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1. 落ちこぼれ聖女

 ――悪魔って、本当にいるんだ。


 ついさっき、悪魔召喚の儀式をしたのが自分であるにもかかわらず、少女は驚きの声を漏らした。


「うそ……」


 地面に描かれた陣の上には生け贄となったウサギの血。その上にフード付きの長いローブを着た男が、どす黒い空気と共に現れた。

 少女が男だと思ったのは単純に背が高いからで、もしかしたら女かもしれない。

  フードを目深に被っていて、全く顔の見えない相手に向かって少女は話しかけた。


「あなた……悪魔?」


 返答を待つ僅かな間にも、男の放つ魔力と威圧感とに体が震えそうになる。


「お前……悪魔と契約を結べばどうなるか分かっているんだろうな?」


 臓腑の凍るような冷たい声。一瞬、怖気付きそうになりながらも、少女は頷き返す。


「死んだ後のことなんてどうでもいい。今が天国ならね」


 少女の言葉に、悪魔がケラケラと腹を抱えて不気味に笑っている。


「いいねぇ、そういうの。気に入った。そんな現世主義なお前にプレゼントだ。手を出せ」


 言われた通り両手を前に出すと、どこからかヒラヒラと黒い羽根が落ちてきた。それがこの悪魔の言うプレゼントだと直感的に思った少女は、舞い落ちてくる羽根を掴んだ。

 カラスのような艶やかで真っ黒な羽根が三枚。ただの鳥の羽根では無いことは触れただけで分かる。禍々しく、おぞましい。

 これまで幾度となく魔物に会ったことがあるが、そのどれよりも深い闇を感じられる。


「俺の羽根だ。羽根に篭もる俺の力を使って、お前の望みを叶えるといい」

「力を使ってって、一体どうすれば……」

「契約を交わせば、その羽根で出来ることや使い方が自ずと分かるだろう」


 近付いてきた悪魔。後退りしたが、少女の身体はいとも簡単に地面に押し倒されてしまった。

 

「きゃあぁっ!!」


 弾け飛んだ服のボタン。

 左胸に押し付けられた唇。


 少女はその夜、闇に堕ちた。

 

 

 ◇◆◇



「んー、これでいいかしら。だいぶ綺麗になったわ」


 ピカピカに磨き上げた女神・アルテアの像を前に、ティナーシェは満足気に頷いた。

 ここペジセルノ大聖堂は、アルテア教の中心となっている最も重要な神殿のひとつ。規模が大きいだけではなく歴史もある聖堂で、この国の中でも一番、多くの聖女が所属している場所でもある。


 アルテア様も満足してくれるかしら?


 祭壇に置かれたアルテア像は顔に柔らかな笑みを浮かべ、まるで聖堂内を見渡しているかのように、慈愛に満ちた瞳を向けている。


 もうすぐ昼食の時間だからと、ティナーシェが掃除用具を片付けようとすると、不意に後ろから声をかけられた。


「ちょっとそこのあなた。天使の像も綺麗に磨いておいてよね」


 振り返った先にいたのはエメリア・カディオ。聖女の中でもNo.2の実力を誇る聖力の持ち主だ。


「……あ、はい」


 小さな声で返事をしたティナーシェに、エメリアはわざとらしく「あらやだっ!」と声を上げた。


「よく見たら『落ちこぼれ聖女』のティナーシェじゃない! 私ったらてっきり、神女かと思って声をかけてしまったわ。ごめんなさーい」


 おほほ、と上品ぶって笑っているが、ティナーシェにいつもしている事は、少しも上品なんかではない。ことある事に嫌味を言ってきたり、嫌がらせをしてきたりで、ティナーシェをいびる事が趣味みたいな人だ。

 最も、それはエメリアだけに限った事では無いのだけど。

 現に周りでは、掃除をしていた神女や神官達が声を抑えることもせずに、くすくすと笑っている。


 『落ちこぼれ聖女』ことティナーシェ・アルチュセールは、聖力を持つ女性――聖女の中でも、最弱だった。微弱とはいえ聖力のあるティナーシェを、聖力を持たない神女や神官からも軽く見られてしまっているのは、ここに来た経緯にあるのかもしれない。

 過去を思い出し小さくため息をついたティナーシェは、黙ったまま近くの天使の像を磨き始めた。


「あんたってほんと、感じ悪いわね。見てるとイライラしてくる。言いたいことがあるなら言えば?」

「いえ、何も」


 触らぬ神に祟りなし。と言うが、あれは嘘だ。


 チッと舌打ちしたエメリアはティナーシェの近くを通り際に、バケツを蹴ってひっくりがえした。


「ごめんなさいね。足があたっちゃったわ。拭いておいて」

「はい……」


 床に飛び散った汚れた水を床に這いつくばって拭きながら、嵐が通り過ぎるのを待った。

 何故こんなことになったのか……。

 考えるほどに涙がにじみ出てくる。


 エメリアの足音が聞こえなくなると、別の足音がティナーシェの耳に入ってきた。


「まあ、水をこぼしてしまったの?」


 見上げると、波打つ金色の髪が美しい女性が立っていた。後ろからは丁度、ステンドグラス越しに日の光が入ってきているせいで、まるで後光が差しているかのようだ。

 

