15. 魔塔②
廊下をしばらく歩き、階段を登ってすぐの場所に書庫はあった。
先程通ってきたエントランスホールほどの広さがある書庫にはズラリと本が並び、本の手入れや整理をしている者が何人かいる。
テオが声を掛けると中にいたもの達は書庫から出ていき、中にはマルスとテオの二人だけになった。
「それで……さっきのガキに手伝わせればいい本運びにわざわざ俺を選んだ挙句、人払いまでするとは、俺に何か言いたいことでもあんの?」
テオの様子は明らかにおかしい。マルスを探るように見てくる視線と態度。他人を信じやすいティナーシェは特に不審に思っていなかったようだが、マルスから見たテオは何か察している風だ。
マルスに問いかけられたテオは、スっと片膝をついて跪いた。
「マルスさん……いえ、マルス様。私は先程も申し上げたように、人よりも気配に敏感なのです。貴方様がただの人でないことは私には分かります」
「ふぅん、と言うと? 俺はなんなわけ?」
「悪魔様でお間違えないでしょうか」
「ははっ! 悪魔様ね。いいねぇ、それ」
ケラケラと笑うマルスに対して、テオは微動だにせず頭を垂れ続けている。
「なぜ俺が悪魔だと思う?」
「放出している魔力は皆無ですが、身体の内に秘めている魔力が尋常ではありません。更にその魔力が集中している箇所が、人間の魔法使いとは異なり背中に集中しております」
魔力を有する人間は全身に魔力が満遍なく散らばり、魔力を使う時に手のひらに集中させて発動するのだ。だから発動までの時間が遅く瞬発力に欠ける。
一方悪魔の魔力は背中に集中しており、羽根はその力を具現化したものである。魔力を瞬時的に使えるし、使える力も人間の魔法使いとは異なり破壊するだけに留まらない。
「せーかい。にしてもまぁ、変わった人間もいるものだな。ユリセスや悪魔を慕うとは」
「そうでしょうか? 我々魔法使いの力の源は、ユリセス様からの賜り物。確かにいくら崇拝しているとはいえ死んだら地獄に行きたいとは思いませんが……必要悪であることは間違いないでしょう」
「へぇ、お前なかなか面白いヤツだな」
人間からの崇拝など気にしたこともなかったマルスは、こういう考え方もあるのかと素直に感心した。
「……ところで、聖女とはどういったご関係なのでしょうか。見たところ、ただの聖女と聖騎士という関係には収まらなさそうですが。それにティナーシェさんの聖力も気になりますね」
「ほぅ、どんな所が?」
「マルス様の魔力程とまでは言いませんが、ティナーシェさんの聖力は強力です。ですが、力が殻の中に閉じ込められているかのように感じられるのです」
テオはティナーシェの力の所在を見事に言い当てた。
ティナーシェは聖力が弱いのではない。ただ外に出せないだけだということを。
聖力を測る水晶玉は、外へと放出された聖力しか感知できない。だからティナーシェは強力な聖力を持つにもかかわらず、玉に僅かな光を灯すことしか出来なかった。
魔塔の主というのは伊達ではないようだな。
けれどティナーシェの力のことも、ティナーシェとマルスとの関係も、この男に話す気は全くない。
アルテア教とユリセス教を分けて考えている時点でこの男もまた、天と地の秘密を知らない。
かつてアルテア教とユリセス教はひとつの教えだった。それがいつしか別の教えとされてからは随分と久しく、その歴史を知る者は人間にいない。
「余計な詮索はするな」
ピシャリと言い放つと、テオは一瞬身をすくめた。
「申し訳御座いません。出過ぎたことを申し上げました。魔塔はマルス様のご意志に従いますゆえ、どうぞ何なりとお申し付けを」
「ティナが望むものは包み隠さず全て教えてやれ。それだけでいい」
「御意。それでは早速、聖女のお望みの本を探してまいります」
テオは既に心に浮かぶ本があるのだろう。迷うことなく次々と本を引っ張り出している。
「ティナもあのくらい従順なら、話は早いんだがな」
あの石頭め、とマルスはクスリと笑った。
ティナーシェは見かけによらず、結構頑なで生真面目な性格をしている。アルテアを敬愛しているのならさっさと噛み付いて欲しい所なのだが……。
理由を口止めされているマルスは、ティナーシェに説明することすら出来ない。
自分で『落とせ』ということか。
――あのクソババアの考えそうな事だな。
やれやれとため息をついてみせるが、実際のところマルスは今の状況も悪くないと思っている。ティナーシェと一緒にいればいるほど、冷えた心に温かい血が通っていくのを感じられる。冬の間に降り積もった雪がゆっくりと、春の日差しで解けていくように。
最初こそこの感覚に戸惑っていたマルスだったが、今では心地いいとすら感じている。
「さて、地獄について調べてどうするつもりなんだか見てみるとするか」
マルスはテオが選んできた本を手に取ると、ティナーシェの待つ部屋へと向かっていった。
◆◇◆
「うぅーん、やっぱりどこにも書いてないわ……」
マルスとテオに持ってきてもらった本を片っ端から読んでみたが、ティナーシェの欲しい情報は何も書かれていない。
ダメだぁ、とテーブルに突っ伏していると、様子を見に来たテオが部屋へと入ってきた。
「その様子ですと、欲しい情報はまだ見つかっていないようですね」
「はい……」
「あまり根詰めるのもよくありませんよ。どうでしょう、息抜きに礼拝堂でも御案内致しましょうか? もしかしたらユリセス様が、何かお知恵を貸してくださるかもしれません」
聖女が異教の礼拝堂へ?
