13. 調べもの
パラパラと分厚い本のページを捲りながら、ティナーシェは深いため息をついた。
「駄目だわ、全然ない」
ティナーシェは今、ペジセルノ大聖堂内にある書庫に来ている。なにを調べているのかと言えばもちろん、ここ数ヶ月頭を悩まさせてくるアレ――悪魔の番についてである。
今やティナーシェとマルスは恋人同士という設定に落ち着いてしまい、ティナーシェがいくら否定しても全く聞いて貰えないし、マルスは完全に調子に乗っているしで、頭が痛い。
こうなったらもうヤケクソで、マルスの言う通りに噛み付いてしまおうか……。
「だめだめだめ! 正気を保つのよ、ティナーシェ」
頭を振って、違う本を手に取った。
お互いに噛み付くと真の番になるらしいのだが、それって人間の世界で言う指輪の交換みたいなことなのかしら?
だとしたら、何故そこまでマルスがその儀式にこだわるのかよく分からない。
番は二人でひと組だと言っていたけど、それならそんな儀式をしなくったってただ一緒に暮らすだけでも良いのでは?
聞いてみたけれど、「俺の口からは話せない」という返答しか帰ってこないので、自分で調べてみようと思い至りこうして調べているのだが……。
悪魔に関する記述はどれも皆、似たり寄ったり。
地獄にいる残虐非道な性格をした生き物で、容姿は人にそっくり。地獄へ落ちてきた魂を痛ぶり、拷問にかける。基本的には地獄にのみ存在するが、人間により地上に召喚されることも稀にある。
「うーん、ここにも『番』なんて言葉、出てこないわ……」
そりゃそうか。悪魔同士の恋愛事情とか、どうでもいいもんね。
テーブルに山積みにしていた本を元に戻していると、書庫の扉が開く音がした。
「部屋に居ないと思ったら、またここに居たのか」
濡れた髪の毛を布で拭きながら、マルスが近付いてきた。石鹸の優しい香りがフワリと漂ってくる。
「マ……マルス」
「最近やけに熱心に調べ物してるな」
「そそそそうかな?!」
悪魔についてこっそり調べようにも、マルスが常に付きまとってくる。聖堂内にいる時はそんなにべったり護衛してくれなくても大丈夫なのに……。やりたい放題のマルスに、聖騎士団長ももはや関わるのも嫌になったらしく何も言わない。
今日はマルスがお風呂に入っている隙にと思って書庫へとやって来たが、思ったよりも出てくるのが早かった。
なんの調べ物をしているのかバレたところでという気もするが、なんとなく隠しておきたい。堂々と調べるのは気が引けてしまうのは、何でなんだろう?
テーブルに積まれている本の方をチラリとみたマルスは、冷えた声で言った。
「……その本、悪魔について調べてるのか」
「えっと……うん。そう」
「そんなに嫌いなんだ、俺の事」
ズキンッと胸が痛む。
気が引けると思っていたのは、嫌っているって思われたくなかったからだ。今さら気がついた。
「嫌いとか、そういうんじゃなくて……」
「なら好き?」
「ななな何言って……っ!」
落ちこぼれと呼ばれ馬鹿にされてきたティナーシェは、男性から言い寄られることに全く免疫がない。ましてやこんな、美男子になど。
「そっ、それよりも! 何でマルスは、いつもこんな夜遅くにお風呂に入るの?」
現在時刻は、夜の11時くらいだろうか。
聖堂で働く人達は家に帰るか、宿舎で寝泊まりしている人ならとっくに自室へと戻っている。聖堂の宿舎には大浴場があるのだが、マルスはいつも人目を避けるように、夜遅くにお風呂に入っている。
お湯だって温くなっちゃうのに何でなのかと聞くと、マルスは「別に」と答えた。
「ひとが何時に風呂に入ろうといいだろ」
「そうだけど……もしかして背中に羽根がはえてるから?」
「羽根は普段邪魔だから、魔力で収納してんの。関係ない」
「ならなんで?」
「知りたい?」
「うん」
「なら俺の服、脱がせてよ」
「は?」
この悪魔はまた、ニコッと愛くるしい笑顔を浮かべて変態発言を。
「知りたいんだろ? 早く脱がせてよ」
「やっ……ちょっと……」
シャツの襟をつまんで「ほらほら」と促してくる。たじろぐティナーシェにマルスは舌打ちをした。
「あのさぁ、普段は俺、すげぇ我慢してんの。分かる? 元来悪魔って自分の欲求のままに美味いもの食べて、他人を痛ぶって、性欲も満たすわけ。地上に来てからの俺を見てみろよ? いい子ちゃん過ぎて泣けてくるだろ」
「知らないわよ、そんなこと。マルスが勝手に私に付きまとってくるんでしょ」
「またそんなつれないこと言うなよ。噛んでくれないならせめて、こっちの欲求何とかしてくんない?」
「こっちのって……」
「分かってるくせに」
ゆっくりと距離を詰めてくるマルス。
その眼光は鋭く、自分が女であることに改めて気付かされる。
後退りをするとテーブルの上の本にぶつかり、バサバサと崩れ落ちた。
どうしよう……。
男性と手を繋いで歩いたことすらないのに、二人きりの空間でどうしろというのか。
顎に手をあてられて顔を固定された。
怖いと思う一方で、マルスの瞳から目を離せない。ブルートパーズのような、鮮やかで澄んだ青い目。
この人は本当に悪魔なのだろうか?
そう疑いたくなるほど美しい。
「マル――――っ?!」
顔を固定していた手で、ムギュッと両頬を挟んできた。ティナーシェの口はタコのみたいに突き出てるわ、びっくりして目を丸くしてるわで、ひょっとこみたいな顔面になってしまった。
「ぶはっ! 変な顔!!」
「ちょ、ちょっと何するのよ!!」
恥ずかしいいいいっ!!
キスされるのかと思ってしまった自分を殴りたい。顔が熱くなって、きっともう真っ赤だ。
「そうやって人をからかって!」
マルスから離れようとしたところで、下に落ちていた本に躓いた。
バランスを崩しそうになり咄嗟にマルスのシャツを掴むと、大きく胸の辺りがはだけてしまった。
「ご、ごめんね。――あれ?」
目のやり場に困りつつもマルスの方を見ると、その胸元に火傷の跡のような痣が見えた。
「その痣、どうしたの?」
何かの模様……?
ただの痣というよりは、なにかの模様の一部みたいに見える。上向きの弧と弧の間には呪文のような文字が書かれ、弧に囲われる形で星模様の一部分が。さらに中には何か描かれているけれど……痣は下に行くにつれて薄くなっているのでよく分からない。
夢中で痣を観察するティナーシェに、マルスはククッと笑った。
「急に積極的になったな」
「え?」
気が付いたら、マルスの胸に手を当ててまじまじと見てしまっていた。
「わぁっ! ちっ、違うの!! まるで模様みたいに見えたから。ごめんなさい。わたし、もう寝るね」
急いで本を棚に戻したティナーシェは、逃げるように部屋へと戻って行った。