14. 魔塔①
ローブに付いているフードを目深に被ったティナーシェは、朝早くにペジセルノ大聖堂を出発した。
行き先は魔塔。
聖力を持った女性が聖堂に身を置くように、魔力を持つ男性は通常、魔塔の管轄下に置かれる。
この辺りの国々のほとんどの人が天と光の女神アルテアを信仰するのに対し、魔法使いをはじめとした魔塔の者たちは、地と闇の神ユリセスを崇めている。
ただし、ユリセスを崇めているからといって異教徒として迫害されることはない。それはアルテア教でもユリセス教でも、互いに迫害することを教典により厳格に禁じているから。
なので互いに干渉し合うことはないのだが、地獄に住まう神を信仰する魔法使いを、多くの国民は奇態な存在だと思っている。
そんな場所に聖女が堂々と訪れるのは、かなり目立つことが予想されるので、ティナーシェはこっそりと行動している。
「マルス、魔塔ではくれぐれも魔力を使わないようにね」
アルテアを信仰する者にとって、アルテアに仕えるとされる天使もまた信仰の対象だが、ユリセス信者にとってユリセスに仕える悪魔もまた崇拝の対象になるのだろうか?
そこの辺りはよく分からないので、マルスにはあくまで普通の人間としてやり過ごして頂きたいと願うティナーシェは、魔塔へ向かう道中で念を押した。
「はいはい。大人しくしていればいいんだろ?」
「よろしくお願いします。……あっ! あれじゃない?!」
聖堂から乗ってきた馬車を降りて歩くこと1時間。鬱蒼としている森の中に突如空間が広がり、背の高い塔が姿を現した。
中心にある大きな塔の屋根は鋭利に空へと突き出しており、その周りにはいくつかの小さな塔が付属して建っている。ペジセルノ大聖堂に負けず劣らずの立派な建物だ。無機質な灰色の壁と大きく威圧感のある扉には、部外者への拒絶感のようなものが感じられた。
「ごめんくださーい」
特に門番といった人がいる訳でもなかったので、ドアの前に立って恐る恐る呼びかけてみた。
「……」
聞こえなかったのか、それとも誰も居ないのか。もう一度呼びかけてみようとしたところで、ギィィっとドアが小さく開いた。
隙間から人影が現れたので、ティナーシェはスカートの裾を摘み小さくお辞儀をした。
「突然の訪問をお許しください。わたくし、ティナーシェ・アルチュセールと申します。本日魔塔へ来たのは――」
「聖女の方ですね」
「え? あ、はい。そうです」
聖女であることを明かさずに済ませられたらと思っていたティナーシェは、直ぐに正体がばれてしまったことに焦りを感じた。
目を泳がせるティナーシェに、長い赤毛を後ろでひとつに束ねた男性は、柔らかく笑ってみせる。
「聖力を感じられました。僕は魔力や聖力を敏感に感じ取れる体質をしているのです」
「左様でしたか。改めまして、私はペジセルノ大聖堂に所属する聖女でございます。本日は魔塔の知恵をお貸し頂きたく参りました」
「こんな所で立ち話もなんですから、どうぞ中へお入り下さい」
建物の中は外観とは裏腹に、広く開放感がある吹き抜けのエントランスホールと、そこから続く廊下もまた外からの光がふんだんに入るようになっていて案外明るい。
すれ違う人は皆、黒を基調としたローブを着ているので少しだけ不気味な雰囲気がするが、それ以外は割と聖堂と変わらない。
促されるまま、出入口からほど近い部屋へと案内されて入ると、席を勧めてくれた。
ティナーシェがソファに腰掛けたタイミングを見計らって、テオは自己紹介をしてくれる。
「申し遅れました。僕はこの魔塔の主で魔法使いのテオと言います。そちらの男性は……聖騎士の方でしょうか?」
「はい。私の護衛をしてくれているマルスです」
聖女が聖騎士を連れて歩くのは珍しくもないのに、テオは考え込むようにじっとマルスを見ている。
もしかして魔力持ちなこともバレたのかしら、とマルスの方を見て気が付いた。
「なんで護衛なのに隣に座っているのよ」
こういう時は普通、側で立って控えているものでしょうに。
堂々とティナーシェの隣に座り寛いでいるマルスを、テオが不審に思うのも無理はなかった。
「んん? 疲れた。いいだろ少しくらい休んでも」
「すみません。この人のことはどうぞお構いなく」
「……そうですか」
挨拶を交わしている間にもテーブルの脇では、14、5歳くらいの男の子がせっせとお茶の準備をしてくれている。
魔法使いの子かしら?
