が上がれば、聖堂側もティナーシェに不遜な態度は取りずらくなるのだから。
「マルスだって知っているでしょ。私、落ちこぼれだよ? 聖女として役立たずなくせしてお給料だけたんまり貰っちゃって。給金泥棒、恥知らずって言いたくなるのも分かるもの。聖女だって、堂々と言えないわ」
「ティナは本当、頭ガチガチの馬鹿クソ真面目な奴だな」
「いいでしょ! 真面目さだけが取り柄なんだから――んんっ?!」
不服そうに尖らせるその唇に、マルスは一つだけ残しておいたキャンディを無理やりねじ込んだ。
「甘いだろ」
「……うん、美味しい。このキャンディ、配り忘れたの?」
「さあ。キャンディを必要そうな奴がもう一人いたから、取っておいただけ」
ティナーシェが聖女であることはきっとスラム街の人達と同様に、薬房の爺さんも菓子屋の女性も、気付いている筈だ。それを敢えて口にしないのはクソ真面目なティナーシェの為なのだと、今のマルスなら理解出来た。
自分で自分を甘やかせないなら、たまにはこうしてキャンディのひとつくらい、くれてやってもいいか。
耳を赤く染めたティナーシェの横顔を見ながら、マルスはふと、そんなことを考えた。