6. プレゼント選び
2025/2/27 加筆修正しました。
マルスがティナーシェの護衛騎士となって三日。明後日にはジーノが引退し、ペジセルノ大聖堂から去ってしまう。
最後の御礼にプレゼントを贈りたいと考えたティナーシェは今、街へとやって来ている。――怠そうな悪魔を連れて。
本当ならティナーシェだって、マルスを連れてきたくなかった。絶対に面倒くさがると思ったから。けれど聖女は聖堂から離れる場合、必ず護衛騎士がそばに居ることになっている。
なぜなら傷や病気を癒す力を持っている聖女にとって、聖堂の外は危険な場所と言っていい。
医者にかかっても病状が良くならない人、深い傷を負い生死の境をさ迷っている人、或いは不治の病と宣告された人、そもそもお金の無い人……。
街へ出ればそういった人はいくらでもいる。
ティナーシェだって全ての人を癒してあげたい。例え脆弱な力しか持っていなくとも、助けになりたい。けれど無闇矢鱈と聖力を使うことは許可されていないのだ。
この国の聖女は、全国からかき集めても十数人程度。それに聖力だって無尽蔵に湧き出てくるものでもない。多く使えば疲れるし、聖力を使って癒せる人の数には限りがある。
そうなると重要になってくるのは、悲しいかな、いつの世でもお金である。
聖堂にどれ程の献金をしたかで、聖女の力を借りることが出来るかが決まる。
治療費を献金という名に変えただけ。
それでも聖力に限りがある以上、使う使わないの線引きはどこかでしなければならないので、仕方がない事なのかもしれない。
治療をして欲しいと縋りついてこられたら、いけない事だと分かっていてもつい癒してしまう。或いは強硬手段を取られ、攫われる可能性も。そんな事態を防ぐために、聖女の外出時には護衛の騎士を必須とした。
そんなわけでティナーシェの新・護衛騎士となったマルスに、街へ買い物に行きたいと言ったら意外にもやる気を見せたのに、買い物の目的を言ったら途端につまらなそうな顔をしたのだ。
一体何が不満なのか知らないけど、ティナーシェには関係ない。とにかくジーノとのお別れが迫っているので、マルスの機嫌に構うことなくお店を回ってプレゼントに良さそうな品を見て回っている。
「えーと、どれにしようかしら。ジーノさんは麦酒が好きだからお酒用のグラスとか? さっきのお店の膝掛けも良かったわよね。それとも最近、近くのものが見えずらいって言っていたから老眼鏡なんていいかも。でも度数が分からないし……」
あーでもない、こーでもないと悩むティナーシェに、マルスは辟易した様子で店の軒先に出してある椅子に座った。
「あっ、ちょっとマルス、それは売り物よ。休憩用じゃないったら」
「疲れた。座って欲しくないなら早く終わらせろ」
「…………」
聖女の身辺警護が仕事なんだから、黙って仕事してよと言いたくなる。
ムッとしてマルスを睨みつけると、舌打ちを返された。
「大体さ、何時間迷ってんだよ。なんで今後会うかも分かんない奴のために、そんなに一生懸命考えんの?」
「なんでって、ジーノさんにはお世話になったのよ。これまでの御礼をしたいって思うじゃない。それに、出来たら喜んで欲しいし」
意味不明という表情をするマルスに、ティナーシェもまたなんで分からないのか意味不明だ。
「もういいわよ。これに決めた。お会計してくるから、座らないで待ってて」
ジーノがパイプタバコを吸っているのを何度か見た事がある。引退したらゆっくりとタバコを吸う時間も出来るだろうと、ティナーシェはお店の人おすすめのパイプを包んでもらった。
どのパイプが良いとか分からないのでお店の人に選んでもらったけど、ジーノは喜ぶだろうか?
