第二話 鞍馬天狗
『鞍馬天狗』との異名で呼ばれる維新志士・渡辺昇は、大村藩の上級藩士の出身である。
だが、江戸の神道無念流・練兵館で修行している時期に、桂小五郎らと親交を持ち、尊王攘夷思想に傾倒していった。
そして、今では動乱の京都で、尊王攘夷・倒幕運動の志士として活動しているのだ。
その渡辺昇が、単身、新選組の屯所を訪れた。
「えっ、?」
これには、門前を清掃していた私も驚く。たまたま近くにいた沖田総司が、
「これは、これは、渡辺先生、お久しぶりです」
「あっ、沖田君では、ないですか」
「どうしたのですか。こんな所に」
「近藤さんと、話があるのですが」
「そうですか。では、中へどうぞ」
と、アッサリと屯所の中に入れてしまう。
「沖田さん、いいんですか?」
戸惑う私に沖田は、こう言った。
「実は、渡辺先生は江戸にいた頃、近藤さんと親しい間柄でね」
その後、沖田は、渡辺を近藤の居室に案内して、私は、お茶を出す。
一旦、退室した私は、隣室で忍者刀を抜き身にして待機した。いくら知人とはいえ、渡辺昇は『鞍馬天狗』と呼ばれる倒幕派の維新志士だ。
「で、何用ですかな。渡辺先生」
「近藤君。君のような志の高い人が、なぜ、幕府の手先のような事をしているのだ」
「私は渡辺先生のような家柄も無く、学も無い。京都守護職お預かりの身でも、身に余る処遇なのです」
「だが、その幕府も、いずれ倒れる。それが解らない君でもないだろう」
「ですが、それは今日ではない。明日でもない」
「君は、幕府と心中するつもりか?」
「心中も結構。私は農家の出身ですが、武士として生き、武士として死ぬなら本望です」
「近藤君。いつまでも、そんな考えに囚われていないで、世界を観るんだ。武士の世は終わろうとしている」
「そうかもしれません。ですが、私は松平容保公に忠誠を誓った。この忠義と共に死ぬつもりです」
こうして、二人の志は交わることなく平行線のまま、この会談は終わり、渡辺昇は屯所から帰って行く。
夕食後、土方歳三が近藤へ向かって、
「なぜ、鞍馬天狗を叩き斬らなかったんですか?」
「歳、何でも斬れば良いというものでもないだろう」
「いくら、昔の知り合いとはいえ、今、渡辺昇は幕吏から狙われている『お尋ね者』ですよ」
「そういう問題じゃない。今日、渡辺先生は、私と志の話をされに来たのだ。だから、この新選組の屯所に単身で訪れた。そんな人物を斬るわけには、いかんだろう」
「そうかい。俺には千載一遇の機会にしか思えないがね」
最後に土方は、近藤を少し睨んで背を向けた。
後日、屯所で私は、近藤と沖田が、こんな事を話しているのを耳にする。
「総司よ。オレはね、時々、歳を京都に連れてきたのは、間違いだったんじゃないかと、思うときがあるんだよ」
「何で、ですか?」
「歳は、オレと違って頭が良い。商売もできる。江戸でも多摩でも、歳なら上手く生きて、何かしら成功できただろう」
「そうですね。実家も金持ちだし、この先、時代が、どうなろうとも、土方さんなら成功できるでしょうね。女性問題は起こすかもしれませんが」
「総司。オレから見るとな、今の歳は、何だか『人を殺す事に取り憑かれた』ように見えるんだよ」
そう言いながら近藤勇は、悲しそうな表情で、ため息を漏らした。