12. 赤ちゃんとマルス
2025/2/27 11話目の後にこちらのエピソードを書き加えました。
「わあぁっ! 可愛いーぃ!!」
目の前の小さな赤ちゃんを前に、ティナーシェは思わず黄色い声を上げた。
今日はジーノのお孫さん夫婦が、無事に出産を終えた御礼と生まれてきた赤ちゃんをアルテア様に会わせる為に、聖堂へとやって来ている。先程まで神官と神女によって儀式が執り行われていたが、それも終わって今は、赤ちゃんを見せて貰っている。
「良かったらこの子を抱いて頂けませんか?」
「え? 良いのですか?」
「はい。この子もきっと、こうして聖女様に会える日を楽しみにしていたはずですから」
緊張しつつも渡された赤ちゃんを腕に抱くと、母乳の香りなのか、バニラのような甘い匂いが漂ってきた。
お包みに包まれた赤ちゃんは、時折口元をもぐもぐと動かしながらよく眠っている。
「儀式の最中もよく眠ってくれていてホッとしました」
「そういえば、儀式の最中に泣き出す子に会った事はないので、もしかしたらアルテア様のお力かもしれませんね」
「まあ、そうなのですか」
聖堂では赤ちゃんの為の儀式を毎月末に行っているが、これまで儀式の最中に泣いてしまう赤ちゃんが居ないことに今気がついた。新たな発見をして余計に顔が綻んでしまう。
「うわー、サルみたいだな」
赤ちゃんを抱くティナーシェの背後から、マルスがひょこっと顔を出してきた。
コイツはまたー!
人様の子供に向かってサルはないでしょ、サルは!!
「すみません、この人言い方が悪くて。小猿みたいに可愛いって意味です。ね?!」
「んー」
「いえ、いいんですよ。僕も初めて赤ちゃんに対面した時は、しわくちゃのサルみたいだって思いましたから」
マルスが大失言したにもかかわらず、ジーノのお孫さんはのんびりとした口調で答えた。
おおらかな方で良かったとティナーシェは安堵したが、奥さんの方は旦那さんを半眼で睨み付けた。
「あら、あなた! 赤の他人ならまだしも、父親のあなたがそんなこと思っていたんですか?!」
「いやぁ、でも今はぷくぷくしてきて可愛いよ」
「い・ま・は?」
「いやいや、違うんだ。もちろん生まれたて時から愛おしい僕らの子供だよ。ねー?」
慌てて弁解する父親に、目を覚ました赤ちゃんがボーッと見つめ返している。
もうそろそろお母さんに赤ちゃんを返さなきゃと思ったところで、何を思ったのか、マルスが突拍子もないことを言い出した。
「俺も抱いてみていいですか?」
一体何を言い出すのよ、まったく。あんな言い方してきた人に大事な赤ちゃんを抱かせるなんて、したくないに決まってるじゃない。
奥さんは一瞬迷った様子だったが、ティナーシェがマルスの要求を取り下げさせる前に、笑って頷き返した。
「ええ、是非。男の子は聖騎士様に抱かれると、強い子に育つと言いますから」
ティナーシェから赤ちゃんを渡されたマルスの手つきは、かなり危なっかしい。それでも赤ちゃんは泣きもせず、じっとマルスの顔を見つめている。
「ちょっとマルス。真顔じゃ赤ちゃんが怖がっちゃうよ」
お互い顔を見つめ合うこと数秒。赤ちゃんがニコッと笑い返した。
「わ……笑ったぁ! 可愛いーー!!」
「うふふ、あなたも聖騎士様に抱かれて嬉しいのね」
悶絶するティナーシェと両親に対し、眉間に皺を寄せたマルスは赤ちゃんを突き返すようにして母親に渡した。
「もう宜しいのですか」
「はい。ありがとうございました」
赤ちゃんに微笑みかけられてあんな顔する人なんて初めて見た。自分で抱っこしたいって言っておきながら何なんだか。
ジーノの孫夫婦に悪く思われないよう、精一杯の笑顔と御礼を言って三人を見送った。
「もう、マルスったら。あんな態度取るなんて失礼じゃない!」
3人の姿が見えなくなって聖堂内へと戻る途中、ティナーシェはマルスに苦言を呈したが、本人は気にもとめていない様子だ。
「ティナは子供が好きなのか?」
「好きも嫌いも、赤ちゃんって無条件にかわいいじゃない」
赤ちゃんが可愛いのに理由なんてない。
存在自体が尊くて、可愛いのだ。
「マルスは可愛いって思わないの?」
「さあ。赤子をまともに見たのなんて初めてだからよく分からない。地獄に赤子の魂は、まず落ちて来ないからな」
「あ……そう、だよね」
言われてみればそうだ。
生まれてまもない子供が命を落とすことはよくあるが、罪を犯す訳が無いので、地獄にその魂が行くことなんてないんだ。
「ふにゃふにゃして弱っちいし、どうしたらいいのかよく分からなかった」
そういう事だったのね。
マルスが眉根を寄せて微妙な顔をしたのは、嫌いだからじゃなかったんだ。
って、なんでホッとしているんだか。
別にマルスが子供嫌いかどうかなんて、私には関係ないじゃない。
「初めて父親になる人は、マルスと同じ感想を持つ人も多いんじゃないかな。多分」
産まれたての赤ちゃんを連れて礼拝に来る人はよくいるが、新米パパは母親に比べると赤ちゃんへの接し方がおっかなびっくりしながらで、ぎこちないことが多い。
ティナーシェはまだ腕に残る赤ちゃんの重みと温もりを思い出して、ため息をついた。
「あーあ、いいなぁ。人の子供でもあんなに可愛いんだから、自分の子供だったらきっと目に入れても痛くないんでしょうね」
「子供、欲しいんだ?」
「……どうかな。あんまり考えないようにしているから」
ただの伯爵家の娘として生きていた頃は、自分もきっと親が決めた誰かと結婚して、子供を産んで育てるんだろうと思っていた。聖女となってからはそんな当たり前の事が全く想像できなくなって、最近では辛くなるだけだから考えることすらしなくなった。
悪魔に付き纏われている時点で、もう終わってるわよね、私。
1%くらいあった結婚の可能性をゼロにしてくれちゃて。
やはりこの状況を何とかしなければと考えたティナーシェは、打開策を見出すために動くことにした。