やっとプレゼントを選び終わり満足気な顔をしているティナーシェに、マルスは「よく分かんねぇな」とボヤいている。
「そう言えばさー、この前俺が喋れなくなった時、聖力あててきたよな? なんで?」
「なんでって、喉を押えて苦しそうにしてたから」
一般人への治癒行為は制限されているが、神官や神女、聖騎士へ力を使うことは許可されている。聖騎士のマルスに力を使って悪いわけが無いので首を傾げると、マルスは抑揚のない声で言った。
「お前としては、俺が死んだ方が万々歳じゃないの?」
「あ……」
そうだった……。
自分のことを番だとか言って追いかけて来る悪魔のことなんて、あのまま放っておけば良かったんだ。そうしたら魔の手から、苦もなく逃れられたかもしれない。
でもあの時ティナーシェに、そこまでの思考は回らなかった。
「そう言われればそうかもしれないけど、誰かが苦しんでいる時に、そんな深いこと考えられないよ」
「お前ってほんと、馬鹿なのな」
「馬鹿馬鹿って言わないでよ! 馬鹿!!」
子どものようについ『馬鹿』と言い返してしまったティナーシェに、マルスは何度も馬鹿を連呼している。
その口元がどこか優しげに微笑んでいたことを、怒って前を歩いていたティナーシェは気が付かなかった。
◆◇◆
ジーノとお別れの日がやってきた。
ティナーシェは、ジーノが聖騎士団長に最後の挨拶を済ませ部屋から出てきたところで声を掛けた。
「ジーノさん、5年間本当にお世話になりました」
「ティナーシェ、辛いこともあるだろうが元気でな」
「はい、ジーノさんもお元気で。あとこれを」
深緑の包装紙に銀色のリボンが結ばれた包みを、はい、と手渡した。
「プレゼントだなんて嬉しいねぇ。開けてもいいかい?」
もちろんと頷くと、ジーノは包装を解いて箱の中を見た。
「これは……ティナーシェ、儂がタバコ好きなことを覚えていてくれたのか」
「タバコを咥えながら暖炉の前でゆっくりと読書を楽しみたいって言っていたでしょう? 何がいいのか分からないから店員さんにお任せしちゃったんだけど……」
「こんな良いパイプをありがとう。それに包みも素敵だ」
「ジーノさん深緑色好きなのかなって。だってよく身に付けている色だから」
ふふっと笑ったティナーシェを見たジーノは、目にうっすらと涙をうかべた。
「お前さんは本当に良い子だ。ありがとう、ありがとう……一生大事に使わせて貰うよ」
「ジーノさんったら大袈裟よ。でも喜んでもらえたみたいで良かった」
「もちろんだよ。それにしてもティナーシェ、大丈夫かい? 儂の代わりに護衛騎士となったマルスとかいう男。随分変わり者だとみんなが言っていたし、儂も引き継ぐときに少し会っただけだが、お前さんがより苦労するんじゃないかと心配だよ」
「ああ、そのことならきっと大丈夫よ。心配しないで。だってアルテア様が入団を許可なさった上、退団には反対されたんだもの。酷いことにはならないと思うわ」
多分だけど。
「そうだな。アルテア様のご意向ならば間違いない。ティナーシェよ、達者でな」
「お手紙書きますね」
大聖堂の門まで一緒に歩いて行くと、ひと組の男女がこちらに向かって手を振っている。
「爺ちゃん、迎えに来たよ」
「おーお、こんな所までわざわざ。身重の女房を連れ回すなんて、何かあったらどうするんだい」
「お爺様の聖騎士引退の最後の花道ですから」
ジーノを爺ちゃんと呼ぶ男性と、お腹の大きな女性。もしかして一緒に暮らすと言っていたお孫さん達かな?
ティナーシェは聖女服のスカートを摘み、挨拶をした。
「ジーノさんに護衛をして頂いていた聖女のティナーシェ・アルチュセールと申します」
「せっ、聖女様、ご挨拶が遅れました。俺はジーノの孫で、それから嫁です。爺ちゃんがお世話になりました!」
「お世話になったのは私の方です。これから一緒に暮らすのだとお聞きしました。……お子さんももうすぐ産まれるようで、賑やかになりそうですね」
「ええ。あとひと月くらいかという所で」
大きなお腹を摩る女性の顔が、礼拝堂に置かれたアルテア像の顔と重なった。
慈愛に満ちた、幸せそうな顔。
「あっ、動いた! うふふ、この子も聖女様にご挨拶しているのかしら」
「あの……差し支えなければ私もお腹の赤ちゃんに挨拶しても宜しいでしょうか?」
「もちろんです」
ドキドキとしながらお腹にそっと触れ、話しかけてみた。
「初めまして。ジーノさんにお世話になったティナーシェです。生まれてきたら、曾お祖父様に元気なお顔を見せてあげてね」
トンっ、トンっ、と触れている場所から振動が伝わってきた。
「あっ……」
「ふふっ、聖女様にお返事しているのね」
「どうか健やかな子が産まれてきますように」
最後に祈りを込めてひと撫でしたティナーシェは、御礼を言って立ち上がった。
「聖女様にこうしてお祈りしていただけるなんて、こちらこそありがとうございました」
「それじゃあなぁ、ティナーシェ」
「はい。皆さんお元気で。また是非礼拝にいらして下さい」
ジーノ達は穏やかに笑いながら大聖堂から去って行った。