第二章 時を越えた邂逅と別離 3-10
「ケルン、グルカ伯父さんだ。このジョディの夫です、そうしてお父さんの友だちでもある」
グルカが少年に対してでも、紳士然とした仕草で右手を差し出す。
「ケルンです、よろしくお願いします」
小さな手が、大きな大人の手を握る。
「家にも君と同じ年頃の子どもがいるんだよ、言ってみれば従兄弟だ。いつかお話しができる日が来ればいいね、きっと友達になれるはずだ」
「いとこ? 母さん、ぼくには従兄弟もいたんだね。今日はなんて良い日なんだろ、お婆ちゃんに伯母さん、伯父さん。それに従兄弟までできちゃった」
弾んだような声で、ケルンが母親に語りかける。
「グルカ? あなたがジョディの旦那さんなの。――はて、どこかで見たことがあるような」
無遠慮にキャリーヌは、グルカの顔をジロジロと眺め回す。
〝!〟
「あんたペランの友達の、お城の門番じゃない。なんであんたがジョディちゃんと一緒になってんの、信じらんない」
キャリーヌが、周りも気にせずに素っ頓狂な大声を出した。
ジョディとグルカはペランの時と同じように、事の成り行きを再び説明しなければならなかった。
「こんなに美人のジョディちゃんが、なんであんんたみたいな華のない男と結婚してるのよ。トールン一のいい女がもったいないじゃないか」
キャリーヌがあけすけなもの言いをする。
目の前にいるグルカはその出で立ちから表情、口ぶりや姿形のどれをとっても上層階級の紳士にしか見えないが、キャリーヌにはそうは映らないらしい。
騎士になる以前のグルカしか知らない故に、その印象が抜けないのだろう。
「あっははは、キャリーヌさんにあっちゃ、このわたしも形無しだね。まったくあの頃となにも変わってない、まるで爆弾草(※)みたいな女性だ」
(※註・爆弾草、別称ゴロゴロ 甘藍の倍ほどの大きさで結球野菜の形状とよく似ている。しかし中は空洞で、外的な刺激だけではなく、時にはなんの意味もなく大きな音を伴い爆発する。そんな性質から爆弾草と命名された。転じて、いつ怒り出したり癇癪を起こすか分からない人間を指す。主に女性を揶揄する蔑称として使われる)
苦笑するグルカに、キャリーヌが食ってかかる。
「爆弾草ってどういう意味よ。あたしも大概だけど、あんたの方も相当失礼だよ。《《ペランの腰巾着》》だったくせに、随分な言いようじゃない」
「こらこらキャリーヌ、口が過ぎるぞ。グルカさんに謝りなさい、ジョディさんに対しても失礼じゃないか」
ペランが呆れたように妻を叱る。
これでは爆弾草といわれても仕方がないが、本人にはその意識はないらしい。
「そうだよキャリ。このグルカさんはいまじゃトールン市のお偉いさんで、統括警護総監をお務めなんだ。ゆくゆくはトールン行政長官様にもなろうかと言うお方だ、そんな口の利き方してるとしょっ引かれて牢に入れられちまうよ」
なん年経とうと相も変わらず口の悪い娘に、デミトリアが現状を言って聞かせる。
「行政長官? なんでしょぼくれた門番がそんな出世できるんだよ。陰で悪いことでもしてるんじゃないだろね、そうだったらあたいが許さないからね。ペランの《《子分の悪行》》は、女房のあたいの責任でもあるんだ。覚悟しなよ」
そんなデミトリアの説明も関係ないとばかりに、彼女は勝手な想像を膨らませてゆく。
きっと悪いことをした金で上に賄賂を送り、身にそぐわない出世をしたんだろうくらいに考えているらしい。
それが自分の亭主の仲間であった人間ならば、根性を叩き直してやろうという、一方的で的外れな正義感から来る感情だった。
それまで呑気そうにしていたペランの形相が一変した。
「馬鹿なことを言うな。グルカは長年真面目にお役を務めた結果、いまの地位にまで昇ったんだ。人間としてこんなに立派な生き方があるものか、いい加減口を慎みなさい」
ペランからいつになく強い口調で叱られ、キャリーヌが悄然と下を向く。
「ごめんなさい――」
不承不承といった感じで、頭を下げた。
「ごめんなさいじゃないだろ、お前はいつまで昔しの悪かったときの癖が直らないんだ。そんなことじゃケルンの教育にも悪い、いまの内にいっそ離れて暮らすのも良いかもしれんな」
「ごめんって謝ってるじゃないか、そんな酷いこと言わないでおくれよ。あんたたちと離れるなんて、あたいにそんなことできる訳ないの知ってるだろ。許しておくれよ」
哀しげな声で、キャリーヌはペランに謝り続ける。
「父さん、母さんを怒らないで。ぼくのお願いだよ、母さんを怒らないでよ」
側で見聞きしていたケルンが、縋るように父に懇願する。
「ケルン?」
ペランが困った顔で、息子を見た。
「母さんを怒っちゃいやだよ、いつもみたいに仲良くしてよ。きっと母さんは後で泣いちゃうよ、父さんから怒られたときはいつもそうなんだ。父さんに見られないように、家の陰でいつも泣いてるんだよ」
「ケルン、お前――」
誰にも見られていないと思っていたキャリーヌは、息子がそれを知っていたことに戸惑っている。
「なんだいあんたら、子どもの前で夫婦げんかなんかしちまって。この子がこんなに胸を痛めてるじゃないか、いい加減におしよ。いい歳をして、昔となんにも変わってないじゃないか」
デミトリアが、ふたりに強い視線を向ける。
「お婆ちゃん、父さんに母さんを怒るなって言っておくれよ。母さんが可哀想だよ」
母親を庇うその健気さに、デミトリアが思わず少年を抱きしめた。
「父さんは怒ってるんじゃないんだよ、だから心配しなくって大丈夫。おまえは親思いの優しい子だね、いつまでもその心を忘れずにいておくれ。やがてきっと人の上に立つ立派な男になるよ、お婆ちゃんにはその姿が見えるようだ」
愛おしげに自分の頬を可愛らしいケルンの頬に押し当て、なんども擦りつける。
そんなデミトリアとケルンを見ているうちに、ペランもキャリーヌも顔から悪いものが抜け落ちたように穏やかになる。
「心配するな、もう父さんは怒ってないよ。いつもの喧嘩だ、本気にすることはないんだ。父さんは母さんが好きだし、母さんも父さんのことが好きだ。そうしてふたりはお前のことが大好きだ、いつまでも一緒だよ」
「ほんとに怒ってない?」
「ああ本当だ」
ペランが息子の髪を優しく撫でつける。
こうして痴話喧嘩も、どうにか無事に落ち着いた。
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