第二章 時を越えた邂逅と別離 2-9
大公と重臣たちの関係は完全に冷え切り、最終的には改革推進派の地方貴族、郷士や下級官僚たちからでさえ批判が湧き出す有り様となった。
そうして非難の矢面に立たされたのが、ペランである。
やがて事態は加熱の一途をたどり、ペランの暗殺計画さえ画策された。
そんな中で犠牲となったのが、ペランの義弟でありブルガの小姓を務めていたマルコという少年である。
彼はポルピュリオウス家の眷属でもある、名門貴族シャーゼンウッド家をやがて嗣ぐはずの少年であった。
たったひとりの親族である姉フローリアは、ペランを婿にとり家門を暫定的にその手に委ねていた。
しかしその姉も病にて死去し、いまやマルコは義理の兄であるペランだけを頼りとしていた。
そんなときマルコはペラン暗殺の陰謀を察知し、その魔手から義兄を救うために命を落とすこととなった。
若き家臣団の中からでさえペラン排除の動きが出始め、不本意ながらその旗頭に担ぎ出されたのが、もうひとりの中心人物であるガリフォンだったのだ。
大公ブルガとペラン主従は、外からも内からも攻撃を受け苦境に立たされることとなった。
それでもブルガの意思と行動力は挫けることなく、己が理想に向かい突き進み続けた。
敵が増えるのと比例して、味方もまた増えて行く。
その頃にはある程度の将来像が見え始めるくらいには、大聯合構想も進展を見せ始めた。
ペランも妻と義弟の死という度重なる不幸を乗り越え、懸命にブルガに仕え続ける。
そんな矢先、不意の病にブルガが斃れた。
大量の吐血をしてから、命が尽きるまでふた月と掛からなかった。
死の床でブルガが最後に下した決断が、ペランに公爵位を授け、サイレン宮廷史上の最高位である大丞相に任じるというものだった。
なにがなんでも自分の進めてきた夢を、実現させて欲しかったのだろう。
それが可能なのは、ペランを置いてほかにないとの判断を下したのである。
そんな中で出されたのが『遺訓・大公威命宣下の証』だ。
羽根ペンを握る力さえなくなったブルガは、妃であるメラニスに代筆を頼み、人差し指の先を妻の口で噛み切らせその血で署名したのであった。
「ペラン、頼んだぞ」
それが彼の最期の言葉であった。
偶然その場に立ち合ったのが、グルカだった。
ブルガの真の最期を知っている本人を含めた、たった四人の中のひとりなのである。
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