第二章 時を越えた邂逅と別離 3-9
そんな遣り取りをさっきから不思議そうに眺めているのは、ペランとキャリーヌの息子ケルンだった。
生まれて始めてみるような母親の姿に、子どもながらどう反応していいのか解らないらしい。
「ねえ母さん、母さんの母さんって、ぼくのお婆ちゃんってこと? ぼくにお婆ちゃんがいたの」
躊躇いがちに訊いてくる。
この男の子は年齢にそぐわず、口調も仕草も顔つきさえもが幼く感じられた。
それが素直さから来るものなのか、それともなんらかの障害がもたらすものなのかは判然としない。
しかしその瞳には、確かな智の輝きがある。
ひとよりも発達の速度が遅いのだろう。
「そうだよ、お前のお婆ちゃんだよ。お爺ちゃんもいたんだけど、八年前に死んじゃったんだって。とっても大きくって、安心できて、いつも護ってくれてた。四方に大きな枝を張ってみんなを雨風から防いでくれる、そんな強くて優しい樹のような人だったんだよ。会えなくって残念だね」
「ふうーん」
あまりに突然な展開で、子どもの頭では理解が追いつかないらしい。
「ケルンってのかい、賢そうな顔だね。あたしはデミトリア、あんたの父さんと母さんのお母さんさ。血は繋がっちゃいないが、それ以上の心で繋がってる。本物の親子にだって負けちゃいないよ、あたしの家はあんたにとっても実家だ。なんか困ったことがあったら、いつでも尋ねておいで。カスター通りのデミトリアって訊きゃ、トールン中の誰でも案内してくれる。お婆ちゃんはいつでもあんたを歓迎するよ、忘れるんじゃないよ待ってるからね」
デミトリアが片目を瞑ってみせる。
「うん、ありがとうお婆ちゃん」
「あらあら、ちゃんとお婆ちゃんって呼んでくれるのかい。嬉しいいねぇ、ところでその傷はどうしたんだい」
見た瞬間から気になっていた、ケルンの左目下の傷のことを訊いてくる。
それは幼い子どもには不似合いなほど、鋭く深い疵痕だったのだ。
「へへへ、お母さん鹿に怒られちゃったんだ」
「お母さん鹿? いったいそりゃなんだい、キャミ」
要領を得ない返事に、母親の顔を伺う。
「二年ほど前森の中で鹿の赤ちゃんを見つけてね、その可愛らしさにこの子は近づいていった。鹿の子の方も警戒もせずに身体をすり寄せて、見ててなんとも微笑ましい姿に見えた。でもちょっと遅れてそれに気付いたペランは、すぐに鹿から離れるように注意した。そんときゃすでに遅く、母鹿がすごい勢いで突っ込んで体当たりをされちまったのさ」
「あらまぁ、じゃあその時に」
「そうなの、吹っ飛ばされた先に木の枝が張り出してて、そいつでザックリとやっちまったんだ。もうすこし上の方だったら、左目が失明してたところさ。不幸中の幸いっていうんだろうね」
「まあまあ、そりゃ危なかったね。じゃあお婆ちゃんが良いものをあげよう。これはお守りだ、肌身離さず持ってるんだよ」
そう言うと自分の首から鎖に繋がっている奇妙な形の飾り物を外し、少年に架けてやる。
「ありがとうお婆ちゃん、大切にするよ」
にっこりと少年が微笑む。
「いい子だ、両親を大事におし。お婆ちゃんの言いつけだよ」
慈愛に満ちた表情で、デミトリアがケルンの頭を撫でる。
「はい」
澄んだ瞳で、少年がそれに応えた。
「ケルンくんって言うの、わたしはジョディ。あなたのお母さんの姉妹よ、やっぱり血は繋がってないけれどね。あなたにとっては伯母さんになるわ、よろしく」
いままで見たこともないような綺麗な女の人に話しかけられ、子どもながらドギマギしているのが見て取れる。
「ジョ、ジョディおばさん? はじめまして、ケルンです」
頬が真っ赤に染まっている。
「あらあら、男ってのはしょうがないね。こんな小さいのに綺麗な女にゃ弱いんだから、ませちゃってるよ。ねえキャリ」
からかうように、デミトリアが母親の顔を見る。
「まったくしょうがないね、でもむかしから男はジョディちゃんを見たら、みんなこうなってたもんね」
あきれ顔でキャリーヌが笑う。
「そのたんびにあんたはジョディに嫉妬して、意地悪ばかり言ってたっけ」
「お母ちゃん、そんな話しやめてよ。恥ずかしいじゃないの」
そう言う母親に少年が尋ねる。
「母さん、しっとってなあに」
「そんなこと訊かなくっていいの、黙ってらっしゃい」
少年の問いに、キャリーヌは〝キッ〟となった。
「ははは、お婆ちゃんが教えてあげるよ。嫉妬ってえのはヤキモチを焼くことさ」
「へーえ、じゃ母さんは、ジョディおばさんにヤキモチ焼いてたんだね」
屈託のない素直な言葉に、一同から笑いが巻き起こった。
「もうお母ちゃんったら、余計なこと教えないでよ」
キャリーヌが頬を膨らませ、デミトリアを睨んだ。
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