「シルヴィー様……ごめんなさい! すぐに拭きますので」


 筆頭聖女にして、大聖女の称号を持つこの女性はシルヴィー。平民の生まれだというのが信じられないくらい清楚で気品のある御方だ。同い年なのに、ティナーシェよりもずっも大人っぽく見える。


 シルヴィーの圧倒的な輝きを前にティナーシェは、バケツをひっくりがえしたのが自分では無いという事実が頭から飛んでいった。

 もう一度雑巾を握り直して床を拭くティナーシェに、シルヴィーは周りを見回した。


「午後の礼拝に来る人が滑って転んだら大変よ。みんな、手伝ってちょうだい」


 先程まで傍観を決め込んでいた神女や神官達は大聖女に声をかけられ、慌てて駆け寄ってきた。

 神に仕える神女や神官、それから聖女だって、元はと言えばただの人。みんながみんな、心が清らかで優しい訳じゃない。

 悲しいくらいの対応の差に、ティナーシェは奥歯を噛んだ。


「ありがとう。助かったわ」

 

 何人かでやれば1分もかからないで終わる仕事だった。綺麗に拭き上げられた床を前にシルヴィーに御礼を言うと、「いいのよ」と微笑み返された。


「もう昼食の時間だわ。食堂へ行きましょう」

「いえ、私はまだ天使の像を拭かなければならないので。シルヴィー様は先に行っていて」

「……ティナーシェ、貴女は聖女なのよ。掃除は貴女の仕事じゃないわ」


 掃除や洗濯、食事の準備。これらは通常、神女や神官の仕事だ。聖力という稀有な力を持つ聖女は雑用などしない。

 神に祈り、傷や病を癒し、瘴気を払って浄化するのが本来の聖女の役目。

 けれど僅かな聖力しか持たないティナーシェは、その役目をほとんど果たせていない。

  

「えっと……私に出来るのはこのくらいしかないし……。給金泥棒になっちゃうから。ははは……」


 他の聖女たちと同様、ティナーシェも多額の給金を貰っている。

 『出来ることは神女や神官とほとんど変わらないくせに』と陰口を叩かれているのを知っているティナーシェは、人一倍働くように心掛けていた。


「……あまり思い詰めてはだめよ。食事が終わる時間までには間に合うようにね」

「ええ、ありがとう」


 立ち去ろうとしたシルヴィーは、「そうだ」と歩みを止めた。


「今日の午後、集まりがあるのは知っているよね?」

「エメリア様から聞いてるわ」

「遅れないようにね」


 頷き返したティナーシェを見て、シルヴィーは食堂の方へと去っていった。


 やっぱりシルヴィー様は優しいなぁ。


 天使の像を拭きながらティナーシェは、聖女としての能力に加えて、中身まで完璧なシルヴィーを心の中で賞賛した。

 

 ティナーシェはシルヴィーと出会ってまもない頃、同い年だし自分はもともと平民の出なのだから、敬語なんて使わなくていいと言われたことがある。でも、ティナーシェとはあまりに違う聖女としての能力差に、今でも敬語とタメ口とが入混ざった変な喋り方をしてしまう。


「よしよし。こっちの像も綺麗になった、と」


 柔らかい布地で仕上げの乾拭きを終えた天使の像もまた、ティナーシェの手によって一点の曇りもなくなった。

 向かい合う2人の天使は互いの指を絡ませ合い、見つめ合っている。


 お熱い仲ですこと。


 ティナーシェは今年で20歳を迎えた。

 聖女が嫁ぐのは世間一般の女性より遅く、概ね20代半ば頃。誰かの妻となれば聖堂で聖女として活動することは難しくなるため、できる限り聖女に残って欲しい聖堂側と、売れ残りたくない聖女との絶妙なバランスがとれているのがこの年齢、というわけ。

 だから縁談話が一切ないティナーシェが、行き遅れているなんてことはないのだが……。


 こんな風に熱く見つめ合う相手なんて、自分に現れるかどうか。

 天使の像を前に深いため息をついた。


 特別な力を持つ聖女という存在に、縁談話が無いわけがない。各地の有力者から、わんさか話を持ち掛けられる。

 聖力が強く、より国と民に貢献したり見た目が良かったりすると、より良い縁談に恵まれたりもするが、聖力が弱いからと言ってゼロなんてことは普通は無い。と、思いたい。


 『落ちこぼれ聖女』などという不名誉な肩書きを持つティナーシェを、喜んで迎えてくれる男性が果たしているのかどうか。


「あっ、いけないっ! お昼ご飯……!」


 道具を急いで片付けてから慌てて食堂へ向かうと、皆食事を終えて片付けられてしまっていた。


 お昼ご飯、食べ損ねた……。


 空きっ腹のまま夜まで我慢!

