4. 予期せぬ入団者
もうこの空気、耐えられない。
ユートルモス地方の浄化が終わって大聖堂へと帰ってきたティナーシェは、ダリオ聖騎士団長と枢機卿に呼び出されて広間にいる。
「もう一度聞く。聖女ティナーシェの護衛騎士となりたい者は前へ」
現在ティナーシェを専属護衛してくれているジーノの引退が、来週に迫っている。
次の専属護衛騎士を決める為に、ダリオが集まった聖騎士達に声をかけるが、誰一人として動かない。
なんで立候補制なんだろ。
古くからのしきたりだか知らないけど、普通、上官が適任者を選んで任命するんじゃないの?
前回と同じ展開に、ティナーシェ自身も辟易していた。
どうせこの後団長が「お前がやれ」って誰かに言って、その人は苦虫でもかみ潰したような顔をするんでしょ。
それならいっその事、護衛は付けなくて構いませんって言おうかな。
心の中で悶々と悩んでいると、ダリオが小馬鹿にしたようにふっと笑った。
「居ないみたいだな。まあ、諸君らの気持ちはよく分かる。だが、いくら聖力が弱いからと言っても聖女は聖女だ。規則に則り、護衛騎士を付けなければならん。それでは私が決めさせてもらおう。聖女ティナーシェの次の護衛騎士は……」
ごくり、と聖騎士たちが唾を飲み込む音が聞こえてきそうな静寂の中、ダリオの言葉はダルそうな男の声に遮られた。
「はーい、それ俺やるから」
「あ? 誰だ今の声は?……いや、君か」
プラプラと歩いて広間へと入ってきたのは、銀髪碧眼の男性。麗しいその見た目に、天使かと見間違う程の……って、このくだりは前にやった。
なんであの悪魔がここに?!?!
ユートルモス地方を浄化した時に出会ったあの悪魔が、何故か聖騎士の制服を来て立っている。
悪魔が聖騎士って……。
目をぱちぱちと瞬いて悪魔を見ると、パチンっとウインクを返された。
いやいやいやいや。
パチン、じゃなくて。
「マルスと言ったか。君は昨日入団したばかりじゃないか」
「その護衛騎士ってやつ、入団期間の縛りとかあんの?」
「いや、ないが……」
「なら俺に決まり。宜しくな、ティナちゃん」
ティ、ティ、ティ、ティナちゃん?!
もう頭がクラクラしてきた。
マルスに噛みつかれた場所をさするように、自然と手が首筋へといってしまった。
大丈夫。
この人に噛み付かれただなんて誰も知らない。
ティナーシェの噛み傷はジーノに見られたものの、「魔物に襲われた」と言って誤魔化した。その後すぐに聖力を使って治したし、今は何の跡も残っていない。
「だ、ダリオ団長。こちらの方はその……入団テストはパスしたのでしょうか?」
聖騎士団に入るには必ず、入団テストをパスしなければならない。悪魔であるこの男に、その入団テストに合格出来るはずなどないというティナーシェの予想に反して、ダリオは呆れた顔をした。
「もちろん合格したから入団を許可したんだ」
「ですよ……ねぇ……」
信じられない。どうなってるの?!
入団テストは、女神アルテアに入団の許しを得るというものだ。
入団希望者が特別な水晶玉に手を当てながらアルテアに忠誠を誓い、お伺いを立てると水晶玉が光る。
誰にでも光るというわけではないので、当然、悪魔であるマルスに水晶玉が反応するとは考えられないのに。
「でもダリオ団長、この人の素性をきちんと調べてください! だってこの人はあ……」
悪魔です! と言おうとしたところで、背筋に悪寒が走った。恐る恐るマルスの方へ視線を向けるとその口は、ティナーシェにも分かるようにゆっくりと動いた。
『み・な・ご・ろ・し』
――――っ!!