自分もこのくらいの年の頃に大聖堂へと連れてこられたので、懐かしい気持ちになる。
目が合ったのでニコッと微笑みかけると、男の子は顔を真っ赤にしてティーカップをひっくり返しそうになった。
「うわっ! あつっ!!」
「大丈夫?! 火傷してない?」
「申し訳ありません! 大丈夫です!!」
少年の手を取って見たが、幸いにも火傷には至らなかった。
さらに顔を赤く染めて慌てふためく少年は、今度はマルスの方見て一瞬で青くなった。
「ひっ!!」
「おい、ガキ。こいつに構って欲しいからって余計なことをすると、その手切り落とすからな」
「ちょっとマルス! 何変なこと言ってるのよ。まだ成人にも満たない子を脅すなんて最低ね」
「はっ!玉が付いていれば男はみんな、オスなんだよ」
「信じられない……」
マルスのあまりに酷い思考に愕然としてしまう。そんなマルスにテオは、少年に下がるよう申し付けてから言った。
「早くに魔法使いとして魔塔へとやって来ると、女性への免疫がないものですから。どうど大目に見てやってください」
「ほらな。飢えた狼だ」
「そういうことじゃないでしょ! もうっ、マルスは黙っていてよ」
「はいはい」
マルスは不貞腐れたように頬杖をつき、出されたクッキーを食べ始めた。
よし、これで本題に入れる。
「それで、私が今日ここへ来た目的なのですが……」
「何かお知りになりたい事があるのですか?」
「はい。私が知りたいのは地獄についてです」
ティナーシェは予め考えておいた、最もらしい理由を述べる。
「アルテア様は生前に重い罪を重ねた者へは天へと続く門を開きません。代わりにユリセス様が地獄の門を開き罪深い魂を引き受ける。アルテア教とユリセス教は別の宗教とされていながら、非常に関係が深いですよね? ですからアルテア教を信仰するにあたり、天とは真逆の地獄についても知る必要があるのではないかと思い、ここへやって来た次第です」
「なるほど、それは勉強熱心ですね。そういう事でしたら何でもお聞きください。僕が知っている範囲でならお答えしましょう」
「いえ、突然やってきて魔塔主様の御手を煩わせる訳にも参りません。もし宜しければ、地獄に関する本を閲覧させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろん構いません。書庫には貴重な本が並んでいるので部外者を入れる訳には参りませんが、その代わりに僕が良さそうな本をこちらへ持って来ましょう。マルスさん、申し訳ないのですが本を持ってくるのを手伝って頂けますか?」
ティナーシェの方をチラりとみて思案しているマルスに、テオは「大丈夫ですよ」と声を掛けた。
「この部屋には誰も入れないよう、鍵をかけておきます。その鍵をマルスさんに託しますのでどうぞ御安心を」
え? 私が何かされないか心配してくれていたの?
てっきりマルスは面倒くさくて、なかなか腰を上げないのだと思っていた。
そこまで考えてくれていたと知り、過保護すぎると思いつつもじんわりと胸が熱くなる。
「大丈夫だから、行ってきて」
「分かった。すぐ戻ってくる」
閉じたドアの向こうで、ガチャンと鍵をかける音がした。