いいのかどうか迷うところだが、なにも祈りを捧げようというわけではない。少し見学するくらいなら良いだろうと、ティナーシェは首を縦に降った。
「そうですね。それでは少しお邪魔させて頂きます。ねえマルス、私ちょっと礼拝堂に行ってくる」
「んー、分かった。行ってらっしゃい」
行ってらっしゃいって……。
マルスは調べ物をしているティナーシェに飽きて、途中からソファに横になって眠っている。ヒラヒラと手を振った後、再び寝息をたてはじめてしまった。
さっきは私を一人にするのを心配していたくせに、なんなのよ。
「もう知らない! テオ様、御案内よろしくお願いします」
「喜んで」
テオに導かれやってきた礼拝堂はなんと、地下にあった。
換気の為の小さな穴が空いている以外は、石のレンガでピッチリと固められている部屋は薄暗く、あちこちに置かれた蝋燭の明かりだけが頼りだ。
「足元にお気を付けて」
テオがランタンで足元を照らしてくれる。
奥にある祭壇には地と闇の神ユリセスの像。そしてその周りには、悪魔から拷問を受ける人の像が置かれていた。拷問の様子を見ているかのように置かれたユリセスの顔からは、なんの感情も読み取れない。柔和なほほ笑みを浮かべるアルテア像とは真反対だ。
うえぇ。こんな像に向かって祈りを捧げるなんて……。
正直言って、ユリセス教徒達の気が知れない。
「聖堂とは随分、趣が違うでしょう」
ひとしきり礼拝堂の中を眺めて回っていると、テオが話しかけてきた。
「はい。なんと言いますか……ユリセス教らしい場所ですね」
どう感想を述べたらいいのか迷ったティナーシェは、曖昧に笑ってみせた。
「ふふっ、正直な御方だ」
「毎日この様なところで祈りを捧げて、気が滅入ったりはしないのですか?」
ティナーシェは明るい聖堂で、慈愛に満ちたアルテアと天使の像を前に祈る度、いつも心が安堵し救われる。アルテア教の多くの信者も同じように思っているだろう。
こんな薄暗い部屋の中、背筋の凍るような像を前に祈りを捧げるなんて、ティナーシェなら逆に心が病んでしまいそうだ。
「戒め……ですよ。人は愚かな生き物です。傲慢で嫉妬深く、怠惰で欲深い。時には大きな間違いを犯すこともあるでしょう。ユリセス様はそういった人間の弱さを戒めておいでなのです。ユリセス教徒は祈りを捧げる度、自分がいかに愚か者であるかを認識し、正しくあろうと思うのです」
「そう、ですか……。仰りたいことは分かる気がします」
ただ一身に救われたいと願うアルテア教徒よりも、少々ストイックではあるけれど、自分に厳しいユリセス教徒の方が、ある意味真っ当なような気もしてくる。
「改めてここに連れてきて頂き、ありがとうございました。ユリセス教に対する見方が少し変わったように思います」
「そう言っていただけて何よりです。それでティナーシェさんは何をお知りになりたいのですか? 地獄についてただ知りたいと思っているのとは違うようにお見受けしました。僕でよければ力になりましょう」
どうしよう。言ってしまってもいいのかどうか、非常に迷うところだ。
「僕には聞きづらい事なのでしょうか?」
「テオ様というよりかは……」
「ユリセス教徒に、でしょうか」
「はい、そうです」
正直に返事をすると、テオは頭を軽く振った。
「何も気にする事はありません。あなたと僕が何を信仰しているかは脇において、ただの質問として受け答え致しましょう」
「それでは……お言葉に甘えさせて頂きます。悪魔と縁を切るには、どうしたら良いのでしょうか?」
「それは悪魔召喚をしたけれど、取り消したいという話しですか?」
「いえ、そうではなく……。もし……もしもの話しですよ、ただの人が悪魔に取り憑かれるというか、しつこく付きまとわれたらどうしたらいいのかなって。その、やはり方法は一つしかないのでしょうか……」
悪魔と縁を切る方法なんて、初めから決まっている。
そしてテオの答えは、ティナーシェの考えていた通りのものだった。
「殺す。完全に縁を切りたいのなら、それ以外にはないでしょうね」