正体をバラしたら皆殺しにする。
そういう意味で間違いない。ライオントカゲが一瞬にして木っ端微塵になったことを考えると、ただの脅しで済まなそうだ。
「『この人は、あ』なんだ?」
「あー、えーと、そ、そう! あまりにも美形過ぎです。およそ戦闘に向いているとは思えません! ……よ? あははは……」
もー、やだー! 何言ってんの私……。
あまりに馬鹿過ぎる発言に、逃げてしまいたい。
何言ってんだコイツ。と言いたげな顔をしているのは団長だけではない。枢機卿や聖騎士たちもドン引きしている。
「ごほんっ、アルテア様が許可なさったんだ。問題ない。それでだ、聖騎士マルスよ。彼女の護衛騎士となるのは少々大変だぞ?」
ニヤッと意地汚い笑いを浮かべた団長は、横目にティナーシェを見た。
「彼女は聖力が随分と弱くてね。普段の護衛ではそう困らんが、浄化の最中に付与される聖力は僅かなんだよ。君にも容易に想像出来るだろう? 聖力が弱ければ魔物と戦うにも苦労するし、毒気にも冒されやすくなる。他の聖女の護衛よりも危険なのだよ。まあそれがただ聖力が弱いだけの聖女なら、誰かしら手を挙げただろうけどね。だが彼女はなんと言うか、そうだねぇ……」
顎に手を当てた団長は、わざとらしく溜息を吐いてみせた。
「評判が悪いだけに、割に合わないんだよ。なあ? 聖女ティナーシェ」
評判が悪いのは、なにもティナーシェのせいではない。
ダリオが散々、はやしたてたせいなのに。
キリキリとした痛みが胃にはしる。
ティナーシェは口を真一文字に結んで黙りこんでしまったが、マルスの口は軽かった。
「ごちゃごちゃとさっきから喋ってるけどさぁ、要はこういうことだろ? 自分は雑魚だから弱っちい聖女に付くのはごめんだ。自分、死にたくないんで。ってな」
ギョッとしたのは、多分枢機卿も一緒だ。
団長と聖騎士達に怒りメーターなるものがあったなら、ギュイーンと上がるのが確認できただろう。
「いーの、いーの。そう恥ずかしがんなくても。臆病なのは悪いことじゃない。騎士が勇敢だなんてただの戯言。誰だって死ぬのは怖いし、命は大事にしなきゃだよなぁ? 俺そういう人間、よく見てきたからさ。はっはっはっ」
一向に空気を読む様子のないマルスは、ダリオ団長の背をバシバシと叩きながら笑っている。
まずい……! まずいよォ!!
「その点俺なら心配ご無用。俺、すげぇ強いし。祝福とか要らないから」
「貴様……! さっきから聞いていれば!! 新参者の癖に我々を愚弄しているのか?!」
「おっと」
顔を真っ赤にしたダリオがビュンっと剣を抜き、マルスに向けた。
「なになに、やる気? あんたが負けたら大恥だよ?」
「貴様みたいなヘラヘラした若造に、私が負けるとでも思っているのか!」
たっ、と駆け出したダリオ。
マルスは腰の剣を抜くことなく、ひらりひらりとかわしている。
「もー、マジになるなって」
「早く剣を抜け!」
「しょうがないなぁ。ならお言葉に甘えさせていただいて」
マルスが腰に提げている鞘から剣を抜こうとした。
団長が本気で殺されちゃう! 瞬殺されたら、いくら大聖女の癒しの力を使ったって助けられない。
ダリオが粉々に切り刻まれるシーンが脳裏に浮かんだティナーシェは、両者の間に入って声を張り上げた。
「ストーップ!!!」
ダリオは目を見開いて動きを止めた。
普段大人しいティナーシェが飛び出してきた上に、大声を出した事に驚いたらしい。実際、ティナーシェ自身も自分の行動にびっくりしている。
「こ、こ、こ、ここは、神聖なるペジセルノ大聖堂ですよ! その……かっ、神の御前で流血沙汰なんて駄目です! ぜぜぜ絶対に!!」
「ティナーシェの言う通りだ。ダリオ団長、剣を納めなさい」
震える声で訴えるティナーシェに、枢機卿も加勢してくれた。
「だ、そうですよ。聖騎士団長殿」
肩を竦めて、マルスは剣の柄から手を離した。
もうこの悪魔には黙っていて欲しい。ふてぶてしいにも程がある。
流石の聖騎士団長でも、枢機卿には敵わない。悔しそうに唸ったダリオを見て、枢機卿はマルスにも苦言を呈した。
「それからマルスよ。聖騎士団の一員となったのなら上官への態度を改め、礼儀を尽くすこと。分かったかい?」
「……はい、枢機卿様。天と光の神アルテアに誓い、仰せの通りに致します」
華麗にボウ・アンド・スクレープを決めては居るが、ティナーシェは見た。マルスの口角がうっすらと上がっているのを。
この悪魔めー!
コロコロと表情や態度を変えるマルスに、誰もがお手上げ状態になったところで、今度はティナーシェの前に片膝をついて手を取った。
「我、マルスは誓う。今後、聖女ティナーシェ・アルチュセールの盾となり、命を懸けて御守りすると」
マルスは厳かにティナーシェの手を取ると、その甲に唇を寄せた。
「――――っ!?」
血圧が急激に上がると、人は失神することがあるらしい。
原因が嬉しさからなのか、恥ずかしさからなのか、はたまた悪魔から大迷惑な誓いを立てられたからなのかは、ティナーシェ自身にも分からない。
とにかくティナーシェは、度重なる衝撃によりスコンっと意識を失った。