 肩を落として食堂から出ようとすると、神女に声をかけられた。


「ティナーシェ様」

「はい、何でしょうか」

「これをシルヴィー様からお預かりしました。食堂へ来たら渡して欲しいと」


 渡された包みを開けると、中にはパンとチーズが入っていた。


「シルヴィー様って本当にお優しい方だわ。どんな人にでもこうして、親切にして下さるんだもの」

「そうね……。私もそう思う。渡してくれてありがとう」


 『どんな人にでも』の辺りに引っ掛かりを感じてしまうのは、ちょっと敏感になり過ぎよね?

 ティナーシェが御礼を言うと、神女は仕事へと戻って行った。


 昼食を食べ終えてからは、礼拝に訪れる人を迎え、それから雑用諸々をこなす。


 もうそろそろ集まりの時間だわ。


 時計を見て、少し早めにカンファレンスルームへと向かったティナーシェは、扉を開けて息を呑んだ。


 うそ……みんなもう揃ってる……。


 部屋には既に、聖女や聖騎士団、聖堂の主だった人が話し合いをしていたようで、それぞれが席についている。

 いっせいに向けられる視線。唖然として固まるティナーシェに、聖騎士団長のダリオが意地悪く笑った。


「おいおい、遅刻してくるとは大した身分だな。ええ?」

「あ……もっ、申し訳ございません。4時半からだと聞いていたもので……」


 ペコペコと頭を下げるティナーシェに、エメリアが「ちょっと」と声を上げた。


「私はちゃんと4時からって伝えたわよ! まるで私が連絡ミスしたみたいじゃない」

「いえ、そうではなく……。すみません。私が勘違いしていたようです」


 冷たい視線に足が震えそうになる。

 なんで私ってこうもドジなんだろう。

 こういうミスをちょいちょい犯してしまう。


「まあ、皆さん。そんなに怒らなくても、始まったばかりではないですか。ティナーシェ、ごめんなさいね。さっき話した時に、時間もきちんと確認しておけばよかったわ」

「そんなっ……。私が悪いんです」 

「そうですぞ、シルヴィー殿。悪いのはコイツで、大聖女様が謝ることじゃない」


 聖騎士団長の言葉に何も言い返すことが出来ないティナーシェは、ただ前で組んだ両手をにぎって震えた。

  

「会議が中断してしまった。ティナーシェは今度からきちんとメモをとるように。紙を買う金くらいは支給されておるだろう?それとも別の何かに使っているのかね?」

「いいえ……」

「分かったら早く席に座りなさい」


 枢機卿からわざわざ言われなくても、とっくにしている。

 自分が間抜けだって知っているから、ミスをしないようにメモは都度、取るようにしているし、今回の集まりだってエメリアから聞いてすぐに4時半と書いておいたのだ。

 なのに……。

 人を疑うことはしたくないティナーシェは目を瞑り、もう一度謝ってから席へとついた。


「あー、それでは会議を再開しよう。どこまで話したかな? あぁ、そうだ。ユートルモスへ誰を派遣するかだ」


 隣に座っているシルヴィーが、ユートルモスという地に瘴気が発生したので浄化をしに行く予定なのだと、小声で説明してくれた。


「先程発表したように、今回の派遣はヴァレンティーナ、アンジェラ、それからティナーシェの三名。今名前を呼ばれた聖女と聖騎士団長、並びに騎士の諸君、3日後の出発に向けて準備を進めてくれたまえ」


 やっぱりね。呼ばれると思った。


 瘴気の発生している場所は魔物がウヨウヨしている。当然命の危険に晒される可能性が高いわけで、そんな場所へ行くのは誰だって怖い。

 聖騎士団の男たちは自ら聖騎士になることを選んで門を叩くが、聖女は違う。

 たまたま聖力を持って生まれてきたというだけで、高い志を持っているとは限らない。だから浄化の任務に喜んで手を挙げる聖女はいないのだ。

 浄化の任務に誰が選ばれるのか、枢機卿の発表に聖女達は毎度ドキドキとする中、ティナーシェはどうせまた名前を呼ばれるだろうと踏んでいたので今更落胆はしない。

 淡々と了解の返事をして、残りの会議を過ごした。


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